三話【彼らの集落へ】
「リュナッ! どうしてお前がここにっ?」
腰が抜けているシックザール達三人を前にして、リュナは悠然と振り返った。その顔には、放り投げたサーベルタイガーの返り血が付き、猟奇的な表情を演出していた。
サーベルの刀身についていた血糊を払うと鞘に納め、尻をついているシックザールを無理やり立たせた。他の二人も同様に力づくで立たせる。
突如現れたリュナに警戒する三人であったが、彼は背を向けると、ザクザクと足音を立てて歩き始めた。
「こちらから人間の臭いがする。先に行くぞ」
置き去りの形にされた三人は、慌ててその背中に駆け寄った。
「お、おい! お前、また自分の楽しみのために人間を殺しに行くのか!」
「なんだ、坊主。少し会わない間に、ずいぶんと人間想いになったものだな」
「別に、そういうわけじゃない。お前に勝手なことをされると、こっちもやりづらくなるんだよ」
リュナはわざとらしくため息をついた。「とにかく、そういうわけじゃない。某らは、この世界のことを何も知らぬ。情報収集のために、人間の集まる場所に行きたいというだけだ」
「……本当に?」
「本当だ。おい、そこの原人ども!」
二人から少し離れ、おそるおそる後をついてきた現地人二人をリュナは呼んだ。
「何をボサッとしておる。お主ら、某らよりもこの土地に明るいのだろう? 少しは案内しようとせんのか!」
語気を荒げると、二人は慌てて先頭に立ち、シックザールとリュナを案内し始めた。
「――で、どういうつもりだよ?」
四人で歩いているうちに、徐々に日が傾いてきた。もしも、村や集落などがあるのなら、日が落ちるまでにはたどり着きたい。全員が同じ気持ちだったようで口数は少なかったが、その空気に耐え切れず口を開いたのだった。
「どういうつもりも何も、安全を優先しただけだ。あのまま同じ場所にとどまっていれば、またどのような獣に襲われるのか分からぬからな」
「そうじゃない。何でこんなに協力的なんだ。というより、何でこの世界にいるんだよ。お前は、あのコロシアムにいたんじゃないのか?」
騙されて闘技者にされ、リュナと命がけの闘いを繰り広げたことは昨日のことのように思い出せる。そのリュナが、どうしてこんなジャングルにいるのか。
「ああ、それはな――」
リュナが口を開いたところで、現地人の少女が歩みを遅くし、二人に近づいた。「アー、ウアゥー」と、相変わらず何を言っているのかわからないが、その表情が曇っていることはよくわかった。おそらく、険悪な雰囲気を漂わせる二人が心配になって、どうにか仲裁に入ろうとしているのだろう。
「おい、坊主。この娘が何を言っているのか分らぬのか? 白本の言語能力は、装者より優れていることが多いのだろう?」
「そりゃ、基本的に言葉が通じないってことは滅多に無いけどさ。それはあくまで、“言語”がある場合だけだよ。例えば、動物と会話することができないみたいに、言語を持たない人間とは会話できない。まだこの世界には、それだけの文明が無いんじゃないかな」
「なるほどな。これは、他の人間たちに会えたとしても難儀しそうだ」
少し言葉を交わしているうちに、その場の雰囲気は少しだけ軽くなった。それを察知すると、少女はリュナの隣に歩み寄り、その引き締まった腕に触れた。そして、軽く微笑みながら口を開いた。
「サッキ……ハ……アリガト」
たどたどしくそれだけ言うと、再び先頭に戻っていった。
「――なんだ。少しは話せるようだな。安心した」
「というより、リュナ。お前って意外とモテるんだね」
「当然だろ。まあ、猿レベルの原人女に好かれても困るが」
シックザールはなんだか可笑しくなって、笑い声をあげた。リュナへの疑問は、いつの間にか訊ねることを忘れてしまっていた。
空に赤みが差してきた頃、ようやく彼らの集落が見えてきた。暗くなる前についてホッとした。
その集落の中から、見張りと思われる男がやってきた。よほど仲間を心配していたようで、明らかなよそ者であるシックザールやリュナを完全に無視し、仲間の男女二人に駆け寄って抱きしめた。そのまま連れて行こうとするので、残された二人もついていった。
そこは、集落と言ってもとても小さなところだった。不器用に木の枝を組み立て、大きな葉っぱをかぶせただけの家が五軒ほど。周囲を囲むように簡単な柵が設けられているが、子供がぶつかっただけでも倒れそうなほど脆そうだった。
「これは酷いな。アリの巣の方がよっぽど立派だぞ」リュナが酷評したが、シックザールも同様の感想だった。
そんな二人は、武器こそ向けられてはいなかったものの、その集落に住む人間たちから警戒のまなざしを向けられていた。
その中から、一人の男が前に出た。他の人間たちより一回り逞しい体を持ち、年齢もおそらく年長だろう。首には動物の骨を加工して作った首飾りが掛けられており、彼がこの集落のリーダーであることがうかがえる。
