【ちゃんと見てるから3】
「ん……うん……」
翌日の朝、コピィはいつもより早く目が覚めた。朝日は昇っているが、まだ位置が低いせいか寝室の中は薄暗い。
布団から抜け出ると、ひんやりとした空気が体を包む。再びベッドに戻りたくなるが、代わりに上着を羽織って函の外に出た。
コピィの函は比較的こぢんまりとしている。ペールカラーの外壁は童話的な柔らかさを醸し出している。周りの函は硬質な色合いなので、若干浮いた存在とも言える。函の周囲は背の低い生垣に囲まれており、狭いながらも庭が付いている。
「うえっ?」
玄関のドアを開いた瞬間、異様な臭いが鼻を突いた。思わず指で鼻をつまむ。
小さな門扉と玄関ドアの間には、透明な袋が三つ置かれていた。透明なので中は丸見えなのだが、そこに入っていたのは生ごみだった。
「何でこんなところに……?」
生ごみの日は昨日だった。
量の割に臭いが控えめなのは幸いだった。おそらく、捨ててあまり時間が経っていないからだろう。
逆に言えば、昨日ごみ出しをしたにも関わらず、急いで大量のごみを生み出したということでもある。
とにかく、そのまま放置するわけにはいかない。後でクィッドにでも頼み、一緒にごみ処理場にまで運ぶしかないだろうと考える。
「んっ?」
函の中に戻ろうとして振り返った。ガサガサと音が聞こえたからだ。しかし、それが風で揺れたごみ袋の音なのか、それとも生垣の揺れる音なのかわからなかった。
不可解な朝だったが、さらに不可解なことが起きてしまった。
翌日も、その翌日も似たようなことが起きたのだ。
二日目もごみが庭に落ちていた。この時は、壊れたおもちゃや人形だったり、ごみ出しに困る金属のごみだったりした。臭いは大したことはなかったが、何分量が多かったため、この日もクィッドに泣きついて一緒に処分しに行った。
三日目はさらに悪質だった。まるで、淡い色の外壁をキャンバスにしたかのように、乱暴にスプレーで落書きされていたのだ。ただ乱暴に塗料を塗りたくっただけのものもあれば、血しぶきが噴き出すような残酷な人の絵や、下品な言葉が書かれていたりもした。いずれにしても、コピィに対する嗜虐心をそのまま形にした攻撃的な落書きだった。
「しっかし……どこの誰だか知らねえが、ひでえな! こんなガキンチョの家にいたずらするなんてよォ~」
コピィの隣で働くクィッドが、憤懣やる方なしといった様子で言葉を荒げた。
コピィはクィッドと、それと近所の人たちと一緒に落書きを落としていた。落書きの位置は低いので、大人が手伝ってくれたことで隅々まで剥離剤が行き届く。あとは時間を置いて、水で流せば落ちるはずだ。
「コピィよ、心当たりはねえのか? 突然こんなことされたんだから、何かきっかけがあるって考えるのが自然だろ」
「それは……」口をギュッと結んで下を向いた。「別に、心当たり何てありません」
「……本当か?」
「本当……です」
クィッドは「そうか」と呟くと、再び作業に没頭し始めた。
彼には黙っていたが、実際は心当たりがあった。
事の起こりのタイミング、そしてスプレーによる落書きという手口から、先日の四人組の仕業というのは明らかだった。シックザールの函から帰る時から感じていた謎の気配は、あの四人組のものだったのだ。
本来なら誰かに相談して解決してもらうべきだった。しかし、それはできなかった。脅迫状が届いていたからだ。
大人にそうだんしたらゆるさない
お前の函に火をつけてやるからな!
