一話【シックザール、出鼻をくじかれる】
「ザール兄ちゃん!」
新たな旅に出ようとしていたシックザールとアルメリアを追いかけるように、一人の少年が駆け寄ってきた。
「ザール兄ちゃっ――!」
少年は二人を目前にして躓き、体がふわりと浮いた。アルメリアがキャッチしようとするが間に合わず、少年はまっすぐシックザールにとびかかった。
「どわぁっ!」
二人は悲鳴を上げると、その場に倒れ込んだ。下敷きになったシックザールは、したたかに後頭部を地面に叩きつけた。目から星が飛び散り、チカチカと視界の中で星が回っている。
「ああっ、ゴメン! ザール兄ちゃん」
「コピィ……貴様はァ~!」
シックザールは思い切り立ち上がると、コピィと呼んだ少年のほっぺたを両側から引っ張った。すぐさまコピィは涙目になる。
「シックザール様、お許しになってください。コピィはまだまだ小さいのですから」
「……フンッ!」
餅のように伸びたほっぺたから指を離した。コピィは赤くなったほっぺたを撫でて、下からシックザールをキッと睨んだが、すぐに笑顔を浮かべた。その表情の移り変わりを見て、シックザールもつい頬が緩む。
「ちょっと見ない間に、また少し大きくなったんじゃないか?」
「うんっ! 僕だってもうすぐ旅に出られるよ!」
「お前にはまだ早いだろ? まだ混沌の炎に入る勇気も無いくせに。装者だって、まだ付いていないんだろ?」
「それは……大丈夫だよ。ザール兄ちゃんが本に成る前には、絶対に旅に出られるようになってるさ!」
「いつでもいいから、とにかく旅に混沌の炎に飛び込めるようにはなっておけよ」
「そりゃわかってるよ!」
生まれた白本の中には、どうしても混沌の炎に飛び込めないものが出てくる。そうした白本たちは、混沌の炎の薪として“処分”されてしまう。白本の使命が“立派な本に成る”ということである以上、それができない白本はせめて薪としてしか存在意義がないのだ。そして彼らは、その運命を受け入れていた。
「それはそうと、ザール兄ちゃんはこれから出発?」
「ああ。準備も整えたし、体調もバッチリだ。アルメリアも新しい武器を手に入れたし」
「へえ~。どんなの? ちょっと見せてよ」
「申し訳ありません、コピィ殿。かなり古いものだったので、今は調整に出しているのです。それに、危ないのでこんな街中で出すわけにもいきません」
先日訪れた国で手に入れたのは、対物ライフルという代物だった。飛び道具の必要性を感じていたアルメリアはそれを大層気に入り、持ち帰ることにしたのだった。ちなみに、銃身に「イチリヅカ」と刻まれていたので、二人はそれを銃の名前と認識した。
そのイチリヅカは、本の虫の村に済むマリキタに預けている。幸運なことに、マリキタは刀剣類だけでなく銃火器の扱いにまで長けていた。その知識も、かつて純粋な白本として旅をしていた時に身に着けたものということだった。アルメリアの持つ短剣も、もうすぐ修理が終わるとのことだった。
「そっか。じゃあ、邪魔しちゃ悪いよね。ザール兄ちゃん、今度も面白いお話期待してるよ!」
「ああ、期待して待ってろよ。それまでに、少しは成長しておけよ」
「うるさいな、わかってるよ!」
文句を言いつつ、コピィは笑顔だった。ぶんぶんと勢いよく手を振る彼に見送られながら、二人は歩を進めた。
「シックザール様は、本当にコピィ殿に懐かれていますね」
混沌の炎に続く道を歩いていると、隣で歩くアルメリアが声をかけてきた。
「家が近所っていうだけだったんだけどね。ほら、ボクって有名人だからさ。興味を持つのは普通だよ」
そう言って、シックザールはターバンからはみ出した金髪を撫でた。このビブリアにおいて、その髪の色を持つのは女王であるネイサと、シックザールの二人だけだった。
「そういえば、シャイニーの奴はどうした? 姿を見なかったけれど」
「あら。気になりますか?」
アルメリアの声に少し意地悪な含みを感じて、彼は思い切り首を振った。
