十九話【ネイサの目的】
シガツツイタチ
オキタ。
「……何だ、これ?」
アンサラーは首をひねった。あまりにシンプルで要領を得ない。
「シガツツイタチ……日付だよな? ビブリアの日付じゃないけど、どこか別の国なのかな。『オキタ』っていうのは『起きた』ってことだよね」
白本の基本的な技能として、たいていの文字は読むことができる。しかしネイサの日記は単純な読みづらさのため、理解するのに時間がかかりそうだった。
気を取り直して次のページをめくる。
シガツフツカ
オヤニアッタ。
ワタシノシメイオシエラレタ。
「『私の使命教えられた』か。ネイサ様の使命って何だ?」
アンサラーたちにとって、ネイサは使命を帯びるのではなく与える側だ。
「たぶん、ネイサ様を起こした人と、使命を教えたという人は同一人物なんだな。しかも、ネイサ様より偉い可能性がある……人とは限らないけど」
一体何者だ? そして、使命とは何なんだ? その疑問がさらにページをめくらせる。
四ガツ三カ
チャップマンカラ一冊ノ本
モラッタ。
チャップマン「ハジメテノオシゴトダ。ソノ本ヲ読ンデミナサイ」メーレーシタ。
ワタシ読ンダ。
読ンダアト、チャップマンニ本ノナイヨウヲイウヨウメーレーサレタ。
ワタシ一字一句マチガエズコタエタ。
チャップマンマンゾクソウダッタ。
「『チャップマン』か。この人がネイサ様を起こしたんだな。それにしても、本を読ませて何がしたかったんだろう?」
日記の文字数と漢字が増えてきた。それはまるで、小さな子供が言葉を習得していくようにも見えた。いや、実際にそうだったのかもしれない。ネイサは学習しているのだ。
四月四日
昨日ト同ジコトヲ命令サレタ。
今日ハ、チャップマンノ家ニアル本ヲデキルカギリ読ムヨウ言ワレタ。
本ノデータハ全部パソコンニ入ッテルカラ、アクセススレバスグ読メル。
データハ全部デ829冊。
ワタシ230冊読ンダ。
モチロン、本ノ内容全部覚エテル。
「一日に230冊!?」
驚異的なスピードだ。しかも、その内容をすべて覚えているとは。アンサラーも速読と記憶力には自信があるが、ネイサと比べれば足元にも及ばない。
「それにしても『パソコン』って何だろう? ここに秘密があるのかな」
四月五日
昨日ノ残りノ599冊を読みオエタ。
時間が余ったカラ、チャップマンとおしゃべりシタ。
チャップマンは、何度も首をかしげてイタ。どうやら、ワタシの言葉が聞き取りづらいラシイ。
明日はメンテナンスすることにナッタ。
チャップマンに「人間にとっての手術だから、怖いカイ?」と訊かれたケレド、ワタシは手術の経験もナイシ、想像もデキナイ。「怖い」という感情モよくワカラナイ。
「メンテナンス? 機械とか、コンピュータとかの調整をする言葉だよね。でも、ネイサ様はちゃんと実体があるんだし……」
なんだかわからなくなってきたぞ? 答えを求めてページをめくる。
四月七日
メンテナンスのため、一日空いてしまった。
チャップマンによるメンテナンスは無事に終了した。その結果、私の言語機能の改善とさらなる記憶容量の増加が果たされた。これで、使命を果たすための下準備がさらに効率的になるだろう。
しかし、肝心の部分は改善できなかったようだ。こうして日記を書く分には良いのだが、音声として言葉を発するとカタコトになってしまう。チャップマン曰く
「儂の勉強不足じゃ、すまんな。お前さんが流暢にしゃべれるようになるには、ただ本を読むだけでなく、実際に多くの言葉を交わさなければならないようじゃ。かといって、儂のような年寄りとばかり会話していては、お前さんの口調もジジ臭く偏ってしまう。これについては、彼に任せるほか無いな」
とのこと。
「怖い」という感情はわからなかったけれど、「悔しい」という感情は理解できた気がする。こんなにたくさんの本を所蔵できたのに、話すことはままならないなんて。
ここまでくると、初日とは比較にならないほど流暢な言葉になっていた。
「この日記の言葉と、僕の知るネイサ様の口調は全然違うな。何だか、すごい違和感」
