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100万頁のシックザール=ミリオン  作者: 望月 幸
最終章【ボクたちの国】
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最終話【物語の終わり】

「……何だって?」

 がくりとうなだれたアンサラーが、上目遣いで視線だけ寄越した。すっかり毒を吐き出してしまったのか、その目に力は無い。彼自身、既に自分の命をあきらめていたのかもしれない。

 しかしシックザールには、元々アンサラーの息の根を止める気など無かった。

「聞こえませんでしたか? あなたを見逃すって言ってるんですよ」

「……正気か? 僕はビブリア史上最悪の犯罪者だぞ」

 そう自嘲気味に笑う男に、優しく微笑みかけた。


「だけど、あなたは誰よりもビブリアを愛している」


「……!」目が見開かれる。

「アンサラーさん、あなたは頭のいい人だ。それに求心力もある。能力だってもちろんある。

 あなたなら十分理解したはずです。暴力や恐怖で彼らを支配しようとしても、結局失敗するって。これから生まれてくる“100万ページ“たちは、きっとボクよりも強いでしょうしね」

「……そんなこと、わざわざお前に言われなくてもわかってるさ」

 うなだれていたアンサラーは体を起こすと、今度は背もたれに身をゆだねて天井を見つめ始めた。そのままの状態で独り言のようにつぶやく。

「……じゃあさ、僕はこれからどうすればいいんだろうな。戦っても勝てない。和解なんて永遠に無理だろう。こんな世界で、すべてを失って、今更僕に何ができるっていうんだ?」

「そうですね――」

 シックザールも同じ姿勢になって天井を見つめる。二人の視線の先には、丸テーブルの上の小さな壁掛け照明。それを介して二人の視線が合わさっているようだった。


「ああ、いい考えを思いつきましたよ。

 アンサラーさん。あなたはこれからも、ビブリアの敵でいたらどうですか?」


「どういうことだ?」

「要は、今まで通りでいいんじゃないかってことですよ。あなたはこれからも、この世界からビブリアを監視する。そして少しでも気に入らないことがあれば、また攻め込んでしまえばいい。

 ネイサ姫はビブリアの女王であり管理者ですが、あなたは監視者になるんです」

 その提案を聞いて、アンサラーは思わず噴き出した。

「プッ……アハハ! やはりお前は正気ではないな!

 気に入らなければ攻め込めばいい? そんなもの、戦力さえ残っていれば今すぐにでも乗り込みたいほどだ!」

「いえ、きっとそんな気は起こらないはずですよ」

「何だと?」

「気づきませんでしたか? 幸か不幸か、あなたが起こした騒動のおかげでビブリアの住民たちの心が一つになり始めました。あの国は、これからもっと良くなっていきますよ。それこそ、あなたが余計な手出しをしなくてもいいほどに――」

 言葉を紡ぎながら、シックザールはあの時の光景を思い出した。


 雨の中、仲間の亡骸を運ぶ人々。その中には、忌み嫌われるヴルムたちも、アンサラーによって秘密を暴露されたネイサも含まれていた。傍から見れば異様な光景かもしれないが、アンサラーという共通の敵を前に一つになっていた。

 ビブリアの住民とて馬鹿ではない。たった一つの小さな国という閉鎖空間で、大勢が仲違いを続ければ近いうちに国が崩壊するのは目に見えている。だからこそ彼らは、シックザールのような小さな異物を小さいうちに隔離し、その存在を実質的に消してしまおうとしたのだ。

 アンサラーの策略によって、一時は普通の白本と装者、ヴルム、ネイサという三つの大きな勢力に分かれようとしていた。その亀裂が深くなるか、逆に強固に結びつくか、それは誰にも分らない。しかしシックザールは後者になると信じていた。

 完璧な世界なんてどこにもない。ビブリアも例外ではない。

 しかし、不完全は不幸ではない。混沌カオスの炎のように、清濁入り混じるからこそ新たな世界への扉が開かれることもある。

 ぶつかって、砕けて、削りあって、やがてピタリとくっつき合う。それが数々の世界を旅してきたシックザールが導き出した、理想の世界につながる一つの答えだった。


「なあ、お前もそう思うだろ。アルメリア――」

「ええ、もちろんです。シックザール様――」




「――フン、拍子抜けだな。わざわざ追いかけてきたと思ったら、結局出した答えは現状維持か。それではビブリアの住民たちが納得しないだろうよ。

 さあ、やるならやれよ。お前に見逃してもらうだなんて、今の僕にとっては屈辱以外の何物でもない。さあ!

 ……おい、どうした?」


 シックザールは天井を見上げたまま動かない。

 アルメリアが彼の顔を覗き込む。しばらくそうしていると、彼女の右手が開いたままのまぶたを閉じた。

 ワッと、少女が泣きじゃくる声が部屋中に響き渡る。

 100万ページのシックザール=ミリオンは白紙になった。




 ザッ――

 ザッ――

 ザッ――

 クリーム色の空の下、アルメリアはシャベルで土を掘り続けていた。荒涼としたこの世界では、音は瞬く間に空へ吸い込まれていく。

「その体で大したものだな。さすがエスティエインを倒したねつ造女だ」

「その言い方はやめてください」

「だったら、いい加減涙と鼻水を止めてくれ。せっかく掘った墓穴を汚すつもりか?」

「黙ってください。わたしはシックザール様の遺志を汲んであなたを生かしているだけなんですから。あまり機嫌を損ねないことですね」

「やれやれ……」

 アルメリアは墓穴を掘っていた。墓標が立ち並ぶ林の端に、新しい二つの穴。シックザールとエスティエインの墓穴だ。

 シャベルを握るアルメリアの手は透け始め、黒い文字がうねっているのが見えた。今の彼女はシックザールの能力で生まれた存在なので、その主の命が尽きた今、彼女の存在も希薄になりつつある。これが最期の仕事になるのは間違いない。

