四話【リュナが知っていること】
「な……何を馬鹿なことを……」
シックザールは耳を疑った。最も尊敬する人物を、信用するなって?
「デ、デタラメ言うなよ! そもそも、何でお前はこの世界にいるんだよ。リュナは、あの闘技場で、ボクとアルメリアが倒したじゃないか!」
「ああ、そういえばそうだったな。よかろう。まずはそこから説明してやるか」
突然、家の中が明るくなった。リュナが自分の刺青からランプを実体化させていた。「真っ暗闇より、こちらの方が話しやすいからな」
「灯りなんてどうでもいいんだよ。それより、早く説明しろって」
「そう慌てるな。これは貴様にとっても大事な話なのだから」
リュナが居住まいを正したので、シックザールもそれに倣う。
「坊主には“再上映”という能力があるだろう? 自分の記録した物語を再現する能力。再現した物語は消えてしまうというデメリットもあるがな」
「そんなの、今更お前に言われなくたってわかってるよ。自分のことなんだし」
「いいや、わかっていない。貴様は自分で思っている以上に、自分のことをわかっていない」
橙色に照らされたリュナの顔が大げさに横に振られる。
「そう、某は“リュナ”であって、“リュナ”ではない。正確に言うならば、“再上映によって呼び出された、物語の中のリュナ”なのだ」
「えっ?」シックザールは目を丸くした。「……でも、ボクはお前を呼び出した覚えは無いぞ」
「そうであろうな。某は、自分から出てきたのだから。こんなことができたのは、貴様が切に助けを願っていたからなのか、某が装者という特別な存在だからなのか、それはわからぬが。
そういえば貴様は、どうして某が助けてくれるのかと疑問を持っていたな? 簡単なことだ。坊主の中には『リュナがシックザールとアルメリアに敗北する物語』が記録されている。それがある以上、某は貴様に勝つことができず、結果的に従うしか方法がないというだけのことだ。まあ、こうしてある程度自由に動ける分だけ、まだマシだとも言えるが」
「そんなことがあるなんて……」
シックザールは自分の体を撫でまわした。自分の体だというのに、ほんの一瞬、誰か別人の体がくっついているのではないかと錯覚してしまった。
「ほらな。貴様は何もわかっていない」その様子を、リュナは口元を歪めて眺めていた。
「……まあ、いいよ。貴重な情報をどーも」口を尖らせ、それだけ言った。「ボクの能力のことなんて、二の次だ。大事なのは――」
「『どうしてネイサ姫を疑うのか』だろう? それも、お前の能力と関係がある」リュナがシックザールの言葉を先取りする。「某は忌々しいことに、今は坊主の能力の一部のようなものだ。だから、坊主以上に貴様の体のことについてわかっている。貴様、自分の名前はわかっているな?」
「ハア? 馬鹿にするなよ。ボクの名前は“シックザール=ミリオン”だ。それがどうした」
「それなら問うぞ、シックザール=ミリオンよ。貴様、自分があと何ページでノルマを達成できるかわかっているか?」
唐突な質問だった。目を閉じ、自分の中に刻まれている物語が何ページに達しているのか探っていく。
「……今、ボクに記録されている物語のページ数は129ページだ。でも、あと何ページでゴールなのかは、わからない」
リュナは軽く頷いた。「やはりな。貴様は真剣に考えたことがないのかもしれないが、それは異常なことなのだ」
「異常?」背中に冷たい汗が流れる気がした。「どこがだ?」
「全ての白本は、自分のノルマまであと何ページかを正確に把握している。貴様のように『よくわからない』なんて言うことはあり得ない。それと、もう一つ質問だ」
「まだ、何かあるのか?」
シックザールは混乱していた。リュナの言っていることが真実ならば、自分は何なのか。不良品なのか。ゴールまでの道のりがわからないことが、それほど異常なことなのか。
頭の中がねじれ、こんがらがっているというのに、リュナは容赦なくもう一つの質問を投げかけてきた。
「貴様の下の名前の“ミリオン”これは、どういう意味だ?」
「ミリ……オン……?」
白本の下の名前には、数字にちなんだ名をつけられることが多い。そしてそれは「その白本のノルマ」を大まかに表していることが多かった。もちろん例外もあるため、白本によっては全く気にしていないこともある。
それならば、シックザール=ミリオンの“ミリオン”とは?
「百万……百万文字ってことか? ずいぶんキツいノルマだよね」
おそるおそるそう言った。いつの間にか、乾いた笑い声を上げていた。
「ああ、そうだな。確かに、キツいノルマだ」
リュナも口元を緩めた。しかし、目は冷たい光を放っていた。
「百万ページだよ。貴様のノルマは。百万文字なんて、生ぬるいものではない。貴様は、百万ページのシックザール=ミリオンなのだ」
それを聞いて、シックザールの目の前が黒に染まっていった。「なんだ。ランプの火が消えたのか」そんなことをぼんやりと考えながら、眠るように意識を失った。最後に感じたのは、頭が地面にトスンとぶつかる感覚だけだった。
徐々に目の前が明るくなってきた。
頭は重く、瞼を開けることを拒否していた。しかしその光が段々明るくなってきたので、それに耐えきれず瞼を開けてしまった。
家の隙間から日の光が漏れ、ちょうどシックザールの顔に落ちていた。一度舌打ちすると、体を軽くほぐして外に出た。
ジャングルとはいえ、早朝はそれなりに涼しかった。既に他の人間たちも起きていたようで、朝食の準備を進めている。そのうちの何人かはシックザールの前を通り過ぎるときに「オハヨー」と気軽に朝の挨拶をした。つられて気の無い挨拶を返す。
依然として重い頭と体を抱えながら歩いていると、リュナを見つけた。家の中にいないと思ったら、現地人と一緒に朝食を作っていた。さすが装者というだけあって、まったく見たことのない食材も鮮やかな手つきで捌いていった。そういえばこいつ、それなりに実績のある装者だったなと思い出した。
そうしてぼんやりと眺めていると、リュナもこちらに気付いたようだ。片手で果物を捌きながら、もう片方の手で手招きした。
「昨晩は悪かったな、坊主」
彼の傍に座ると、だしぬけにそんなことを言い出した。
「いくら貴様が、アホで弱虫でチビで気に食わないガキだったとはいえ、昨晩の話はショッキング過ぎたな。一応……一応、謝っておく」
「ずいぶんな謝罪の態度だけど、もういいよ」
果物を捌き終わったリュナは、次に魚を捌き始めた。
「……訊かなくていいのか?」
「『結局、どうしてボクは、ネイサ姫を疑わないといけないのか』について?」
「ああ、そうだ。貴様が良いのなら、今、この場で話してやってもいいのだが」
「なんだよ、それ。リュナのくせに、ボクのこと心配してるわけ?」
「言っただろう。今の某は、一応は貴様の味方だ。変に体調を崩されたり、あっさり死んでもらっては、こうして蘇った某まで消え去ってしまう」
「なんだよ。結局、自分のためかよ……」
リュナの脇腹を殴り、すっくと立ちあがった。
「でもまあ、ありがとう。もう少し気持ちの整理がついたら、改めて説明してもらうよ」
「そうか」
リュナはそれだけ言うと、再び料理に集中し始めた。
やることが無くなかったので、ちょうど近くを通りかかったサニとクラに頼んで、自分も水汲みに連れて行ってもらった。体を動かしているうちに、少しだけもやもやとした気持ちは解消されたように感じた。
「ネイサ姫を信用するな」
しかしその言葉だけは、のどに刺さった小骨のように、いつまでも彼の頭の奥にチクリとした痛みを与えていた。




