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100万頁のシックザール=ミリオン  作者: 望月 幸
最終章【ボクたちの国】
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十六話【ネグロの未来2】

「――で、この先どうするの?」

 シャイニーが気を取り直して問いかける。その時ネグロは雨を背に受けながら走っていた。

「とりあえず、逃げる。このままでは戦えない」

「……ごめん」

「気に病むことはない。むしろ、君が傲岸不遜な態度でいてくれないと、俺のやる気が削がれてしまう」

「もうちょっと言い方あるでしょ」そう言って傘の持ち手でネグロの頭をコツンと叩く。「で! どうする気なのかしら!?」

「そうそう、そんな感じで頼む」

 ようやくネグロの口元にわずかな笑みが浮かんだ。

「この道は覚えているだろう?」

「……あっ! そういうこと?」

「そうだ。この先に俺のバギーが停めてある。あれなら巨人の脚でも追いつけないし、街から奴らを遠ざけることができる。まだ街の近くには避難した白本たちが残っているからな」

 ネグロの作戦。それは逃げることだった。

 逃げる前に三人の装者たちに増援を呼んでくるように頼んだ。勝てるかどうかはわからない……それでも、無力な装者たちを巻き込まないで済む。少なくとも、今ここにある危機を多くの人たちに伝えることができる。アンサラーたちはネグロを狙っているのだから、その眼は必ずこちらに向く。

 問題は逃げきれるかどうかだ。

 後ろからは巨大な足音が近づいてくる。振り返る余裕もないが、ちょうどつかず離れずといった距離感を保っている。速さが拮抗しているのか、それとも向こうが合わせているのか。いずれにしても、今できることはバギーまで全力で足を動かすだけだ。


「ほらほら! もっと速く走りなよ!」


 ネグロの気勢を削ぐように後ろからアンサラーの嘲笑う声が聞こえる。続いて、後ろから細かい瓦礫が散弾のように背中を打ち付ける。おそらく、エスティエインが地面を蹴って飛ばしているのだ。しかし構っている余裕などない。歯を食いしばって耐えるのみだ。


「なんだ、無視かい? 寂しいなあ」

 微塵も寂しそうではない、楽しそうな声だった。

「良いことを教えてやるよ、ネグロさん。ほら、その女の子。シャイニーちゃんを手放しなよ。両手が塞がってちゃ、いくらあなたでも逃げ切ることなんてできませんよ?」


 悪魔のささやき。視線が自然と腕の中のシャイニーに向けられる。

 彼女はネグロの腕の中でレインコートを着ているところだった。抱きかかえられているうえに傘を差しているので、なかなか思うように着ることができない。

 ハッと視線が衝突する。彼女の目は震えていた。「まさか見捨てるの?」とおびえているようでもあったし、逆に「ワタシはやっぱり邪魔者?」と謝罪しているようにも見える。

「真に受けるな」

 ネグロは笑顔で答えた。

「君のようなじゃじゃ馬、見捨てるならとっくに見捨てている。そうだな、具体的に言うと初対面の時に門前払いしてただろうな」

 さすがに殴られるかな? そう思っていたが、彼女は目を細めて顔をほころばせていた。わずかに動いた口は「ありがと」と言っているようにも見えたが、ただの見間違いだったのかもしれない。


 ほら――走――――誰も来な――諦め――見捨てな――――


 依然として後ろからはアンサラーの耳障りな声が聞こえる。しかし、その声は薄もやの向こうから聞こえるようにぼんやりとしたものに変わっていた。

 俺の体力も限界なのか? そう思ったが、すぐに違うと理解した。

 俺は心底、この子を守りたいと思っているんだ。それが答えだった。

 特殊な境遇に置かれ、長い間独りぼっちだった。心を許せる相手もおらず、ただ孤高の存在でいることを強いられていた。

 そんな二人が出会い、主人と従者になった。孤高の二人は「孤」ではなくなり、やがてシックザールという対等の相手とも知り合った。そして今、新たな世代の装者たちは自分の存在を受け入れてくれる。その輪はきっと、これからも広がっていくことだろう。

 ネグロにとって、シャイニーは「未来」そのものだった。彼女といれば、かつて鉛色だった自分の未来は鮮やかな光を放ち始める。彼女を手放すことは、自分の未来を手放すことになる。そう考えると、自分の腕の中にある少女の何と重いことか。

「ネグロ、痛いってば」

「……ん、そうか? すまなかった」

「まったく、こんな時にボンヤリするなっての!」

 いつの間にか力が入っていたようだ。ようやくシャイニーはレインコートを着終えたところで、両手で持ち手を握りながら頬を膨らませていた。その頬に付いた水滴を指で拭ってやる。

「よく頑張ったな。ほら、もう少しだぞ」

 アンサラーの能力によって作られた雨雲は追尾してくるのか、いつまで走っても豪雨から逃れられない。景色は白く不明瞭になっているが、前方に待ち望んでいたものが見えてくる。街まで乗ってきたバギーのモスグリーンの車体。雨の向こうで主人の帰りを待ちわびていた。

「いいか、シャイニー」ネグロはポケットからバギーのキーを取り出した。「隣で見てたから、やり方はわかるな? 君がエンジンをかけて走らせるんだ」

「なっ、何言ってんのよ!? 急にそんなこと!」

「仕方ないだろう。後ろからアレが迫ってるんだからな。俺が足止めするほかない。さあ、降ろすぞ」

 ネグロはわずかにスピードを落としてシャイニーを降ろした。シャイニーはバランスを崩して転びそうになるが、ぐっと足をこらえて踏ん張った。

「さすがだ」そう言うと、ネグロは振り向きざまに大剣を振り上げた。その剣身で背後に迫っていたエスティエインの拳を弾く。走りながらも背後の気配を探っていたのだ。

「ヒュウ、さすがネグロ。驚嘆するよ」

「やはり、そう簡単には逃がしてくれないというわけか」

 再び巨人の拳の応酬が始まる。一撃一撃が巨大な鉄槌のようなその攻撃を、ネグロは渾身の力でことごとく弾いていった。背後にはシャイニーとバギー。自分が一度でもしくじれば、その瞬間主人と逃げる脚を失うことになる。それは事実上の敗北であり、この国の最期でもある。

