【矛盾の国】
あるところに、二つの国がありました。その二つの国は東と西に別れ、何十年にもわたって戦争をしていました。人口、資源、技術力――二つの国の軍事力はほぼ拮抗し、領土を奪ったり奪われたりを繰り返しながら、大局は戦争前とほとんど変わっていませんでした。それぞれの国民は、あるいは兵士たちも、この戦争は永遠に続くのではないかと考え始めていました。しかしいくら疲弊しても、先に白旗を上げることなどできません。
だから、二つの国の国民たちは待ち望んでいました。戦争を終わらせる「決定打」の登場を。
しかし、現実はそう簡単ではありません。一方の国が新たな武器を作れば、もう片方も作る。新たな戦法を生み出せば、その対抗策も考えられる。まさにイタチごっこの状態でした。
そんな時、一人の少年と、その従者の少女が突然現れました。それを目撃した人によりますと、本当に突然、何もないところから現れたとのことです。
彼らが降り立ったのは東の国でした。二人は国の事情を知ると、軍の本部を訪れました。もちろん二人は部外者ですので、門前払いされそうになりました。しかし、少年が差し出した物を見て、衛兵たちは驚きました。
それは、一本の矛でした。少年が言うには、それは「あらゆる物を貫く矛」なのだそうです。
適当に対応をしていた衛兵は薄ら笑いを浮かべながら矛を手に取り、乱暴に近くの岩に突き刺してみました。すると、矛は弾かれるどころか、貫通して穴を開けてしまったのです。
驚いた衛兵は、そこらの岩や、破損した鎧などにその矛を振るいました。そのいずれもが、まるで空気でも斬っているかのようにあっさりとバラバラになってしまったのです。
衛兵たちは隊長に、この少年たちと矛を報告しました。隊長はその矛の切れ味に感動し、少年たちに褒美を渡そうとしました。しかし少年はそれを断り、その代わり一つの言葉を投げかけました。
「なるべく早くこの矛を使って、必ず戦争に勝利してください!」
その翌日、少年たちは西の国に立っていました。そして同じように西の軍の本部を訪れ、再び門前払いされそうになりました。
少年は、今度は矛ではなく、盾を差し出しました。少年が言うには、それは「決して貫かれない盾」なのだそうです。
半信半疑で、応対をしていた衛兵は手に持っていた槍で、その盾を貫こうとしました。しかし貫くことができないどころか、傷一つつかなかったのです。石で叩いたり、油をかけて燃やそうとしたりしても、何事もなかったかのように元の姿を保っていました。
衛兵たちは隊長に、この少年たちと盾を報告しました。隊長はその盾の堅牢さに感銘を受け、少年たちに褒美を渡そうとしました。しかし少年はそれを断り、その代わり一つの言葉を投げかけました。
「なるべく早くこの盾を使って、必ず戦争に勝利してください!」
その五日後、二つの国の境目で戦いが起きました。その様子を、少年たちは遠くから観察していました。
しかしその戦いで、彼が差し出した矛と盾は使われませんでした。少年は落胆すると、その国から姿を消しました。その後、彼らの姿を見た者はいませんでした――
「――という出来事が、この戦争の転機となったのですな、ハイ」
“百年戦争歴史博物館“の館長は、珍しい来客を前に雄弁に戦争の歴史を語った。この国に住む人間ならほぼ全員が学校で習っている内容で、館長もその内容を熟知していた。何も資料を見なくても、小一時間はその戦争について語ることができた。
その日博物館を訪れたのは、外国からの旅行者だった。館長はそのことについて疑っていたが、本人たちがそう言うので、深く詮索することはやめた。客は客だ。
その旅行者は奇妙な二人組だった。一人は、銀色の髪を持つ少女。後ろ髪を高い位置で結んでおり、色白の肌と銀色の髪が、境目の分かりにくいうなじを見せていた。銀色の髪というのも珍しいが、その中に、金色の髪が一房混ざっていた。館長は、最近若者の間で流行っている「エクステ」を連想した。
もう一人は、褐色の肌の大男だった。その少女の父親というよりは、屈強な戦士といった風貌だった。体中に傷と刺青を持ち、そのため館長も入館を断ろうかと考えたが、とても言い出せなかった。しかし実際に案内してみると、大男は少女の後ろに付き従い、時折戦争中に使用された武具を興味深く見ているだけだった。館長はツルツルの自分の頭を撫でながら、先入観で人を判断してしまったことを恥じた。
二人は戦争のことどころか、この国について全く知らないようだった。それならどうしてこの国に来たのかと訝しむ点はあったが、館長はあまり気にしなった。人に何かを説明することが好きで、この二人は、まさにうってつけの相手だったからだ。
館長の話が面白いのか、展示物に興味があるのか、二人は熱心に館内を見て回っていた。そしていよいよ館内を一周しようというところで、ひときわ大きい展示室に出た。その一室の奥に、厳重に鉄柵と強化ガラスで守られた武具が飾られていた。
「フーン。これが、館長の話に出てきた矛と盾ね」
「ああ。そのようだな」
その矛と盾は、一目でわかるほど意匠も纏うオーラも異なる、異質なものだった。二人は食い入るように、ガラスの中を覗き込んだ。
「ええ、そうです。そして、その後ろの絵画は、神の武器を授けてくださった少年と少女の姿を描いたものです。まあ、その時の光景を見た人は数少ないので、ほとんど想像ではありますが。ハイ」
