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100万頁のシックザール=ミリオン  作者: 望月 幸
第六章【ビブリア強襲】
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五話【アンツネスト】

 屋根の上を駆けていくうちに、焦燥感と充実感を抱いていた。

 蟻たちの奔流の源に近づくにつれて、街の被害は深刻なものになっていた。街の屋根の上を跳ねるように駆け抜けていくため、どこでどの程度の被害が発生しているのか手に取るようにわかる。

 全壊してしまった函もちらほらと見かけるようになった。そしてそのいずれも、中は無人になっており、蟻がその函の住民になったかのように跋扈していた。もともとそこに人がいなかったのか、それとも、蟻の餌にされてしまったのか、判別はできない。判別する必要も無い。どうせ手遅れだ。

 いかにシックザールが謎の黒いページの力で強くなっているとはいえ、彼一人でできることは限られている。本人もそれをよくわかっていた。

 しかしそれでも、せめて目の前にいる人たちはと、通り道に取り残されている白本や装者たちを助けた。巨大蟻たちに弱点があるとすれば、上からの攻撃に対処できないということだ。屋根の上から飛び掛かるシックザールに対しては無力で、次々と彼の黒く大きな腕に頭を握りつぶされていく。その様子を、助けられた人たちは呆気にとられた様子で眺めていた。

 こんなことでは、目的の女王蟻に辿り着くのが遅れてしまう。そんな焦りを覚えると同時に、しかしシックザールは、

 ビブリアを守る。ボクは、ビブリアを守っている。守っているんだ――!

 そんな充実感に満たされつつあった。


 そうして、彼の全身が蟻の体液でべたつき始めた時、ようやく目的の場所に到着した。

「こんなところに……」

 きっと、街から遠く離れた、誰も寄り付かないような場所に巣があるのだろう。そのように予想していたから、虚を突かれたような気分だった。巨大蟻の発生源である蟻の巣は、街中にあった。

 そこは、かつて白本が暮らしていた函だった。表札を見ると、その函の主と思われる白本と、その装者の名前が明記されていた。その名前なら見覚えがある。長らくビブリアに戻っておらず、“行方不明”に認定された白本だ。

 他の世界の滞在に必要なスピンは、約七日で燃え尽きる。時間の流れが全く異なる世界もあるため一概には言えないのだが、それはつまり、七日間以上ビブリアを留守にするということは、二度と帰ってこないことと同義だった。そのため十日も経てば、その白本は“行方不明”という扱いで報道される。白本や装者にとって“死亡”にも等しい。

「まだ取り壊されていなかったのか」気配を殺し、窓の外から顔を僅かに覗かせて室内の様子を探る。

「これが、連中の巣か――」

 埃が積もりつつある板張りの床に、巨大な穴が開いていた。直径は一メートルほどか。穴の周囲には板の残骸や土が盛られている。ここに巣を作った際に掘り出した土だろう。

 しばらく外から観察していると、穴の中から二本の「く」の字の黒い棒が飛び出した。巨大蟻の触角だ。それは周囲の空気を感じ取るようにひょこひょこと動くと、やがて蟻の体が這い出てきた。蟻は函の戸口から出ていき、まっすぐ街の中心地へと歩いていった。全く迷うそぶりを見せずに行き先を決めたのは、やはりフェロモンの力なのだろう。

「問題は、どうやって女王蟻を倒すのかというところか」

 当然ながら、女王蟻を倒すためには蟻の巣に侵入しなければならない。しかし巣の中にはどれほどの蟻が残っているのかわからない。通常の蟻の巣と同じなら、大半の蟻は巣の中に潜んでいるはずだ。

 それでは、外から巣を崩してはどうか。しかし、女王蟻に逃げられる確率が高い上に、巣を壊滅させるだけの衝撃を加えればこの国がどうなるのか分からない。

「……乗り込むしかないのか?」

 シックザールは窓を破壊すると、巣穴の前に躍り出た。ぽっかりと開いた穴は光を拒み、ほんの数メートルも先が見えない。

 カンテラのようなものは無いかと室内を物色しようとすると、彼の首から黒いページが十枚ほど飛び出した。そのページは宙を翻ると、シックザールの両目を塞いだ。

 唐突に目隠しされて戸惑いはしたが、その場で転ぶようなことは無かった。まるで暗視装置を装着したかのように、巣穴の内部を含めて周囲の景色が見えていた。

 もう一度巣穴を覗き込む。鮮明とは言いづらいが、暗さは完全に克服されていた。

 つばを飲み込んだ。この穴の先は、まさに地獄。大群ひしめく、敵の本拠地だ。加えて、頼るべき仲間もこの場所には存在しない。耳をすませば穴の奥からはカサカサと蟻共の足音が微かに聞こえる。黒い胎動だ。

 怖いはずだ。怖くて逃げだしたくなるはずだった。無意識に自分の口を押えた。

 知らず、口元が歪んでいた。この先に倒すべき敵がいる。それを想像すると、どれだけ串本を手で押さえつけても表情が歪んでいく。

 敵――敵――倒すべき敵! ビブリアの敵よ!

