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100万頁のシックザール=ミリオン  作者: 望月 幸
最終章【ボクたちの国】
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十五話【ネグロの未来1】

 白く整った顔に浮かぶ邪悪な笑み。ネグロは悪寒を感じ、他の装者たちも同じ感じがしたのだろう、一斉にその場から離れた。

 その時、黒い帯のような物が伸びた。それはエスティエインの体のあちこちから伸びていき、宙に跳んだ装者たちの体を一瞬のうちに絡め取った。ぬるりと粘つき、無数の吸盤がびっしりとついたそれは、間違いなくイカの触手だった。

 それだけではない。エスティエインの腹には、いつの間にか巨大な口が作られていた。周囲がギザついた円形の口は、まさにイカの口。十人の装者を捕らえた十本の触手が口に吸い寄せられていく。

「ネグロさんッ!」

 ハッとした。いつまでも泡を食っている場合ではない。奴は過去の物語を“再上映”したのだ!

「離せ! 化け物!」

 大剣を振り回し手近な腕を斬ろうとする。しかしイカの触手は鞭のようにしなると刃を容易く躱し、絡め取った装者の体をネグロにぶつけた。

「ぐおっ!?」

「うわぁっ!」

 バランスを崩したネグロは足場にしていた肩の上から転げ落ちそうになる。剣を突き刺すことでどうにか持ちこたえた。

 ちょうど左の鎖骨の下あたり。その場所でネグロは、今まで共に戦っていた装者たちが腹の中へ食われていく光景を目の当たりにした。絶望の表情を見せる装者たちの顔は涙に濡れ、その手は助けを求めてネグロに伸びていた。実際にネグロは彼らを救い出そうとしたが、動き出す前に彼らの体は腹の中に消えた。少しして腹の中から出てきた触手の先には、人の姿は無かった。

 食べられた。


「さて、次は……」

 頭頂部のアンサラーが視線を右下に向ける。そこには、ネグロに付き従っていた三人の装者が残っていた。それぞれ剣を構えてはいるが、もはや戦意を喪失しているのは明らかだった。今にも取り落としそうに手先が震えている。

「腕が十本だから食われるのも十人だけ――そう考えてはいないよな? そんなわけがあるか。あの船で食われた人数は少なくとも三十人だぞ」

 エスティエインの全身から生える黒い十本の触手。それらは自我を持ったようにぐねぐねと動き、三人を品定めするかのように首をもたげていた。

「さ、食べてしまえ」

 その一言で触手が殺到する。真っ直ぐ貫く触手もあれば、大きく外側を旋回して逃げ道を塞ぐ触手もある。仮に三人の体の震えが無かったとしても逃げ出すことは不可能と思われる。


「ゥオオォォォォォォーーーーーーーーーーッッ!!」


 ネグロの咆哮が壊れた街に鳴り響く。

 猛り狂うネグロの剣は触手を斬り裂いていった。

 一本、二本――若い装者の体に巻き付く触手を斬る。

 三本、四本――上から振り下ろされた触手を叩き切る。

 五本、六本――横薙ぎを跳んで躱し、すれ違いざまに切断する。

 七本、八本――一人の装者が捕らわれて口に運ばれていく。投石で怯んだところをすかさず袈裟に斬る。

 九本、十本――隙が生じたネグロの体を二本の触手が打ち付ける。血を吐きながらも、自分を弄ぶ触手をズタズタに斬り付けた。


「ネグロさん!」

「すいません。俺ら、力不足で……ネグロさんに迷惑かけて……」

 かろうじて三人は無事だった。ネグロに駆け寄って声を掛けるが、その姿も声もぼんやりとしか届かない。それほど疲労は大きく、耳の奥ではドッドッと血液が流れる音がうるさく響く。

「気に……するな。それよりも、お前たちは……」


「――いや、驚いた」

 パチパチとアンサラーが手を叩く。称賛の拍手だった。

「さすがネグロだ。お前のことは評価していたが、まさか僕の物語を克服してしまうとはね。いや、参ったよ」

「フン、白々しい……。俺には、参ったという表情には見えないのだがね」

「さあ、それはどうかな? 少なくとも僕は、また汚い作戦に手を染めなければならないという屈辱を味わっているところさ。これ以上、お前一人のために時間と物語を浪費したくは無いのでね」

 汚い作戦? その意味がわかりかねていたネグロだったが、アンサラーの目が街角の一角に止まっていることでようやく悟った。その目は戦いの陰に隠れるシャイニーを映していた。

 しまった! そう思った時には、アンサラーの体が再び発光していた。体の表面がペラペラとめくられ始める。


「僕が三十九番目に訪れた国の話だ。その国は異常気象が頻発する国で、もはや異常なのか通常なのかわからなくなっていたらしい。原因は急速な科学技術の発展とそれに伴う環境汚染だったが、僕にはどうでもいいことだった。空気が汚れていたのは嫌だったがね。

 しかし、とりわけ酷かったのが豪雨だよ。何の前触れもなく訪れる雨雲は局地的に大雨を降らせるのでね。予報を見ても当てにならない。おかげで、おちおち外出することもできなかったよ」


 アンサラーの視線が空に向けられる。つい先ほどまで、空には大火事による煙が薄く広がっていた。時間が経って晴れ間が見え始めていたが、そこに黒い雨雲が浮かんでいた。決して大きくはない――しかし、その雨雲はシャイニーの真上にあった。彼女は口を開けてその雲を見上げている。

「隠れろシャイニーッ!」

 叫びながら急いで駆け寄る。隠れろとは言ったものの、彼女の周囲には崩れ落ちてただの瓦礫に変貌した建物しか存在しない。あの雨雲から身を隠せる場所などないのだ。彼女自身もそれをわかっているようで、ただその場を右往左往するばかりだった。

 ポツリ。

 ネグロの鼻先に雨のしずくが落ちる。頬に、首筋にも落ちてくる。雨脚は急激に早くなり、走るネグロの耳にもしとしとという雨の音が届き始める。

 多くの世界では恵みの雨も、装者にとっては何ということのない雨も、白本にとっては毒になる。中でも電子タイプであるシャイニーにとっては致命的な毒になりかねない。

「ネグロ……!」

「俺のところに来い!」

 駆け寄るシャイニーを抱き留め、自分の刺青から傘を実体化させる。シャイニーのお気に入りの真っ黒な傘だ。縁は贅沢にフリルをあしらっており、内側は夜空のような紺色のグラデーションと星々の光が散りばめられている。

「持っててくれ! これだけじゃ耐え切れないだろう、レインコートも出す」

「う、うん!」

 戸惑いながらもシャイニーは傘の持ち手を握る。たいていの場合、傘を持つのはネグロの役目だった。

 彼女が両手でしっかり握るのを確認すると、ネグロは雨雲から逃げるように駆け出した。後ろからはアンサラーとエスティエインが嘲笑う声が聞こえるが、構っている余裕などない。

 くそっ! 確かに効果的だな! 認めたくはないが認めるしかない。シャイニーの存在はこの戦場において最大の弱点だった。自分の主人をそう思ってしまったことに嫌気が差した。

 シャイニーも同じことを感じ取ったのかもしれない。ネグロが抱きかかえられた彼女の顔を見下ろすと、目を伏せて視線をそらした。動かない唇からは「足手まといになってごめん」という声が聞こえた気がした。

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