六話【真夜中の三人】
突如目の間に現れたユウタは、いたって普通の少年だった。背格好はシックザールと同じ程度。つまり、キミコより少し年下くらい。思春期の入り口に入ったあたりなのか、顔つきや体つきにちらりと大人の気配が漂っていた。
その少年が二人をにらむ。怒りなどから来たものではなく、弱いものが強がっているような目だった。
「助けるも何も、キミコさんは巫女として、生贄に捧げられるんですよね。それを助けるというのは、あまりいい展開にはならないんじゃないですか? 雨が降らなくなって困る人間は大勢いるんでしょう?」
「なんだ……アンタたち、事情を知ってるんだな」
ユウタは一瞬ひるんだが、すぐに体勢を立て直した。
「ああ、そうだよ! オレはキミコちゃんのことが大好きだし、この国の事情もよく分かってるよ! 自分勝手なお願いだってこともよくわかってるさ! ああ、悪いかよ! でもさ、好きな女の子を守ろうとして、いったい何が悪いんだよ!」
一気呵成にまくしたてる少年。その青臭い勢いに、二人はしばし圧倒されていた。
「でもさ……オレみたいなガキが一人反論したって、どうにもならないじゃないか。力づくなんて絶対無理だし、頭悪いからさ、いい作戦も思いつかない。
でもさ、アンタら、悪魔の遣いとかなんとかなんだろ? だったら、キミコちゃんを助けられるんじゃないかな……てさ」
先ほどの勢いが嘘のように、萎れたようにそんな言葉を吐き出した。彼自身、駄目で元々で声をかけたのだろう。下を向き、足元の小石をつま先でいじくっている。その表情を、月の光は照らさなかった。
「助けるも何も、キミコ殿は自分の意思で巫女の職務を全うしようとしていたように見えました。仮に助け出したとして、それは彼女にとってもいらぬおせっかいになるかもしれませんよ」
「そりゃそうだよ。アイツは、真面目なやつだからさ。与えられた仕事はきっちりこなそうとするさ。でもさ、みんながみんな、望んだ仕事をするわけじゃないだろ? アイツは、もっと小さいころから一生懸命働いてたんだ。大した遊びとか、その、恋愛とかも経験してないくせによ、死にたいなんて思うわけないじゃん……!」
「なるほど。あなたは、キミコ殿のことをよく見ていらっしゃるのですね」
彼女はユウタの前に立ち、目線の高さを合わせた。
「その通りです。実際にキミコ殿は、巫女という役割と、生きたいという気持ちとの板挟みになっているようでした。今はご自身の運命に翻弄されていますが、救いの手を差し伸べれば、別の流れが生まれるかもしれません。ただしその場合、雨は降らず、多くの人が苦しむことになるのかもしれません」
「……じゃあ、結局どうすればいいんだよ」
「どちらにしても、わたしには決定権がありません。すべては、わたしの主が決めることですから」
そうして、二人の視線がシックザールに注がれる。彼は彼で、マントの下でずっと腕を組み、神妙に話を聞いていた。そしてようやく口を開く。
「また、随分と自分勝手な話ですね――」
ユウタは何か言おうとして、グッと歯を食いしばる。その様子を、彼は満足げに眺めていた。その顔には、満面の海が浮かんでいる。
「――いいじゃないですか、自分勝手! ボクもだいぶ自分勝手な性格ですからね。君の気持ちはよくわかります。
ボクたちと一緒に、キミコさんを助けに行きましょう! なーに、村人や国民のことなんて気にする必要はありません。渇水なんて、この国じゃ珍しくないんでしょう? 儀式以外の備えだって、きちんと用意してありますよ。たぶん」
ユウタを遥かに凌駕する、清々しいほどの自分勝手な発言だった。依頼をした本人ですら、本当に大丈夫かなと不安になるほどの積極的な協力姿勢だった。わかりやすいほどに、少年の顔が不安に塗りつぶされていく。
「ほらほら、自分で言い出しといて、何怖気づいてるんですか。たしかその儀式は、聖地の山で行われるんですよね? 早く追いかけないと、間に合わなくなるかもしれませんよ」
