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100万頁のシックザール=ミリオン  作者: 望月 幸
第九章【アルメリアのいない国】
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五話【アルメリアについて】

「うげっ!」

 シックザールの倍近い音量で、その少女はわざとらしくうめいた。

 自分も同じことをしたことは棚に上げ、シックザールはずんずんと彼女に近づいていく。隣を歩いていたセルファも慌ててついていった。

「やあ、シャイニー。最近会いに来てくれなくて寂しかったよ。お前の甲高いお子ちゃまボイスを聞かないと、何だか目が冴えないんだ」

「それは申し訳なかったわね。ワタシも、こんな暑い日にはアンタの顔を見たいと思っていたのよ。あの幽霊みたいな陰気臭い顔を思い出すと、ワタシも涼しく感じられるのよねェ」

 顔を合わせるなりお互いのことを毒づく二人。額と額がぶつかりそうになるほど顔を近づけてにらみ合い、目の前の相手を視線で殺さんとするほどの見えない火花を散らせていた。彼らを見守る人々は、また恐ろしい事件が起きるのではと思ったのか、顔から血の気が引いていた。大人たちは物陰に身を潜め、小さな子供たちは脚が震えていた。

「シックザール様、おやめください!」

「シャイニー。君もよく飽きないものだな」

 二人の従者が、自らの主人を力づくで引き剥がす。鼻息が荒く、手を離せばすぐに飛び掛かりそうだった。昔のシックザールならば、その状態でも唾を飛ばしたり、罵詈雑言を吐いたりしていたかもしれない。

 しかし彼は、急に気勢が削がれたようにおとなしくなった。おそるおそるセルファが手を離しても、その場で直立するだけだった。それが意外だったのか、様子を見ていたシャイニーも同様におとなしくなり、握りしめていたこぶしをほどいた。

「本当に、ちょっと……ちょっとだけ、寂しかったんだからな。うちに来てくれなくてさ」

 それだけ、シャイニーにも聞こえないような音量でボソボソつぶやいた。それでも恥ずかしかったのか、顔を横に向け、視線は地面に落ちている。落ち着かない様子で、金色の髪の毛先を指でくるくるといじっていた。

「ネグロさんから聞いたよ。ボクがヴルムの村に通っている間にも、何度も来てくれたっていうじゃないか。それに、ボクがセルファと一緒に暮らし始めてからも、何度か近くまで来てたよな。言いづらかったけど……気づいてたからな」

 その言葉を聞いて、シャイニーは顔を真っ赤にしながら、鬼の形相でネグロを睨みつけた。彼はそっぽを向いて「君の優しさをアピールしてあげただけだ」と涼し気に言った。

 もはや言い逃れはできないと悟ったのか、シャイニーは大げさにため息をつくと、腕を組んでシックザールを正面から見据えた。

「別にっ! アンタがいないと張り合いが無いからよ。他の平凡な連中じゃ、ワタシの相手なんて務まらないんだから」

「そうだな」笑顔でうなずく。「お前の相手ができるのは、ボクぐらいなものだよ」

「わかってるならいいのよ。それより、アンタ――」

 そう言うと、シャイニーはズンズンと接近し、その細い腕でシックザールの首を絡め取る。そのまま力づくで路地の方に引っ張っていった。セルファとネグロが驚きながらもついていこうとするが、それを鋭い視線で制した。二人だけで話をしたいということらしい。

 従者の二人に話声が聞こえないほど距離を開けたところで、ようやく解放してくれた。「急に何をするんだよ!?」と抗議するが、彼女の真剣なまなざしを受けて口を閉じてしまう。シャイニーは後ろで手を組むと壁にもたれかかった。

「随分楽しそうにやってるじゃない」

「なんだよ。何のことを言ってるのかわからないぞ?」

「……はっきり言わないとわからないの?」ハアッと、またもや大きなため息をついた。「アルメリアのことを忘れちゃったのかと聞いてるのよ」

「アルメリア……?」

 彼女の名前を、随分久しぶりに口にしたと感じた。実際にそうだった。セルファと暮らし、「セルファ」と彼女の名前を呼ぶ度、少しずつアルメリアの名前を忘れていったのかもしれない。巨大な鉄の塊が徐々に錆びていき、端から少しずつ欠けていくかのように、彼女の存在がおぼろげになっていた。


 アルメリアの顔を――

 アルメリアの声を――

 アルメリアのぬくもりを――

 アルメリアと過ごした時間を――

 今はどれだけ、覚えているだろうか?

 

「ちょっと、急にどうしたのよ?」

 その声でハッと目が覚めた。何とはなしに顔に手を当てると、ひんやりと冷えていた。

「――アルメリアのことなら覚えているに決まってるだろ。どれだけ一緒にいたと思ってるんだよ」

「そう。それならいいけれど」シャイニーがずいと顔を寄せる。「ただのおせっかいだけど、あの子のこと、忘れるんじゃないわよ。じゃないと、せっかくアンタなんかのために頑張ってくれたのに、報われないじゃない」

「だから、そんなのわかりきってるって言ってるだろ」

 少し語気が強くなってしまった。ムキになっていることで、逆に説得力を失ってしまっているのかもしれない。そう思った時には、シャイニーは持たれていた壁から離れ、元の大通りに戻ろうとしていた。

