四話【切り裂きクーペ】
直立した大男は、それは異様な体格だった。
下半身は細く、上半身は不釣り合いなほど太い。汚れたワイシャツの上に革のベストを着込んでいるが、今にもはち切れそうなほどパンパンに張り詰めている。それも肥満体というわけではなく、筋肉なのか、ゴツゴツと細かく隆起している。
しかし何より異様なのは、その両腕だ。まくられたワイシャツの袖から伸びるのは“カマキリの鎌”としか言いようがない巨大な鎌だった。鎌には無数の棘が生えており、引っかかった肉片から血が流れていた。あれはおそらく馬の肉なのだろう。
それは異様を通り越して異常なことだった。
本来カマキリの鎌は、鎌とは言うものの、剣や刀のように獲物を斬るものではない。獲物を押さえつけ、その間に強靭な顎で捕食するための部位だ。
にもかかわらず、実際にこのクーペという男は装者や馬を斬り殺している。並外れた膂力で押し切ったのか、ノコギリのように高速で肉と骨を断ち切ったのか。
どちらにしても、この男と戦うのは危険だ。コピィの幼い本能でも敏感に感じ取れた。
「クィッドさん……あの人、絶対ヤバイよ」
「ガキに言われなくてもわかってるさ。ていうかよ……お前さん」
最後の言葉はクーペに対してかけられた。コピィをその場に残したまま一歩踏み出す。
「お前さんはまさか……“切り裂きクーペ”その人じゃないのか?」
そう尋ねると、クーペは大きく首を縦に振って応えた。
「そう! そう! クーペがあ、あの“切り裂きクーペ”さあ!」
「チッ! その鎌を見てまさかと思ったが……そんなことありえるのかよ」
「ちょ、ちょっとちょっと!」話についていけないコピィが慌てて口を挟む。「知ってるんですか、クィッドさん? この人のこと」
「まあな。ちょっと歳のいった奴なら、みんなこいつの名前くらいは知ってるさ」
コピィが前を見ると、クーペは構えることもなくただ突っ立っている。どうやら、何も知らないコピィに紹介してもらうことを望んでいるようだ。
クィッドも同じことを感じたのか、右手に拳銃を構えつつ話を続けることにしたようだ。
“切り裂きクーペ”の名が知れ渡ったのは、クィッドがまだ駆け出しの装者だった頃の話だ。
ある日、一人の白本の死体が見つかった。それは刃こぼれした刃物で無理やり斬り付けたような、荒々しくささくれだった傷跡が特徴だった。
事件はこれだけで終わらなかった。その日を境に毎日のように犠牲者が出た。日によっては複数人が犠牲になったこともあった。
当然ビブリアの警察も黙ってはいない。被害者は狭い範囲に集中していたため、そのエリアを中心に昼夜を問わず捜査が行われた。
その結果、怪しい人物はすぐに見つかった。それがクーペ・クーパーだった。彼はつい最近、本の虫“ヴルム”になったばかりだった。
元々彼の従者を務めていた装者によれば、クーペは非常に不器用な男だったらしい。何をやってもどんくさく、ページを埋めるのも難航していたようだ。やがて装者の方もやる気を無くし、彼が本に成る日はさらに遠ざかった。そしてついにヴルムになってしまったのだ。
クーペが怪しいと判断された最大の材料は、ヴルムとしての彼のベースになった虫が“カマキリ”だったからだ。事件が起こり始めたタイミング、そしてカマキリの鎌の形状と傷口を考えれば、誰にでも思い至る結論だった。
密かに彼の監視を始めたその日、早くも成果が得られた。
陽が落ち、人々が寝静まった頃、クーペの函の扉が開いた。月の光を映す大きな鎌をだらりと下げ、裸足で音も無く街の外れを徘徊する。
やがて辿り着いたのは、一人の白本の函だった。まだ装者と契約していない白本の少女が住んでいた。
クーペの口がぐにゃりと歪む。その鎌で玄関扉を破壊しようと振り上げた。
疑う余地無し! それを合図に、監視をしていた二人の装者が飛び掛かった。
クーペの額から伸びる、細いワイヤ―のような触角がピクリと動くと、両腕の鎌で二人の斬撃を受け止めた。
