十話【装者対装者】
二人は各々の武器を構えながら、じりじりと闘技台を回るように足を滑らせる。
「ね、ねえ。アルメリア――」
「シックザール様は下がっていてください。あなたを守りながら闘うのは、わたしでも厳しいです」
「う……うん」
闘う術を持たないうえに、相手は腕利きの装者だ。シックザールは隅の方へそそくさと下がり、その闘いを見守ることにした。「アルメリアなら大丈夫だよね。あいつが負けたところなんて、見たことないんだから……」
二人の睨み合いは、リュナの攻撃によって終わりを告げた。
瞬きする時間に、リュナは一息に距離を詰めてアルメリアの体の中心にサーベルを突き出した。
アルメリアは短剣の刃を立て、刃の腹で切っ先を受ける。
その反動を利用してリュナはサーベルを軽く引くと、今度は範囲を広げて乱れ突きを繰り出す。その速さから刃が分裂している錯覚を起こし、さながら巨大な剣山が迫っているようだった。
普通の人間なら最初の一突きで勝負は決まっていた。しかしアルメリアは、一つ一つの突きを見極め、受け止め、躱し、無傷で切り抜けた。
速さでこの娘は斬れない。そう判断したのか、大きく踏み込んで突きから斬撃に移行する。
袈裟に切り上げられた一刀を体を反らして躱す。返す刃で再び斬り付けられるが、それは短剣で受ける。
体勢を立て直そうと横に跳ぶが、それをリュナが追いかける。煌く刃がいくつも翻る。その光の斬撃をアルメリアは軽やかな身のこなしと短剣の捌きで全て受け流す。
そのままで後退を続ければ闘技台の外に落ちる。あと一歩で落下するというところでサーベルを大きく弾く。短剣の刃を歯で挟むと、両手を地面に突いてコマのように体を回転させ、その長くしなやかな足で足払いを仕掛ける。
足元をすくわれたリュナは転倒しそうになるが、宙に浮きながらサーベルを鞘に納め、バク転の要領で後ろに飛びのく。
この間、せいぜい十秒といった程度。
装者と装者の闘いは見る者すべてを魅了していた。人間を超えた剣技と体技が絶え間なく繰り出されるその闘いに、コロシアム全体が目を奪われていた。それまで本能のままに歓声を上げていた観衆も、その闘いの美しさに理性を取り戻していた。
幾度となく響く剣戟の音。
二人の装者から飛び散る汗の粒。
それらは激しい戦いを語ると同時に、神に捧げる舞のような神聖さをも醸し出していた。
同じ舞台に立つシックザールは、観衆たちと同じようにその闘いに魅了されていたが、同時に、自分の無力感を心の底に感じていた。
キィン!
ひときわ大きい音と共に、両者の距離が大きく離れる。シックザールの正面にアルメリアの背中が。そしてアルメリアの正面にリュナが立っていた。二人は体中に汗を浮かべているが、それでも呼吸は荒れていない。どちらにもまだ余力がある。
「さすが装者だな。そんな小さい剣で、よく捌き切る。普通の人間なら、三十回は死んでいるぞ」
「人間たちを相手にいい気になっている男に、わたしは負けません。『井の中の蛙』という言葉をご存知ですか」
リュナが眉根を寄せる。アルメリアが相手を挑発するところなど初めて見た。そして、その効果は大きかったようだ。
「近接戦闘は、武器のリーチが重要だ。お主の短剣の刀身は、せいぜい某のサーベルの四割程度。おおかた、闘いを長引かせて隙を突こうという腹だろうが――」
そうはいかぬ。そう呟いて、リュナは正面にサーベルを構えて突進した。
アルメリアは刃を防ぐことには成功したが、その勢いと対格差から大きく弾かれた。そして突進を続けるリュナの正面には、
「いけない! シックザール様!」
直線上に立っていたシックザールに、その刃が向けられた。リュナはサーベルを構えなおし、さらに加速して距離を詰める。
「うっ、うわっ!」
向けられたその背中に、三日月の剣が振り下ろされた。
「……あれ? なんともない?」
気が付けば、リュナは再び二人から距離を取っていた。シックザールは自分の体を検めるが、どこにも傷はついていない。あのリュナが攻撃をしくじるとは思えないが、実際になんともないのだから拍子抜けしてしまう。
「シ、シックザール様!」
その異変に気が付いたのはアルメリアの方だった。彼女がちょうど頭を指さすので、そのあたりを手で探ってみる。
「……あっ!」
一瞬その変化に気が付かなかったが、何が攻撃されたのか、やっと判明した。
栞だ。まだ肩ぐらいの長さまで残っていた栞が斬られている。
栞が静かに燃え続けている間なら、白本たちはいつでもビブリアに帰ることができる。逆に言えば栞が無くなれば世界間の移動ができなくなる。その実例がリュナだ。
栞は切られても、切られた先から再び燃え始める。そのためすぐに移動ができなくなるわけではないが、残った長さに応じて滞在時間は短くなる。
シックザールの後頭部に結び付けられている栞。その長さは、指の一関節程度にまで短くなっていた。その長さでは、残された滞在時間は長く見積もっても十五分。
「これでどうだ、アルメリアよ? どれだけ体力が続こうと、これでお主は短期決戦を挑むしかなくなった。あらかじめ言っておくが、勝負を放棄してビブリアに帰るなど許さんぞ。その前に、某の刀が白本もろとも細切れにするからな」
