三話【地下室のシックザール】
男に連れられて向かった先は、ベンチの背後に鎮座していた、鳥の巣型の建物だった。
「観光地って、ここですか? この建物なら、ボクも元々行く予定でしたけれど」
「まあまあ、焦らないで焦らないで」
男はニコニコとしながら、あまり語らずシックザールを連れて歩いた。常に絶やさないその笑顔は、まるで笑顔の仮面を張り付けているかのようだった。しかし敵意のようなものは感じられず、ついついその後を追ってしまった。
大きく円形を描くその建物を、カーブに沿って歩いていく。柱の隙間から中の様子が垣間見える。しかし外側からは、簡素な観客席のような、段差のようなものがいくつも連なっているだけだった。
「ほら、シックザール君……だったっけ? こっちだよ」
前方を歩いていた男が、建物の壁際に近づいていく。そこには「関係者以外立ち入り禁止」の張り紙が貼られていた。
「見てのとおり、ここには関係者しか入れない。そして、私は関係者でね。ここに入ることを許されているんだよ」
「ボクがここに入って大丈夫なんですか?」
「ああ、構わないよ。君は、私のお客さんだからね。言うなれば、君はとっくに“関係者”なのだよ」
そういって、より一層にこやかな笑みを浮かべる。目が閉じられ、顔に皺が刻まれる。
「さあ、私のお話より、もっと面白いものがこの先にあるよ」
「本当ですか? 早く入りましょう、早く!」
ワクワクしながら、男と共に分厚い鉄の扉を通り抜けた。そして男は、忘れずに扉の鍵を三つほど閉めていった。
「ここはね、あの建物の地下なんだよ」
男が言う通り、扉の先は下りの階段になっていた。その階段の先は、細い通路になっていた。通路もまた石造りになっており、気をつけて歩かないと足を滑らせて転びそうになる。
通路を歩いていくと、シックザールはいくつもの鉄格子があることに気が付いた。数十メートル歩いたら、鉄格子。また数十メートル歩いたら、また鉄格子。その鉄格子に前にするたび、男は手にした鍵束から鍵を選び出し、解錠と施錠を繰り返した。
驚くべきは、その速さだった。男は鍵束を複数持っており、鍵の数は合計で何十本と束ねられていた。その中から迷わず一本一本取り出す時間は、三秒もかからない。
「随分早いんですね」
「ん? ああ、まあね。何度もやっているから、体が勝手に動くんですよ」
「それで、面白いものはいつ見られるんですか? ボク、お腹が減ってるんですけど」
その言葉を聞くと、男の体が再びピクリと動く。男は少し申し訳なさそうな表情になっていたが、やはり笑顔だった。
「それは、気が付かなくてすみませんでした。それでしたら、予定を変更してお食事にしましょうか」
「えっ。ご飯も用意してくれるんですか?」
「もちろんです。それどころか、お部屋もご用意いたしますよ」
「へえ~。随分サービスがいいんですね」
「もちろんです。私たちは、人々の笑顔のために働いていますからね」
“私たち”というからには、この男以外にもこの場所で働いているのだろう。しかしその割に、他の人の気配は感じられない。
「さあ、こっちですよ」
再び男に先導されて、シックザールは鉄格子の向こうへ歩いて行った。
「さあ、お待たせしました。長いこと歩かせてしまって申し訳ありませんね」
そうして到着したのは、一枚の扉の前だった。扉の上部は格子状になっており、シックザールは身長が足りなくて不可能だが、室内の様子が見られるようになっている。その通路には、全く同じ形の扉がいくつも並んでいた。
男は滑らかな動作で鍵を開けて、扉を押しながら中に誘導した。中に入ったシックザールは、首を回して部屋の中を見回した。石造りという点は相変わらずとして、とにかくその部屋は殺風景だった。
室内にあるのは、ボロボロの布団が敷かれたベッド、仕切りも何もないトイレ、小さなテーブルとその上に置かれたランプ。ただそれだけだった。じめじめして、悪臭が鼻を突く。
「……なにこれ。これが客室?」
どういうことですかと振り返った瞬間、扉が閉められた。そしてほぼ同時に、扉の鍵が閉められる。石に覆われた室内に、カチャリと冷たい音が響いた。
「おじさん? ねえ、おじさんってば!」
扉にとびかかり、上部の格子部分にしがみつく。すると、扉の向こうの男と目が合った。天井の照明を背後に背負う男の顔には、濃い影が落ちていた。
「おじさん! なんですか、この部屋は!?」
「おや、このお部屋はお気に召しませんでしたか? ですが、ご安心ください。ほんの数日……早ければ、明日にでもこのお部屋を出ることができますので」
「明日でも嫌です! すぐに出してください!」
「ああ、そういえばお腹が空いていたんですよね。少々お待ちください」
「ねえってば!」
その叫びを背中に受けながら、男は鉄格子の向こうへ消えていった。
「うるせえぞクソガキ!」
「エッヘッヘッヘ……可愛い男の子の声だぁ……」
「ゴフッ! ゴウフッ!」
「ヒッ!?」立ち去る男の代わりに、下卑た声が返ってきた。それは、通路に並んでいた扉の奥から聞こえてくるものだと分かった。隣の部屋には、得体のしれない肥えた獣じみた人間が入っていたのだ。
「ごっ、ごめんなさい!」
シックザールは扉から離れると、オンボロのベッドにもぐりこんだ。扉の向こうからは、卑しい笑い声が漏れてきていた。