猟奇的な事件の犯人とは言え、所詮はヴルム。屈強な戦士でもある装者二人を相手にして手も足も出なかった。最初の一撃こそ昆虫の直感で受け止めたようだが、二合三合と打ち合う度にクーペの体に傷が増える。
片方の装者が手錠を取り出す。拘束は時間の問題だった。
それが突如、クーペの体を黒い霧が覆った。二人の装者が怯んだ一瞬の間に、何か強い力で弾き飛ばされた。体勢を立て直した頃には、黒い霧もクーペの姿も消え失せていた。
それ以後、クーペがビブリアに現れることはなかった――。
「――ということらしい。当事者の二人が取材で語った内容でな、連日報道されていたから今でも覚えちまってるよ。それがまさか、こんなところで噂の連続殺人鬼に出会っちまうとはな」
そう吐き捨て、忌々し気に目の前の男を睨む。
当の“切り裂きクーペ”は、両腕の鎌をカチカチと打ち鳴らしていた。拍手しているつもりらしい。
「そうです、そうでさあ。それが“あの方”との出会いだったのさあ! それにしても……嬉しいです。今でもクーペのことを覚えてもらえているなんてさあ……」
「ケッ! 俺だってさっさと忘れてーよ。この国じゃ大きな事件なんて滅多に起きねえから覚えちまっただけだ」
そううそぶきながら、じりじりとすり足でクーペとの距離を開けていく。彼が構える拳銃が最大限の威力を保ちつつ、一息に距離を詰められない間合いを確保していることがわかった。それはつまり、クーペとの戦闘の覚悟を決めたということだ。
邪魔になってはいけないと、背後にぴったりくっついていたコピィは彼の傍から離れていく。
殺気を感じ取ったのか、ただ突っ立っていたクーペが構える。腋を締め、両腕の鎌を胸の前に掲げた。軽く腰を曲げ、体を小さくする。
「カマキリっていうより、ボクサーみたいだな」感想を述べながらも銃口はブレない。
コピィも、おそらくクィッドも理解した。かつてこの国で人を切り刻んでいた時は、ただカマキリの鎌を振り回すだけの稚拙な暴力だったのだろう。しかし今のクーペはカマキリの動きを取り入れ、自分の戦闘技術に昇華している。
つまり、切り裂きクーペは進化している。
馬の死骸を挟んでにらみ合う二人。
先に攻めたのはクィッドだった。
バアン!
乾いた音が炸裂する。銃口から白煙が吹き出し、目に見えない速度で弾丸が発射された。
弾丸はクーペの髪を僅かに散らしただけで、空気を貫いて飛んでいった。クーペは散った髪に視線を向けることなく、何も無かったかのようにクィッドを睨むだけだ。
「まばたき一つしやがらねえ。今はわざと外してやったが、次は当てるぜ?」
言うが早いか、再び撃鉄を起こし、引き金を引く。
彼のリボルバーは装弾数六発。残る五発を流れるような動作で叩き込む。連続する発砲音にコピィの鼓膜は痺れるように震えた。
クィッドの殺気は本物だ。この状況下で大犯罪者のクーペを生かしておく理由も無く、彼の言葉のとおり五発の弾丸はクーペの巨体を捉えたはずだ。
それなのに、男の体には傷一つない。僅かに彼の鎌が焦げているように見えるが、それだけだ。すべての弾丸の軌道を見極め、あの鎌で逸らしたということか。
「バケモノがっ……!」
忌々しく悪態をつきながらシリンダーを振り出す。彼の右手首には鱗状の刺青がいくつも彫ってあり、そこに手を当てると銃弾が実体化する。取り出した六発の弾丸を装填すると、再び銃口を相手に向ける。しかし、その銃口は細かく震えていた。
「あなた、弱いです……失礼、強くはないです。クーペには勝てないでさあ」
落胆したわけでも、勝ち誇ったわけでもない。淡々とこの決闘を終わらせる気だ。
クーペの姿勢がさらに低くなる。本物のカマキリは四本の脚で自分の体を支えるが、彼の脚は二本だ。だから彼は脚を前後に大きく開き、まるでアキレス腱を伸ばすかのようなポーズになった。
その姿勢のまま馬の死骸を迂回する。弧を描くように脚を伸ばし、低い姿勢のまま地面を滑るように接近する。
クィッドが舌打ちする。その姿は異様だが、銃口に対して晒す体の面積を狭くしている。つまり狙う箇所が限定されるということで、鎌による防御をより確実なものにしている。
