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100万頁のシックザール=ミリオン  作者: 望月 幸
最終章【ボクたちの国】
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二十二話【シックザール最後の戦いへ】

 黒い翼を羽ばたかせ、シックザールはいまだに煙がくすぶり続ける街の上を飛翔していた。

「感じる……この方角に大きな気配がある」

 メルマドーレと戦っていた時から、街の方角に“何か”がいると感じていた。その気配は今街を離れ、南に向かっていることも何となく感じることができた。あとは見えない引力に引き寄せられるように、その方角に向かってただひたすらに飛ぶだけだった。

 飛びながら顎を引く。自分の胸元に視線を落とせば、その部分には染みが付いていた。先ほどシャイニーと再会した時、彼女が自分の胸元で泣いて付いた涙と鼻水だった。

「初めてだったな。あいつがあんなに泣きじゃくってるのを見るのは」

 あのプライドの塊のようなシャイニーが、よりにもよって大嫌いな自分に弱みを見せる。それはいまだに信じられないことだった。それだけの緊急事態がビブリアに発生している。


 この先、今までにない大きな戦いが待っている。そう確信しながら、自分でも驚くほどに冷静だった。

 以前女王蟻と戦った際、正気を失うほどに力を解放して敵を蹂躙した。今でもその時のことをはっきり思い出すことはできないが、再び強大な敵が立ちふさがることになれば、またあの時のように怒りの炎に焼け尽くされるものだと思っていた。しかしその兆候は表れない。

「ああ、そうか……なんとなくわかってきた。ボクは怖いんだな」

 今から戦う敵はただ強いだけではない。因縁の相手と言えるような、そんな存在だ。加えて「ビブリアの新たな王になる」という確固たる意志を持っている。

 もちろん、この国を蹂躙されたことに熱い怒りを感じてはいる。しかし、とめどなく押し寄せる恐怖が怒りを冷却し、得も言われぬ不安となって蓄積するのだ。

「勝てるのかな……ボクは、あいつに」

 シックザールが空を見上げる。

 空には巨大なスクリーンが浮かんでいる。そのスクリーンの中では、自分と同じ金色の髪と能力を持つ男が戦っていた。仲間たちの屍を乗り越え、ただ自由を手に入れるために手にした御旗を振り上げる。あのアンサラーと戦うということは、彼の中で煮えたぎる野心を正面から受け止めるということだ。

 勝てるのか?

 何度自問しても答えは出ないまま、その映像は終わってしまった。




「…………見えてきた」

 ビブリア南部に広がる広大な草原。その先に目を向ければネイサの居城があるのだが、その手前に人だかりが見えた。千人……いや、数千人はいるのか。ビブリアの人口の約半分がその場に集結しているように見えた。一か所にこれだけの人数が集まることは決して無いが、それにしても生気が無い。透明な重圧が彼らの頭上にのしかかっていた。

「あれはッ!?」

 シックザールは目を見張った。

 人々の輪の中心、そこに巨人を従える一人の男が立っていた。

 間違いない。かつてネイサに反旗を翻し、自分の夢の中にまで現れたあの男。そして幾度となく夢の中で自分の背中を追いかけてきたあの巨人。その実体を目の当たりにして総毛立った。体の中で無数の虫がうごめき、体表まで突き破ってきそうな……それほどの嫌悪感が全身を駆け巡った。

 それだけではない。あろうことか、ネイサが十字架に磔にされていた。ただ処刑を待つばかりのその姿に姫としての威厳は無く、ただ無抵抗な少女のように見えた。

「なんてことをッ!」

 拮抗していた怒りと恐怖だが、その瞬間怒りがわずかに上回った。翼で強く空気を打つと、一気に加速して輪の中央へ突進した。


 なんだ、あれは!?

 シックザール! シックザールの奴が来たぞ!

 ネイサ様を助けに来たの!?


