二十八話【燃える炎2】
ネイサの言葉は本当だったようだ。
ヴルムの死体はよく燃えた。油に浸したのかと思うほど、一瞬で白い炎が全身に回る。死体を火にくべるヴルムたちも、自分の体にまで燃え広がらないように慎重に作業を進めていた。すぐに人間大にまで炎が大きくなる。
「――何をしている! ボクたちも手伝うんだ!」
ヴルムの死体は約十体と少ない。多少消火剤で湿ってしまったが、それでも何もしないよりはマシだ。シックザールは見物に徹していた人々を扇動し、作業に戻るよう命じる。
もはやヴルムも何もない。「炎を燃やす」という意志の元、彼らは一つになり始めていた。
「ネイサ姫。あなたは、これを狙っていたんですか?」
シックザールはネイサの横に立っていた。近くで見れば、彼女の手も土に汚れていた。自分の手を汚して、死体を掘り起こすのを手伝っていたのだろう。
彼女は、自分の子供たちが一致団結する姿を見て目を細めていた。
「さあな? どのみち、力を合わせなければならなかったのじゃ。私はただ、子供たちの背中を押してやっただけだよ」
その言葉は嬉しそうでもあり、寂しそうでもあった。
そういえば、人間の母親の多くは子供が独り立ちする時に、そのような感情を抱くらしい。シックザールはぼんやりとそんなことを思い出していた。
「すまなかったな、シックザール」
「……えっ?」思いがけない言葉に反応が遅れた。「急にどうされたんですか?」
「――一言お前に誤っておきたいと思っておった。ビブリアを守る兵器として生み出したことを。
アンサラーの言うとおりじゃ。私は結局、自分本位で身勝手な女王。子供たちを愛しているといっても、所詮上っ面だけ。現に、私は磔にされて処刑される寸前じゃった。それがビブリアの国民の総意だったということか……」
そんなことはありません!
昔の自分だったらそう言えたに違いない。しかし、その一言が言えない自分がそこにいた。吹っ切れたつもりだったが、やはり彼女を許せない自分もいまだに存在する。
何も言えなくなったシックザールの背中を叩き、ネイサは一歩踏み出した。
「頃合いじゃ、だいぶ炎が大きくなってきた。そろそろ出発する準備をしておけ。アンサラーに会いに行くんじゃろう?」
「……はい。では、これで失礼します」
これが今生の別れになる。
そう思った瞬間、目の前にある小さな唇を奪っていた。
理由は特に無かった。後になってみれば、自分の爪痕を残したかったからとか、少しでも恨みを晴らしたかったからとか、なんだかんだで慕っていたからとか――いくつか挙げることができるだろう。でも、この時は無意識だった。
一秒にも満たないライトキス。潤んだ唇は少ししょっぱかった。
「さあ、行こうか」
「はい」
既に雨は上がっていた。混沌の炎はシックザールとアルメリアの二人を包み込むほどの大きさを取り戻していた。しかしそれだけでは不十分とのことで、最後の仕上げはネイサ自身が行うらしい。
「アルメリア。ちゃんと栞は結び付けてあるな?」
「はい、もちろんです」
シックザールの後頭部には、アンサラーが付けていた虹色の栞が結びつけられていた。彼がエスティエインに乗って逃げた時、アルメリアの最後の一投で切り落とした栞だ。
白本たちが異世界に行くには栞が必要だが、どの世界に行くのかは完全にランダムだ。しかし今回、アンサラーたちが何度も異世界に移動し、ようやくビブリアを引き当てたとは考えにくい。つまり彼らには狙った世界に移動する術があり、その要となっているのがこの栞だと睨んだのだ。ただの推測でしかないが、シックザールは確かな自信を持っていた。