 シックザールは黒い手足を波立たせると、蟻の巣に飛び込んだ。

 

 侵入したシックザールを迎えたのは、何体もの蟻だった。顎をガチガチと鳴らし、彼の小さな体に突撃を開始する。逃げても良かったが応戦した。一匹でも多く蟻を倒しておけば、街の被害を減らせると考えたからだ。

 それにしても、妙に蟻が集まってくるなと不審に思った。巣の入り口に防犯カメラでも設置されているのならいざ知らず、巣に突入した直後から、蟻たちは絶え間なく襲い掛かってきた。

 力が湧いてくるとはいえ、このままでは体力が尽きてしまうのではないか。そのような不安を抱いた時、彼は自分の体が蟻の体液まみれになっていることを思い出した。

「まさか、ボクに付いたフェロモンを感じ取っているのか」

 既に何体もの巨大蟻をつぶし、そのたびに体液をまともに浴びてきた。知らず知らずのうちに、大量のフェロモンも浴びていた可能性は高い。今更服を脱いだところで大差は無いだろう。舌打ちをしてしまうが、それと同時に一つの案が思いついた。


再上映リヴァイヴ


 自らの能力を発動する。その額からは、蟻と同じように折れ曲がった触角が二本生えた。その場に四つん這いになり、靴を脱ぎ棄て、手足の指先を巣の壁にめり込ませた。それはまるで、四本足になった蟻のようだった。

「蟻がフェロモンを利用するのなら、ボクも利用すればいい」それがシックザールの作戦だった。再上映リヴァイヴで、フェロモンを探る蟻を再現したのだ。

 これまで感じることのできなかった、本能に訴えかけるような匂いを彼の触角が感じ取り始めていた。

 最も強い匂いは、ツンとした刺激を含んだ、巣の外に続く足跡フェロモンだ。自分の体にもたっぷりと付着しているので、自分が最も匂っている。

 しかしその匂いに混じって、微かに別のフェロモンの匂いを感じる。ツンとした刺激臭に対して、こちらはほのかに甘い匂い。その匂いは、確かに巣の奥の方から漂ってきていた。

 これがきっと、女王蟻のフェロモンだ。

 一時的に蟻に近い存在になっているシックザールは、蟻の本能でそう確信した。この匂いをたどっていけば、必ずたどり着けるはずだ。

 縦横無尽に、トンネル状の巣穴を潜り抜けていく。まるで、複雑なあみだくじをやらされているかのような感覚だった。しかし確実に匂いは強くなっており、それがシックザールの体の内に灯る炎を大きく成長させていた。もしも女王蟻を見つければ、その途端に体が燃えだしそうなほどに焦らされていた。


 一体、いくつの部屋を破壊してきただろうか。もはや、本当に蟻になったかのような錯覚に陥りそうになる。

 そうして、最深部と思われる深さで、二十八個目の部屋を見つけた時だった。入口が軽く蓋をされているが、蟻の嗅覚を備えたシックザールにはすぐに分かった。

 この部屋が、最も匂いが強い。直接鼻の頭に香水を掛けられたかのようだ。このままでは鼻が馬鹿になってしまいそうなので、蟻の能力を解除する。

 四つん這いを止めたシックザールは二本足で立ち上がる。彼の両腕が武者震いを起こすように波打ち、臨戦態勢に入るように何倍にも膨張する。

 壁は脆く、一度拳を叩きつけただけで呆気なく崩れ落ちた。それと同時に、むわっと濃厚な匂いが噴き出す。蟻の能力を解除していなかったらその匂いに酔っていただろう。


「――まさか、ここまでたどり着くだなんてねぇ」


 ひときわ大きい部屋の奥から、ねっとりとした妖艶な声が放たれる。

 シックザールはそれまで、親玉の女王蟻は地上にいる蟻の腹を膨らませたような大きな蟻を想像していた。

 しかしそこにいたのは、血のように情熱的な赤のドレスを着た女だった。スカートはドーム状に膨らみ、バラの花を模した布でびっしりと装飾されている。これから舞踏会にでも行こうかという姿だった。

「お前は……ヴルムじゃないのか?」

 そしてその女は驚くべきことに、マリキタや映画館の館長と同じ、ヴルムであった。人型ではあるが、額には蟻特有の折れ曲がった触角。顔面には胡麻のように黒く丸い複眼。

 ヴルムがビブリアを混乱に陥れる――そんなことは前代未聞のことだった。なぜならヴルムにとっても、ビブリアは唯一の故郷なのだから。

 しかし彼の黒く染まった本能は、その女が間違いなくこの混乱の首謀者であることを確信していた。そしてシックザールが動くより先に、彼の両腕は大蛇のようにうねりながら女王蟻に噛みつこうとした。

「甘い。わらわは女王ぞ」

 突如、その赤いドレスの裾が持ち上がる。

 そこから現れたのは蟻たちだった。隠れていた――いや、産み出した?

 とっさに腕を引っ込めようとしたときには、両腕をがっちりと顎で挟まれていた。抜け出そうともがくうちに、女王蟻のドレスからは次々と蟻達が産み落とされていく。部屋を埋め尽くすほど増加した蟻達は次々にシックザールに襲い掛かり、彼の腕だけでなく脚から胴体、ついには首根っこまで顎で捕らえた。

 もはや身動きはできない。女王蟻は目を細め、勝ち誇った笑みを浮かべながらゆったりとした足取りで近づいてくる。

「可愛い、可愛いボウヤ。不思議な体をしているけれど、何者なのかしら?」

「さあね……こっちが知りたいよ……」

「それは強がり? それとも、本当に知らないだけ? まあ、どっちでもいいわ。いつまでも地下の女王だなんて、飽き飽きしていたの。ネイサ姫には、妾の養分になっていただくとしようかしら。そして、妾は名実ともにビブリアの女王にィ……!」

 その言葉を聞いて、体の中で火花が弾けた。


 ネイサ――ビブリア――守らなければ…………!


「じゃあ、バイバイ。墓穴を掘る手間が省けたわねェ」

 パチンと、女王蟻が指を鳴らす。

 それを合図に、蟻達が顎を閉じる。その顎に挟まっていたシックザールの体はたちまち切断され、首はボールのようにポンと跳ねた。

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