三話【森に向かえ!】
両手に拳銃を握るクィッドを先頭に、防護服に身を包んだ真っ白なコピィが続く。
街中を飛び回る蜂の数は次第に増え、走る二人の元にも何十匹という蜂が飛来する。その全てをクィッドは両手の銃で叩き落していた。街中で発砲や火炎放射器を使うわけにはいかないことに加え、銃弾の節約も兼ねている。おかげで、彼の銃には蜂の体の破片や体液がびっしりとこびりついていた。
「ほら、あいつだ!」銃で道端を指す。
そこには、一頭の馬が佇んでいた。街の人々の混乱など目に映らないかのように、ぼおっと自分の主人に視線を向けていた。
「何と言うか……随分落ち着いた馬ですね」
「歳とってボケてるとも言うけどな。しかし、それが今回は役に立ってるみたいだ」
クィッドは銃を乱暴に拭ってから刺青に収納すると、鐙に片足を乗せてひらりと飛び乗る。コピィも手を貸してもらって鞍に乗ると、手綱を握るクィッドの腰に手を回した。
「どっちに行けばいいかわかってますか?」
「わかってるよ。こっちだ!」
馬をその場で旋回させる。
すると見えてきたのは、怒涛の人の流れだった。自分の身を火の粉から守りつつ、老若男女問わず全力で通りを走り抜けている。中にはリュックや荷車に荷物を満載し、周りの迷惑をかえりみず逃げ出す者もいる。
小さなコピィは今まで気づかなかったが、馬の上からは人々の混乱の様子が手に取るようにわかる。少し視線を上げれば、何本もの煙の柱が上り、空を覆わんとしている。
「馬に乗るのは初めてだろう? 最初はゆっくりだから、その間に感覚をつかめ」
クィッドが軽く馬の横っ腹を蹴ると、のそりのそりと動き出し、少しずつスピードを上げていく。それに従って尻から伝わる振動も大きくなっていく。
馬がその鼻先を向けたのは、人の流れの上流だった。つまり、火の手や煙が激しい方角だ。一部では煙が立ち込め、道が見えなくなっている箇所もある。むやみに突っ込めば避難が遅れた人々と正面衝突する恐れもある。
「オーケー、オーケー。大丈夫。お前なら行ける――」
鼻息を荒くする馬をなだめながらも鼓舞する。
その期待に応えるように馬は前進することをやめない。人を避け、煙を潜り抜け、混沌の街に馬蹄の音を響かせる。
この街はどうなってしまうのだろう。
馬が歩を進める度、コピィはそう思わずにはいられなかった。
消火活動は行われているが、いかんせん範囲が広すぎる。そもそも滅多に火災など起きないビブリアでは、これほどの大火を鎮火できるほどの力は無い。実際に、避難している人々の中には装者の姿も見える。街を守るより、自分の身や白本を守ることを優先したのだ。街中に鳴り響くサイレンの音も、やがて聞こえなくなるだろう。
こんな時に、シックザールの兄ちゃんがいてくれれば……。
次にシックザールの不在を呪った。異世界に出たばかりの彼が帰って来るのは、早くても明日くらいのはずだ。もしも今この場にいてくれれば、再上映の能力で火を消すことができるかもしれない。普段は彼のことを陰で罵る人々も、今はその登場を待ち望んでいるはずだ。
兄ちゃん……兄ちゃん…………早く来て!
