【ルール無用の国】
「すごい賑やかだねぇ!」
「そうですね、シックザール様!」
二人は声を張り上げながら会話していた。それは、決して二人のテンションが高ぶっているからではない。そうしなければ、まともに会話するほどができないほど、周りのテンションの方が高いからだった。
二人が新たな世界に到着すると、遠くの方から大勢が騒ぎ立てる声が聞こえてきた。
近くを歩いていた小太りのおじさんに訊いてみると、「ああ、あれは今日開催されるレースで盛り上がっているのさ」という答えが返ってきた。
「レース? 馬とか、車とかの?」
「いやいや、そうじゃないよ。君たち、あのレースを知らないということは、旅人か旅行者かな? それなら、一度見ていくといい。この町――いや、この国でも名物のレースだからね」
そう言うとおじさんは、シックザール達を案内しようと申し出た。話を訊けば、彼もまたレース会場に向かっているとのことだった。
その言葉に甘えて、シックザール達は一緒に電車に乗ってレース会場に着いたのだった。
「しかし、あのおじさん。どうせ連れてってくれるのなら中の案内もしてくれればよかったのに。これからどうすればいいんだか」
「仕方ありませんよ。あの方もあの方で、ご友人と約束があるということでしたし。地図をいただけましたから、これを頼りに回ってみましょう」
レース会場はお祭り騒ぎだった。そこかしこの屋台からは香ばしい香りが漂い、またある屋台ではレースにゆかりのあるグッズが販売されていた。そのグッズを見ると、今から何のレースが始まるのか容易に想像がついた。
「自転車なんだね」
「自転車なんですね」
売られているのは、ヘルメットやライト、ステッカーや鍵など様々だったが、そのほとんどが自転車関連のものだった。さすがに自転車本体は売っていなかったが、それでも品ぞろえはかなり充実しているように見える。
「自転車かぁ。そういえば、ビブリアでも持っている人はほとんどいないね」
「自転車を購入するほどの現金はそうそう用意できませんからね。中には、壊れた自転車を拾って修理する方もいますが、そもそも自転車の無いビブリアではそれができる方も少ないですし」
「まあ、広い国じゃないし、自転車が無くても困らないからいいんだけれど。それより、そろそろレースが始まるみたいだから客席の方に行こうか」
二人は何も買わないまま、地図を頼りに客席の方に向かった。
少し遅かったのか、二人は段々になっている客席の後ろの方で立つことになった。自転車が走るアスファルトのコースが少し小さく見えるが、客席には大型のモニターもいくつか立っていたため、これを見れば困ることはなさそうだ。
しばらく待っていると、レース場にいくつも設置されているスピーカーから男性司会者の声が流れ始めた。低く、少々迫力のある声で、選手たちの入場を告げた。すると、陽気な金管楽器の音がBGMとして流れ始める。
客席の継ぎ目には門が設置されており、そこから自転車を引いて選手たちが入場してきた。観客たちの視線がそちらに注がれる。
「なんだ、あれ?」
「少々イメージと違いますね」
「いや、大違いだよ」
三十人ほどの選手たちは、全身黒づくめのジャージ姿だった。シューズも、ヘルメットも黒で統一されている。もはやレーサーというより、不審者と言った方が正しいかもしれない。
よく見れば、自転車もイメージとは違う。通常、自転車レースと言えばホイールもフレームも細い、スタイリッシュなデザインのロードバイクに乗る。シックザールも一度見せてもらったことがあるが、非力な彼でも簡単に持ち上げることができるほど軽量なのだ。しかし、黒づくめ集団の引いてきた自転車は、一般人が乗るようなごく普通の自転車だった。
「いわゆる“ママチャリ”とか呼ばれてるやつだよね。あれでレースするのかな」
「そのようですね。しかし、あの自転車でどうしてここまで盛り上がるのでしょうか。レースというのは、速いほど盛り上がるものだと思っていましたが」
「ボクも、そう認識してたんだけどねぇ」
妙な一体感を持った集団だったが、奇妙な違いがあった。
