八話【狂乱するメルマドーレ】
この子たちは手下などではない! 愛する我が子たちよ!
翅の震えによる怒号は大きくなる。森全体を鳴動させ、その怒りを伝えていた。
「クィッドさん! 耳が……体中が痛いよ!」
「よく聞こえねえけど! 俺も同じ意見だ!」
隣に立っているにも関わらず会話が成り立たない。このまま一分もいれば失神しかねない。
意を決して二人は反撃に出た。コピィは馬上鞭を振り回して蜂を追い払った。クィッドはソードブレイカーの短い剣身を振り回して少しずつ数を減らしていく。
やめ――ろ! 私――子供たちに――手――出すな!
蜂の統制が乱れたためか、メルマドーレの怒りが頂点に達したためか、声が断続的なものに変化する。
会話用なのか大半の蜂は木に止まったままだったが、一部の蜂がついに襲い掛かってきた。それでも千を超えるほどの大群。
「やっべぇ……!」
「クィッドさん!」
全方位からの攻撃に、片腕しか動かせないクィッドは窮地に立たされた。
そんなクィッドを守るように、コピィは彼の背後に立って馬上鞭を振るった。防護服の耐久性はまだ健在で、何十という蜂に刺されてもビクともしない。
「本当は、俺がお前を守る立場なんだけどな」
「黙って手を動かしてください!」
「はいはい、コピィ様」
二人が武器を振るう度、蜂の死骸が山を築いていく。ギリギリの防戦ではあったが、かろうじて凌いでいる。少しでも集中を切らせば片方が倒れ、もう片方も自動的に倒れる。
僕の体力が無くなったら、クィッドさんが死ぬ!
俺の腕が上がらなくなったら、コピィが孤立しちまう!
二人は一心同体となって、ただ腕を振るう。
幸いだったのは、蜂の動きが単調なことだ。細かい制御が利かないのか、蜂の飛翔能力の限界なのか、ほぼ決まったルートで飛んでくる。二人はそのことを体で感じ、蜂を叩き落す度に体が効率的に動くようになる。だからこそ、体力を消耗しながらも耐え続けることができた。
このままなら本当に勝てるのでは? そう考える余裕も生まれ始めたが、メルマドーレは禁断の一手を講じた。
構わぬ――燃やせ! 森を焼き――払っ――しまえ!
二人を襲っていた蜂が距離を取る。そして、周辺の木々に可燃性の毒液を噴射し、顎を鳴らして火をつけ始めた。取り囲むように火の手が上がる。
「やべえ! 一旦ここから離れるぞ!」
「はい!」
火と火の隙間を潜り抜ける。
しかし、相手はおびただしい数の蜂。二人を囲む火の輪は分厚く、走っても走っても火の手が先回りしている。ついには逃げ道を完全にふさがれてしまった。
「おい、メルマドーレ! こんなことしたら、お前も、大事な子供たちもタダじゃすまねえだろ!」
炎の爆ぜる音と蜂の減少によって小さくなっていたが、かろうじてメルマドーレの声が聞こえてくる。
敵の心配とは甘い男ですわ。心配ご無用――私はこの程度では死にませんし、我が子たちは喜んで火に焼かれています。その体は土に還り、新たな作物となって、また私の体に戻ってくるのですから――
「狂ってやがる」小声でつぶやいた。「話が通じねえ。こりゃ、降伏は望めねえな」
「そもそも、これだけ火がついたら消火もままならないですしね。許してもらえたとしても、どうせ焼け死んじゃいますよ」
「なんだよコピィ。お前、案外冷静だな。いよいよ諦めが肝心と悟ったか? それとも、未だにシックザールが助けに来てくれるとでも思ってるのか?」
「もちろん、後者ですよ」
コピィの防護服に火が触れる。あくまで蜂用の防護服では、何百度という高熱を遮断することは厳しい。防護服の内部は蒸し風呂のようになり、汗をかいても体温の上昇は止まらない。
「……悪いけどな、コピィ。俺はお前のように、あいつが来てくれるだなんて思っちゃいねえ。もっと言うと、諦めムードだよ。こんなに疲れたのは初めてさ……」
クィッドは剣を落とすと、木に背中を預けてしゃがみこんだ。呼吸は荒く、周囲の熱気を吸い込む度にむせている。言葉の通りに体力が尽きているのは明白で、もはや木の根の一部のように成り果てている。
コピィは天を仰ぎ、両手を祈るように組んだ。いつもは木々の隙間から清涼感のある青い空が覗いているが、今は燃える枝葉を窓にして煙に覆われた曇天が見えるだけだ。
兄ちゃん――早く来てよ! 僕たちを――みんなを――この国を守ってよ!
その祈りが通じたかはわからないが、反応はあった。
バギン!
