【魔王の国2】
案内されたのは、ダイニングの隣の部屋だった。こんな場所に何があるのかと訝しんだが、部屋に入って驚いた。
その部屋の壁には、隙間なく地図が貼られていた。床にも大量の紙が山のように積まれており、そのほぼすべてが地図だった。世界地図と思われる大雑把な地図から、町一つ分の詳細な地図まで、さまざまな縮尺の地図が置かれている。
しかし、驚くべきは地図の数だけではない。それらの地図は、特定のポイントが発光していた。その光も、赤や青のものがあれば、点や面で光っている部分もある。
「お二人は、ここに魔王が住んでいると聞いてやってこられたのだと思います」地図だらけの部屋の奥に男性が進む。「それは正しいです。正確には“私たち”が魔王です」
彼が人差し指を立てて、くるりくるりと回転させる。すると、床に積み上げられた地図が宙に舞い上がった。それは魚群のように、そこに立つ六人の間をひらひらとすり抜けていく。
男性がパチンと指を鳴らす。すると数枚の地図を残して、それ以外の地図はぴちりと整頓された床に戻った。もう一度指を鳴らすと、残された地図が部屋の中央に集まり、男性の腰の高さ辺りで停止した。まるで見えない机の上に置かれたようだ。
彼はその地図を見ると眉をひそめた。少年と少女も近寄ってその地図を覗き見る。
「なるほど、キート地方辺りが芳しくないな。確か、あの辺りは最近干ばつに襲われたのだったか」
男性が地図の一点を指差す。地図には『キート地方』と書かれており、その三分の一ほどが赤い光で覆われている。
「さて、リフよ。お前はどうすればいいと思う?」
少年に話を振り、リフと呼ばれた少年はそれに答えた。
「はい。僕は、ランドゥを派遣すべきだと思います。キート地方の軍事力はDレベルなので、低レベルの魔物しか派遣できません。Dレベルの中でもランドゥは、死骸になれば保水力の高い良い土になりますし、土に還る時間も早いです」
「そうか。パスィはどう思う?」
次に、パスィと呼ばれた少女も答える。
「私も同じ意見です。周辺地域にはギルドもありますし、すぐに彼らの討伐対象となるでしょう」
「よし。二人とも、良い答えだ」
男性は二人の頭を撫でると、赤い光を覆うように手をかざした。
「ハアッ!」彼が力を籠めると、小さな魔方陣のようなものが地図に浮かび上がった。すると、先ほどまで赤い光しか灯っていなかったキート地方の各地に、黄色い光が点灯した。男性はフウッと一息つく。
「今のは、主人の魔法です。一種の召喚魔法で、地図を通して離れた場所に魔物を召喚することができます。黄色い点は、魔物が生きているエリアを指しています」
隣に立つ女性が説明してくれた。他の地図を見れば、いくつもの黄色い点が見える。あれが全て魔物というわけか。
そうして彼らは、地図上の赤い光に対して、同じように議論を交わして魔物を派遣していった。時に男性はリフとパスィの意見を否定し、よく考えなおすように命じた。それは、二人を教育しているようにしか見えなかった。
そうしてすべての赤い光に何らかの対策を施すと、男性が再び人差し指をくるりと回す。すると宙に浮いていた地図は、静かに床に戻っていった。
男性が汗を拭いてもらうと、ずっと黙って見守っていたシックザールとアルメリアに向かって微笑み掛けた。
「見ていただけましたか。これが、私たち魔王の仕事です」
四人はリビングのソファーに座っていた。子供二人は庭で遊んでおり、窓の外で駆けっこしている。その姿だけ見れば、普通の子供にしか見えない。
「先ほど、あのお部屋で見させていただいたもので、なんとなく皆さんがやっていることは理解できました」シックザールは目の前に座る中年の男女に視線を向ける。「皆さんは、好きな場所に、適切な魔物を送り込むことで、この国を支えているのですね」
二人は静かにうなずく。男性の方が口を開いた。
「これが、私の一族の仕事なのです。私で、ちょうど二十代目になるでしょうか。おそらくこの世界で、この力を持つのは私の一族のみです。
私たちは、この場所から世界中に魔物を召喚することができます。魔物はそれなりに被害を出してしまいますが、その討伐や町の防衛のために、その土地には仕事が生まれる。魔物の死骸も、良い肥料になるのですよ。土地によっては、珍味として重宝されることもあるようです。私は食べたことはありませんがね」
男性は窓の方に視線を移した。窓ガラスの向こうでは、リフが空に向かって両手を広げていた。その両手のすぐ先に、魔法陣が浮かび上がる。すると、その魔方陣を出口にして土でできた人形のようなものが現れた。その人形は地面をぴょこぴょこ歩くと、すぐに朽ちて崩れ去ってしまった。
「ああやって遊びながら、少しずつ魔法を使う感覚を身に着けていきます。もう十年も経てば、あの子も遠くに魔物を召喚することができるでしょう。私の父親は少々スパルタで辛かったので、あの子にはゆっくり学ばせようかと思います」
