十三話【シックザール=ミリオンのゴール】
「――なるほどなぁ、そういうことだったのか。せっかくなら、きちんと手順を踏んで遊んでみたかったな」
シャイニーの話も一通り終わり、あの世界で抱いていた疑問はあらかた氷解した。できることならもう一度参加したいと思ったのだが、テストプレイの人気が高いようで、一度参加した人はそれきりなのだそうだ。
「シックザール様。ゲームの中では、本当に申し訳の無いことを……」
「だから、いいんだってば。お前は一種の催眠状態だったわけだし、仮にボクがやられていてもゲームオーバーになってただけだ。むしろ、こんな機会でもなければアルメリアと戦うなんて経験もできなかったし。これはこれでいい物語になったから、感謝しているぐらいなんだよ」
「シックザール様……!」
その一言を絞り出すと、アルメリアは席を立ち、そそくさと去っていった。そして、遠くから盛大に鼻をかむ音が聞こえてくる。
「アルメリアったら。アンタが目覚めるまで、ずっとあんな調子だったのよ。泣くわ、わめくわ、震えだすわで。いくら装者とはいえ心配し過ぎだっての。前々から思ってたけれど、アルメリアはちょっと過保護すぎるのよ。昔何かあったのかしら」
「うむ、全くだな。白本など、適当に扱っていればいい」
「ネグロはもう少しワタシを敬いなさいっての! いつもいつもワタシを見下して!」
「それは仕方ないだろう。君は俺より遥かに――」
「ちっちゃいって言うな!」
「言ってないだろう。まだ」
二人の他愛ないやり取りを眺めながら、シックザールはぼんやりと「あいつの泣き顔を見てやりたかったな」と思った。先ほど抱きしめられた時も、彼女の胸に埋もれて顔を見ることができなかったのだ。
陰でアルメリアのことを三人で笑っていると、ちょうど彼女の走り去っていった方向から、一人の女性が歩いてきた。一瞬アルメリアかと思ったが、すぐに別人だとわかった。全く容姿が異なるし、その隣には仲の良さそうな男性が連れ添っている。恋人同士というより、夫婦のように見える。
二人はラウンジの横を通り過ぎるのかと思ったが、予想に反して、シックザール達の方に歩み寄ってきた。二人とも私服なので、どうやらここの社員ではないようだった。その手には食事券とマスコットキャラクターのフィギュアが握られていたので、彼女たちもテスターなのかもしれない。
すぐそばまで近づくと、二人は朗らかな笑顔を浮かべた。
「シックザール君、ここにいたんだ。探したんだよぉ~?」
そう言うと、その女性はシックザールの両手を握りしめた。突然のことに目を丸くする。
「えぇっと、すみません。確かにボクはシックザールですけれど、人違いじゃないですか? 申し訳ありませんが、ボクはあなたのことを全く知らないんですけれど……」
「アハハ。確かに、それは仕方ないかもしれないなぁ」
そう言ったのは、連れの男性の方だった。シックザールはもう一度彼の顔をよく見ると、その顔にデジャヴを感じた。どこかで見たことがある顔ではなかったか?