ある選手は、ポケットから耳にコードが繋がっている。また、ある選手のポケットは四角く膨らんでいる。また、ある選手の自転車の籠と荷台の上には、子供ほどの大きさの人形が載せられていた。
黒づくめの選手達は、レースの開始位置に移動しながら客席に向かって笑顔で手を振る。それに合わせて、観客たちも沸き立つ。訝しんでいるのはシックザールとアルメリアの二人だけのようだ。
すべての選手が開始位置に付く。BGMは止み、観客たちも静まり返る。大人も子供も、彼らを見つめる視線は妙に力強い。
「レーススタート!」
ピストルの音と共に、選手たちは一斉にスタートした。口を閉じていた観客たちが、爆発するように一斉に騒ぎ立てる。
「……おや?」
「どうした、アルメリア?」
「気のせいでしょうか。車のエンジン音が聞こえます。それに、もっと遠くから別の音が……」
高い場所に立っていたために、そのレース場がどのようなコースになっているのかよく分かった。
コース上には、横断歩道や信号、さらに人形が何体も立っていた。生垣や街路樹、一軒家や店舗まである。
「なるほど。ママチャリらしく、街中をイメージしたコースになっているわけね」
シックザールはなんとなく、このレースのコンセプトを把握しつつあった。
「ということは、そろそろ――」そうつぶやいて、モニターの方に視線を移した。モニターには選手たちが大きく映されており、その表情まではっきり見て取れる。
ある選手の横顔が映る。その耳には、イヤホンがはまっていた。よほどご機嫌の音楽が流れているのか、体が自転車の振動とは違うリズムを刻んでいる。
その隣の選手は、ポケットが四角く膨らんでいた。そこに手を突っ込むと、手のひらに収まるサイズの機械が出てきた。彼はその機械に視線を移すと、親指でボタンを押す動作を始めた。時々は前方を見ているが、八割方視線を下に向けている。
イヤホンと下を向く選手は、合わせて二十人ほどだった。
「あっ。危ない」
そのうちの三人が、赤信号で撥ねられた。赤信号に気付かず、横から走り込んできた自動車におもちゃのように弾き飛ばされていた。
しかし、自動車の前方にはクッションのようなものが取り付けられていた。選手たちも肘や膝にプロテクターを装着していたおかげか、派手に飛ばされたわりに怪我はなさそうだった。
「今の三人、なかなかの身のこなしですね。撥ねられる衝撃を上手く和らげ、受け身もスムーズでした」
アルメリアが感心するほどなのだから、よほどの技術なのだろう。その証拠に、撥ねられた直後だというのに彼らはすぐに立ち上がり、笑顔で手を振っている。
「おっと、レースの続きを見ないと」
無事に進んだ先頭集団は、グニャグニャに曲がったカーブに差し掛かった。幾重にも連なるカーブは、まるで生き物の腸のようにも見えた。
「あっ。危ない」
一台の自転車が倒れた。その自転車は、前方の籠と、後ろの荷台に人形を乗せた自転車だった。おそらく重さに耐え切れず、バランスを崩してしまったのだろう。運の悪いことに、そのすぐ後ろを走っていた例の四角い機械を操作している選手が、倒れている自転車に乗り上げて同じように転倒した。
モニターが先頭を走る選手を捉える。その選手は、自転車には何も乗せていなかったが、選手の顔が妙に赤い。どことなく、視線も虚ろだ。病気かと思ったが、それにしては妙に気持ちよさそうだ。
「なるほど。酔ってるのか」
その選手が、だしぬけにモニターの下に消えた。ハンドル操作がおぼつかなくなり、転倒したのだった。
「シックザール様。このレースは一体……」
「なんだ、わからないのか。ボクはなんとなくわかったけれど」そう言って、視線を先頭集団のさらに先に向けた。現在先頭を走っているのは、イヤホンをはめた若い男性だった。顎髭を生やした、なかなかダンディな大人の男だ。体つきも良い。
「次は、トンネルか」
「次はトンネルね」
同時刻、シャイニーとネグロは、シックザール達とは真逆の位置にある客席に座っていた。真逆とはいっても、間にはトンネルで貫かれた山が立ちふさがっているため、反対側のレース会場は見えなくなっている。
シャイニーが視線を落とす。そこには、自動車に撥ねられた選手四名と、急カーブ地帯で転倒した選手数名が自分の体についた芝をはらい落していた。