アルメリアは努めて表情を変えないようにしていたが、リュナに見えない方の奥歯をかみしめていた。そのなだらかな額に汗が流れる。
「ア、アルメリア……ボクが、きちんと避けなかったから……」
己の失態を悔やんだが、その自責の念に対して、微笑みが返された。
「ご安心ください、シックザール様。わたしが本気を出せば、あのようなならず者、すぐに成敗できますので」
嘘だ。二人の実力差は、おぼろげにだが見えていた。真面目なアルメリアは、最初から全力で闘っていた。しかしリュナには、若干の疲労は見えるが余裕もある。それはおそらく、観客たちの多くもわかっていた。
「お遊びはここまでです。行くぞ!」
赤い髪を振り乱し、今度はアルメリアから攻撃を仕掛けていった。柔軟な体から繰り出される剣術と体術は一見すれば相手を圧倒していたが、明らかに勝負を急いでいる。防戦一方となっているリュナは軽く口を歪めていたが、そのことにも気が付いている気配はない。
「駄目だ! 罠だよ、アルメリア!」
しかし、その言葉は届かない。届いていたとしても、時間がない以上彼女には攻めるしか方法が無かった。
「そうだ! その気迫だ! 某は今、最高に楽しいぞ!」
高笑いを上げながらも、リュナは的確に攻撃を防ぎ、隙を見て反撃を加える。
お互いの体に、徐々に生傷が増えていく。汗と共に、細かい血の飛沫が上がる。互いの気迫と気迫がぶつかり合い、観客たちの熱気も沸騰しそうなほどに温度を増していく。間違いなく、このトワルコロシアムの歴史において最上級の闘いが繰り広げられていた。
嵐と嵐がぶつかり合うようなその闘いに変化が起きたのは約五分後のことだった。
二人とも右手に短剣とサーベルを持っているのだが、リュナの左手が突如背中に回った。そこには、剣に似た形状の刺青が彫られていた。
「気を付けて、アルメリア! そいつ、何かしてくるぞ!」
アルメリアも、リュナの左手が消えたことに気が付いた。慌てて距離を取ろうと後ろに引こうとするが、その動きが止まった。
「某にこれを出させたのは誉めてやろう。だから、終わりだ」
リュナの左手には、櫛のように凸凹の峰を持つ、奇妙な形の短剣が握られていた。その櫛状の部分に、アルメリアの短剣の刀身が絡めとられていた。
「ソードブレイカーといってな。本来はもっと細身の剣を折るのに使うのだが、某が使えば、ほれ、この通り」
リュナは左の手首と腕をクイッと曲げる。すると、
パキンッ――
アルメリアが何より大事にしている短剣、エーデルシュタイン。その刀身が、呆気なく折られてしまった。
アルメリアは剣が折られたことで距離を取ることができた。その右手にはほとんど柄のみになってしまった短剣が、寂しそうに握られていた。
「わたしの……エーデルシュタイン……」
瞬きもせず、折れてしまった短剣を大事そうに両手に持って、ただ 呆然としていた。
このままじゃ危ない! そう思って駆け寄ろうとするが、
「あ……ああぁ…………ぅわあああぁぁぁーーーーッ!」
驚いて、足が止まってしまった。
能面のようにほとんど表情を変えないアルメリア。そのアルメリアが、大粒の涙を流しながら絶叫した。そんな表情を見るのは初めてのことで、ただ狼狽するしかなかった。短剣を折った張本人のリュナでさえ、その様子に目を丸くしていた。
「わたしの、わたしのエーデルシュタインが! あの方からいただいた、エーデルシュタインがっ――」
その言葉を発すると、アルメリアは電池が切れたようにピタリと動きを止めた。
「“あの方”って、誰――?」
アルメリアは一体、何を言っているんだ? 訳が分からないのはシックザールも同様だった。
「事情は分からんが、その娘の心は壊れてしまったようだな」
砂利を踏む音。リュナだ。
先ほどまでの興奮はどこに消えたのか、その眼はガラクタを見るかのように冷めていた。
「やはり、ソードブレイカーなど出すべきではなかったか。せっかく興に乗ってきたというのに、このような形で終わってしまうとはな」
その手にはサーベルが握られている。ぎゅっと力強く握られており、手の甲から腕にかけて血管が盛り上がっていた。
二人との距離は、手を伸ばせば近づくほどの近距離。にも関わらず、アルメリアは短剣を見下ろしているばかりで微動だにしなかった。
「女を斬るのは性に合わないのだが、きちんととどめを刺さないと、観客たちに申し訳ないからな。悪いが、真っ二つになってくれ」
高く掲げられたサーベルが、渾身の力を以って袈裟に振り下ろされた。
「危ないっ!」
叫ぶより先に、シックザールの体が跳んだ。アルメリアの腹を抱え、思い切り体重をかけた。
ゴツンという痛々しい音と共に、彼女の体は横倒しになった。斜めに真っ二つなることは避けられたが、肩から胸にかけて深い傷が刻まれた。
「ああ、良かった……」
一時安堵したが、頬を何か温かいものが伝うのを感じた。掌で拭って見る。
それは、アルメリアの血だった。彼女の髪よりさらに鮮やかな血が、べったりと顔と手についていた。




