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100万頁のシックザール=ミリオン  作者: 望月 幸
第四章【偽者の国】
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六話【約束の場所B】

 アルメリアとアクトルはレストランで腹ごしらえを終えると、相変わらず雪の降る外に出た。暖房の効いた室内で過ごしていたため、馬車で移動していた時以上に寒さが厳しい。体の小さなアクトルは寒さにも弱いのか、歯をカタカタと鳴らしている。

「宿はいくつか目星をつけてますから、ボクが案内しますよ。アルメリアさん」

「はい、お願いします」

 アクトルの小さな背中に先導され、アルメリアも歩き出した。

「――ん?」

 地面の雪を踏みしめ、足を止める。

 十字路の角の向こうに、人の姿が消えていった。背丈からして、まだ子供だろうか。体をすっぽり覆う、分厚いマントを着用していた。そして、その髪の毛は金髪に見えた。この国に来てからは、そのような髪色は見たことがない。しかし暗かったため、本当に金髪だったのか、薄めの茶髪だったのかはっきりしない。

「どうしましたか、アルメリアさん?」

「ああ……いね、なんでもありません」

 少し離れたところからアクトルの声が聞こえた。我に返ってそばに駆け寄るが、最後にもう一度だけその十字路を見た。そこには、小さな足跡が残っているだけだった。


 一つ目の宿は満室だったが、二つ目の宿は一部屋だけ空いていた。アクトルは二部屋空いている宿を探そうと提案したが、アルメリアは「ここでいい」と相部屋を希望した。アクトルは「一応、男性と女性だから……」と遠慮していたが、「一緒の部屋の方がアクトルを守れる」と、アルメリアは譲らなかった。アクトルも、アルメリアが構わないのならと了承した。宿屋の主人は渋い顔をしていたが、アクトルが二部屋分の料金を支払うと言うとたちまち相好を崩した。

 ようやく部屋の中で一息つくと、アクトルは浴場へ向かった。アルメリアはシックザールにそうしていたように、アクトルの体を拭いてあげようとついていこうとしたが、それは丁重に断られた。仕方なく、その間に部屋の掃除を済ませ、汚れた荷物を拭いておく。自分のコートも刺青に戻さず、部屋の中に干しておいた。

 アルメリアも女湯で体を流すと、すでにアクトルが戻ってきていた。特にやることも無い上に、翌日も朝早いため二人はさっさとベッドに入った。

 しかし、眠れなかった。アルメリアとしては一時的な主人であるアクトルより先に眠るわけにはいかなかったのだが、肝心のアクトルが寝付けなかった。ずっと馬車で眠っていたのだから、それも仕方ないのかもしれない。

「眠れないのですか、アクトル」

 一度声をかけてみると、布団の中でもぞもぞと動いたのち、アクトルが顔を向けた。子供らしい丸みを帯びた頬に、外の冷たい光が落ちてくる。

「……どうやら、そうみたいです。アルメリアさんは、気にせず先に寝てください」

「いえ、そういうわけにはいきません。わたしは、あなたを守らないといけませんから」

 当然のように放った一言だったが、それを聞いてアクトルはばつが悪そうに微笑んだ。

 失敗したとアルメリアは思った。この子は責任感が強い。かえって、早く眠ることを遠回しに強制してしまった。人間の気持ちを理解したつもりでいたが、まだまだ粗が目立つ。

「――それでしたら、わたしがお手伝いいたします。少し、わたしのことをお話いたします」

 取り繕うように、アルメリアは自分のこれまでの旅のことについて語りだした。話を聞かせているうちに、次第に眠くなってくれればと考えた。流石に別の世界の話だと知られるのも好ましくないので、ある程度は脚色して伝えた。

 少々刺激が強かったかなと、話し終えてからようやく気付いた。そもそも人間ではないシックザールとアルメリアの旅の話なのだから、普通の人間であるアクトルには聞いたことがない展開の連続だろう。

 実際、アクトルは眠くなるどころか、爛々と目を輝かせていた。ああ、また失敗したなとアルメリアは心の中で静かに後悔した。

「すごいよ! アルメリアさんと、シックザールっていう人って、そんなにすごい旅をしていたんですね!」

「ええ、まあ。すみません。眠くなるどころか、目が覚めるような話をしてしまって」

「そんな、謝らないでくださいよ! ああ、そうだ」

 アクトルは枕を引き寄せると、それを抱きかかえるような形でアルメリアに向き合った。

「それじゃあ、次はボクの話をします。結構つまらないとは思いますけど、お返しです」


「ボクたちが向かっているのは、コルトという大陸最北端の小さな街です。そしてそこは、ボクの生まれ故郷らしいです」

「『らしい』というのは?」

「実は、あまりコルトの記憶がないんです。暗い話になっちゃいますけど、ボクの母さんは、ボクが物心つく前に亡くなったらしいです。ボクも酷い病気に罹ってしまって、父さんは全てを投げ打って、ボクの治療費を捻出してくれたらしいです。なんとか病気は治ったんですが、その後は孤児院に預けられ、十年近くそこで暮らしていました」

