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【ちゃんと見てるから1】

 コピィは複雑な気分だった。

 彼が慕うシックザールは失意の中にあって、しばらくは異世界の土産話を聞くこともできなくなっていた。

 しかし、セルファという新たな従者が付き従い、徐々に彼の表情や街の人々の対応も明るくなっていった。コピィに対して、セルファとの楽しい日々の話も聞かせてくれるようになっていた。

 そしてつい先日、シックザールは再び旅に出て、およそ一週間後に帰ってきた。

 彼の横に従者の姿は無かった。コピィはそれを残念に思ったが、人々の反応はさらに冷たいものだった。「あいつは、自分の従者を見殺しにした」などと、再び彼を厄介者扱いするようになった。

 それを誰よりも痛感しているのは本人だろうが、街に暮らすコピィもそれを少なからず感じ取っていた。

 一度、シックザールが街に映画を見に来たのを見かけたことがある。彼の周りだけ気温が低くなったかのように、人々は背を向けて縮こまり、こそこそと視線だけを向けた。そして映画館に入ると、ぞろぞろと館内から別の客たちが出ていった。ある者は逃げるように、ある者は苛立って唾を飛ばし、ある者は吐き捨てるように悪態をついていた。新たに映画館に入った者も、すぐに外に出てきた。

 ザール兄ちゃんが、もう一度旅に出るようになったのは嬉しい。だけど、それが原因でまた嫌われ者になってしまった。

 コピィは複雑な気分だった。


「……こんな時こそ、僕が元気づけてあげなくっちゃ!」


 コピィが出した結論はそれだった。

 以前目の前で混沌カオスの炎に飛び込んだ時、ザール兄ちゃんはいつもの優しさを見せてくれた。それもこれも、僕が勇気を分けてあげたからだ! コピィはそう自負していた。


「なーに鼻息荒くしてんのよ?」


「クィッドさん、水を差さないでくださいよ……」

 声を掛けてきたのは、最近コピィのいえに入り浸っているクィッドだった。

 彼もまた装者の一人で、巨大蟻から浴びた毒液による傷が完治した後は、自分の仕える白本と共に旅に出ていた。その白本も無事に本に成ることができたので、次の仕事が決まるまで暇を持て余していた。

 割と寂しがり屋の彼が選んだのは、コピィの函に行くことだった。以前コピィが混沌の炎に飛び込むのに付き合った縁から、遠慮なしによく訪れるようになったのだ。

 そんな彼は今、床に寝転がってトランプタワーを建設している真っ最中だ。

「シックザールんとこ行くんだろ? やめとけ、やめとけ」

「どうしてですか? ザール兄ちゃんはいい人だって、クィッドさんもわかってるでしょ?」

「それは……まあ、わからんでもないけどよ」左右にトランプを持つ手が震える。「世間一般にゃ、あいつはどこまで行っても“怪物”なのよ。いじめられっ子に構ってると、お前までとばっちりを食らうぜ?」

「そんなことありません! それに、僕は大丈夫です!」

 ジャケットを羽織り、帽子を被ると玄関のドアノブをひねった。

「クィッドさんみたいな臆病者じゃありませんから! ずっとそこで遊んでいるといいですよ!」

 バァンと勢いよく玄関のドアが閉まり、函全体がビリビリ痺れる。四段まで積み重なったトランプタワーはパタパタと静かに倒壊した。


 頬を膨らませながら、大股でシックザールの函に向かって歩いていった。

 コピィはまだひよっこだが、クィッドの言うことは理解できた。

 このビブリアは閉じた世界。他の国々や世界との交流などは存在しない。唯一の出入り口が混沌の炎だが、そこから別の世界の誰かがやって来ることはない。

 その環境が――ネイサ姫も気づいていないかもしれないが――異物に対する嫌悪感を育んでいた。

 ネイサ姫に知らないことは無いはずだから、ちゃんと全部、みんなに話してくれればいいんだ。

 そう思うこともあったが、一層風当たりが強くなるのではという想いもあった。

 だから結局、自分にできることは傍にいて、時々勇気を分けてあげること。それだけだという事実が歯がゆかった。


 ぶつぶつ考えているうちに、遠くにシックザールの函が見えてきた。

「あっ!」

 思わず大声が出て、慌てて両手で口を塞いだ。

 そこには先客がいた。しかし、客というにはあまりにも礼儀の足りない連中だった。

 見た目の年齢はコピィより少し上と言ったところか。少年二人に少女二人、合計四人の子供たちが函を囲んでいた。

 彼らの手にはスプレーが握られていた。塗装用のスプレーを吹き付け、函の外壁にデタラメな落書きを次々に描いていく。ただひたすらに蛍光色を吹き付ける者もいれば、へたくそな絵や下品な単語を書く者もいた。子供のいたずらにしては度が過ぎているが、彼らは罪悪感など無いかのように、ゲラゲラ笑いながらスプレーを振り続けていた。

 この時間は、決まってシックザールが出かけているのを思い出した。街に買い物に行くか、ヴルムの村に行くかはわからないが、とにかくこの場にはいない。彼らもそれを突き止めたのか、この時間を狙ってきたのだろう。

 コピィの頭が熱くなった。血液が沸騰したように体中が熱くなり、握る拳がグラグラと揺れ動く。


「何やってるんだお前たち!」


 これまでに出したことが無い音量で叫んだ。それで少しだけ怒りの熱は冷めた。

 四人の子供たちは、目を丸くしてこちらを見ていた。それも一時で、徐々に彼らの目には敵意が込められていく。

「何だコイツ?」「どこの誰よ?」「俺たちの邪魔をする気か?」「めんどくさそうなチビ」そう言っているように思えた。

 怯むもんか! コピィは大きく一歩踏み出すと、ズンズンと彼らの元に歩み寄った。

 門の前で一人と四人が向かい合う。一番小柄な少女ですらコピィより背が高く、まるで壁を目の前にする気分だった。

「――で、お前は結局何なの?」

 四人の中で一番大柄な、リーダー格と思われる少年が尋ねた。軽く首を傾げ、眉をひそめて言うその姿は、コピィが話に聞いた“チンピラ”というものを連想させた。触られてもいないのに、視線だけで上から押しつぶされそうだった。