「一つ、お尋ねしてもよいでしょうか」発言したのはアルメリアだった。「魔物を召喚するだけなら、わざわざこのような場所で行わなくも良いのでは?」
「確かにそう思われるかもしれませんが、ここに居を構えるのにも理由があります」
男性は一度、目の前に置かれた紅茶を飲んで一息ついた。
「私たちは、人類の敵でなければならないのです」
「それはつまり」シックザールが自分の予想を告げる。「人類共通の敵になることで、人類を一致団結させる――そういうことじゃないんですか。この場所は、一種の自然の要塞ですし、雰囲気もバッチリですから」
「まさに、その通りです」
男性は満足そうにうなずいた。
「ああ、そんな顔をしないでください。私たちだって、完全な善人というわけではないのですよ。この能力に優越感を覚えることはありますし、何より、一族の存亡のためには女の子を攫ってこなくてはならない」
「女の子を?」
「そうです」答えたのは女性の方だ。「主人の一族の子供は、男の子しか生まれません。そのため、この役目を代々果たしていくために、まだ幼い女の子を連れてこなければならないのです。パスィも、私も、元は街で暮らしていました」
「一応、身寄りのない子供を選んではいるんですがね」男性はばつが悪そうにはにかんだ。
シックザールとアルメリアの二人は、栞が燃え尽きるギリギリまで魔王城に滞在した。ほんの数日の間だったが、彼らとはすっかり仲良くなった。別れの時には、リフとパスィは少し涙ぐむほどだった。
「短い間でしたが、お世話になりました」
二人は深々と一礼した。別の世界で、ここまでもてなしてもらえたのは初めての経験でもあった。
「元気でね! お兄ちゃん、お姉ちゃん!」
「また遊びに来てねっ!」
「シックザールさん、アルメリアさん。本当にありがとうございました」
別れを済ませ立ち去ろうとすると、男性が傍に寄ってきた。
「せっかくだから、私に送らせてください」
「えっ。でも……」
「まあまあ。遠慮なさらずに」
半ば無理やりといった形で、男性は二人に付き添った。
「本当に、ありがとうございました。こんな場所ですし、途中には見張りの魔物がいますので、来客など滅多に無いのです。しかし、あの子たちも懐いていたようで、良い思い出になったと思います」
「こちらこそ、良い思い出になりました」
シックザールは本心からそう述べた。アルメリアも同意するように頷く。
しばらく無言で歩いた後、男性は唐突に口を開いた。
「魔王の役割は、リフとパスィの代で終わるでしょう」
二人は、男性が最後に何かを伝えようとしていたことを察していた。しかし、そこで出てきたのは思いがけない言葉だった。
「一族の血は、徐々に薄れてきています。それに伴って、能力も弱まっている。私はギリギリ持ちこたえていますが、おそらくリフの力では、魔物を制御することはできない。彼も薄々、そのことに気付いていると思います」
「……しかしそうなると、魔物を使ってこの国を良くすることができなくなるのでは?」
そう意見すると、男性は唇の隙間から低い笑い声を漏らした。そこに悲観的なニュアンスは含まれていなかった。
「いつか、この時が来ることは何代も前からわかっていました。しかし、それで良いのです。この国の人間たちは、魔王から卒業するのです」
「卒業?」
「そう、卒業です。いつまでも、こんな力に頼っていてはいけない。腕の良いハンターも育っていますし、科学力も魔物の力を上回ってきている。人間たちは、人間同士で争うという愚かな行為を忘れつつある。魔王ができる最後の仕事は、人間たちに討たれることだけです」
男性はきっぱり、そう言い切った。その力強い言葉は、きっと彼の先祖も思い描いていた理想の言葉なのだろう。そこに異論を唱えることなど、この世界の客人である二人にはできるはずも無かった。
「そうですか。それでは最後に、ボク――いや、ボク達からのお願いを聞いてもらえませんか?」
「なんだね?」
「リフとパスィが人間に討たれるその時は、適当な影武者でも用意してあげてください」
男性は一瞬言葉を失うと、大声で笑いだした。
「元から、そのつもりだったさ」
「この辺りでいいですよ」
「本当に、お世話になりました」
いつの間にか、だいぶ歩いていたようだ。あの大きな張りぼての城も小さくなっている。
「せっかくだ。君たちの魔法を見せておくれ」
男性が子供のように茶目っ気のある笑顔で申し出た。二人はそれを快諾した。
シックザールの短くなった栞が激しく燃えだす。その白い炎はあっという間に彼の体を包み、手をつなぐアルメリアの体にも燃え移った。その光景を、男性は興味津々といった様子で見つめていた。
「ああ、そうだ!」
唐突にシックザールが声を張る。
「魔王さんのお名前、聞いていませんでした。ずっと『魔王さん』って呼んでいたもんだから、すっかり忘れてました!」
男性は目を丸くすると、照れくさそうに笑って頬を掻いた。
「こんな悪者の名前、憶えない方がいいんですよ」
二人の姿が見えなくなると、魔王は名残惜しそうに背を向け、自分の城に戻っていった。