コピィは奥歯を噛みしめる。クィッドの腰に回す手に力がこもる。
彼が「イヤアッ!」と声を上げると、さらに高速で街の景色が後ろへと流れていく。
馬は走る。走る。走る。
街を抜けた。目の前に広がる草原はいつもと同じのどかな風景で、ここまでは火の手は及んではいなかった。街中には体の中まで燻されるほどの煙が充満していたが、こちらの空気は比較的澄んでいる。大きく深呼吸して体内の空気を入れ替える。
しかし背後から漂う焼けた臭いと、街が焼け崩れていく音が意識を現実に引き留める。この未曽有の大災害は現実のものであると。
「やっぱり思った通りだな。煙が苦手なのは蜂も同じだから、風上に行けばやつらの巣か何かがあると思ったんだ。コピィ! こっから先はお前も手伝えよ!」
「うん! わかってる!」
この日、風は北から吹いていた。
この国において北側にあり、かつ大量の蜂が潜んでいそうな場所と言えば一つしかない。
国の北端に位置する混沌の炎。それを取り囲むように広がる森だ。
舗装された道を敢えて外れ、最短距離で森に向かう。二人の推理を裏付けるように、森の方角よりまっすぐ蜂が飛来する。
「せっ! はあっ!」
「ええいっ!」
クィッドは片手で手綱を握りつつ、刺青より実体化させた馬上鞭でハエ叩きのごとく蜂を叩き落していく。腐っても装者と言うべきか、普段のだらけた姿が嘘のように巧みに鞭を操り、嵐のように蜂を弾き飛ばす。おかげで馬もコピィも蜂の体液を浴びずに済んでいる。
コピィはここまで温存していた自作火炎放射器を振り回す。自ら火を起こす蜂ではあるが、耐火性は皆無らしい。僅かに火を浴びただけで体が燃え上がり、空中で燃え尽きてしまう。おかげで草原まで火事にならずに済んでいた。
「ねえ、クィッドさん」
無数の蜂の大群を蹴散らしながら、おもむろにコピィが話しかけた。
「おう、なんだ。藪から棒に」
依然として蜂は襲い掛かるが、少しずつその撃退にも慣れてきた。ライターとスプレーの残量を確認しながら、クィッドの後頭部に向かって大きめに声を掛ける。
「そもそも、何でこんなことしてるんですか? 僕の知ってるクィッドさんなら、とっくに逃げ出してると思うんですが」
「……お前、そんなこと思ってたのね。失敬な」
鞭を大きく振って蜂の残骸を振り落とし、大きくため息をつく。
「別に話しても良いが、誰にも言わないと約束するか?」
「うん。誰にも言いませんよ」
「本当だな?」
「本当ですって」
クィッドはもう一度大きく息を吐くと振り返った。
「…………本当に本当だな?」
「しつこいですってば!」
彼は眉間にしわを寄せて何か考えていたが、前に向き直ると、聞こえるか聞こえないかの音量でようやく話し始めた。
「カッコいいな――って思ったからだよ。シックザールの奴がよ」
「えっ?」
思いがけない言葉に、スプレーのボタンを押す指が離れる。その隙を狙って蜂が防護服を突き刺すが、分厚く耐火性にも優れた防護服には全く通じず、コピィのデコピンに弾き飛ばされた。
「なんだよ、失礼な奴だな。そこまで驚くこたあないだろ」
「いや……すいません。意外でしたから。だってクィッドさん、ザール兄ちゃんのことあんまり好きじゃないでしょ?」
「ん~。まあ正確には、嫌いって言うより、あんまり関わりたくないってとこなんだがなあ。ほら、あいつに付き合ってたらとばっちり食らいそうだろ」
それについてはコピィは身をもってよくわかっていた。つい先日も、四人のいじめっ子たちに酷い目に遭わされたばかりだ。
そうでなくても、街の人々の彼に対する態度を見れば、クィッドが言うことはもっともである。それがわかることにコピィは悔しさも感じていた。
だからこそ、人一倍めんどくさがりで、トラブルを避けて生きるクィッドがシックザールに憧れの感情を抱いていることを意外に思ったのだ。
