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100万頁のシックザール=ミリオン  作者: 望月 幸
第六章【ビブリア強襲】
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二話【ビブリアに降る雨】

 例の悪夢は、三日も続いた。それも心無しか、少しずつ鮮明に記憶に残るようになっていった。そんな夜が続くものだから、シックザールも眠るのが怖くなってしまった。

 必ず彼が眠ってから床に就くアルメリアも、そんな彼を気遣っていたようだ。「大丈夫だ」と言って、何とか眠ることができても、翌朝には汗に濡れて目を覚ましていた。体を拭いてもらっても、その夢を思い出すたびに再び汗が滲んでくる。

 そして四日目の朝も、やはり同じ悪夢を見た。顔の半分を手で覆いながら、窓の外を睨んだ。低く暗い雲が、駆けるようにビブリアの空を流れていた。


「遊びに行きませんか?」

 だしぬけにアルメリアはそんなことを言い出した。朝食を食べている最中で、食事中に彼女が口を開くことも、ましてそんなことを言い出すことも滅多に無いことだった。危うくシックザールは手にしていたトーストを落としそうになった。

「――珍しいな。お前の口から、そんな誘いが出てくるなんて」

「わたしだって、遊びたいなと思うことはあります。鍛錬も旅の準備も大事ですが、時には息抜きも大事です。優秀な装者は、楽しむことも必要なのだと聞いたことがありますし」

 そんな言葉は初耳だった。装者には装者のネットワークがあるのかもしれないが、常に行動を共にしているシックザールの耳に届かないのは不自然だった。

 アルメリアの真意はわかっていた。どう見てもふさぎ込んでいる自分の主人を見かねて、そのような誘いに踏み切ったのだ。

 ふっと鼻を鳴らすと、トーストの残りを口に放り込んで軽く手をはたいた。

「そうだな。たまには、お前と思い切り遊んでみるのも悪くないか」

 彼女はほんの一瞬だけパッと明るくなると、元の涼しげな表情に戻った。

「ありがとうございます。それでは、さっそく準備いたしますね」

 そう言ってパタパタと食器を片付け、二人の着替えを用意した。外の世界を旅するときには着ないようなラフな私服だ。あまり着ることがないせいか埃が軽くかぶっていたようで、パンパンと軽く埃を落としている。

「ねえ、アルメリア。傘は持って行った方がいいよね?」

「大丈夫ではないでしょうか? 少なくとも、わたしがこの世界に生まれ落ちてから、一度も雨を経験したことはありませんので」

 アルメリアはシックザールより先に生まれている。そんな彼女が言うのなら、確かに傘なんていらないのかもしれない。ビブリアに雨は降らないので、傘を使うのは外の世界だけだ。

「でも、なんだか心配なんだ。やっぱり持っていくよ」

「それなら、それで構いませんが。わたしの刺青に入れておきましょうか?」

「いや、いいよ。傘の一本くらい自分で持ってるからさ」

 街中で傘を持ち歩いていたら笑われるかもしれないな。そんなことを想像して、つい苦笑してしまった。


 二人は函――白本たちにとっての家――を出ると、舗装された街道の上を歩き始めた。ポツポツと点在していた函は、中心街に入るにつれて密度を増し、他の白本や装者もちらほらと見かけるようになった。この日は天気が悪いせいか、いつもの半分も人が出歩いていないように思えた。


「げえっ! シックザール!」


 だというのに、出会いたくない人物に出会ってしまった。シックザールの天敵にしてライバルであるシャイニーだ。全身を覆うドレスを身にまとっているところを見ると、これから別の世界に出発するところらしい。

 その隣では、ネグロが執事のようにシャイニーの頭上に日傘を差していた。日傘も日傘で、彼女のゴスロリ衣装に調和したような、頑丈さを犠牲に優雅さを割り増ししたような傘だった。ビブリアでこんな傘を差しているのはシャイニー一人くらいだろう。