「気味悪いな!」
動揺しながらも狙いは正確だ。クーペが伸ばした脚の先、彼の鎌が届かない絶妙な位置を撃ち抜く。
その一発は軽く脚首をひねらせただけで回避された。間違いなく、この男は弾丸の軌道を見切っている。
「無駄です……無駄でさあ」
「うるせえっ! こっち来んなっ!」
実力と気迫で完全に押されている。
劣勢に立たされたクィッドは怯えてもう一丁の拳銃を実体化させ、倍の弾幕を張る。そのうちの三発ほどはクーペの体を掠めたが軽傷。全く意に介さず前進を続ける。
カチッ――カチッ――
気づいた時には全ての弾を撃ち尽くしていた。両手に拳銃を握っているものだから、次弾の装填に手間取ってしまう。
目前にはクーペの姿。悠長に弾を込めている暇も無ければ、もはや逃げ出す時間も無い。
「クーペ、切り裂きます」
両腕の鎌を交差させ、巨大なハサミのような形状にする。走る馬をも斬り捨てるクーペの身体能力なら、クィッドの胴体を一刀両断することなど容易いだろう。しかしそこで、
「うわああぁぁぁぁーーーーーーっ!」
後ろに隠れていたコピィが飛び出す。
自作の火炎放射器握った腕を突き出し、スプレーのボタンを押す。噴き出した炎の渦がクーペのギョロ目に映る。
それでもクーペは止まらない。炎から少し距離を取っただけで、再び突進を開始する。
「バカ! 離れてろ!」
クィッドはコピィの腕を握り、乱暴に元の場所へ放り投げた。軽い体は小石のように飛んでいき、その拍子に手にしていた火炎放射器が手元を離れた。
「だが、こいつは使わせてもらうぜ」 クィッドは宙に浮いた火炎放射器を掴むと、自分とクーペとの間に掲げた。「ぶっ飛べ!」
弾の残っていない拳銃でスプレーの上部を殴る。ノズル周りが破壊され、スプレー内に圧縮されていたガスが一気に噴き出す。
バアァンッ!!
ライターの火が漏れ出したガスに引火し、巨大な炎が炸裂した。
「うあぁっ!!」
「オオアッ!?」
至近距離で爆発を受けた二人は吹き飛び、受け身も取れずに地面を転がった。
かろうじて爆発の影響を受けなかったコピィは二人のダメージを見て驚愕した。
クィッドはさすがの装者だった。血を流し、体を焦がしても戦意を失っていない。
しかし、スプレーを握っていた左手は酷い有様だった。肉が爛れ、破片が刺さり、どれだけ時間をかければ完治するのかわからない。もしかしたら後遺症が残るほどの大怪我かもしれない。
対するクーペは、ほぼ無傷と言っても良い。軽く目を回しているが、目立った傷は見当たらない。
「――クィッドさん! 早く! 今がチャンスです!」
「わかってらあ……ちょいと待てよ」
敵が目を回している今なら銃弾を避けることはできない。倒すなら今のチャンスを利用するしかない。
しかし左腕は使い物にならず、そこに彫られていた刺青も損傷して銃弾を実体化できない。
クィッドは右手首の刺青に口を寄せると、歯を使って銃弾を取り出す。一発の銃弾を口に咥えると、右手に握っている拳銃のシリンダーに舌で弾を押し込む。
「早く! 早く!」
「ふぁかって……るっふぇ」
ふらつく脚に喝を入れ、一発だけの拳銃を敵に向ける。あっ、と口に出た。
クーペは既に正気に戻っていた。鎌を掲げ、脚を前後に大きく開き、既に戦闘態勢を整えている。
もう駄目だと、コピィも、おそらくクィッドも思った。十発以上の弾丸を退けたクーペに対し、たったの一発ではあまりにも心もとない。
しかしクーペは、その場から動こうとしなかった。弾丸を一発しか込めていないのは目にしているはずなのに、“何か”を警戒するように真正面を睨んでいる。
後ろに何かあるのか?
そう思い、コピィとクィッドが振り返ろうとした時だった。
「某を差し置いて、このような面白いことが行われているとはな。退屈な国だとは思っていたが、やはり里帰りはするものだな」
この戦場にあって不釣り合いなほど美形の男。ともすれば女性と見間違えそうなほどの色気を備えた男が、一振りのサーベルを手に歩み寄っていた。
 