稚拙な文字で、そのような文面の手紙が投函されていたのだ。
白本にとって火は最も恐ろしいものだ。万が一にも火を付けられれば、自分自身が焼け死ぬのはもちろん、周囲の家々もただでは済まない。
それだけに放火は最も重大な犯罪の一つではあるが、それを企んでいるのは子供だ。重罪であるのは変わりないが、罪の重さであるとか、火の恐ろしさというものを、彼らがどれだけ理解しているかはわからない。平気で悪質ないたずらを繰り返すのだから、楽観的な予想もできない。
誰かに強い悪意を向けられることに慣れていないコピィは、結果的に手も足も出せない状況に陥っていた。
陽が高く昇った頃には、外壁はすっかり元通りになっていた。コピィは手伝ってくれた人たちに「ありがとうございました!」とペコペコお礼し、一際働いてくれたクィッドには深々とお辞儀した。
「本当にありがとうございました。でも、いいんですか? お金なら少しくらい余裕がありますが……」
「いいんだよ。ガキから金をもらうだなんて、立派な大人がそんなことできるかっての。お前の函でくつろがせてもらってる礼ってことにしとけ」
「はい。すみません……」
萎縮しているコピィの視線に合わせるように、クィッドが目の前でしゃがんだ。
「本当に、心当たりは無いのか?」
「はい……」
「……俺もそろそろ、新しい働き口を探さなきゃならねーからな。どっかの白本の従者になるか、洒落た店で働くか……それは未定だが、お前の所へ遊びに行くことは減る。
お前も混沌の炎に飛び込んだからには、もう後戻りできねえ。一人前になって、白本の使命を全うしなくちゃならねえ。わかってるだろ?」
「はい。もちろん」
「だったらシャキッとしろよ。誰の仕業か知らねえが、俺はお前の従者やお友達じゃねえ以上、いつまでも守ってやる義理は無い。コピィ、お前の力で何とかしてみろ」
それだけ言うとすぐに立ち上がり、踵を返して去っていった。特徴的なテンガロンハットは、角を曲がると見えなくなった。
再び一人になった。
コピィは考えた。どうすれば、この状況を打破できるのかと。
一つは、あの忠告を無視して大人に相談するという方法だった。彼らも四六時中見張っているわけではないだろうから、こっそり相談することはできる。
だけど、もしも見つかったら? そう思うと、体は動かなかった。
二つ目は、彼らを待ち伏せし、正面から戦うという方法だ。しかしこれは、一つ目の案以上に無謀に思えた。自分より体の大きい四人が相手では、何か武器を持っていても分が悪い。すぐに却下した。
最後の案は、彼らと話をするという方法だった。自分の言い分と彼らの言い分を合わせれば、平和的な解決が望めるかもしれない。
「……この方法しかないのかな」
コピィは三つ目の案で行くことにした。方針が決まると、スッと胸が軽くなった。何なら、早く明日の朝になれば良いとさえ思った。
後片付けを終え、昼食も食べ終わり、寝室に向かった。疲労と満腹感で猛烈な眠気に襲われたのだ。
「――あれっ?」
ベッドに飛び込もうと思ったら、布団の上に袋が乗っているのを発見した。窓が僅かに開いていたので、そこから中に入れられたのかもしれない。
またあいつらの仕業か……?
