表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
100万頁のシックザール=ミリオン  作者: 望月 幸
第四章【偽者の国】
39/163

八話【その前と、その後の話】

 ライは貧しい少年だった。毎日の食事に困るほどではなかったが、決して贅沢はできない。そんな家庭で育った。

 ちょうど、両親が遠くの街へ出稼ぎに行っている時だった。ライは十四歳になっており、少しでも豊かな生活を送ろうとアルバイトを始めていた。郵便配達員だった。白い息を吐きながら、彼は街中を駆けまわり、郵便物を届けて回っていた。同じ世代の子供たちが、友達同士で遊び回る姿を横目でにらみながら。

 仕事にも慣れてくると、ライには一つの楽しみができた。それは、郵便物の中身を盗み見ることだった。元々器用なライは、封筒を開けて、それを何もなかったように戻すことができた。何度も行ううちに、その腕前はさらに磨かれていった。

 本来読むべき人物より、何の関係もない自分が先に読んでしまう。その行為に、ライは惨めな優越感を覚えていた。


 そして、その手紙に出会った。封筒の材質、留め具の装飾。どれをとっても、裕福な人間が出したものだと証明していた。極めつけは、その差出人の名前だった。子供のライでも知っている、最近急成長を遂げている運送会社の社長の名前そのものだった。近い将来、馬車の代わりになる“クルマ”を導入するとのことで、業界内から注目されている男だ。

 金持ちはどんな手紙を出すのか。ライは高揚感と劣等感を抱きながら、その封筒の中身を盗み見た。

 その内容は驚くべきものだった。なんと、あの社長に息子がいた。それも、故郷の小さな街で再会しようというものだった。

 しかも、その息子の名前は“アクトル“だった。その名前は知っていた。たまに郵便物を渡しに訪れる孤児院にいる少年だ。いつも孤児院の先輩にいじめられ、無茶な仕事を押し付けられていた。まさか、彼が新興会社社長の息子だったとは。

 なんだよ、あいつも結局、持ってる人間だったのかよ……!

 むしゃくしゃしたライはその手紙を破ろうとした。そうすれば、アクトルは待ち合わせのことなど知らず、孤児院で惨めな生活を続けるのだ。その姿を考えると溜飲が下がった。

 しかし、ふと思った。「この約束を、利用できないか」と。

 ライは、アクトルの顔を思い出した。自分とよく似た、その顔を。実際、孤児院を訪れた時にアクトルと勘違いされたことがあるほどだ。多少輪郭や耳の形などが違ったが、そこに手を加えれば一層見分けはつかなくなる。

 両手でつかんだ手紙を机の上に置くと、ペンを手に取った。


 ライの作戦が始まった。

 正しい待ち合わせ時間と場所をメモすると、手紙の待ち合わせ時間と場所を少しだけずらした。いっそ手紙を破棄してしまうという選択肢もあったが、騙されているとも知らないアクトルを、国立公園の中で凍えさえることを想像して、そちらを選んだ。大して会話もしたことがないアクトルに、次第に憎悪が湧いていた。

 そうして手を加えた手紙を、孤児院の院長に渡した。ここでの郵便物は、一旦院長に渡すルールになっているのだ。

 それを終えると、院長に断って孤児院の中を見学させてもらった。無論、アクトルを探すためだった。

 彼はすぐに見つかった。ちょうど水汲みをしていたところで、いくつもの桶が彼の横に並んでいた。おそらく、他の子供たちから押し付けられたのだろう。しかし、全く同情の気持ちは湧かなかった。

「やあ、アクトル君」

 手を上げて気さくに話しかけると、アクトルはビクッと体を震わせ、小動物のように振り返った。普段から酷い目に遭っていることが伝わってくる。おそらく、いじめっ子からも同じように呼ばれているのだろう。

「え……っと。どちらさまでしたっけ?」

「ライだよ。郵便配達員の。時々ここにも来てるんだけどね」

「ああ、そういえば見たことがあるかも……すみません、忘れていて」

「いや、そんなことはいいんだよ。それより、一つ頼みがあるんだ」

「頼み?」

 その言葉を聞くと、アクトルは体を縮めて、上目遣いでライを見た。なるほど、いじめっ子も“頼み”と称して命令しているのだな。

「実はね、うちの郵便局で孤児院の記事を書くことになったんだ。そこで、君の写真を撮らせてほしいんだ」


 嘘だった。ライは同僚から借りたカメラで、アクトルの顔をできるだけ大きめに撮った。現像した写真には、緊張でガチガチになった彼の顔がくっきり写っていた。変に笑顔を浮かべられるよりは、真顔の方がいい。好都合だった。