「……え? ひょっとして」
「ああ、そうだよ。僕はクラ。そしてこっちは――」
「サニよ。まあ、サニとクラはゲームの中の名前で、本名は違うんだけどね~」
言われてみれば、確かに面影がある。ゲームの中とはいえ、何日も共に生活した仲なのだから、二人の顔はよく覚えている。ついでに言えば、クラの死の間際の顔も、サニの泣きじゃくる顔も覚えている。
「でも、ゲームの中のお二人は、もう少し若かったような感じがするんですけれど」
「それはそうよ~。あのゲーム、年齢や性別、容姿なんかも変更することができるからね。今日は二人で、ちょっと若返った気分で参加してみようかってなったのよ」
「この年になっても、二人ともゲーム好きなもんでね。休日は専らゲームセンターに行ってVR三昧してるんだよ。新しく出るゲームは、逐一チェックしてるんだ」
そういって二人は、仲良さげに笑いあった。あの世界でも仲良さそうにしていたが、それもそのはずだった。どうやら現実世界の関係性は、ゲームの世界に行っても失われないようだ。
「ああ、そうだ。リュナさんはもう帰っちゃったのかな? さっきから探してたんだけど、見当たらないのよねぇ」
「えっ、リュナ?」
そういえば現実世界に戻ってきてから、リュナの姿は見当たらない。
しかし、それも仕方ないのかもしれない。リュナはゲームの中で無意識のうちに呼び出した存在だ。シックザール達と違い、機械の中に本体が収まっていたわけではないのだ。
それをそのまま話すわけにもいかないので、リュナは先に帰ってしまったということで話を合わせた。するとサニは、わかりやすいほどに落胆していた。
「そうだったの……。あの人にはお世話になったから、一言お礼を言いたかったんだけれど。申し訳ないけれど、シックザール君の方から彼によろしく伝えておいてくれないかしら」
そう言ってサニは、シックザールに微笑んだ。その笑顔は、人間ではないシックザールを一瞬ドキリとさせるほどだった。少し大人びたサニは、とても魅力的な女性だった。
なんとなく悔しいので、仮にリュナともう一度会うことがあっても、このことは言うまいと誓った。
そしてシックザールは、リュナの最後の言葉を思い出していた。
「おめでとうございます! エリアボスの討伐お疲れさまでした!」
そのアナウンスが流れると、そこにいた全員の体が柔らかい光に包まれ始めた。突然の出来事の連続に驚いていると、おもむろにリュナが近づいてきて、シックザールを人のいない岩陰に連れて行った。その時のシックザールはアルメリアが死んでしまったものだと思い込んでいたのだが、そんなことはお構いなしだった。
「どういうことかわからぬが、どうやらもうすぐ別れのようだ」
「……そうらしいね」
言葉を交わす二人の体は、手足から徐々に透けていた。全身が消えるのも時間の問題だった。
「この前の話の続きだ。お前のノルマが100万ページという話のな」
「ああ、それか」予想はしていたが、やはりリュナは、その話だけは済ませておきたいようだった。シックザールも気になるところではあったが、その話題は意識して避けていた。
しかしリュナの瞳が、彼を逃がそうとはしなかった。
「坊主は、『自分に記録されている物語は129ページ』だと言った。しかし本当は、まったく違う」
シックザールは、無言で話の続きを促す。
「貴様の体には、100万ページのうち、すでに約90万ページが埋まっている。これがどういうことか、お前も馬鹿ではなければ想像できるはずだ」
「闘技場でリュナを倒した黒いページは、その90万ページの一部。そして残りの10万ページは、ボクが本に成ってしまうのを防ぐ、あまりにも過剰なノルマだということ――」
自分でも驚くほどに、冷静かつ平坦に、スラスラと言葉が出てきた。まるで、初めからそれが分かっていたように。これには、さすがのリュナも目を見張っていた。
「そういうわけだ。ネイサ姫は、貴様を本にする気など無い。むしろ、何かに利――」
そこで、その世界での記憶は途切れた。
「シックザール様、ちょっとよろしいでしょうか」
ぼんやりしていると、その声で意識が戻ってきた。
「……ん? アルメリア」
しかしその声の主は、あの白いパンツスーツ姿の女性だった。その手には、一枚の紙とペンが握られている。
「申し訳ございません。テスターの方々には、テストプレイの感想をご記入いただいているんです。こちらの不備で、シックザール様とアルメリア様の分のアンケート用紙を配り忘れていたようで……」
それはきっと、二人が飛び入り参加の形になってしまったからだろう。
シックザールは紙とペンを受け取ると、一つずつ真面目に項目を埋めていった。その最後に、「その他、ご要望や改善点等ございましたら、ご自由にご記入ください」という質問事項が記載されていた。
シックザールは少し考え込むと、そこに「もう少し、子供でも楽しめる内容にした方がいいと思う」と書いておいた。さすがに人間が血まみれで死んだり、親しい人がボスになるのはキツいなと思った。
「ご協力、ありがとうございました」
女性は深々とお辞儀をすると、受け取ったアンケート用紙を持って立ち去っていった。気づけば、サニとクラはシャイニーたちと楽しそうにおしゃべりしている。ゲームの良かった点、改善点を互いにぶつけ合っていた。
「アルメリアを探しに行かなくていいのか?」一人つまらなそうにしていたネグロがぶっきらぼうに話しかけてきた。
「いいんですよ。もう、あいつを探しに行くのはこりごりですから」そう言って、シックザールは自分のココアに口を付けた。「それに、甘い物なんて久々ですからね。ゆっくり楽しみたいんです」




