九話【再会】
恐竜と出会った場所を背に、巨大な岩に挟まれた谷を進んでいく。それほど高いわけではないが、場所によっては日の光が遮られ、強い圧迫感に襲われる。もしも落石に襲われれば、この集団は壊滅するか、進路と退路を簡単に断たれることだろう。
しかしそれは杞憂だったようで、何も起きないまま蛇行した道を歩いていく。道の先は岩に隠れてほぼ見えないので、曲がるたびに「なんだ、何もないのか……」と落胆していた。
原人たちも戦いの後で、それなりに消耗していた。リュナも顔には出さないが、内心では焦りが出始めているのではないか。もしも何も発見できなかった場合には元の集落に戻らねばならず、明るいうちに戻るためにはそろそろ引き返す決断をしなければならない。
(頼むから、そろそろアルメリアの手掛かりの一つも出てきてくれよ……)
心の中で手を合わせ、この世界の神様に祈った。
そして、その祈りが通じたのか、手掛かりらしいものが現れた。それは、とても大きな手掛かりだった。
巨大な岩をいくつも組み上げて建てられた、神殿のような建造物だった。かなり無骨な外観のため、自然にできた岩屋のようにも見える。しかしその入り口両端には薪の燃えカスが残っており、ここに人間がいることを証明している。袋小路になっており、この建造物以外には道すら無い。
「どう見ても怪しいよね、リュナ」
「まったくだな。ひょっとしたら、先ほどの恐竜はこの岩屋の門番だったのかもしれん」
「それは考え過ぎじゃ――」そう言いかけて、やめた。この奇妙な世界では、恐竜が門番を務める程度のことはあるのかもしれない。だいぶこの世界に染まってしまったなとシックザールは一人苦笑した。
「それで、中に入るんだよな? どうする」
「某が先導をする。貴様らは、十分に警戒してついてこい」
そう言うとリュナは、自分の刺青からランプを実体化させた。その能力を初めて見た原人たちは目を丸くしている。
「さあ、行くぞ!」
岩屋の中はひんやりと涼しく、炎天下で火照った体が冷やされていく感覚をはっきりと感じる。入口は暗く狭かったが、ほんの十秒も歩いただけで、突如開けた場所に出た。
そこは大抵のスポーツなら問題なくできそうなほど広い空間だった。壁面には松明が備え付けられており、広場のつるりとした壁を熱を帯びた光が煌々と照らしていた。
その空間をちょうど半分に分けるように、奥の半分は人間の大人程の高さの段差が組み上げられている。その奥はさらに一段高くなっており、その中央は何かで盛り上がっている。しかしそこまでは光が届かず、この場所からはよく見えない。
「気をつけろよ。この場所、あちこちから臭いがする」
リュナは自分の鼻を突き出し、この場の臭いを感じ取っていた。しかしこの場所に限っては、シックザールも獣の臭いを感じていた。
コツン――カツン――。
広場のあちこちから小石が落ちてくる音が聞こえる。その方向を見れば、アルメリアを連れ去った、あの黄金色の猿が姿を見せていた。よく見れば壁にはいくつかの穴が開いており、そこに潜んでいたようだ。その数は、全部で四匹か。猿たちを目にした原人たちは動揺を見せていたが、あの恐竜との戦いを切り抜けた自信か、すぐに武器を構えて敵意をむき出しにした。
「リュナ。お前の感じた臭いっていうのは、この猿たちのことでいいんだよな?」
「いや。あの猿たちもそうなのだが、もっと厄介な獣がいるようだぞ」
「えっ?」
リュナは壁の穴の猿たちには見向きもせず、最上段の盛り上がっている影を睨んでいた。それにつられてシックザールも視線を向ける。この暗さにも目が慣れてきていたため、その姿が徐々に鮮明になってきた。
二人の視線の先で、その黒い影がのそりと動き出した。それと同時に、グルルルと空気を静かに揺らす唸り声が聞こえる。あの影も獣だったということか。
地面を踏みしめる音と共に黒い獣が跳んだ。上段から中段に着地し、その姿が松明の光に照らされた。
「サーベルタイガー? しかも、二頭?」
そこに立っていたのは、白い巨大なサーベルタイガーだった。この世界に来て早々に襲ってきた、あのサーベルタイガーより一回り大きい。そして何より、目の前のソレは闇の中でも光を放つ、絹のように真っ白な毛皮に包まれていた。それは獣というより、神々しい神の使いのようにも見えた。
しかし、それ以上に気になったのは、その背中に乗る小さいサーベルタイガーだった。一見してごく普通の個体のように見えるのだが、それにしては妙に小さく、体が平べったく見える。まるで、白い背中にへばりついているようだった。
「おい、坊主」
「なんだよ、この緊迫した時に」
「今のうちに言っておくが、あまり驚くなよ」