 そして郵便局にアルバイトの休暇を申し出た後、アクトルの写真を持って向かった先は病院だった。顔を整形するためだ。整形手術はまだ珍しく、ライのような少年が受けることなど通常ありえなかったが、それまでのアルバイトで稼いだお金を突き出すと、明らかに嫌そうな表情を浮かべながらも仕事してくれた。

 少しだけ顎のあたりに手術跡が残ってしまったが、アクトルと瓜二つになった。よく見れば多少の違いはあるが、ヴァランとアクトルは十年近く会っていないと手紙に書いてあった。実の息子と見分けられるとは思えない。


 そして待ち合わせの前日、“アクトル”になりきったライは馬車に乗った。一つ気がかりだったのは、少年一人だけで街の外に出て大丈夫かという点だった。

 しかし、それについてはすぐに解決した。明らかにこの国の人間ではない、赤い髪の少女を見つけたからだ。旅人なら自分の事情など全く知らないだろうし、騙しやすい。腕が立つならなおさら良い。

 二人分の運賃と食費、宿泊費は痛いが、その後の豊かな生活を考えれば大した問題ではなかった。


 そうして、件の国立公園にたどり着いた。予定通りなら、この後ヴァランが自分を迎えに来てくれる。そして自分は“アクトル”として新たな生活を手に入れるのだ。

 しかし、そこで予想外のことが起きた。ヴァランと思われる男が、先に巨木の下にたどり着いていた。早めに着いたのかなと訝しんで近づいてみると、さらに驚いた。その人物は、孤児院の院長だった。それも、自分を完全にアクトル本人と信じ込んで、後から来たヴァランに身代金を要求し始めた。

 おいおい勘弁してくれよと困惑していると、旅人の少女、アルメリアが短剣を投げた。その切っ先は自分に向いていたが、どういうわけか、突如軌道を変えて背後の院長に命中した。よくわからないが、彼女を拾ったのは正解だった。


 旅人の二人組と別れた後は、新たな父親であるヴァランとコルトの街に向かった。一度も行ったことがない町だったが、想像以上に小さい。しかしヴァランは故郷ということもあり、上機嫌で街中を回っていた。何度か話を振られることもあったが、「ボクはあんまり覚えていないや」とごまかした。そのたび彼は寂しそうな表情を浮かべていたが、こればかりは仕方ない。

(いいんだよ。これから一緒に、楽しい思い出を作っていこうね。新しい、お父さん)


 一通り街を回ると、一軒しかない宿屋に泊まった。寂れた宿屋だったが、ヴァランの顔を見ると宿屋の主人は盛大にサービスしてくれた。この街の英雄だからと。ヴァランが代金を払うと言っても聞かず、食べきれないほどの料理が運ばれてきた。二人は苦笑いを浮かべながら、胃袋を限界まで膨らませた。

 食後は二人で風呂に入ると、一緒の布団の中で語り合った。相変わらず昔話にはついていけなかったが、その後どこでどのような暮らしをするのか、どのような事業を進めていくのか、夜が更けるまで聞かせてくれた。その話は、貧しい生活を送ってきたライには夢物語のようであった。現実感がなく、自分がおとぎ話の主人公になったような気分だった。

 しかし、眠い。これまでの緊張の糸が切れたせいか、単純に旅の疲れか、瞼が重たくて仕方ない。

「なんだ、アクトル。眠いのかい?」

「うん……ちょっと疲れちゃったみたい」

「そうか、気づいてやれなくて悪かったな。私はもう少し起きているが、構わず眠っていなさい」

「うん、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ。良い夢を――」

 枕に頭を沈め、瞼を閉じる。一瞬だけ、本物のアクトルの姿が瞼の裏に写る。あいつは今頃、あの公園に取り残されているのだろうか。

 悪かったな、アクトル。お前の代わりに、俺が幸せになってやるからな――。


「ああ、寒い……」

 布団の中だというのに、妙に寒い。眠ったときは、あんなに暖かかったのに。

 目をこすり、布団から体を起こす。

「……どこだよ、ここ?」

 小さな窓から差し込む弱弱しい光が、部屋の中を照らしていた。ぼんやりとだが、部屋の様子が伺える。

 確か、あの宿は板張りだったはずだ。それが、どうして石造りになっているのだ?

