四話【戦闘開始】
「さあ! 五戦目の選手紹介だ! まずは赤コーナー!」
拡声器を持った派手な服の男が左手を上げる。
「異国より、夢を求めて現れたチャレンジャー! その巨体から繰り出されるパワーは、レンガも岩石も容易く打ち砕く! 実は、この五戦目の開始が遅れてしまったのは、興奮する彼を連れてくるのが大変だったからなのです。そんな暴れん坊の彼の呼び名は、“大斧狂いのゴルゴン”!」
その声に応じる様に、ゴルゴンと呼ばれた大男が雄叫びを上げる。その声に共鳴するように、観衆の声が大きく大きくなっていく。それに気を良くしたゴルゴンは、その場でサルのように飛び跳ねた。
「あれ、この声?」
それは昨日地下室に連れていかれた際に聞こえた声に酷似していた。たしか、「可愛い男の子の声だぁ……」と言っていた男だ。
「そして緑コーナーは……なんと幼い少年ではないか!?」
男が右手を上げ、次の選手紹介を始める。「ではないか!?」と言ってはいるが、「これは予想外!」という感情は全くこもっていなかった。
「少年の名はシックザール! 彼もまた、異国からやってきた少年だ! その目的は不明だが、まあ、聞いても仕方がないでしょうな!」
アッハッハと男が哄笑すると、観衆からも笑いの渦が巻き起こった。この場にいる誰もが、シックザールの勝利など考えていない。ただ、力のない少年が、力を持った大男に蹂躙されることを予想していた。いや、むしろ望んでいた。口に出さなくても、その表情があからさまに物語っている。
シックザールは思い切り歯ぎしりしたが、その音は隣に立つ男にすら聞こえていない。会場には、彼をあざ笑うどす黒い空気が沈殿していた。
「さてさて、盛り上がってきたところで、いよいよ闘技開始です」
傍に立っていた甲冑の男が、二人の手錠を外す。ゴルゴンの方は、それに加えて巨大な斧が差し出された。その大きさは、シックザールとほぼ同程度だ。
準備を終えると甲冑の二人はその場を離れ、舞台から離れた位置で直立した。
「それでは両者、トワルコロシアムの名のもとに、正々堂々と闘うように……」
シックザールはオロオロするばかりだが、ゴルゴンは体の正面に斧を構えた。
「トワルコロシアム第四十九回無差別デスマッチ、第一回戦五戦目……闘技開始ィ!」
「オオッオッオオオオーーーーッ」
声にならない声を上げ、ゴルゴンが斧を振りかぶりながら突進してきた。丸腰のシックザールに選択肢は一つしかなかった。
それは避けること。意を決し、シックザールは前方に飛び込んだ。意表を突かれたのか、ゴルゴンは慌てて体の勢いを殺し、急いで斧を振り下ろした。その一撃を、地面を転がりながら間一髪で避けきる。狙いを外した斧は、闘技場の舞台を大きく抉りとった。その破片が離れた観客席まで飛んでいき悲鳴と歓声が上がる。
深くもぐりこんだ斧を引き抜くのに手こずっている間に、シックザールは再び距離を取り、あの石板の内容を思い出した。
そこに記載されていたのは、このコロシアムで毎年開催されるデスマッチのルールだった。しかし、ルールと呼べるような上等な内容ではなかった。その内容を簡単に言えば、
・闘技は一対一でのみ行われる。
・決着方法は、相手を戦闘不能にすることのみ。生死は問わない。
・ギブアップは許されない
・武器の使用は自由。
・大会優勝者には莫大な賞金と、貴族の位が与えられる。
といった程度のものだった。そして闘技から逃げようとしたものには、容赦ない制裁が待っている。ひとたび参加すれば、優勝して栄光を勝ち取るか、敗北して大けが、もしくは命を落とすか……この国での栄光など興味のないシックザールにとって、デメリットしか存在しない闘いだった。
「ええい、ちょこちょこ逃げるでねえ!」
シックザールにとって幸運だったのは、相手がパワー任せの大型の得物を愛用していることだった。人間の体と根本的に異なるシックザールの体は、同程度の体格の人間と比較しても非常に軽い。そして弱点の多いシックザールは、無意識のうちに“危険から回避する”能力を磨いていた。かなり危うくはあるが、空気を切り裂いて襲い掛かる大斧の攻撃を、彼は風に舞う木の葉のように間一髪で避け続けていた。
闘技が長引くにつれて、観客たちからブーイングが飛ぶようになった。しかし、その表情には不満などは無く、むしろ予想外の展開を楽しんでいるように見えた。
次第に、シックザールは理解した。彼らは正確には、残酷なシーンを見たいのではない。ただ、“面白いもの”が見たいのだ。
思えば、穴だらけのルールだ。命を懸けた闘いだというのに、あまりにシンプル過ぎる。おそらくルールを作った人間は、今の闘技の展開のように、予想外の展開が起きるようわざとこのような最低限のルールを設けたのではないか。
「ほんっと、嫌になるよね」
逃げてばかりのシックザールの体に、熱いものが溜まっていく。
白本の本能として、面白いものを見るのは大好きだ。しかし、逆に自分が見世物になるのは気分の良いものではなかった。
「娯楽は好きだけど、提供する側っていうのは苦手だな。命を懸けてだなんて、なおさらだ」
最悪、アルメリアをここに置き去りにして自分だけビブリアに戻るという選択肢もあった。しかし熱気を帯びてくるにしたがって、目の前の大男を、さらには観衆を痛めつけてやりたいという思いがふつふつと湧いてきた。
「オラオラ! よそ見するでねぇっ!」
「……!」
少し気を抜いたところを見逃さず、ゴルゴンが横からシックザールの腹部めがけて、横から斧を薙いだ。「これで真っ二つだぁっ!」
ズルリ!
