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100万頁のシックザール=ミリオン  作者: 望月 幸
最終章【ボクたちの国】
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二十九話【エスティエインとの対話】

 真っ白の空間をシックザールとアルメリアが漂う。ここしばらく一人でこの空間を通っていたシックザールにとって、彼女と共に再びここに来られたことには懐かしさを感じずにはいられなかった。

 ただ残念だったのは、繋いだ手の感覚がほとんど感じられないことと、アンサラーとの決着を付けなければならないということだった。前者についてはとっくに受け入れている。しかし後者については、未来のビブリアの命運に関わる。もっとも、そのころには自分という存在はとっくに消え去っているわけだが。

「シックザール様。ひょっとして後悔されているのですか?」

 表情に出ていたのか、アルメリアが心配そうに声をかける。

「そういうわけじゃないよ。ただ、一つぜいたくを言うなら――やっぱり本に成りたかったなぁ」

 すべての白本の最終目標。今となっては、その夢を叶えることは不可能になってしまった。

「おい、そんな顔するなよ。これから大仕事が待ってるっていうのに、縁起が悪いじゃないか」

「う……申し訳ありません」

「それにしても、やっぱりいつもと勝手が違うみたいだな。これはどうやら、ボクの推測も現実味を増してきたぞ」

 真っ白な流れに身をまかせながら自分の後頭部を撫でた。

 通常の異世界間の移動では、この白い空間の中をゆっくり漂っていく。さながら、小川にたゆたう木の葉のようなものだ。

 しかし今回は違う。確かな流れを持って二人の体を別の世界に流し込んでいる。

「アンサラーの奴、こんなスピンを発明していたなんてな。ひょっとしたら、あいつの隠れ家にはまだまだ未知の戦力が残ってるかもしれないぞ?」

「その時は、わたしが全てを蹴散らすのみです」

「期待してるよ――おっと、そろそろ到着みたいだ」

 流れの先から淡い光が見える。卵黄のような柔らかい黄色の光だ。

 二人の手がぎゅっと強く握られる。

「さあ、着地だ」


 雑草だらけの大地に人間大の白い炎が二つ現れる。その中からシックザールとアルメリアが現れると、白い炎はたちまち消えた。

 にもかかわらず、パチパチと炎が爆ぜる音が断続的に鳴っている。

「なるほど。これがアンサラーの作った混沌カオスの炎か」

 それはビブリアにあるのと同じ、真っ白な混沌の炎だった。ビブリアの炎は単純に巨大な炎だが、こちらの炎は竜巻のように渦巻いている。周囲の空気を豪快に吸い込む様は、この世界の創造主であるアンサラーの怒りを体現しているようでもあった。しかし、彼の意志を知った今では、どこか物悲しさすら感じられる。

 奇妙な世界だった。クリーム色の空に目を凝らせば、無数の糸の光沢が見える。繭の中みたいだなと思った。明るいが、今が昼という確信も持てない。時の流れから隔離されたかのような世界だ。

 地平線が妙に近い。おそらく、ビブリアと同じく巨大な大地が宙に浮かんでいるような世界なのだろう。違うのは、ビブリアと比べて小規模であり、温度も湿度も高く不快感があること。

 そして、いくつもの墓標と建物が一つだけあること。アンサラーの居城と思われるが、ネイサの居城ほど堅牢さや威厳は無い。ただの大きな洋館といった外観とも言える。

「人の気配は?」

「――あそこからしか感じられません」

「そうか。行こう」

 水気の乏しい雑草をガサガサと踏み鳴らしながら、二人は居城へと歩を進める。


 居城の周辺には生活の名残が感じられた。広大な畑に、外に放置されたままの農具。井戸の中に小石を落とせば、数秒経ってポチャンと涼しい音が響く。耕されて柔らかくなった土のところどころに、子供サイズの靴跡が残されていた。