 一瞬だけ、肩越しに背後を見やる。レインコートを着て傘を差しているとはいえ、この豪雨。シャイニーは自分が濡れないようにするのに必死で、なかなかバギーに乗り込むことができない。乗り込めたとしても、傘を差しながら初めての車の運転が果たして可能なのか……ネグロは切れそうになる集中力をつなぐのに必死だった。

 耳の奥に雨の音と、再び悪魔のささやきが聞こえ始める。


「そのおもちゃで逃げる気かい? なるほど、確かに乗れればエスティエインの脚では追いつけないかもしれない。乗れればね! そんなか弱い女の子に自分の命運を託さず、物陰に隠れながら逃げてみてはどうかな? そうだよ、自分の主人を犠牲にするんだよ」


 なおも攻撃は続く。一撃――二撃――もはや数えるのも面倒になる。

 剣を振るいながらネグロは奥歯をかみしめていた。

 こちらは必至だというのに、相手はただもてあそんでいるだけだ。明らかに手を抜き、攻撃を受けさせている。エスティエインの巨体が全力で拳を振るえば、二人と一台は簡単に粉砕される。上から拳を振り下ろせばあっけなく潰される。それをしないのは、ネグロの心が折れるのを待っているからだ。

 悔しい……が、幸運でもある。相手が強大とはいえ、油断していればつけ入る隙はあるはずだ。

「シャイニー! まだか!?」

「ちょっと、急かさないで……!」

 剣の柄から伝わる振動で、手の感覚はほとんど失われている。目をつぶれば、自分が柄を握っているのもわからなくなりそうだ。手の力が使えない以上、代わりに全身の筋肉を連動させ、さながら一つの岩の塊になる。

 攻撃を受けるたび筋肉が悲鳴を上げる。内臓が揺れて吐きそうになる。肌にまとわりつく水滴が弾け飛ぶ。


 未来だ――未来なんだ――

 俺の未来なんだ――この子は!

 動け動け動き続けろ! 俺の体!!

 俺の未来を! あの子の未来を! この国の未来を!

 守れるはずだ……そうだろう! 生きる伝説と称されるネグロよ!!




 ドルルルルルル――!

 エンジン音が聞こえる。ずいぶん長く感じたが、ようやくシャイニーはやり終えたのだ。後は隙を見て自分も乗り込み、アクセル全開でこの場を離れる。連中を引き付けることができればなお良い。

「ネグロ……」

 しかし、シャイニーの声は暗く沈んでいる。ようやく逃げる算段ができたのだから、もう少し明るく喜んでもいいのでは。そう思わずにいられなかった。

 ネグロはその場にくずおれていた。片足は潰れ、二度と動きそうにないことは誰に目にも明らかだった。残された手足は痙攣し、体の自由は利かない。体は限界を超えて崩壊を始めていた。

「ネグロッ!」

 バギーから飛び出して駆け寄る。傘を放り出し、レインコートをバチバチと雨粒が叩く。手足や首の隙間に雨粒が入り込むが気にしない。雨に濡れて徐々に痺れ出した手で、仰向けに倒れるネグロの上半身を抱きかかえた。息はしている。しかし虫の息だ。いつ呼吸が止まってもおかしくない。

「良い装者だった」

 二人の元にアンサラーが歩み寄ってきた。パチンと指を鳴らすと、頭上の雨雲は黒いもやになり、一瞬にして霧散してしまった。残ったのは濡れた街と大きな水たまりだけだ。

「装者は得てして忠誠心が強い……とはいうものの、彼のそれは異常なほどだった。ひょっとしたら、彼も彼で何か抱えるものがあったのかもしれない。僕の装者の中に一人でもネグロのような者がいれば、この国に絶望せずに済んだかもしれないな」

「ワタシを……ワタシたちをどうするつもり……?」

 消え入りそうな声でシャイニーは尋ねた。

「まず一つ安心して欲しいが、お前をどうこうするつもりはない。あくまで、ネグロを大人しくさせるための人質にするだけだったからな。彼の不屈の心に敬意を表して、この場は去るとしよう」

「この国の人たちは?」

「それは、彼ら次第だ。誤解しないでほしいが、僕たちは別にこの国を滅ぼしに来たわけじゃない。この国の新たな王として統治しなおすだけだ。ただし、反抗されればその時は……」

 アンサラーはシャイニーに微笑みかける。逆光で暗くなった彼の笑顔は、悪魔の冷笑だった。シャイニーは震えることすらできなかった。

 後ろに控えていたエスティエインが身じろぎする。その目は街のはずれ、多くの白本や装者が避難した方向に向けられていた。

「待たせて悪かったね、エスティエイン。今戻るよ」

 アンサラーは踵を返すと、差し出された巨人の手のひらに乗り込んだ。

「じゃあね、シャイニーちゃんにネグロさん。全てが終わるまで、その場でじっとしているといい。ここからは大詰めだから、邪魔されたくないのさ」

 足音だけを残して巨人の背中が遠ざかっていく。しかし足音よりも、ネグロのか細い呼吸にしか意識が向かなかった。

「ネグロ……起きなさいよ……ワタシが命令してるでしょ…………」

 ネグロの声は帰ってこなかった。

 シックザールが駆け付けたのは、およそ三十分後のことだった。

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