「シックザール様、失礼します」

 穴を掘り終えると、冷たくなった自分の主人の体を抱きかかえる。眠っているように穏やかな顔をしばらく見つめると、名残惜しそうにその小さな体を穴の中に収めた。

 足先から土をかぶせ、上半身へ順番に。顔は最後に――土をかぶせた。もう見えない。その後は思いを断ち切るようにせっせと土をかぶせ続けた。

「終わったか? それなら、次はあいつを頼む。僕の痩躯じゃ、あいつの巨体を運ぶのは無理だからな」

 アンサラーが視線で指す先には、玄関前に横たわるエスティエインの姿があった。

「……わたしでいいんですか? あなたのご友人の命を奪った張本人ですよ?」

「『わたしには彼を埋葬する資格など無い』そう言いたいのか? 僕は――きっとあいつも――そんなことはつゆほども気にしない。

 僕を馬鹿にするなよ? 全部知ってるんだからな」

 アルメリアは玄関先でイチリヅカを無駄撃ちした。それはエスティエインのプライドを守るとともに、アンサラーとの信頼関係を配慮しての行動だった。

 しかし、この男は全て見透かしていたようだ。

「さすがは大犯罪者」

「黙れ」

 やれやれと思いながらエスティエインの巨体を担ぐ。おぼろげになってきた自分の体には少し重い。一度はビブリアの存亡をかけて戦った相手だが、粗末に扱うようなまねはしなかった。

「ところで、いいんですか?」アルメリアは土をかぶせながら尋ねた。「ここにも混沌の炎があるということは、薪になる死体も必要になるはずですが」

「ああ、それについては……もういいんだ」

「……そうですか」

 曖昧な返答を怪訝に思いながらも、本人がそう言うならと作業を続けることにした。


「――終わりましたね」

 最後に刃の曲面で土をならして整える。長い時間が経てば、土の中の微生物が彼らの体を分解し、この世界の大地の一部になるはずだ。

「いや、まだ終わりじゃない」

 後はゆっくり消え去るのみだ――そう思っていたアルメリアの耳に、出し抜けにその言葉が飛び込んできた。


「墓穴はもう一つ必要だ。僕の分が」


「……やはり、そうでしたか」

 アルメリアも薄々気が付いていた。この世界で彼と対峙してから、その体に生気を感じられなかった。


 ザッ――

 ザッ――

 ザッ――


 再び土を掘る音が鳴り始める。

「無理もない。普通の白本の何倍も生きてきたんだ。その上、シックザールとの戦いで力を使いすぎた。僕たちを撃退した時点で、実はお前たちの勝ちだったんだよ」

 黙々と掘り進めるアルメリアの横で、アンサラーはこの後自分が入る穴を見つめながらつぶやく。

「その話を聞いて、わたしはあなたを許せなくなりました」

「『わざわざこの世界に来なくてよかったのに』ということか?」

「違います。あなたに、シックザール様との約束を守る気が無かったという点についてです。さっさと白状してくれれば、シックザール様も安心して眠ることができたというのに――」

「なんだ。お前は見た目のわりに、案外鈍いんだな。

 あいつはとっくに、僕の状態なんて気づいていたのさ。なんたって、同じ能力を持った兄弟なんだからな。だからこそ、あんな挑発的な提案をしやがったんだ。ああ、思い出したらまたムカついてきたな……!」

「……何と言いますか」

 アルメリアは手を止めると、アンサラーの顔と、シックザールが眠る墓を見た。

「本当の兄弟でもないのに、似ていますね。負けず嫌いなところが、特に」

 その言葉に返答は無く、しかめ面を見せるだけだった。


 こうして、真新しい墓標が三つ立てられた。アンサラーとエスティエインの墓標は隣同士に、シックザールの墓標はひときわ大きかった。

「安らかに眠ってください。戦いは終わりました」

 胸の前で両手を組み合わせると、目を閉じて静かに黙とうを捧げる。

 風が吹いた。混沌の炎がゴウと大きな音を立てて爆ぜる。この世界全体が、彼らのために上げた泣き声のようにも感じられた。

「シックザール様――わたしもすぐに、あなたの元へ――――」

 体中から黒い文字が糸のようにほどけ、空に吸い込まれていく。彼女の体は向こう側が透けて見えるほどに薄れていた。

 ふわりと彼女の体が揺れる。ゆっくり――ゆっくり倒れた先には茶色く盛り上がった土。その下には自分の主人が永遠の眠りについている。

 体が地面に着いたと同時に、地面に染み込むように消滅した。

 体を構成していた文字の羅列が空に昇っていく。最後の一文が名残惜しそうにくるりと翻ると、空に溶けて消え去った。


 これで、シックザールとアルメリアの物語は終わり。

 誰もいなくなった世界は静かに眠りについた――。







 ギィ――

 扉の隙間から赤い瞳が覗いていた。

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