 息を吹き返したように無数の声が上がる。シックザールは微かに安堵した。この人たちの多くは、ネイサが処刑されることを本心では望んでいないのだ。

 それにも関わらず口をふさいでいたのは、輪の中心にいる元凶のせいに他ならない。巨人は目じりを吊り上げ、金髪の男は含みのある笑みを浮かべている。

「無事ですか!?」

 黒い翼を折りたたみながら、ネイサを守るように十字架の前に降り立つ。

「シックザール、お前……」

「話は後です!」

 余裕など無い。

 自分を見つめるアンサラーの目は、意外にもぬくもりを感じる。その視線に不気味さを感じながらも、視線を逸らすことができなかった。

「初めまして、シックザール。君とは初めて会う感じがしないね」

「ボクもそうですよ。不本意ながら」

 やはり違和感がある。

 このアンサラーは、ビブリアの守護者たる自分にとって間違いなく敵だ。胸の奥の本能も同じことを叫んでいる。それなのに拳を振り上げることを躊躇してしまう。

「僕の弟」と、夢の中でアンサラーは言っていた。

 今ならその意味がわかる。彼にとって、すべての“ビブリアの守護者”は弟のような存在なのだ。

 だからどうしたと、心の中で思い切りかぶりを振った。


「シックザール。君は一体、ここへ何をしに来たのかな?」

「わかりきったことを訊かないでください。ネイサ姫と、みんなを守りに来たんですよ」

「そうか?」アンサラーが目を細めて首をかしげる。「本当にそうなのかい?」

「何が言いたいんですか?」

「言うまでもない。君もあの映像を見ただろう?」

「……もちろん。嫌でも視界に入りましたから」

「ならばわかるはずだ。本当に倒すべきは誰なのか」

「…………」

「そう、ネイサ姫だ! この女はいたずらに命を生み出し、そして我欲のために消費していく。親だから許される? そんなことはない! すべての白本と装者はこの女の手から自由を取り戻さなくてはいけない!

 シックザール! お前も僕も、歴代の守護者たちも一番の被害者なのだぞ? 他の白本たちは、数百ページの物語を身に刻めば一応は達成感という名の幸福が手に入る。しかし僕たちは、十万ないし百万のページを刻まなければならない! 誰よりも過酷な宿命を背負わされているのだぞ!」

 アンサラーの右手がシックザールに差し出される。

「――僕はこれからネイサ姫を処刑し、エスティエインを新たな王に据える。僕の貧弱な体では、この世界を支える負荷に耐えられないからな。

 シックザールよ。僕と一緒に新王エスティエインを支えてくれないか? 偽りの世界を塗り替え、白本と装者による自治を実現するんだ。さあ!」


 シックザールはアンサラーの強い視線を正面から浴びながら、彼の熱弁をただ聞いていた。

 彼の言葉に嘘偽りは無いと確信していた。「厄介な相手シックザールとの戦いを避けたい」という本音もあるのだろうが、ただの建前というわけでもなさそうだ。

 この手の手合いには、こちらも本気で臨まなければ意味がない。そう判断し、嘘偽りない回答を返すことを決断した。


「ボクはあなたたちの仲間になるつもりはありません」


 毅然とした態度で言い放つ。

 アンサラーは一瞬眉をひそめると、元の柔和な表情に戻した。

「……理由を聞かせてもらってもいいかな?」

「……正直に言えば、あなたの言うことは理解も共感もできます。何も知らず、ネイサ姫をただ妄信していた自分が恥ずかしく思えるくらいです。そうですね。恨んでいるといっても過言ではありません」

「それなら、なぜ僕の誘いを断る? 君の感情の赴くままに、共にネイサ姫の統治を打ち崩そうではないか」

「だから、それはできません。ボクがあなたたちに手を貸せば、きっとあいつが落胆しますから」

「あいつとは――」顎に手を触れてかしげる。「――まさか、あの装者のことか? しかし僕が知る限り、彼女とはしばらく前に別れたはず。何を気にすることがある?」

「あれ、ボクたちのことを見ている割に知らなかったんですね。ボクって意外と、世間体を気にするタイプなんですよ。たとえあいつが別の世界にいたとしても……あいつがガッカリするようなことなんてできないんです」

「…………」

「理解できませんか?」

「いや、そうでもないよ。僕とて最初は、誰に求められるでもなく白本たちの解放を目指したんだ。それも結局は、その場にいない不特定多数のための行動だったといえる。

 しかし残念だ。そうなると、僕たちは戦うことになってしまうだろう。君に勝算はあるのか?」

「さあ? やってみないとわかりませんね」

「……最後にもう一度訊きたい。僕たちの仲間にならないか? それが無理なら、せめておとなしくしていてくれないか?」

「言ったでしょう? そんなことしたら、ボクはあいつに愛想尽かされるんですよ。ボクがこの国を守る理由なんて、ただそれだけです」

「……ハハッ! まさか、そんな理由で交渉決裂するとはね!」

 アンサラーは腹を抱えて笑い、その笑い声がピタリと止んだ。


「それならお前も死ね。愚かな末弟よ」

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