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100万頁のシックザール=ミリオン  作者: 望月 幸
第二章【殺戮遊戯の国】
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七話【コロシアムの三日月】

「シックザール坊、最後の出番だ」

 もはや聞きなれた、鉄の扉をノックする音。シックザールはこの国で初めて熟睡していたが、闘いのリズムが出来上がっていたのか、ノックの音と共にすっきり目が覚めた。起こしに来たバルダードから軽い食事をもらい、念のためにストレッチに励む。

「今回は随分念入りだな。“呪い殺しのシックザール”も、さすがに決勝戦は緊張するか?」

「そんなわけないですよ。決勝戦だって、ボクがあっさり勝って、闘技終了です」

 体がほぐれてきたところで部屋を出た。

 部屋を離れる前に、一度だけ振り返る。あの笑顔の男に騙されて連れてこられ、闘技のために監禁されていた部屋。初めのうちこそ居心地が悪く腹立たしかったが、住めば都とでもいうのか、この部屋を離れるのが寂しく感じた。勝っても負けても、もう戻ってくることは無い。

「まあ、勝つけどね」

「何か言ったか?」

「いや、なんでもないです。それじゃあ、そろそろ行きましょうか」

 いつものように手錠をかけられ、バルダードに先導されながら歩き出す。その直後、オルバの部屋の前で止まった。身長の低いシックザールには、室内の様子を見ることはできなかった。

「ねえ、バルダードさん」

「む、どうした?」

「この部屋の人、オルバさんはどうなったんですか?」

「なんだ、やっぱり仲が良かったのかね」

「いや、そういうわけじゃ。それで、どうなんです?」

 バルダードは一度顔を背けると、大きなため息をついた。

「死んだよ。準決勝戦でな。儂はその場にいなかったが、あっという間に決着がついたらしい。オルバもかなりの手練れだったのだがな」

「やっぱり、そうですか」

 それを確認すると、シックザールはゆっくり歩き出した。あわててバルダードも前に出る。オルバの憎まれ口も大いびきも何もない冷たい通路を、二人は口を閉じて歩いた。




 闘技台へ続く階段の前に来た。決勝戦は、決まって夜間に行われるらしい。顔を上げると、切り取られてような星空が見える。まだ闘技者は入場していないというのに、うるさい歓声が地下に届く。

「――なあ、シックザール坊よ」

「なんですか?」

 バルダードは、鉄に覆われた指で自分の頬を掻く。あ~……う~……と、何かを言い淀んでいた。

「何してるんですか?」

「いや、本当はこんなこと許可されていないんだが……これから闘う相手のことを教えてやろうか? お前がこれから闘う相手は、このコロシアムの有名人……もっと言うなら、王者だ。コロシアムの絶対王者。このトワルコロシアムにおいては、優勝以上に、こいつを倒すことの方が名誉とまで言われている」

「これまでの闘技者も、それをわかって闘っていたんですよね?」

「ああ、もちろんだ。ここで闘うのは、一攫千金だとか、人生の大逆転を願うような連中だ。皆納得して闘っているし、勝敗も死も受け入れる。たとえ相手が、最強の闘技者だろうとな」

「そうですか。それを聞いて、決心しました」

 シックザールは階段に足をかける。砂を踏む音がジャリと鳴った。

「それじゃあボクが、全闘技者を代表してそいつを倒します。コロシアムの絶対王者さんを」

「助言もいらないか?」

「必要ないです。向こうも、ボクのことを知らないんですから」

「――そうかい。なら、サクッと倒してくれや!」

 バシバシとシックザールの背中を叩くバルダード。少々痛かったが、それ以上に喝を入れられた。こんな知らない世界の、こんな殺伐とした場所で思いがけない味方ができた。

「よし! 行きます!」

「おうよ! 頑張れよ!」


 シックザールたちの姿が見えると、歓声が倍に膨れ上がった。まるで獣だ。血に飢えた獣が腹を空かせて、放り込まれた餌によだれを垂らすようだ。初戦ほどの陰湿な雰囲気は無いが、やはりこの空気は好きになれない。

 決勝戦だからか、闘技台を囲むように設置された松明の数は倍近く設置されていた。そのため、前列の観客たちの顔が昼間のようによく見える。自ら発する熱気と松明の熱気とが合わさってか、歓声を上げる度に汗を飛ばしている。顔を流れる汗を拭おうともせず、その代わりに腕を振り上げていた。

「さあ! 先に入場してきたのは緑コーナーのシックザールだ!」

 櫓の上の男が拡声器を手に声を張り上げる。

「この展開を、一体誰が想像したでしょうか!? 第一回戦で大男を翻弄し、それ以降は謎の術で対戦相手を葬ってきた謎の少年! その見えない牙は、決勝戦の相手にも通用するのでしょうか!? さあ、奇跡を見せてくれ……“呪い殺しのシックザール”!」

