三話【生贄の少女】
「生贄……?」
シックザールはその言葉をかみしめるように口にした。「それは、穏やかじゃないですね」
「旅に来ていたということでしたら、お二人もよくご存じだとは思いますが……」
キミコはテントの出入り口の方に視線を動かす。風に吹かれて、そのたびに出入り口の隙間から外の景色が垣間見えた。
「この国では、もうしばらく雨が降っていません。大きな町はまだ水の貯えがあると思いますが、私の故郷の村は、とてもそうはいきません。川は濁り、井戸の水は枯れ、作物も大半が枯れてしまいました。このままでは飢え死にしてしまうか、渇きで死んでしまうか……どちらにしても、時間が残されていないのです」
シックザールとアルメリアは、黙って彼女の話に耳を傾ける。あまりに真剣な態度に、話をしているキミコの方が圧倒されるように汗を垂らしていた。
「どうされましたか、キミコ殿?」
「そうですよ、急に黙り込んで。その話が、君がここで一人で暮らしているのと、何の関係があるんですか?」
「えっ? ああ、すみません」
一つ咳ばらいをし、キミコは話を続けた。
「でも、今回はちょっと酷いですけれど、渇水自体はそんなに珍しいことではないんです。だから日照りが続いた時には、雨を降らせるための備えがあるんです」
「備え? その、備えっていうのは……」喉がゴクリと鳴る。
「そう。生贄です。神様に生贄を捧げることで、雨を降らせてもらうのです。正確には、生贄を捧げることで、雨を降らせる“天女”様を遣わしていただくのです」
何かを得るために、神様や土地などに生贄を捧げる。そのような風習が各地にあることは、彼も知っていた。しかし、その関係者に直に会うことは初めてだった。また、神様が直に願いを聞くのではなく、天女が問題解決に当たるというのも初めて聞く話だった。
「生贄には、一五歳の娘が一人選ばれます。そうして選ばれた娘は“巫女”となり、生贄に捧げられるのです」
「そうか。君、一五歳だったのか」
「ええ、そうですよ。シックザールさんも私と歳が近そうですけど、何歳なんですか?」
「ボクは……そうだね、君と同じくらいだよ。ボクのほうがちょっと年下かな」
「へえ、やっぱり」
本当は生まれて間もないんだけどとは、とても言うことはできなかった。
「そうして選ばれた巫女は、自分の身を清めることで、儀式の準備を整えるのです。それが、私がここで一人暮らしている理由です。“一五の娘は一五の日を一人で暮らすことで、俗世との関わりを断つ”それが、村の儀式の掟です」
「……なるほどね。大体の事情は分かりました。でも、こんな大事な話を、知り合ったばかりのボクたちに話してしまって大丈夫なんですか?」
「確かに大事な話ではありますが、極秘ということでもありませんし。それにお二人は旅人さんだからか、なんだか安心して話しやすいんです。不思議ですよね……」
そこまで言い終えると、キミコの目に涙が溜まり、こぼれた。脈絡のない涙に二人が呆気にとられていると、彼女もやっと、自分が涙を流していることに気が付いた。慌てて涙をぬぐうが、次から次へと、堰が壊れたかのように涙があふれ出てくる。
「あれ? なんだろう? おかしいなぁ……」
手を涙と鼻水で濡らすキミコの横に、これまでずっと黙って話を聞いていたアルメリアが寄り添った。手にはハンカチを持ち、彼女の顔を優しく拭いていく。
「あ……ありがとうございます」
「わたしが思うに」
アルメリアの透明な声がテント内に静かに響く。喉が枯れ、年の割にしゃがれたキミコの声とは全く異なる声質だ。
「キミコ殿は、ご自身が生贄になられることに、不安を抱かれていらっしゃるのではないでしょうか。それを第三者であるわたしたちに語ることで、改めて客観的に、ご自身の状況を再確認した。そうすることで」
そこまで言うと、彼女はキミコに顔を寄せた。
「『生贄になりたくない』その思いが強くなってしまったのではないでしょうか」
「そうなんですか、キミコさん?」
二人の視線を受けて、キミコは言葉を詰まらせる。何度かの嗚咽を繰り返した後、彼女はまっすぐにシックザールを見据えた。真っ赤に充血したその眼に呑まれて、彼は少しのけぞった。
「私は! 逃げたりしません! 私一人の命で何千人何万人の人々の命が救われるのなら、私は本望です! ただ……」
キミコは自分の服で手をぬぐい、正面のシックザールの手を握った。