まるで別人だが、誰も知らない彼女の一面を垣間見たようで若干の興奮も覚える。
四月八日
この日はチャップマンのパソコンではなく、インターネットに接続して情報収集を開始した。
インターネットの世界は面白い。良くも悪くも混沌だ。今までの本には無かった粗野な言葉や、信頼性の低そうな情報、年齢も性別も国籍もごちゃ混ぜの人間たちが言葉を交わす。ただ情報を集めるだけでなく、その中から信頼できる情報を素早く精査し取捨選択することが今日の課題なのだと理解した。
それにしても疲れた。明日も同じことをするらしいけれど、その翌日は丸一日休めるらしい。頑張ろう
四月十一日
気が付いたら、私は引越ししていた。今まではチャップマンのパソコンの中に入っていたけれど、今はSDカードの中に入っている。同封されていたチャップマンからのテキストデータによると、私はスマートフォンのアプリの形になり、こちらに移されたらしい。そして「しっかり役目を果たすのだぞ」と、別れの言葉も添えられていた。
この中からは外の様子が全くわからないので、少し寂しく感じる。だけどこれは、いよいよ私が使命を果たす時が来たということを意味していた。
頑張らないと。
「SDカード……? スマートフォン?」
ここまで来ると、知らない単語ばかりでいよいよ頭が追い付かない。考えても仕方ないと割り切ってページをめくる。
四月十三日
この日の夜、私はついに“彼”に出会った。名前を訊いたら、すぐに答えてくれた。間違いない、私がこれから仕えるべき青年の名前だった。
私がこれまで数々の本やインターネットから情報を集めてきたのは、ひとえに彼の能力を活かすためだ。今の私の所蔵には、古今東西あらゆる妖怪・魔物の類の名前や特徴が保管されている。彼の能力には対象の名前が必要不可欠なのだから。
私は自分の所蔵に自信を持っている。不安があるとするなら、私の言語機能のバグと、彼の頼りなさだろうか。
「“彼”って誰だろう?」
ここに来て新たな人物が現れた。どうやらチャップマンもネイサも“彼”のために動いていたらしい。
それ以降の日記は、ネイサと“彼”との戦いの日々が書かれていた。ネイサは時に自分の活躍を誇り、時に落胆し、時に“彼”との交流を楽しんだり……鮮やかな日常が刻まれていた。
読んでいるうちに、アンサラーは一つの傾向を感じ取った。はじめのうちこそネイサは自分の使命に関することに傾倒していたが、次第に“彼”に関する内容が多く占めるようになっていた。
彼女の感情を一言で定義するならば「恋」というものかもしれない。恋などしたこともないアンサラーも、胸の奥が熱くなるのを感じていた。
いつの間にか残りページが少なくなっていた。アンサラーが開いているページが最後の日記だった。
私は今、おそらく最後になるであろう戦いに向かっている。仮にこの戦いに勝利しても、敗北しても、私はきっと彼と別れなければならない。なぜなら私は、あの親子の戦いの結末を見守るために生まれてきたのだから。今更それを回避しようなどと虫のいいことは考えたりしない。
しかし、私は思う。産みと育ての親であるチャップマンには感謝しているが、やはり私は、こんなプログラムではなく実体を持った一人の女の子として存在したかった。それならきっと、彼と自然な言葉で会話を交わすことも、直に触れあうこともできたはず。私の声も指先も、画面の向こうの彼には正しく伝わらない。それが酷くもどかしいのだ。
この日記もおそらく最後になる。だから最後くらい、私の思いのたけを書きなぐっても良いだろう。
私は人間になりたい。そして、一人の女の子として彼に会いたい。
アンサラーは思わず日記を閉じた。のどがカラカラに乾き、呼吸が荒くなっていた。
人間になりたい? ネイサ様が? 人間の男に会うために?
頭の中を整理させるために、日記を自室の机に置くとすぐに布団の中にもぐりこんだ。目を閉じても眠気はやってこず、ようやく眠りについたころには空が白んでいた。