ずっとそうしていると、ガチャンと音がした。音の元に首を向けると、扉の横に郵便受けのような横長の小さい蓋が付いていた。そこから、プレートに乗った料理が差し出された。それが台の上に乗せられると、手はするりと蓋の向こうへ逃げていった。
「一応、食べ物はくれるんだね」
きっと残飯のようなものだろうと高を括っていたが、以外にも飲食店で出てきてもおかしくないような普通の料理だった。ただ、妙に肉類の割合が多い。試しに少し舐めてみるが、見た目通りに美味しかった。
「なんだか複雑な気分だな」
仕方なく部屋の隅に置かれたテーブルにプレートを置き、もそもそと食事をとった。
「よう、クソガキ。ここの食事は美味えだろ」
ちょうど食べ終わったところで、隣の部屋から声が届いた。先ほど「うるせえぞクソガキ!」と悪態をついていた、野太い声の男だ。関わり合いになると面倒だと思いシックザールは無視を決め込んだが、
「おい、クソガキ! 聞いてんのか? ああん!?」
「おいコラ! 無視すんなよ!」
「おーい。寝ちまったのかー?」
「おいおい……返事くらいしろよ……」
「うっ……ぐすっ…………」
なんだか罪悪感が湧いてきたので、そろそろ返事してあげることにした。
「なんですか? さっきからうるさいですよ」
「おっ、おおっ!? ざっけんじゃねえぞ、クソガキ!」
憎まれ口を叩きながらも、どこか嬉しそうなその声に、シックザールは「やっぱりめんどくさいな」とちょっと後悔した。しかし、思っていたよりは悪い人間ではなさそうだった。
「オレの名前はオルバって言うんだ。短い付き合いだが、よろしくな。クソガキ」
「クソガキじゃありません。シックザールって言います」
「おお、シックザールか。変わった名前だな。お前も外国人か」
「まあ、そんなところです」
「ふうん。っていうと、何も知らずに旅行に来て、運悪くここに運び込まれたってトコか。まあ、毎年そういう“枠”はあるからな。今回はお前ってことか」
「ちょっとちょっと。勝手に自分だけ納得しないでくださいよ。ボクはここに来たばかりで、何が何だかわからないんですよ」
「だろうな。だから、親切で声をかけてやったってのによ……」
大きなため息が聞こえる。なんとなく、途方に暮れる体長二メートルを超える熊の姿が想像された。
「部屋の奥の壁に、石板がはめられてる。そこにランプがあるだろ? 文字が読めるなら、それを読むのが早い」
促されるままに、ランプを持って部屋の奥を照らしてみた。確かに壁面の中央に、文字が刻まれた石板が埋まっていた。白本はあらゆる世界の言語を理解できるため、その文字を読むことは容易かった。
「……なんですか、これ?」
「読み終わったか? それが、この場所のルールだ」
シックザールは、小さい握りこぶしでその石板を思い切り叩いた。
どれだけ時間が経ったかわからない。いつの間にか眠っていたのだから、夜が更け、朝になったのかもしれない。
シックザールは、乱暴なノックで目を覚ました。ボロボロの布団はクッション性も無く、体が痛い。
ランプの灯が消えてほとんど真っ暗になっていた室内に光が差し込んだ。シックザールを閉じ込めていた扉が開かれたのだ。そこに立っていたのは昨日の男ではなく、甲冑を着た太った男だった。腰には長剣と短剣がそれぞれ一振りずつ携えられている。
「シックザールだな。表に出ろ」
シンプルな言葉だが、有無を言わさぬ迫力があった。仕方なく言われたとおりに部屋から出ると、すぐさま後ろ手に手錠をかけられた。そのまま連行されるように、長い通路を歩いていく。
「頑張れよ、クソガキ」
オルバの部屋の前を通るときに声をかけられたが、とても返事できる気分ではなかった。
通路を抜け、階段を上がっていくと、随分久しぶりに感じられる日光が降り注ぐ。しかし、降り注いだのは日の光だけではなかった。
オオオオォォォォーーーーッ!
大歓声。それも、おそらく何百……いや、何千という人間の声だ。
すり鉢状の、鳥の巣のような建物。その斜面を埋め尽くすように、大勢の人間がひしめき合っている。十代前半ぐらいの子供から、しわくちゃの老人まで。男も女も、手を振り上げて興奮しきっている。目を凝らせば、彼らの口から飛び出す叫び声が目に見えそうだ。
シックザールの体が震える。それは大観衆の声によるものであり、彼の中から溢れる恐怖によるものでもあった。
すり鉢の底に当たる部分には、正方形の舞台が用意されていた。太った男と共に、数段のステップを踏んで、その舞台に上がった。
視線を上げると、その舞台の反対側に同じ甲冑を身に纏った男が立っていた。そしてその男の背後に、同じように手錠をかけられた男が立っていた。
舞台の上に四人がそろった瞬間、場内が静まり返った。観衆たちの視線を追うと、シックザールの左側に櫓が建っていて、そこに派手な服を着た男が立っていた。男の手には拡声器のようなものが大事そうに握られていた。
そしておもむろに、その拡声器を口元に持っていく。
「皆さま、大変長らくお待たせいたしました!」
男の力強い声が、場内の空気を震わせる。
「ただいまより、栄えあるトワルコロシアム開催! 第四十九回無差別デスマッチ第一回戦、五戦目を開始いたします!」