突如、二人の目の前に黒い塊が落ちてきた。呆気に取られる目の前で、その黒く平たい物体は燃えていた木々をぐりぐりと地面にすりつぶしていく。それはよく見れば手の形をしていて、手が持ち上がった時には火が消えていた。
これが何度も繰り返されていく。空から巨大な手が伸びてきて、すりつぶし、火をもみ消していく。それが十回ほど済んだ時には、火の手が収まっていた。
な――なに!? 何が起こったの!?
「お、おい! 何が起こったんだよ!?」
メルマドーレもクィッドも全く同じ疑問を持っていた。もちろん、その答えをコピィは知っていた。
しかしそれを言わず、今は事の成り行きを見守ることにした。少し前に、見届けると誓ったばかりだから。
くだらない親子ごっこはやめにしませんか?
空から声が聞こえてきた。その声をもっとはっきりと聞くために、コピィは防護服から頭を出した。間違いなく、今最も待ち望んでいた声だ。
『何がくだらないと? 正真正銘、私が産んだ子供たちよ!』
『そんなわけがあるはずないでしょう? 白本が子供を産めないのは常識です。仮に本当の子供たちだったとして、火を点けるとは何事ですか』
『何を言う!? この子たちは望んで私のために働いて――』
『いや、返事しなくて結構です。ボクも急いでいますし、あなたの“子供たち”のおかげで、あなたの居場所がわかりましたから』
『そんなデタラメを……』
『森を燃やしたということは、燃えても構わない場所――つまり地中にいるんでしょう? 実際に、蜂の中には地中に巣を作る種類もいますから。
そして、あなたの“子供たち”です。あなたにそのつもりは無かったんでしょうが、一部不自然に延焼が穏やかな箇所がありました。きっと子供たちは、あなたが熱で苦しまないように、巣の場所を避けて火を点けたんでしょうね。皮肉な結果ですが』
そこでメルマドーレの声が止まった。母親を想う子供心に感動したのか、子供たちの失態に激怒しているのか、それはわからない。
一つ明らかだったのは、勝敗が決したということだ。
『メルマドーレさんでしたっけ。最後に言い残すことはありますか?』
『……あるわ』
『聞いてあげますよ』
『……あなたや、そこの二人は、私が蜂を洗脳したとでも思ってるんでしょう? だけど、それは違う。正真正銘、私の子供たちよ。あの方のおかげで、私は念願の、本当の母親になったのよ。そうなるように手を加えてもらったの』
『“あの方”とは?』
『すぐにわかるわよ、シックザール君』
『……そうですか。そろそろ、愛する子供たちと一緒に眠ってください』
巨大な一本の黒い槍が空を通過する。コピィの位置からは見えなかったが、その槍は森の一角に突き刺さったようで、微かに地面から振動が伝わる。
その瞬間、蜂たちは悲鳴を上げるように一斉に飛び立つと、その場で翅を震わせることをやめ、一斉に地面に落ちた。まだ生きてはいるが、自ら動き出す気配は無い。制御していたメルマドーレが絶命したのだと推測できた。
「……終わったのか?」
クィッドは足先で地面に転がる蜂を小突いた。蜂は少し飛び上がって逃げ出すが、すぐに諦めて再び地面に降り立つ。戦う意思は微塵も残っていないようだ。
「この様子だと、街を飛び回ってた蜂共もやる気を無くしてるかもな。それにしても、一体何が起きてたんだ?」
「そんなの、わかりきってるじゃないですか。ほらっ」
コピィが空を指差す。煙が晴れてきた空から、火の光を背にして一人の少年が降りてきた。背中には黒い翼を生やし、右腕は黒く尖っている。その切っ先からは薄く色づいた液体がしたたり落ちていた。
「シックザール兄ちゃん!」
「コピィ!」
コピィは蜂の体液でぐちゃぐちゃになった防護服を脱ぎ捨てると、遠慮なくシックザールに抱き着いた。その頭を汚れていない方の手で撫でられる。
「悪かったな、帰って来るのが遅くなって。まさかビブリアがこんなことになっているなんて知らなかったんだ」
「とんでもない、思ってたよりずっと早かったよ! もう駄目かと思ってたんだ」
「そうか。でも、よく頑張ったな。クィッドさんも、コピィを守ってくれてありがとうございます」
「ハア、まったくだよ。コピィは見た目以上に頑固だし、お前は良い所だけ持っていきやがるし……。言っとくが、今この国で一番働いてんのは俺だからな! 感謝しやがれ!」
「はいはい」シックザールは失笑した。「わかってますよ。クィッドさんの活躍は後世まで受け継がれますから」
「ふん。せいぜい宣伝してくれよ」
「だからわかってますって。さてと――」
シックザールは翼を折りたたむと、疲労困憊の二人に顔を寄せた。
「お疲れの所悪いですけど、この国で何が起きているのか教えてください。どうやら、ボクの出番のようですから」