 それらを尻目に、居城の正面玄関へと続く緩い坂道を上がっていく。舗装はされていないが、何度も踏み固められた黄土色の地面に草は生えていない。

 おもむろにアルメリアが大きく一歩を踏み出した。

「シックザール様」

「ああ、お出ましだな」

 重厚な扉を塞ぐように、一人の男が座り込んでいた。全身を黒い歪な痣に覆われた、筋肉質の大柄な男。額には一本の太く雄々しい角と、それを挟むように生える四本の短い角。


「……まさか、ここまで追いかけてくるとはな」


 大きな口の奥から響く声は低く重みがある。かすれた声は傷だらけ。

 紛れもなくエスティエインだ。

 黒く塗りつぶされた姿でもなければ、理性もある。風体は大きく変わったが、その声と醸し出される空気感は、ビブリアで剣を交えた時と酷似している。

「よっこいせ……っと」

 シックザールたちを前にして悠然と立ち上がる。肥大した筋肉の壁が扉をすっかり隠してしまった。

「そこをどきなさい。さもなければ、今度こそあなたにとどめを刺します」

 抜き身の宝石剣エーデルシュタインを構え、アルメリアが冷たく威嚇する。

 しかしエスティエインは彼女には目もくれず、シックザールだけを見つめていた。彼の瞳には戦意も生気も感じられなかった。

「なあ、シックザール君。君は、アンサラーを殺しに来たのかな?」

 幽鬼のごときエスティエインが問いかける。

 偽る理由もないのでシックザールは正直に答えることにした。

「いえ、ボクたちは話し合いに来ました。最悪の場合戦うことになるかもしれませんが、なるべくそうならないように努めるつもりです」

「…………そうかい」たっぷり考えた後で、彼はそう返事した。「そういうことなら、中に入るといい」

 無防備に背を向けると、その大きな両手で扉を押し始めた。ぎぎぎと軋みながら立て付けの悪そうな扉は開放された。玄関から冷たい風が吐き出される。

「ほら、開いたよ」

 エスティエインは通りやすいようにと玄関の横に移動し、その場にしゃがみこんでしまった。

「……いいんですか?」

「いいも何も、中に入りたいんだろう? それに、俺が玄関を死守したところで、そこらの窓を破って入ることもできただろう?」

「それはそうですが、あっさり通しちゃっていいんですか? ボクの言葉は嘘で、あなたの親友の息の根を止めてしまうかもしれないんですよ」

「ああ……それもそうか」

 彼は、たった今その可能性に気付いたかのように頭を掻いた。

 そして、脈絡もなく自分の話を始めた。

「俺ってさあ、元々すごく頭が悪かったんだよ。そのうえ臆病でさ、よく近所の白本たちにバカにされてたんだ。ずっと年下の奴に悪口言われることもあったけど、口喧嘩にすら勝てなかったんだ。

 俺がヴルムになって、“脳喰らいのエスティエイン”なんて呼ばれ始めたのも、それが原因だったんだよ。ただ、ちょっとでも頭が良くなればいい。そうすれば、もっとみんなと上手くやっていけるんじゃないかって。結局無理だったんだけどな」

「…………」

「そうだな、確かに君は嘘をついてるのかもしれない。でも、俺は頭が悪いから判断できないんだ。アンサラーが道を示してくれないと、俺は今じゃ何一つ決められない」

「……それじゃあ、あなたはどうしてここでボクらを待ってたんですか?」

「……実はな、俺はアンサラーにこう言われてるんだ。『シックザールたちが来たら、全力で抵抗しろ』ってな。でも、それは無理だ。あいつは戦闘向きじゃないからわからないんだろうが、そこの女の子との力の差は歴然だ。それに、俺の体はもう限界なんだ。戦いなんてできやしない。

 ……ははっ。初めてあいつの言うことに逆らってしまったな」

 自嘲気味に笑うエスティエインの目じりから一筋の涙がこぼれ落ちた。

「さあ、通ってくれ。俺の負けだ」

 わかりました。そう答えて居城の中に入ろうとすると、視界の隅に物騒なものが見えた。

 鈍く黒光りする対物ライフル。アルメリアの手にイチリヅカが握られていた。

「おい、アルメ……」

 彼女を静止するより早く、その銃口が火を噴いた。


 ダァンッ!

 タァンッ!

 ダアァンッ!


 発砲音は全ての銃弾を撃ち尽くすまで続いた。

 シックザールは――おそらくエスティエイン自身も――最後のエスティエインを木っ端微塵にするために撃たれたのだと思った。

 しかし実際は違った。銃弾は地面を穿ち、柱を砕き、壁に穴を開け、屋根を崩しただけだった。

「ど、どうしたんだ? 急に」

 シックザールは自分の両耳に手を当てながら尋ねた。この時ばかりは自分の聴覚が鈍くなっていることに感謝した。

「何も言わず申し訳ありませんでした」そう言いながらイチリヅカを刺青に戻す。「ただ、彼の気持ちを汲んであげたかったのです。立場は違いますが、シックザール様に対するわたしの気持ちと、とてもよく似ていたものですから」

 ……ああ、なるほど。そういうことか。

 エスティエインはまだ合点がいかないのか、ただ目を丸くするだけだった。

「じゃあね、エスティエインさん。アンサラーとの話が済んだら一緒にお茶でも飲みましょうよ。こいつの淹れるお茶は、なかなか美味いんですよ?」

「この世界にもお茶っ葉があればいいのですが」

 軽口をたたきながら入り口を抜ける。

 内部の空気は冷たく、埃っぽい。窓から差し込む光を見れば、塵がふわりと漂うのが目に映った。


 バタン


 荒れた内装に気を取られていると、背後の扉が閉じられた。その直後、ドサッと大きなものが崩れ落ちる音も続いた。

 この世界から一つのぬくもりが消えた音だった。

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