「そうだったのですか……」

「あっ、そんなに深刻そうな顔しないでください! 確かに、家族に会えなくて寂しく思ったことはありますけれど、不幸だったわけじゃありません。院長さんや職員の人たちは優しかったし、友達だって何人もできました。嫌な奴もいますけど、恵まれていたと思います。それに――」

「それに?」

 アクトルは顔をくしゃっと歪めた。それは、アクトルがアルメリアに見せた一番の笑顔だった。

「それに、父さんから連絡があったんです! もうすぐ迎えに行けるよって!

 実は、コルトに帰るのもそれが目的なんです。コルトの街のはずれに、道に迷っちゃいそうなほど広い国立公園があるんです。その中で、父さんと待ち合わせているんです!」

 そう言って、アクトルは自分の鞄を探り始めた。そして取り出したのは、一つの写真立てだった。

 そこには、一人の男性が写っていた。年齢は四十歳ほどだろうか。髪に白髪が少し混じっているが、きちんと固められた髪は老いより上品さを醸し出している。背筋はピンと伸び、分厚い胸板が張り出している。セーターにジーンズとラフな姿だったが、それなりに地位の高い人物であることが窺い知れた。

「この方は、ひょっとして」

「はいっ、ボクの父さんです! かっこいいでしょ!」

 アクトルが誇らしげに声を上げる。まるで自分自身の栄光を誇っているかのようだった。

「ええ、確かにそうですね。そういえばアクトルにも、お父様の面影がありますよね」

「そうでしょ! ほら、耳の形なんかそっくりなんだよ」

 アクトルが横を向いて髪を除けると、形の良い、大きな耳が露わになった。耳の上が少し尖っており、耳たぶが大きい独特な形だ。確かに写真の男性の耳とよく似ている。

「おや?」アルメリアは目を凝らした。

 耳から顎にかけて、薄っすらと傷跡のようなものが見えた。それを指摘すると、アクトルは照れくさそうに「手術の跡です。かなり薄くなりましたけれど、完全には消えないでしょうね」と答えた。

「アクトル。お父様と再会するのは、楽しみですか?」

「うんっ、もちろんだよ! ふあぁ……」

 元気いっぱい答えたかと思いきや、アクトルは大きくあくびした。

「話しているうちに眠くなっちゃった……。ふわぁ」

「やはり、疲れが残っているのですね。目の下にクマを作ったまま再会するのも良くありませんし、そろそろお休みになられては?」

「そうだね。それじゃあおやすみ。アルメリアさん――」

 アクトルはベッドに体を戻すと、深々と布団にもぐりこんだ。彼が静かに寝息を立て始めたのは、それからすぐ後のことだった。


 翌朝は、やはり雪だった。

 いつもの習慣で、アルメリアはアクトルより先に目を覚ました。アクトルが目を覚ますころには、既に朝の身支度を整えていた。

「……驚きました。孤児院じゃ誰よりも先に目を覚ましているのに」

「わたしも、朝が早いほうですので」

 昨夜のレストランで軽い朝食を食べ、弁当を購入する。

 部屋の中に干してあったコートはほとんど乾いており、それを一気に羽織る。今日も寒さは厳しそうだ。


 二人は荷物をまとめると、朝一のコルト行きの馬車に乗った。他に乗客はおらず、御者は年老いた髭面のお爺さん。目が垂れ、起きているのか眠っているのか見分けがつかない。

 昨日とは打って変わって、何もない、平凡な道程だった。ユキシラカンバの森のような景勝地も無ければ、ユキノメグマに襲われるというアクシデントも無い。大きく違ったことといえば、二人で一緒に雪の丘を眺めながら弁当を食べたことだけだった。