「教えてください、旅人さん! 私には、別の生き方はできるのでしょうか? 巫女にならず、しかし雨は降らせる。そんな都合のいい方法は無いのでしょうか!?」
彼女の手に力が込められる。シックザールはその手に視線を落とすと、ようやく口を開いた。
「一つだけ訊いていいでしょうか?」
「はい。なんでしょう?」
「その“天女”っていうのは、誰か見たことはあるんですか?」
「えっ。天女様ですか?」
予想していなかった質問なのか、キミコは手を放し、あごに手を当てた。
「正直に言うと、よくわかりません。生贄の儀式には大人と巫女の家族しか立ち会えませんから、私は儀式自体見たことがありません。『天女様を見た』という話は聞いたことがありませんが、遅くとも儀式の翌日には雨が降っていますし、私はいらっしゃると信じていますが……」
「そうですか、わかりました」
シックザールは目を閉じ、考え込むような仕草を始めた。その様子を、彼女はすがるような目で見つめた。膝の上に置かれた小さな手に、自然と力が込められる。
そして彼は目を開けると、笑顔で言い放った。
「君、生贄になりなよ。そうすればボクらも天女様に会えるかもしれないし、そっちのほうが面白そうだ。雨も降るらしいし、『一石二鳥』って言うんだよね、こういうの」
予想だにしていなかった返答だったのか、キミコは時間が止まったかのように停止していた。そして、再び涙が流れ始めた。悲しみと、諦めと、怒りがまじりあい、彼女の細い体を震わせた。少女の痩せた手は、血が滲まんほどに強く握られている。
「お……面白いってなんですか! いくら部外者といっても、言っていいことと悪いことがあるってわかりませんか!? このっ……!」
彼女はついに我慢できなくなり、シックザールにつかみかかろうとした。
バサッ!
唐突に、テントの入り口が開け放された。中にいた三人は、つられてそちらに視線を向けた。
そこには、汗と砂とで汚れた衣服をまとった三人の男が、息を切らせて立っていた。それぞれの手には簡素な槍が握られていた。あまり健康的とは言えない顔ではあったが、そうとう鍛えられているのか、服の上からでもわかるほど筋肉が隆起していた。呼吸をするたびに、厚い胸板がさらに膨らむ。
「キミコ様! 先ほどの悲鳴はいかがなされた!?」
先頭に立っていた、凛々しい顔つきをした男が叫んだ。叫びながらテントの中を見回し、二人の見慣れない人間がいることを発見した。即座に槍を構えなかったのは、その二人が少年と少女の二人組だったからだろう。
その当事者の二人は、顔を寄せ合ってひそひそ話。
「さっきの悲鳴って?」
「おそらく、シックザール様のお着替えの時でしょう」
「ああ、なるほど。それを聞きつけて」
呑気に話す二人をしり目に、その男はキミコが泣きじゃくっているのを見つけた。すぐに傍に寄り彼女から事情を聞き出そうとした。
すると彼女は二人を指さしてこう言った。
「この者は、悪魔の遣いです! すぐに連れて行きなさい!」
「あ、悪魔だと!?」三人の男の視線が、シックザールとアルメリアに突き刺さる。悪魔扱いされた二人は、ただキョトンとしているだけだった。
男たちの動きは素早かった。テントの入り口に残っていた二人は、この闖入者が敵と判断すると、槍を構えながら即座に二人を取り押さえた。あっという間に地面に組み伏せられ、背中に手を回される。
「なんだ。思ったより呆気なかったな」
「オラオラ。さっさとお縄に着け!」
まず、アルメリアの手首に縄が巻かれ、きつく結びつけられた。
「ほら、ガキ。次はお前の番だ。抵抗すんなよ?」
言葉遣いが乱暴な男が、縄を結ぶためにシックザールの腕を強く引っ張った。
ズポッ
「ズポッ?」その男は、自分の手がつかんでいる物を見た。
それは腕だった。子供の腕が、自分の手の中でブラブラとぶら下がっている。血は流れておらず、その断面は白い襞のようになっていた。
「ヒイッ!?」あまりに唐突な出来事と、明らかに人間のものではないその腕に恐怖し、男は乱暴にその腕を放り投げた。
「酷いなあ。人の腕を乱暴に扱わないでよ」シックザールは悲鳴を上げるどころか、ただ不満げに頬を膨らませるだけだった。
「な、なんだよコイツ! 人間じゃねぇぞ!」
「や……やっぱり悪魔なんだ! 儀式の邪魔をしに来たか!?」
「なんでもいい! 早く取り押さえるんだ!」
ひとしきり男たちが騒ぎ立てると、さらに乱暴な手つきで二人を取り押さえた。その様子を、キミコはただ黙って見つめているだけだった。