 いつもなら、憎まれ口の一つでも叩いてやりたいところだった。しかし、シャイニーには以前世話になってしまった上に、今はそんな気分でもなかった。

「ネイサ姫様に会ってきたわよ」

 口をつぐんでいる彼に向かって、突然彼女はそんなことを口にした。否が応でも、次の言葉は何なのかと耳を傾けてしまう。

「――ずいぶん真剣な顔するのね。心配しなくても、これまでの旅の経過の報告と、ちょっと本を読ませてもらっただけよ」

「ああ、そう」

「ネイサ様、アンタのこと気にかけてたわよ。最近遊びに来てくれないって、ちょっと寂しそうだったけど」

「そうか。別に、ちょっと忙しかっただけさ。ボクだってやることあるんだよ」

「その割には、今から羽を伸ばしに行くって感じに見えるけれど」シャイニーは数歩歩み寄って、横に並んだ。「アンタのそんな顔、初めて見たわ」

 それだけ言い放つと、興味を無くしたようにそのまま歩き去ってしまった。ネグロも二人に一瞥を向けると、すぐにシャイニーの後を追った。

「ねえ、アルメリア」

「はい、何でしょうか?」

「ボク、今どんな顔をしてる?」振り返って、彼女の方へ顔を向けた。

 アルメリアは真正面からその顔を見ると、「帰りが遅くなってしまいますね。ちょっと早歩きで行きましょうか」そう言って歩き出した。


 そうしてたどり着いたのは、ビブリア唯一の映画館だった。その映画館の館長は、東の街に暮らす数少ないヴルムのうちの一人だった。彼は既に本に成れるだけの物語を刻んでいるのだが、ビブリアの住民たちに映画を楽しんでもらいたいと、本に成ることを辞めてヴルムになり、長く映画館を営業している。

 再上映リヴァイヴという能力を持つせいか、シックザールは映画が好きだった。ここで新作が上映されるたびに、少なくとも三回は見に行く。他の世界でも、似たようなものがあれば積極的に見に行く。そういうわけで、館長のヴルムのことも嫌いではなかった。

 映画館の前には、本日上映されている映画のポスターが貼られていた。残念ながら新作は無かったが、もう一度見たいと思っていた映画はまだ上映されていた。少しずつ気分が高揚していくのを感じる。

「どれにしましょうか?」アルメリアが柔らかい声で尋ねる。たまに彼女に見たいものは無いかと訊くことがあったが、そのたびに「シックザール様のご覧になりたいもので」と答えるので、今では彼が完全に選択権を握っている。

「そうだなぁ……『ドッグ・ファーザー』ももう一度見たいし。『スピーディ』も、ラストを知っている状態で見るのも一興というか――」

 さんざん悩んだ末に、既に二回も見ている『天国と死国』を見ることにした。一人の冴えない男が、運命のいたずらで幸福と絶望を繰り返すという物語だ。白本の生き方に近いものがあり、シックザールもお気に入りの映画だった。


 入り口で二人分のチケットを購入して入場する。

 ビブリア唯一の映画館とは言っても、かなり小規模だ。三スクリーンしかない上に、一スクリーンあたりせいぜい三十人くらいしか入れない。そもそもビブリアは閉じた世界で、人口も映画の数も少ないから、あまり大きな映画館を作っても意味が無いのだ。

 第二スクリーンに入ると、既に何人かの客が入っていた。まだ装者と契約していない若い白本もいれば、装者と隣同士に並んで待ちわびている客もいる。

 ちょうど映画が始まる直前だったようで、席に着くと同時に照明が暗くなっていった。この数秒の時間がなんとなく好きだった。

「ポップコーンはいらなかったですか?」

「時間が無いし、いらないよ。それに今日は映画に集中したいし」

「そうですか。かしこまりました」

 上映が開始された。お世辞にも大きなスクリーンとは言えないが、映画館特有の暗く妖しげなムードの中で、他の客と共に物語を共有するということさえ満たしていれば、決して大きな問題ではない。