そのリーダーが進み出ると、リュナが助けた二人が駆け寄った。そして、九割がた理解できない言葉と、身振り手振りを交えて、その男と言葉を交わした。
何を話しているのかは断片的にしかわからなかったが、リュナを命の恩人として紹介していることはわかった。彼らの会話が終わると、二人を包んでいた警戒のまなざしは、畏怖のまなざしへと変貌した。
「ブオウ! ブオウブオウ、ゴッゴーッ!」
リーダーの男が叫ぶと、他の人間たちも高揚し、せわしなく動き始めた。
「リュナ! リュナ!」
あの少女が戻って来ると、リュナの腕を引っ張って強引に連れて行った。当のリュナは、不快感をあらわにしながら、されるがままに連れていかれた。手持無沙汰になったシックザールは、仕方なく彼らについていくことにした。
「リュナ! シックザール! アリガトーーーーッ!」
「アリガトッ!」「アリガトーッ!」「アリガトゥーッ!」
そんなシンプルな音頭と共に、宴が始まった。
彼らは、命の恩人であるリュナ(と、ついでにシックザール)に、感謝の宴を開いてくれたのだった。
宴は集落の広場で開かれた。その中央では薪を燃やし、炎の光と熱を豪快に発しながら、もうもうと大量の煙を夜空に舞い上げていた。時折パチパチという音を立てて薪が崩れ、そのたびそこらの乾いた枝を放り投げている。
その宴の上座らしき場所で、シックザールとリュナは座らされていた。尻の下には、大きな葉っぱを何枚も重ねた座布団のようなものが敷かれている。他の人間たちは一枚だけなので、一応は特別待遇ということらしい。
両隣には、リュナが助けた男女が控え、お茶のような飲み物や焼いただけの肉などを取り分けてくれた。ちなみに、リュナにはあの少女が、シックザールには男性の方がついていた。リュナはもてなしの料理そのものは顔をしかめながら飲み込むように食べていたが、隣の少女が甲斐甲斐しく世話してくれるのを楽しそうに眺めていた。
「おい、娘。なかなかよく働くじゃないか? お前、名前は何という?」
「ナ……マ……エ?」
「そう、名前だ。某はリュナだ。お前は?」
「……サニ……イイマス」
「サニ、か。なるほど、へんてこな名前だな」
「オレ、クラ……イイマス」
「フンッ。男のほうなどどうでもいい」
「本当に嫌な奴だな、お前」
「うるさい、坊主」
元々仲が良いわけでもないので、二人はそれきり黙ってしまった。サニとクラは困ったような表情を浮かべていたが、それをごまかすように大量の肉と果実を持ってきた。
宴は滞りなく行われた。時折、集落の長やその他大勢が話しかけてきた。リュナは全く愛想よくふるまわないので、仕方なくシックザールやサニ、クラが相手をした。特にサニとクラはリュナに惚れ込んでしまったようで、彼の活躍を身振り手振りを加えて力説していた。そのたび、観客たちはオオーッと唸り声を上げた。
やがて食材がなくなると、一人、また一人と家の中に戻って行ってしまい、自然と宴はお開きとなった。いつの間にか、中央のたき火と、見張り二名しか残されていなかった。
シックザールとリュナは、急遽組み上げられた小さな家に案内された。地面は土そのままで、風も葉っぱの隙間から入り込んでくる。日が落ちても比較的暖かいのが救いとも言えた。
何か困ったことがあれば言ってくれと言い残し、案内人は去っていった。
「やれやれ。こんな何もないところで、こんな憎たらしい坊主と共に夜を明かすことになるとはな」
「それはこっちのセリフだよ。誰が好き好んで、お前と二人っきりになるもんか」
二人の険悪なムードは変わらず、家の中心を挟んで腰を下ろした。こんな場所で眠れるもんかと考えていたが、想像以上に疲れていたようで、少しずつ睡魔が忍び寄ってきた。
「――おい、坊主」
瞼が重くなってきたところで、正面に座るリュナの方から話しかけられた。
「――なんだよ。人がせっかく心地よく眠れそうだったのに」
精一杯にらみつけるが、照明も無く、互いの表情も見えない暗さだった。
少し間をあけて、再びリュナが言葉を発した。
「坊主。貴様、ネイサ姫のことをどう思う?」
シックザールは目を丸くした。まさかこんな場所で、その名を聞くことになるとは思わなかった。
「どうって……そりゃあ、尊敬するお姫様だよ。何なら、愛していると言ってもいいね。そんなこと、わざわざ聞かなくたってお前もわかってるだろ?」
ビブリアという国、そしてそこに暮らす白本や装者は、皆例外なく彼女を慕っている。国を長く離れていたリュナも、それは同様のはずだ。
しかしリュナは、一度大きくため息をつくと、思いがけないことを口にした。
「――ネイサ姫を信用するな。特に、シックザール。貴様はな」