 時折アクトルは街道の先を眺めていた。降雪で視界が悪いため遠くまでは見渡せなかったが、アルメリアの目にはハッキリと見えていた。

 あれがコルトの街。そして、アクトルと父親の約束の地である、国立公園に違いない。


「御者さん、ここでいいです」

 アクトルは年老いた御者の体を引っ張って、耳元に口を寄せて告げた。御者はふがふがと不明瞭な声で応えると馬車を止めた。

 アルメリアとアクトルは御者台に座っていた。コルトが近づいていたからだ。少し先に視線を向ければ、ぽつりぽつりと街の明かりが見える。もう、夜が近い。

 約束の国立公園は街の手前にある。そこを通り過ぎないように御者台に座っていたのだ。

「それじゃあ行こうか」

「ええ、そうですね」

 アクトルはアルメリアの手を引くと、早歩きで先導した。

 基本的に自然が豊かな国なので気が付かなかったが、歩く先にはさらに密集した自然がある。街の横にあるのが不気味に感じられるほど、濃厚な自然の香り。冬の夜だからこそ静かなものだが、これが夏の昼間であれば、コルトを覆いつくしてしまうのではないか。

 濃厚な自然の香りを味わううちに、件の国立公園の入り口に着いた。入り口には分厚い木製の看板が立てられており、そこに白いペンキで「ナチュラ国立公園」と、この国の言葉で書かれていた。他にはシンプルな柵とレンガを並べた道が作られていたが、それが無ければここが公園だとは全く想像もつかない。

 二人は手をつないでいたが、アクトルの手が静かに震えていることに気が付いた。

「寒いのですか?」

「いや、大丈夫です。もうすぐ父さんに会えると思うと……」

 全て言い終わらないうちに、アクトルは足を踏み出した。アルメリアもそれに続く。


 遠くからでもわかっていたことだが、野ざらしの自然を限られた敷地内に濃縮したような、それほどまでに野生の匂いが濃厚な空間だった。脈絡もなく大小様々な植物が根付き、かと思えばゴツゴツした岩だらけの丘がせりあがってくる。遠くを見れば、岩肌がパックリと割れて大量の水が流れ落ちている。

 森も、山も、滝も、荒れ地も、この公園には全てがあるように感じられた。

「これは、すごいですね……」

「そうでしょ! ボクもぼんやりだけど、この景色だけは覚えているんです。昔、父さんや母さんと、一緒に歩いたんだな……って」

 二人は欄干も無い小さな橋を渡った。その足元では小川がちょろちょろと涼しげな音を立てている。

「ほら、あれです! あそこが、ボクと父さんの待ち合わせ場所です!」

 アクトルが指さす先には、桁外れの存在感を発する巨木が鎮座していた。幹は太く、大人が百人手をつないで囲んでも、囲み切れるのかわからない。幹の表面は巨大なネズミにかじられたのではないかと思えるほど無数の亀裂が走り、膨大な年月を経ていることは間違いない。葉は全て落ちてしまっているため、木枝が全て露わになっている。幾重にも重なるように天を衝くその姿は、空をつかみ取ろうとしているかのようだ。

 年老いた老人のようでありながら、その内側には破裂しそうなほどの生命力を湛えているように思えた。

 この巨木は国民にとっても重要なものなのか、その周囲を分厚い金属の柵が囲っている。巨木のサイズ感と比較するとおもちゃのようだが、牛や馬が衝突してもびくともしなさそうだ。

 そして柵をさらに囲むように、太い木材を組み合わせただけのシンプルな無垢材のベンチが並んでいた。

 いくつも並ぶベンチの中に一つだけ、黒い塊が乗っていた。よく見ると、それは人間だった。背格好からして、大人の男性だろうか。二人に背を向け、巨木を眺めるような形でベンチに座っている。

「アクトル。もしかして、あの人が……」

 隣に立っているはずのアクトルがいない。アルメリアが声をかけると同時に、彼は男に向かって駆け出していた。

「父さん! お父さんっ!」

 アクトルは躓きそうになりながら、まっすぐ駆け出した。

 アルメリアはそれを追いかけようとして、やめた。アクトルは何も言わなかったが、赤の他人である自分がその場に立ち会うのは良くない。親子二人の約十年ぶりの再会に、自分の存在は不要だ。だから、その場で見守ることが最善だと判断した。

 やがて、アクトルがベンチにたどり着いた。恐る恐るといった様子で、彼は父親に声をかけていた。

 そして、彼はその場でびくりと体を震わせた。

 くしゃみでもしたのかなと訝しんだが、それが間違いであることはすぐに分かった。

 男は乱暴にアクトルの腕を引っ張って自分に引き寄せた。そして立ち上がり、アルメリアの方に向き返った。

 男の顔は、昨夜アクトルが写真で見せてくれた父親の顔とは、全く異なっていた。顔の皺は深く、くたびれた瞳は鈍い光を放っている。白髪は多く、アクトルの父親より一回りは年上のように見える。この老人は、なんなのだ。

 老人は右手にナイフを持っていた。その刃が、アクトルの細い首筋に当てられている。少し力を入れるだけで、その刃は首の皮を裂くだろう。

「何者ですか、あなたは!」

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