ふらついたシックザールは、何かに足を取られてその場に尻餅をついた。その頭上を斧が通り過ぎ、切断された髪の毛数本がパラパラと降り注いだ。
「おのれえぃ! 運のいいやつめぇ!」
急いで起き上がると、脱兎のごとく距離を取った。ゴルゴンは体力が無くなってきたのか、その場で呼吸を整えている。
「……そうだ。これが使える」
シックザールの瞳に、勝利へのビジョンが映り込んだ。「うるさい人間共め、いますぐ黙らせてやるからな」
ちょうど闘技台の対角線上に位置するように、シックザールとゴルゴンはお互い睨み合っていた。ゴルゴンも一筋縄ではいかないと踏んだのか、確実に攻撃を当てられるように慎重さを増していた。
観客席からは、相変わらず嬉しそうなブーイングが飛んでいる。中には適当に酒やつまみを食している観客も多く、それが目に入るたびシックザールのいらだちは募った。「可愛い男の子が命がけで闘っているっていうのに、腹が立つよ」そうつぶやいて、ぺろりと舌を出した。
シックザールは、まず大きく息を吸い込んだ。そして両手を口に当てると、ブーイングにも負けない声量でゴルゴンに向かって声を張り上げた。
「ゴルゴンさーーん! ボクに勝てたら、この体を好きにしてくれていいですよーー!」
唐突な発言に、熱気に沸く観衆からもどよめきが起きた。「あの男の子、何を言っているんだ?」「頭でもおかしくなったのかしら?」
しかし、おそらく最も驚いていたのは、ゴルゴンだっただろう。ゴルゴンは斧を強く握りしめ、その場で飛び跳ね始めた。頬を赤く染め、体中の筋肉が盛り上がっていく。
「お……おまっ……お前さんだったのかぁーっ!」
「そうだよ、ボクだよ! ボクの死体でもなんでも、ゴルゴンさんの好きにしていいんですよ!」
闘技開始時の雄叫びで、シックザールはゴルゴンの正体を知った。地下室での発言からして、ゴルゴンは男の子に目が無い。とりわけ、きれいな声を持つ男の子を。
その予想は的中した。これまでごく普通に攻撃してきたのは、シックザールこそが、あの時の声の主だということを知らなかったからだ。実際にシックザールは、闘技が始まってからゴルゴンに聞こえるような声量で言葉を発していない。
ゴルゴンは、おそらくこう思っているはずだ。「あの声の持ち主が、今目の前にいる。しかも、勝てば好きにしていいと言っている……!」
「好きに……好きにっ……好きにしていいだなっ!」
目を血走らせたゴルゴンが、猪のようにまっすぐ突進してきた。それを確認すると、シックザールは少し横に歩いて位置を調節した。それに合わせて、ゴルゴンもまた足を向ける方向を変える。
ズルリ!
「うへっ!?」思い切り前傾姿勢ですっころんだゴルゴンは、斧を手にしたまましたたかに顎を打ち付けた。受け身すら取れず、暗闇に放り込まれたかのように四つん這いでうろたえている。
ゴルゴンの体には、血がべったりと付いていた。しかしそれはゴルゴンの血ではなく、元々闘技台に残っていた血だった。シックザールが足を滑らせたのも、偶然その場に落ちていた血によるものだった。
すでに四戦を終えている闘技台には、それまでに闘っていた闘技者たちの血が残されていた。おそらく、観客を飽きさせないために、スケジュールを詰め込んで闘技を行っているのだろう。まだ乾ききっていない血が残されていた。
それを、シックザールは利用した。自分の存在を餌にゴルゴンを興奮させ、その警戒心を解いた。そして湿り気を帯びた血が最も多く残されている地点にゴルゴンを誘導したのだ。少し足を滑らせるだけでも良かったのだが、想像以上に大きく作戦が実を結んだ。
「おっ、お前は……おでのモン……」
「ごめんなさい、アレ、嘘です」
よろけながらも執念でつかみかかろうとするゴルゴン。その上を飛び越えながら、シックザールは最後の仕上げに入った。
「再上映」
その手に一振りの短剣が握られる。それは、あの甲冑の男たちが腰に差していた短剣だった。
シックザールはそれを数秒見ていただけなので、その短剣は“物語”としてほとんど記憶されていない。そのため再上映しても一瞬で消えてしまう儚い存在だったが、それで十分だった。
シックザールはその短剣を両手で握ると、飛び越える勢いそのままにゴルゴンの首を切り裂いた。その瞬間、短剣は塵のように消え去った。背後では短い悲鳴と、巨体が倒れる音が空しく響いた。
観客たちは静まり返っていた。
「一体どうやって、あの男の首を切り裂いたんだ?」
「あれ? ゴルゴン負けたの?」
「首をパックリやられてるぞ」
「えっ? えっ? どういうこと?」
この展開を受け止められない観客からは、ポツリポツリとそんな声が上がるばかりだった。
人々が呆気にとられる中、甲冑の男たちが歩み寄る。ゴルゴンの傍にしゃがみこむと、頬をはたいたり、手首から脈を取ろうとした。そして、櫓の上の男に向くと、首を横に振った。
男はそれを確認すると、手にした拡声器を口に当て、叫んだ。
「――勝者! 緑コーナーのシックザールゥーーーーッ!」