 それに、部屋が妙に広い。その代わりに、何台もの二段ベッドが並んでいる。いくつかのベッドでは、小さい子供たちがまだ眠っていた。すやすやと、静かな寝息を立てている。

「おい、アクトル。いつまで寝てんだよ!」

 ライは二段ベッドの下の段にいたが、その上の段から頭を出した少年が声をかけてきた。年齢は、自分より三つほど上か。それなりに整った顔つきだったが、その眼は妙に鋭い。攻撃的な目だ。

「だ、誰ですか。あなたは?」

「……おいおいアクトルさん。寝ぼけてるんですか~?」

 今度は横から声が聞こえてきた。視線を向けると、五つほど年上の、筋肉質の青年が立っていた。こちらはお世辞にもハンサムとは言えない、泥の中から生まれてきたんじゃないかという顔つきだった。

「ほら、朝の仕事の時間だろうが。いつまで寝てるつもりだよ」

 そう言って、ライの髪の毛を乱暴につかむ。悲鳴を上げるが、口をわしづかみされてうめき声しか出せない。

「馬鹿野郎が。まだガキどもが寝てるだろう。静かにしろや」

「ほらほら。面倒だからさっさと終わらせようぜ~」

 ライは男たちに引っ張られるように連れられた。靴を履いておらず、石の冷たい感触が足元から体を冷やしてくる。身にまとう衣類も妙にボロく、冷気が体を突き刺してくる。

「違う! 違うんだよ! 俺はアクトルじゃないんだよ!」

「はあ? 何言ってんだよ。どこからどう見たってアクトルだろうが」

「お前、頭おかしくなったんじゃないか? それとも、まだ寝ぼけてんのか?」

 二人の男は、馬鹿にしたように笑うだけだった。取り付く島もないとはこのことか。

 そうして、外に連れ出された。そこにあったのは井戸と、桶だった。アクトルの写真を撮った時に置いてあった、あの桶だった。

「“頼み”があるんだけどよ。俺たちはちょっと忙しいから、代わりに水汲みやっといてくれや」




 ヴァランはコルトの街の住民に盛大に見送られながら、街道を南下した。

 その御者台にはもう一人、少年が座っていた。彼は目を輝かせながら、広大な景色を眺めていた。いつも石造りの孤児院で過ごしていた彼にとっては、こんな何でもない風景も宝物なのだろう。

「ねえ、父さん。向こうに馬車が停まってるよ」

「ああ、そうだな。アクトルはここで少し待っていなさい。いいね?」

「うん、わかった!」

 ヴァランは前方の馬車の数メートル手前で自分の馬車を停めると、一人で歩み寄った。

 その馬車の横に、二人の若い男が立っていた。ヴァランが近づくと、かぶっていた帽子を取って恭しく頭を垂れた。

「こちらの仕事は完了しました、社長」二人の男のうち、年上の男が静かに言葉を発した。

「そうか、ご苦労だったな。あの少年には、しばらくあそこで頭を冷やしてもらわないとな」

「社長のご子息を騙ったのですから、当然の報いでしょう」

「とは言え、私も鬼ではない。彼の両親が出稼ぎから帰ってきたら、家に送ってもらう手筈だ。ついでに寄付と、新たな院長を紹介しておいたから、そう悪い扱いはされないだろう」

「さすが、社長は慈悲深い」

「なに、あの少年のためではないさ。彼の両親と、孤児院の子供たちのためだよ」

「あ……あのっ!」

 もう一人、若い方の男が意を決した様子で口を開いた。

「どうして、社長はあの子が偽者だと分かったのでしょうか? 失礼ですが、私には全く同じ顔に見えました。社長ご自身も十年近く会っていないというのに、どうして……!」

 年上の男が肘で若い男を叩く。そして、若い男は慌てて何度も頭を下げる。

 そのやり取りを微笑ましく眺めながら、ヴァランはその質問に答えた。

「当然だろう。我が子を見分けられない親がどこにいる?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