 湧き上がる歓喜の声。しかし、その声の渦の中で、シックザールは冷静だった。決勝戦まで勝ち上がった自信か、この場の空気に慣れてしまったからなのか、自分自身でもわからなかった。

 わからなかったが、しかしはっきりしたことがある。これまで櫓の上に立って、この闘技大会の司会を務めてきたあの男。すっかりキャラが変わっていたので気が付かなかったが、やっとはっきりした。

 あの男こそ、シックザールをコロシアムの地下に招き入れた、あの薄っぺらい笑顔の男だった。


 ――ピリッ――


「えっ?」

 体を軽い電気が走るような感覚に襲われた。それが消えると、今度は寒気に襲われた。体内に血の流れていない白本のシックザールだが、“血の気が引く”という感覚を味わった。ターバンに覆われた頭皮から、汗の滴が一滴流れ落ちる。全身を覆うマントと衣服の下で、体の表面に汗が浮き出てきた。

「な……なんだ、これ?」

 異変が起きていたのはシックザールだけではなかった。

 会場全体が静まり返っている。見えない力で体中を締め付けられているかのように、観客たちは身じろぎすらためらっている。隣に立つバルダードは汗を流しながら直立し、カタカタと甲冑を鳴らしていた。

「コロシアム全体が、何かに怯えている……?」

 そしてシックザールの目の前に、その“何か”が姿を現した。

 それは、たった一人の男だった。ふんわりとした布を、上半身に緩く斜めに纏っていた。ゆったりとしたズボンに、紋様の描かれた腰布が幾重にも巻かれている。

 上半身の肌の露出は大きいが、それを隠すかのように、全身に貴金属のアクセサリーが飾られていた。そして、装者のアルメリアのように、全身に独特の形状の刺青が彫られていた。

 闘技者は必ず手錠を掛けられて、甲冑の男に連れられてやってくる。しかし、その男はたった一人でやってきた。腰には彼の得物なのか、一振りの剣が差さっていた。

 闘技台に上がった男を、松明の光が照らす。髪はオールバックというのか、ごく一部の前髪を残して後ろに撫でつけられている。その髪の色は銀色から薄い水色へとグラデーションを描いており、清涼な河川を思わせる。切れ長で吊り上がった目じり。その眼を覆う、細く長いまつ毛。体つきからして男性であることは間違いないが、まるで男装の麗人かのように中性的な美しい顔つきだった。

 コロシアムの全ての視線が、その男に向かう。男は軽く微笑みながら、その視線をたっぷりと浴びた。そしておもむろに、右手を高く上げた。


 パチン!


 指を鳴らした。たいして大きい音ではないはずなのに、その音は、コロシアムの隅々にまで行き届いたように感じた。

 そして堰が壊れたかのように、大歓声が爆発した。その歓声は空気だけでなく地面をも震わし、まるで天変地異の訪れかのように感じた。手錠で手の自由が利かないシックザールの代わりに、バルダードが彼の両耳をふさぐ。それでも冷たい甲冑の振動を通して歓声が耳に伝わってくるのか、うるさそうに顔をしかめていた。

「洪水だ。人間の声の洪水だ」

 そうつぶやく自分の声も聞こえない。

 一連の出来事にただ流され苦しむシックザールを、男は満足げに眺めていた。これが格の違いだと言わんばかりに。


 ようやく歓声が落ち着いてきたところで、櫓の上の男が拡声器を口に近づけた。

「来た来た来た来たァーーーーッ! 泣く子も黙る、トワルコロシアムの絶対王者の登場だーーーーッ!

 突如彗星のごとく現れ、四年連続で無差別デスマッチの優勝を勝ち取った最強の男! 甘いマスクとは裏腹に、その剣は対戦相手を一瞬の内に血の海に沈めるっ! 皆! 彼の名を呼んでくれッ!」


 リュナッ!

 リュナッ!

 リュナッ!

 リュナッ!


「君臨するのは“三日月の剣士リュナ”! 彼に立ち向かうのは、異端の挑戦者“呪い殺しのシックザール”! この闘い……何が起こるか私にもわからないッ!」

 バルダードが手錠を外し、闘技台の隅に歩く。その太った体を縮込ませて、そそくさとその場を離れた。リュナと呼ばれた剣士から放たれるプレッシャーは、シックザールだけでなくその横に立つバルダードにも影響を与えていた。

 そのプレッシャーをモロに浴びるシックザールは、体の震えが止まらなくなっていた。汗が流れるほどの熱気にも関わらず、氷の中に閉じ込められたかのように空気が冷たい。

 司会の男の横に立っていた二人の女性が、大きく豪奢な旗を手にする。


「それでは始めます! トワルコロシアム開催! 第四十九回無差別デスマッチ決勝戦――闘技開始ィ!」


 二本の旗が大きく振られる。それが、決勝戦の闘いの幕開けを告げた。

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