「ここはシックザール兄ちゃんの家だ! 出ていけ!」

 そう言おうとしたが、恐怖で舌が回らなかった。その結果、

「こっ……こここはっ……!」

 などと、意味の通らない言葉しか出てこなかった。

「何よコイツ、ビビッてしゃべれないじゃん!」

「しょんべんちびってんじゃねえの? 俺が確かめてやろうか」

「やめなさいよ、ばっちい」

 言いたい放題言われても、ズボンを握りしめて下を向くことしかできなかった。


 ドン!


 突然強い力で胸を押された。下を向いていたことで気付かず、その場に情けなく尻もちをついた。

「よくわかんねーけどよ、お前、俺たちの邪魔をするんだな?」

「そっ……そうだ! やめろ! こんなこと!」

 今度は何とかしゃべることができた。

「お前、知らねーのか? ここにはバケモノが住んでるんだ。バケモノはこらしめなきゃいけない。んで、俺たちはバケモノを弱らせる、いわば勇者様よ。わかる?」

「ふざけるな! 何も知らないのも、何もわかってないのも……お前たちじゃないか!」

「……ハア?」

「兄ちゃんは優しいんだ! ちょっと他の人と体が違うけれど、それだけだ! 兄ちゃんは、この国の救世主なんだ!」

「ああ、なるほど。お前の言いたいことがわかってきたよ。そういえば、でっかい蟻が出てきたとき、親玉を倒したのがここのバケモノだったって聞いたことがあるな。

 でも、それだけであいつを信じるのか? 大人たちは『あの騒動は、シックザールと女王蟻の仲間割れだった』『機が熟したら、この国を乗っ取るんじゃないか』とか言ってるぜ?」

「そんなのデタラメだ! これ以上兄ちゃんを侮辱するなら、僕が許さないぞ!」

 その言葉に苛立ったのか、少年はコピィの肩を蹴り、再び地面にくずおれた。白本は人間と比べれば痛覚が鈍く、それ自体は大したダメージではない。

 しかし、顔を上げたコピィは戦慄した。

 少年はスプレーを向けていた。それを見て、残る三人も同じようにスプレーを向けた。

「へへっ、まるでガンマンになった気分だぜ。映画で見たぞ。こうやって、相手を見下ろして銃口を向けるんだ」

 少年たちがにじり寄ってくる。

 白本の体の半分は紙でできている。スプレーを吹き付けられれば、塗料が深くまで浸透するだろう。加えて体は水に弱いため、洗って落とすことも難しい。もしも一斉に吹き付けられれば、その後何か月か……あるいは一生、まだら模様の体で過ごさなければならないかもしれない。まさに銃を突き付けられたに等しい。

 逃げなくちゃ……!

 そう思っても体が動かない。少しでも身動きすれば、その瞬間に塗料が噴き出してきそうだった。


「ボクの家の前で騒がないでくれるかな」


 荒くなる呼吸の中で、その声が背後から聞こえた。

 地面にへたり込むコピィを見下ろす少年たちは、反射的に声の主の方を見た。そして、手にしていたスプレーをその場に落とした。

「ザール兄ちゃん!」

 そこに立っていたのは、この函の主であるシックザールだった。右手のトートバッグからは糸や布、油などが詰め込んである。この日は買い物に出ていたようだ。

「君たち、コピィに何してたんだ。それに、ボクの函が随分とカラフルになっているようだけど」

 そう言って、無表情で変わり果てた自宅の姿を見ていた。

 それをチャンスととらえたのか、リーダー格の少年が動いた。地面に落としたスプレーを素早く拾い、そのノズルをシックザールに向けた。

「くらえ、バケモノ!」

 思わずコピィは目を閉じた。しかし、シューという音は聞こえるものの、塗料が飛んでくる気配は無い。

 おそるおそる目を開けると、目の前には巨大な黒い手があった。人差し指から小指の四本は、四人のスプレーのノズルを塞いでいた。残る親指と手の平は、シックザールとコピィの盾になっていた。

 完全に固まってしまった四人に向かって、シックザールは一言つぶやいた。


「帰れ」


 何ということは無い一言。しかし、温度や感情はこもっていない。

 少年たちは言われたとおりに帰ろうとしたのだろう。しかし、足がもつれて転んでしまった。シックザールを見上げるその目からは、とめどなく涙が流れていた。小柄な少年の方は失禁までしていた。

「……仕方ない。動けるようになったら帰りなさい」

 シックザールはため息をつくと、座り込むコピィに手を貸した。

「ほら、ボクに用があって来たんだろう? そろそろ立ったらどうだ」

「う、うん……」

 差し出された左手は、つい先ほどの黒い巨大な手だ。すっかり元に戻っており、触れてみても普通の感触だった。

「ちょうどお昼時だな。せっかくだからごちそうしてやるよ」

 そう言って笑顔を向けながら、少年少女たちの横を通り過ぎ、函の中に入っていった。

 玄関のドアを閉めるときに振り返ってみた。

 四人の目の前に転がっていたスプレー缶に突如穴が開き、辺りに塗料を巻き散らしながら、さながらねずみ花火のように暴れ回った。力を失っていた四人は逃げるようにその場を退散した。

 クィッドさん、結局ついて来てくれたんだ。本当に素直じゃないなと吹き出してしまった。

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