その絵画は、縦横何メートルもある巨大な絵画だった。その中央で、太陽のような後光を背負った少年と少女が矛と盾を掲げていた。向かって右側には、東の国の総大将が。左側には西の国の総大将が跪いていた。その少年は正面を向いていたが、後頭部からは腰のあたりまで達する不自然に長い髪の毛が伸びていた。
「ねえ、館長。ワタシ、さっきの話でどうしても気になることがあったんだけど」
少女は矛と盾から目を離し、まっすぐに館長の目を見た。その瞳は作り物かと思うほど透き通っており、ガラス細工を連想させた。
「おお、なんですかな? 儂にわかることなら、何でも聞いてくだされ。ウム」
「“何でも貫く矛”と“何にも貫かれない盾”なんでしょ? だったら、その矛で、その盾を貫こうとしたら、どういう結果になるのかしら?」
「ああ、なるほど。それは当然の疑問でしょうな。初めてこの話を聞いた方なら、誰もがその疑問を抱くでしょう。ハイ」
「勿体ぶらなくていいから、早く教えなさいよ」少女は頬を膨らませ、館長をにらみつけた。結んだ銀の髪が軽やかに揺れる。
「実を言いますとな……誰も試したことが無いのです。戦時中でさえ、この矛と盾が戦いに使われることはなかったと聞いています。ハイ」
「ハア? なによ、それ。話の通りなら、結構強力な武器なんでしょ? それを使わないなんて、バカじゃないの?」
少女は、まるで自分がバカにされたかのように怒り出した。仕舞いには「どうして、人間ってこう不合理なことをしたがるのかしら?」とまで言い出した。館長は「君も人間じゃないか」と言いたくなったが、その言葉は飲み込んだ。
「記録によりますと、確かにこの武具には尋常ではない力があったようです。そして、この矛と盾の存在は相手の国にもすぐに知れ渡るようになりました」
「人の噂はすぐ広まるもんね。それで?」
「その頃には、矛と盾は“神の武器”として崇め奉られていました。そして、『神の武器に対抗できるのは、神の武器をおいて他にない』と誰もが考え始めていました。しかし、それは実行されませんでした。
というのも、それはもはや単なる武器ではなく、その国の象徴のような存在になってしまったのです。万が一にも、その武器が破壊されたり、奪われるようなことになれば、それは戦争の敗北を決定づけるのです。そのため、結局戦争に使用されることは無かったのです」
館長は一息ついて、話を続けた。
「しかし、それが結果的には良い方向に向かいました。神の武器は相手国の神の武器だけでなく、戦争そのものの抑止力になったのです。『もしも相手があの武器を持ちだしたら、勝ち目は無い。かと言って、こちらの切り札が競り負ければそれこそ終わりだ』そのような心理が、戦争を鎮静化させたのでしょう。血を流すことは減り、互いに睨み合う状態になったのです。
そして、百年にわたる戦争と睨み合いで疲弊した両国は、ついに終戦を迎えたのです。その友好の証として、東の国の王子と、西の国の王女は契りを交わしました。そして両家は、矛と盾の守護者となったのです。ハイ!」
館長は熱弁を終え、汗だらけになっていた顔をハンカチで拭いた。その話を聞いていた二人は、幾分冷めたような表情になっていた。今にも「なーんだ、つまんなかった」とでも言い出しそうだった。
「ねえ、館長。もしもの話なんだけどさ」
「もしもの話? なんでしょうか」
「ワタシの後ろにいる大男、実はメチャクチャ強いのよね。こんなガラス、飴細工みたいに割って矛と盾を盗むことも簡単なのよ。ワタシとしては、どうしても矛と盾をぶつけてみたいんだけど、それはダメかしら?」
唐突に物騒な計画を語る少女に館長は一瞬動揺したが、すぐに平常心を取り戻し、大笑いを始めた。その声が、静かだった館内に響き渡る。
「カーカッカッカ! 面白いお嬢ちゃんですな、ウム!」
「な、なによ! 何が面白いのよ!? あんまり笑うと、まずはアンタからペシャンコにするわよ!」
「二人とも、ここは博物館の中だ。少し静かにしたらどうだ?」
これまでずっと黙っていた大男が口を開いた。ごく普通にしゃべっただけだというのに、一瞬でその場は元の静けさを取り戻した。
「この矛と盾はレブリカ……模造品だ。仮に力づくで盗んだとしても、何の意味もない。そうだろ、館長」
「えっ!? そーなの!?」
目を丸くし、少女は矛と盾を睨みつけた。しかし武具を見る目は無いのか、「まったくわかんない……」と呟くだけだった。
館長はホッと胸をなでおろしながら、照れくさそうに頭を掻いた。
「……まあ、そういうわけです。“神の武器”とまで称された物を、こんなところに保管はできませんよ。本物は、儂の実家に安置されていますからね。ハイ」
「なーんだ、そうだったの……ん?」少女は首を傾げた「そんな凄い物が、どうしてこんな冴えないおじさんの実家にあるのよ? おかしいでしょ」
「まったく……お前は鈍感な奴だな。まだ気づかないのか」
二人は館長の方を向いた。ツルツルの頭に、出っ張ったお腹。だらしない体といえばその通りだが、それは戦争を遠い過去のものにした、平和の姿そのものといえるのかもしれない。
「どうも。一応、この国の国王で、矛と盾の守護を担っています。ハイ」