「あ、ああ……そうだな。じゃあ、二人ともついてきてくれ。聖山に案内するからよ!」
泡を食った様子で、ユウタは村のさらに奥に駆け出した。残された二人も、見失わないように追いかける。
「それにしても、どういうおつもりなんですか?」
前を走るユウタに聞かれないように、そっと訊ねた。
「シックザール様は、キミコ殿が生贄に捧げられることには賛成なんですよね? それでしたら、どうして彼女を助けようとされるのですか?」
「なんだ、そんなことか」
表情を変えずに、前を見ながら答えた。
「道案内が欲しかっただけだよ。ユウタさんはこのあたりの地理に詳しいはずだし、そうでないとキミコさんを助けられない。このままじゃ儀式に立ち会うことができないんだから、彼を利用するのが一番だろ」
渋い顔を浮かべる彼女に微笑んだ。
「言ったでしょ? ボクも自分勝手なんだよ。すぐにお別れする人間のことなんて、別にどうだっていいんだ」
闇夜の下。三人の少年少女が走り出した。
彼らが通り過ぎた畑には、二体のかかしが立っていた。磔の形にされた見張り二人で、その片方、口の悪い男の顔にはシックザールがおもらしした服が縛りつけてあった。
シックザールが睨んだ通り、ユウタは村周辺の地理に明るかった。さらに、儀式が行われる“聖山”にも、大人の目を盗んで何度か登ったことがあるらしい。
その聖山は、この世界に来たばかりの二人が目指していた山のことだった。一見すると、壁のように切り立った崖が連続する、登頂が困難な岩山だった。しかしユウタ曰く、ちゃんと登山ルートが用意されているらしい。それは村の人間以外にはまず見つけられないような、秘密の抜け道とも呼べるものなのだそうだ。
その聖山の麓に辿り着いて、その理由が判明した。遠くからはわからなかったが、その山を囲むように針葉樹林が生い茂っていた。その針葉樹は特に乾燥に強い種類で、日照りが続いた程度で枯れることはまず無いらしい。この土地に適応した樹木というわけだ。
そして、もう一つの特徴が背の低さにある。這って進みでもしない限り、その尖った葉であっという間に体は傷だらけになってしまう。聖山が聖山たる所以がここにあり、よほどの重武装か、空でも飛ばなければ簡単には侵入できない。まさに、天然の要塞になっているのだ。
「こっちだ、ついてこい」
しかし、ユウタには関係なかった。彼は、二人を樹林の一角に案内した。そこは樹木が密集しており、一目では立ち入ることができないように見えた。ところが、ちょうどそこだけトンネルのように道が作られていた。決して広くはないが、大人数人が余裕ですれ違う程度の幅はある。
「出入り口はここしかないんだ。この先に、必ずキミコちゃんたちがいる」
意気揚々と踏み込んでいくユウタ。彼の額には玉のような汗が浮かんでおり、それを月の光が照らしていた。
彼の汗まみれの後姿を見つめながら、二人は素直に感心していた。
「確かにユウタ殿がいなければ、わたしたちはここで足止めされていたかもしれませんね」
「ああ、まったく運がよかったね。ところで、本当にキミコさんの一行はこの先にいるのかな?」
「それは問題なさそうです。地面に踏まれたような枝が落ちていますが、まだ新しいです。獣に踏まれたものでなければ、まず間違いなく彼女たちによるものでしょう」
立ち止まって会話する二人を、ユウタが戻って迎えに来た。大声を出して呼ばなかったのは、先行する一行に感づかれないようにとの配慮だろう。彼は彼で、キミコが近いことを肌で感じ取っているのかもしれない。
「おい、何やってんだよ。まだまだ道は続いてんだ。こんなところではぐれたらシャレにならないぞ」
「ああ、すいません。ほら、行こうか」
「ええ、かしこまりました」
三人は自分たちを囲む針葉樹に触れないように、慎重かつ足早に進んでいった。彼らが樹林を抜けたときには、濃紺の夜空の端が淡くなっていた。夜明けが近い。