 映画に見入っている間は、すべての悩みから解放され、無邪気になることができた。


 その映画を見るのは三回目にもかかわらず、シックザールは完全に映画に見入っていた。

 そして気づけば、映画も佳境を迎えつつあった。その場面では、主人公の男は浮遊する国に連れていかれていた。そしてその国独自のエアレースに参加させられていた。勝てば天国、負ければ地獄へ落とされるという、わかりやすい最後の真剣勝負だ。

 主人公が機体のエンジンを掛ける。ドドドドという重低音と共に、彼の乗る機体がブルルと武者震いを始める。

 シックザールは、その音に違和感を覚えていた。過去の二回とは微妙に音が違う上に、妙に座席も揺れている。アルメリアも異変を感じたのか、耳元に口を寄せ、小声で話しかけてきた。

「シックザール様、何やら――」

「うん。何かおかしい。すごく、嫌な予感がする」

 上映中に席を立つというのは避けたい行為の一つだったが、心の中で申し訳なく思いながらも、二人はその場から離れた。

 そして、スクリーンの出入り口まで下がった時だった。

 

 ドンッ! ドンッ! ガララララッ――!

 

 突如、天井が崩れ落ちた。装者達は突然の崩落に慌てながらも、自分の主人の白本を庇う。装者のいない白本たちは、あっという間に瓦礫の崩落に巻き込まれて姿が見えなくなってしまった。あまりに唐突な出来事だけに、悲鳴を上げる暇さえなかったようだ。

 しかし、落ちてきたのは天井の瓦礫だけではなかった。


「雨……。この、ビブリアに……?」


 大きく開け放たれたスクリーンの天井から、雨粒が入り込んできた。決して大降りというわけではないが、雨が降らないこの国で雨が降ったという事実は、少なからシックザールを動揺させた。

 他の白本たちも同様に驚き慌て、装者達が急いで刺青から取り出した傘で自分の主人を守る。運よく傘を持っていたシックザールは自前の傘でいち早く雨を凌げたため、幸いにもまったく濡れずに済んだ。

「どうして映画館の天井が、突然……」

「老朽化でしょうか。この映画館は、昔の函を改築して作られたという話ですし」

「それにしたって、最低限のメンテナンスはしてるだろ。映画好きで映画館まで開いた奴が、安心して観られない状況になるまで劣化を放っておくなんて考えられない」

「と、なると。やはり」

「さっきの音と振動に関係が? それに、この雨もいったい……?」

 二人が顔を見合わせて言葉を交わしている間にも、降り注いだ雨が座席を湿らせていった。真っ赤な座席が水気を帯びて濃い紅色に染まっていく。

「おい! あれを見ろ!」

 そこに居合わせた装者の一人が天井の穴を指差した。ちょうど、シックザール達の頭上の辺りだ。

 二人はつられて見上げる。ちょうど死角になっているため何があるのか分からない。しかし他の客たちは皆一様に恐怖に恐れおののき、経験の浅い白本などは顔を青白くしている。

 そして二人が見上げる頭上から、何かが黒い物が覗いた。

 それはハサミのように見えた。刃が大きく湾曲し、その前半分はギザギザになっている。その鋏に隠れるようにして、さらに上には節の付いた二本の針金のようなものがちらついていた。その針金は意思を持っているように左右にふらふらと振られ、やがて、穴の中へと侵入してきた。

 そしてガザガサという音と共に、鋏と針金の付け根、黒い塊が顔を見せた。河原に転がっているような丸まった石のように、角の取れた頭部。真っ黒で鈍い光沢を放つその頭部には、胡麻のような形の複眼がポツンと二つくっついている。


「蟻だ……」


 それは蟻だった。しかし、体長二メートルはあろうかという巨大な蟻だった。

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