「ほれ。この前、でっかい蟻が突然現れたことがあっただろ? あの時、俺はあいつに助けられてるんだよ。あの……ナントカいう能力で薬を作ってもらってよ。それだけじゃねえ。かなり遠くからだったが、あいつが敵の親玉をぶちのめしてるところを見てたんだよ。
正直、痺れたぜ。俺よりずっとずっとガキだったあいつが、俺たち装者でも手を焼くような相手を一方的にぶちのめしてたんだ。確かに凄惨な光景とも言えたが、男なら大なり小なり痺れるところだろ? あんな強さ見せつけられたらよォ」
話しながら鞭の動きが早くなる。あの時の光景を思い出して興奮しているのかもしれない。その興奮が伝わるのか、馬の脚も力強さを増していく。
「不謹慎だってのはわかってるさ。だけどよ、いつかまた、あの時みたいな大騒動が起きてくれねえか――そう思ってた矢先にこれだ! コピィ、お前知ってるか?」
「えっ、何がです?」
「この蜂のことだ。火を点けるってのは異常だが、見た目からしてベースはスズメバチだ。スズメバチってのは巣の中に女王蜂がいて、その一匹が大量の蜂を産んでいる」
「それが?」
「鈍い奴だな。その女王蜂を倒せば、俺は一躍ヒーローになれるってことだろ! このビブリアを救った、第二の救世主として――なっ!」
「『なっ!』って言われても……本当に不謹慎ですよね。何でもいいですから、とにかく蜂を倒してくださいよ?」
「わかってるっての――お?」
クィッドが手綱を僅かに引くと馬のスピードが落ちる。
「何かありましたか?」
「見るなっ!」
身を乗り出すコピィの目が塞がれる。しかしその一瞬の間に、コピィの目はこの先に広がる光景を焼き付けていた。
そこには大勢の装者が倒れていた。その全てが、体のどこかに大きな切り傷を付けていた。中には体を切断された遺体もあった。少なくとも五人分、亡骸を地に晒していた。
「な、何ですか今のは!?」視界を遮られながらコピィが叫ぶ。
「わからねえが……多分、俺たちと同じように蜂の出所を推理して、駆除に向かった連中だろう。
――しかしこれはどういうことだ? 蜂に刺された傷じゃねえぞ」
理解不能な光景に肝を潰されていると、クィッドの馬がブルルルと大きく鼻を鳴らす。
「おい、どうした!?」なだめようとするが、馬の興奮は激しくなる。その場で落ち着きなく足踏みすると、制止を聞かずに走り出す。遺体から流れ出した血の池を大きく迂回するので、コピィは振り落とされないように力いっぱいクィッドの腰につかまる。
「何だってんだ! クソッ!」
混乱しながらも手綱を繰り、馬の制御を試みる。どうにか森に進路を向けることはできたが、スピードは乗る一方だった。
ジャッ!
下の方から、馬の足音とは全く異なる音が聞こえる。草を刈るような、そんな音だった。
音の正体を知る間もなく、体が前方に倒れ込む。内臓までふわりと浮く嫌な感覚。
「つかまってろ!」
クィッドは短く叫ぶと、鐙から素早く足を外し、腕の力だけで馬上から跳んだ。空中で一回転して着地すると、たった今まで乗っていた馬と目が合った。
馬の体は五つに分解されていた。首から胴体にかけてと、四本の脚。
「そういうことか……ぶった切られたんだ」
その切り口は水平。足の付け根を狙って、横方向より巨大な刃物か何かで切断された……そうでなければ、こうはならない。
「これで、八人目でさあ。いえ……七人と一頭目?」
汗と血が流れる馬の胴体の向こうから低くしゃがれた声が聞こえる。
「そのまま後ろに隠れてろ」
クィッドはゆっくり立ち上がりながら、一丁の拳銃を刺青から実体化させる。その表情は後ろからは見えないが、彼が恐怖していることは感じ取れた。シャツ越しに汗が滲みだすのを感じる。唾を飲み込む音がシンクロする。
「そこにいる男……あんた、何者だ?」
銃口の先に大柄な男がいる。四つん這いのような姿勢になっていた男がむくりと起き上がると、その体よりも遥かに目立つ大きな目玉をぎょろりと二人に向ける。
「どうも、初めまして。クーペは、クーペでさあ……クーペ・クーパーと言いまっさあ」