「……どういうこと?」
訝しむシックザールの目の前で、上に乗っている方のサーベルタイガーが体を起こした。
ちょうど二人に腹を見せるような形になったのだが、獣の腹にしては、妙に白くすべすべしているように見える。そして上あごの下からは、赤い光を放つ、丸い宝石のようなものが二つ見えた。
「いや、違う……」
それは人間の瞳だった。その鋭い光を放つ双眸が、シックザールをまっすぐ射貫いていた。
人間がサーベルタイガーの毛皮をかぶっていたのだ。その人間は背筋を伸ばし、その顔が明かりに照らされる。
「おい……どんな冗談だよ……」
赤い髪に、赤い瞳。細く引き締まった肉体に、体中に彫られた刺青。シックザールは、彼女の容姿から、その肌の感触まで知っている。
アルメリアが、白い獣の背からシックザール達を見下ろしていた。
「あ……アルメリア? そんなところで、何をしてるんだよ!」
シックザールが声を張り上げる。しかしアルメリアは意に介さない。まるで人形のようだ。
「坊主、驚くなと言っただろ?」
「驚くに決まってるだろ! どうして猿たちに連れ去られたアルメリアが、獣の皮なんてかぶって背中に乗ってるんだよ! これじゃあ、まるで――」
この獣たちのボスのようではないか! そこまでは口にできなかった。
「いや、某もこの展開は予想していなかった。まさか、再びあのような目で睨まれることになるとはなぁ。しかし、動揺している場合ではないようだぞ」
アルメリアは白いサーベルタイガーの耳元に口を寄せると、何かをつぶやいた。そして頭を撫で、その背中から降りた。
そして、一人と一頭は歩き出す。サーベルタイガーはリュナに向かって、アルメリアはシックザールに向かって。片や牙を剥き、片や左腕の刺青から短剣を実体化させていた。
「一対一で戦いたいということらしい。事情は知らないが、なかなか律儀ではないか」
「そんな呑気な事言ってる場合じゃないだろ! お前はともかく、ボクがどうやって戦えって言うんだよ」
すると、リュナはシックザールの頭を鷲掴みし、アルメリアに向けた。彼女は感情の無い顔で、依然として一歩一歩歩み寄ってくる。
「この前話した通りだ。某は“シックザールとアルメリア殿に敗れたリュナ”として、貴様の能力で復活している。つまり、某ではアルメリア殿に勝つことは絶対にできない。あの白い獣はどうにかできるが、彼女の相手はほぼ不可能だ」
「リュナ! お前、アルメリアにボクを殺させるつもりか?」
「勘違いするな。これも前に言ったが、貴様に死なれるのは某も困る。できる限り早めにこちらの決着をつけて、そちらの加勢に入る。勝つことはできなくても、時間を稼ぐなり、縛り上げるなりはできるはずだ」
「それで、最終的にはアルメリアの方を殺すのか?」
「それは……」
珍しくリュナが言い淀む。この男もこの難しい状況に、明確な答えを出せずにいた。
周りがギャアギャアと騒がしくなっていることに気が付いた。
二人の周囲では、猿たちと原人たちとの戦いが既に始まっていた。数では勝る原人たちも、その猿の身体能力の高さに右往左往している。集団での戦闘を訓練されていた原人たちだったが、暗い場所でも縦横無尽に動き回る猿たちを相手に陣形は呆気なく崩されていた。
「あっちもこっちも大変だな。某も旅の途中でピンチに陥ることはあったが、これもなかなかヘビーな状況と言える」
リュナはサーベルを抜くと、シックザールから離れるように歩き出した。それにつられるように、白いサーベルタイガーもリュナの正面に回る。
「おい、坊主。こんなところで死んでくれるなよ!」
そんな無茶なと言おうとしたところで、砂利を踏む足音がすぐそばで聞こえる。短剣を構えたアルメリアが、段差の上からシックザールに向かって飛び掛かっていた。
「冗談だろっ!」反射的に体を反らし、その一撃を躱した。攻撃を外したアルメリアは地面で体を回転させ、即座の次の一撃を加える体勢を整える。
シックザールは確実に動揺していた。まるで突如、水の中に突き落とされたかのようだった。
しかし次第に、彼の胸が、頭が、全身が熱くなってきた。それは怒りに近い感情だった。手にした竹槍に力がこもる。
「ボクを放ってさらわれて……さんざん探させて……やっと見つかったと思ったら敵に寝返っていて……!」
シックザールは竹槍の切っ先をアルメリアに向けた。彼女の視線がより一層鋭くなる。
「いいよ! やってやるよ! お前のお仕置きは無事にこの世界を出てからって思ってたけれど、今ここでやってやるよ!」
シックザールは自分に眠っていた闘気を発し、自らの従者であるアルメリアに戦いを挑んだ。
 