雨と汗まみれになった人々が固唾を飲んで見守っている。皆声にこそ出さないが、シックザールとアルメリアに自分たちの命運を託している。思えば、死体を運ぶ彼らの姿は祈りにも似ていた。シックザールとて彼らとの間にわだかまりが無いわけではなかったが、「まあ、いいか」と腑に落ちてしまった。
人々の壁の中から小さな影が飛び出した。コピィだ。彼だけは汗だけでなく涙と鼻水まで流している。
「兄ちゃん! 兄ちゃん!」
何度もそう繰り返す。彼にはこの後のことを詳しく話していないが、感受性豊かな子供の本能で察したのかもしれない。これがきっと永遠の別れになると。
「コピィ……」その場にしゃがみ、彼の突進を正面から受け止める。「いつまでもガキだと思ってたけど、随分重くなったな」
「兄ちゃ~んっ!」
「おいおい、大きくなったのは体だけか? そろそろ泣き止んでくれよ」
「ぶ、ぶん……!」
濁り切った声で返事をすると、口を真一文字にぎゅっと結ぶ。依然としてしゃくりあげ、とめどなく涙が流れ出しているが、シックザールはコピィとの最後の会話を始めた。
「お前も白本だろ。だったら、楽しいことも、辛いことも、全部自分の物語として受け止めろ。そうすれば、お前もすぐに立派な白本になれる。いや、案外すぐに本に成れちゃうかもしれないな」
口を開けないのか、うめき声を上げながら首をブンブン前後に振る。
「だからさ、お願いだ。ボクの姿を、最後までその目に焼き付けてくれ。そうしてくれたら、ボクの勇気になるんだからさ」
後ろに控えていたアルメリアがハンカチを差し出す。コピィはそれをひったくるように受け取ると、乱暴に涙をふき取り、全力で鼻水を噴き出す。一瞬にしてぐちゃぐちゃになったハンカチはアルメリアに返されると、そのまま遠くに放り投げられた。
「泣いでないじっ!! 視界明瞭だじっ!!」
シックザールは苦笑しながら、もう一度彼の小さな体を抱いた。愛おしい奴め。
「別れの挨拶は済ませたか?」
「はい。もう大丈夫です」
すべての知人に挨拶するわけにもいかないし、そんなことをしたら決意が鈍ってしまう。ここらが潮時だ。
「いいか、二人とも」ネイサが二人に真剣な眼差しを向ける。「今から私が混沌の炎を異世界につなぐ。長くは持たないのでな。悪いが、早く飛び込んでほしい」
「わかりました」
「承知しました」
自分たちの決意を確信するために寸刻を置かず返事した。
「――では、始めるぞ」
そう言うと、ネイサは自分の手を炎の中に入れた。
栞を付けずに炎の中に入れば、異世界に行けずただ単純に体が燃やされるだけだ。そのルールは混沌の炎を生み出したネイサも例外ではないらしい。彼女の白い腕と白い炎が触れ合うと、その箇所から瞬く間に肌が変色していく。苦悶の表情に周囲からも悲鳴が上がる。
「姫ッ!?」
「どこを見ている! 上を見なさいッ!!」
勢いに押されて上を向く。驚くべきことに、炎の先が見る見るうちに天に伸びていく。細長くうねる炎は天に昇る龍のようでもあった。
「行きましょう、シックザール様!」
「わかってる!」
二人は手をつなぎ、炎の中に飛び込んだ。瞬く間に全身に火が回り、チリチリと体が分解されていく。全身が弾ける感覚と手の中の柔らかい感触は、シックザールが久しく忘れていたものだった。そして、これが最後になる。
次第に白く薄れていく景色の中で、あの憎たらしい顔を見つけた。
なんだ、あいつ。コピィと同じような顔をしやがって。
シックザールは悩んだ。この距離では声も届かないし、何を言えばいいのかも思いつかない。でも、何かしないといけないよなと。
――んべっ。
あっかんべーと舌を出す。
どうだ、シャイニー! やっぱり、お前なんかよりボクのほうが凄かったな!
これ以上ない勝ち逃げ。シックザールがビブリアで最後に成し遂げたのは、そんなくだらないことだった。