「別に、そういうわけじゃないさ! ただ、あいつに先を越されるのだけは面白くないからさぁ!」
軽く微笑むと「シャイニー殿は、昨日に出発されたそうです。買い物に出ていた際にお聞きしました」と答えた。
「そうか。あいつもなかなかハイペースじゃないか」
「負けていられませんね?」
「ああ、もちろんだ!」
自然と速足になって、目的地に向かった。
混沌の炎は、相も変わらず燃え盛っていた。天まで焦がすようなその白い巨大な炎は、しかし通常の炎のようなゴウゴウという唸り声を上げず、静かに大きく揺らめいていた。
「さーて。今度はどんな世界かな?」
「楽しみですね。しかし、お気をつけて」
「わかってるさ。よしっ、行くぞ!」
二人は手をつないで、炎の中に身を投じた。あっという間に、二人の体は炎に包まれ、見えなくなってしまった。
真っ白なミルクの中を泳ぐように、シックザールとアルメリアは白くうねる空間の中を浮いていた。混沌の炎に燃やされる際にはチリチリと体の表面に痛みが走るが、燃やし尽くされて世界間の移動をしている最中は、幸福な夢の中にいるように穏やかな時間が流れる。(コピィも、早く恐怖を克服できればいいけどな)目を閉じながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
ピリッ!
突如、体に痛みが走った。まるで軽い電流を流されたようだ。隣を見ると、アルメリアも異常を感じたようだ。
その電気のような痺れに近い痛みは、何度か二人を襲った。激痛というわけではないが、このような経験は初めてだ。その不安から、一刻も早く次の世界にたどり着くことを切に願った。
その願いが通じたのかどうかわからないが、視線の先にぼんやりと緑色の景色が見える。それは徐々に広がり、くっきりとした輪郭を持ち始める。
良かった、出口だ。そう安堵した時、着地に備えてアルメリアがシックザールの体を抱いた。その時には、既に謎の痺れは無くなっていた。
「……なんだったんだ、今のは?」
「さあ。わたしにも分かりかねます」
疑問を頭の中に残しながら、二人はふわりと着地した。
しかし、ずぶずぶと体が地面に沈み込んでいく。足元を見れば、そこは沼だった。茶色く濁った沼が、二人の脚を飲み込んでいた。
「うわっ! こんなところに沼っ?」
「早く出ましょう! わたしに掴まってください!」
シックザールがアルメリアに飛びつくと、彼女はズンズンと沼の中を直進した。その度足が沈み込んでいくが、それより早く次の脚を繰り出していく。幸い沼は大きくなく、すぐに岸にたどり着いた。
安堵して、そこでようやく変化に気付いた。
「……アルメリア。その恰好は何?」
「……シックザール様こそ、“それ”はどうなされたのですか?」
いつの間にか、二人の服装は炎に飛び込む前と大きく異なっていた。
具体的には、原始人のように体に動物の毛皮を纏っているだけという、野性味溢れる姿になっていた。足には、藁を編んで作った質素な草履。初っ端から沼に突っ込んだため、ねちゃねちゃしている。
周囲を見渡してみると、背の高い木々に囲まれていることが分かった。原生林というべきか、ジャングルというべきか。ちょうどその沼がある場所だけぽっかりと穴が開いたように切り開かれていた。
「ずいぶんと緑豊かな場所みたいだね。それに、どういうわけかヘンテコな恰好させられて。とんでもない世界に来ちゃったみたいだよ――って、アルメリア。何してるんだ?」
シックザールがぶつくさと文句を言っている横で、アルメリアは空を眺めていた。
何だ、呑気な奴だなと思って視線を上げてみると、二人に巨大な影が落ちた。
太陽を背にして、巨大な鳥が飛んでいた。しかし、たっぷりと羽毛を蓄えた鳥ではない。コウモリのようなつるりとした羽を持ち、くちばしは異様に長く、鋭い。ギャアギャアと悲鳴のような鳴き声を上げながら、空を悠々と泳いでいた。
あれは、いわゆる翼竜というものではなかったか。
「……本当に、とんでもない所に来ちゃったみたいだぞ」
「ええ、まったく」