「しかし……なんなのよ、このレース! 遅いわ、事故が起きまくるわで、ちっとも面白くないじゃない!」
彼女は頬を膨らませ、ぷりぷりと怒りをあらわにしていた。隣に座るネグロの太ももをバシバシ殴りつける。
そうしていると、先頭集団がトンネルに入っていった。客席からはモニターを介してその様子を見守るしかない。トンネル内に設置されているであろう赤外線カメラが、白黒になった選手を鮮明に映し出している。
複数のモニターが先頭のピアスを付けた選手を映している中、一つのモニターが顎髭を生やしたダンディな選手を映した。
「あれっ? あんな顔の選手、どこで走ってたっけ?」
「ああ、なるほどな」
ネグロが静かにうなずくと、ピアスを付けた選手と、顎髭の選手が一つのモニターに同時に映った。
そして、真正面から衝突した。スピーカーからガチャンという甲高い金属音が響く。
二人はコース上をゴロゴロ転がると、少々痛そうにしながら立ち上がった。赤外線カメラが、その一部始終を見つめていた。
「びっ……くりしたあぁ」
モニターを凝視していたシャイニーは、飛び出しそうになった心臓を押さえるように、自分の胸に手を当てていた。
「やはりな。あんな服装で、ライトも点けずに走っていればまず間違いなくぶつかるだろう。それも、両方の選手がそうだったらなおさらな」
「わかっていたんなら、早く教えなさいよ!」
「いや、失礼。君には、新鮮な気持ちで物事を捉えてほしかったからな。装者としての、優しい気づかいだ」
「そんな気遣い願い下げよォッ!」
「うわっ! 派手にぶつかったな!」
同時刻、やはり同じタイミングでシックザールも腰を抜かしていた。倒れそうになる彼の体をアルメリアが支える。
「やはり、あの音は遠くから走ってくる自転車や、観客たちの歓声だったのですね。まさか向こう側からもスタートしていたなんて」
「ああ、まったく恐ろしいことを考えるもんだよ。でも、これでハッキリしたね。このレースの目的が」
「目的……ですか?」
「うん」観客たちが見守るモニターの中では、暗闇の中で次々と事故が連鎖していた。
レースは終わった。無事にゴールしたのは、両レース場を合わせて六十人中五人だけだった。シックザール側のレース場では、三人がゴールのゲートをくぐった。既にリタイアしていた選手たちが駆け寄り、その三人を迎える。ヘルメットを外した彼らは、三人とも安堵した表情を浮かべていた。
「うわあぁ~ん!」
ふと気づくと、前方の客席から小さい子供の泣き声が聞こえてきた。その子供を両親がなだめている。
「やっぱり、この子にはまだ早かったかしら」
母親が言う。しかし父親の方は、厳めしい顔つきで言い返した。
「いいや! むしろ、怖がるほどいいんじゃないか。こうしないと、まともに自転車にも乗れないような大人になってしまうじゃないか」
「でも、私は昔から思ってたんだけど、さすがにちょっとやりすぎじゃないかしら。自転車の危険運転を教えるためとはいえ、警察官がこんなレース開催するなんて」
「何言ってるんだ。実際、自転車事故は減っているし、彼らも経験を積んだプロだから簡単には怪我しない。お前だって、子供のころからこのレースを見に来てるんだろ?」
「それはそうだけど……」
二人のやり取りはそれなりに続いた。教育方針の違いがこんな場所で争われている。
そんなやり取りに背を向け、シックザールは客席の階段を下りて行った。
「この後表彰式が始まるようですが、よろしいのですか?」
「うん、いいんだよ。目的はレースだけなんだし」
「それでしたら、屋台でも見に行きましょうか。先ほどは時間がありませんでしたし」
「そうだね――っと?」
シックザールの横から歩いてきた少年がまっすぐ歩いて来て、ぶつかった。寸前で避けようとしたが肩がぶつかり、体が軽いシックザールはその場で尻もちをついた。彼が睨むような眼で見上げると、その少年は「――ッス」と、ただ息を吐きだしただけのような、謝罪とも言えない謝罪だけして去っていった。その手には、選手の一人が握っていたものと同じ、四角い機械があった。
「……この国は、歩き方と謝り方も教えた方がいいな」