そう思わずにはいられず、袋に近寄るのも気が引けた。しかし放置するわけにもいかず、及び腰になりながらも袋を開ける。
「これって……」
翌日の朝、コピィはいつもより一時間ほど早く目が覚めた。なぜなら
「ギャアアァァァァーーーーーーーーッ!」
庭から猛烈な悲鳴が聞こえてきたからだ。
その悲痛な叫びを聞いて、コピィは「本当に、罠にかかっちゃった」と思った。
上着を羽織り、寝間着のまま外に飛び出す。
庭にいたのは、やはりあの時の四人組だった。そして罠にかかっていたのは、リーダー格の大柄の少年だった。彼の片足には、昨晩の内にコピィが仕掛けた罠が食い込んでいた。ネズミ捕りのようなもので、踏むとバネが作動して即座に挟み込む。
『生垣をよく見てみろ。不自然に荒れている箇所があるはずだ。そこを重点的に、罠を仕掛けておけ』
昨日発見した袋の中には、十個ほどの罠と、その使い方を記した紙が入っていた。
“敵を痛い目に遭わせる”四つ目の選択肢を選んだ。
「おい、お前らぁ! 早くこれを外せぇ!」
半分涙声になりながら、少年は生垣の外で怯えている取り巻きに命令した。
「アンタ、行きなさいよ……」
「男の子でしょ!」
「ええっ……」
女子二人に急かされて少年が行く。
コピィは咄嗟に目を逸らした。彼が足を踏み入れた場所にも罠を仕掛けてあるからだ。案の定、バチンという音と共に少年の悲鳴が聞こえてきた。
「おいコラ……早くこれを外せよ……!」
「た……たしゅけてぇ……!」
地面の上でもがき苦しむ少年二人は、目の前に立つコピィに助けを求めた。
「嫌だ!」
気の毒に思いながらも、その嘆願をキッパリ却下した。少年の目に怒りと涙が込み上げてくるのが見て取れた。
「なんだと、この野郎! 許さねえぞ!」
「許さないのはこっちだ! よくも、僕にちょっかい出したな! ごみを放り込んだのも、スプレーで落書きしたのも、お前たちなんだろ!」
実際に、少年の目の前にはスプレー缶が転がっていた。動かぬ証拠だ。言い逃れできない状況に気勢が削がれたようだ。
「今度こんなことしてみろ! こんな罠が可愛く見えるような、もっとひどい仕返しをしてやるからな! それが嫌なら、さっさとここから出ていけ!」
コピィは目を吊り上げ、精一杯歯を剥きだす。あの紙には『最後に般若のような怖い顔で、敵を威嚇するんだ』という指示があったからだ。
般若を知らないコピィは、それがどういうものかを人に教えてもらい、鏡の前で何度も練習を重ねていた。
「出ていけぇっっ!」
般若の顔のまま、全力の怒声を浴びせた。
少年たちの体が震える。足を罠に挟まれたまま、背を向けてその場から退散していく。「覚えてろよ!」の負け惜しみすらない。それはつまり、今後コピィには関わりたくないという意思表示にも感じられた。
四人の姿が見えなくなったところで、コピィはその場にへたり込んだ。いまだに般若の顔を浮かべていたので、顔を揉んで元の表情に戻す。その途端に弱気になってきて、今更ながら体がガタガタと震え始めた。
「ははっ……やってやったぞ……」
目は見開いたまま、口だけは笑みがこぼれる。
その一部始終を見ていたのか、周囲の家々からはパチパチと拍手の音が響いた。
「あれって、兄ちゃんが置いてったんだよね?」
シックザールのベッドの上に寝そべりながら、コピィは目の前の兄貴分に訊ねた。彼は彼で、新たな栞を編んでいた。目が覚めるような、真っ赤な栞だ。
シックザールは答えなかったが、コピィは確信していた。
壁に塗られた落書きを落とすために、クィッドをはじめ何人にも人たちが手伝ってくれた。
あの中にシックザールがいたのだ。再上映の能力を使えば、別の誰かの姿になりすますのは簡単だ。そして隙を見て、窓から例の袋を入れたのだろう。
「やっぱり、兄ちゃんは優しいよね」そう言うと、シックザールは微笑みだけ返した。
やり方は少々過激だったが、二度と彼らに狙われることもないだろう。むしろ、下手に出ていればどんな酷い状況に陥ったかわからない。
コピィはシックザールの傍にいてあげることを心に決めたが、それ以上に、彼はコピィのことを見ていてくれた。それがたまらなく嬉しかったが、やっぱり自分は力不足なのだなと痛感した。
だから、今度は誓った。「誰が兄ちゃんのことを見捨てても、僕はそんなことしない。兄ちゃんの冒険を最後まで見守ってやるんだ!」と。
「――よし、できた!」
シックザールが栞を編み上げた時には、コピィはベッドの上で寝息を立てていた。
「……最後まで見ておけって言ったのに。仕方のない奴だな」