「わかってんならいいわ。新しい従者……セルファさんだったわね。あの人と仲良くするのも大切だけど、時々でも、アルメリアのことを思い出してあげなさい」

「どうして急に、そんなこと言い出すようになったんだ? ひょっとして、ネグロさんと何かあったのか?」

「そういうわけじゃないけれど」彼女の脚が止まる。「別れ方とか、別れた後とかって、意外と大事なんだなって。最近そう思うようになっただけよ」

「ふうん」

 いつも傍若無人な態度だけに、そんな感傷的なことを考えているとは想像もつかなかった。彼女は彼女で、知らないうちに辛い体験をしていたのかもしれない。

 白本の旅路は、決して順風満帆ではない。楽しいことも辛いことも、すべてひっくるめて経験し、それがよりよい本に成ることに近づく。それを本能で知っているからこそ、多くの白本たちは旅に出なければいけないのだ。


 なあ、アルメリア。お前も知っている通り、ボクは辛い目に遭ったよ。でも、今は新しい従者の人と共に、それなりに楽しくやってる。お前はそれを、きっと祝福してくれるだろう? たとえボクの中から、お前の記憶が薄れていったとしても


 この場にはいない、未だあの世界に残っているアルメリアに問いかけた。その答えは自分で想像するしかなかった。


 シャイニーたちと別れた後は、二人で映画を見に行った。かつて巨大蟻の襲撃を受けたあの映画館は、何事も無かったかのように建て直されていた。むしろ、老朽化していた以前よりも小綺麗になっている。それだけ、この映画館が多くの人に愛されているという証明でもあった。建て直す際に多くの寄付が寄せられたのだ。

「やあ、シックザール君」

「こんにちは、館長」

 小さな入り口ロビーで、館長のヴルムと鉢合わせした。彼は映写技師として働くこともあるが、暇な時はこうして客の顔を見るためにロビーに出ていることも多い。ヴルムの立場が危うくなってからも、映画館の館長という役職と、一見してヴルムには見えない容姿が幸いして、彼は今も心おきなく愛する映画を上映し続けている。

 ロビーには現在公開している映画のポスターが並んでいる。いずれも館長の手書きで、異世界で技術を学んでいたらしい。人の目を引き、興味を掻き立てる独特な色遣いが特徴だ。甘ったるい恋愛映画ですら、時にサスペンスの色を醸し出すことがあるのはどうかと、ビブリアの映画マニアの中でも意見は分かれているが。

「あれ? 館長、今回は随分公開期間が長いんですね」

 シックザールの視線がポスターの下の方に止まった。そこには必ず公開期間が明記されているが、そこに書かれていたのは、いつもの三倍ほど長い期間だった。

「ああ、それかい。それは君のためなんだよ」

「ボクのため?」思わず首を傾げた。

「ほら。君は……あんなことがあったから、街に来ることが難しくなっただろ。そうなると、当然映画を見ることもできなくなってしまう。それではあんまりだと思って、君が来ない間、何度か公開期間を延ばしていたんだ」

 よく見れば、確かに修正した跡が見て取れる。少なくとも二回は書き換えたようだ。

「でも、それじゃ新しい映画が見られなくなるじゃないですか。他のお客さんから苦情が来ませんでしたか?」

 自分のせいで、他の映画ファンに迷惑をかけたのではないか。そう思って申し訳なくなるが、その予想に反して館長は首を横に振った。

「初めのうちはそうだったんだが……次第にそんな声は減っていったよ。君が映画マニアというのは、ここに通っている人なら多くが知っていたからね。理解を示す人はどんどん増えていった。今では『シックザールが見るまで、いつでも待ち続けるよ』と、みんな言ってくれてるよ」

「そんなことが……」あったんですねと言いかけて、言葉が詰まった。

 今でも、街に出るのは勇気がいる。表向きには自分にいい顔をしていても、陰でどのように思われているのかわからない。これまでにすれ違った人たちも同様だ。

 しかし、このポスターは違う。館長だけでなく、他の白本や装者も自分のことを正しく理解してくれている。同じ趣味の仲間だからという理由はあるかもしれないが、それを差し引いても喜びを感じずにはいられなかった。

「せっかくですから、まだ見ていない映画、全部見ていきませんか?」そう言いながら、セルファはハンカチを差し出した。「その前に、これをお使いください。せっかくの映画が、歪んで見えなくなってしまいますよ」


 結局シックザールたちは三本もの映画を見ることになった。館長が料金を割引きしてくれたのだ。シックザールの姿を目に留めて、嫌な顔をするという客がいなかったのも幸いした。館長の言葉の通り、ここに敵はいなかった。

 映画館を出たところで、ようやく空腹に気づいた。映画を三本も見たこともあり、すっかり夜も更けていた。いくつかの店は今日の営業を終了している。

「今から食材を買って夕食を作ると遅くなりますし、今日は外で食べましょうか」

 セルファの提案に乗ることにした。

 まだ大勢の人に囲まれて食事することは避けたかったので、この日は屋台のラーメンを食べることにした。目いっぱい座っても五人しか座れない。

 小さな暖簾をくぐると「へいらっしゃい!」と、店主が威勢よく声を張り上げる。シックザールの顔を見て一瞬目を見開いたが、すぐに男らしい笑顔を浮かべると座るように促した。少し前なら、今は仕込み中だからと適当な理由で追い返されたところだろう。

「せっかくおしゃれして来たんだから、もっとこじゃれた店の方が良かったかな?」

「わたくしは、シックザール様とご一緒できればどこでも満足ですよ」

 そう言い返されては悪い気など起きなかった。

「へい、お待ち!」景気の良い声と共に、盛大に湯気を立てるラーメン二杯が突き出された。シックザールはズズズと豪快に、セルファは髪をかき上げながら箸ですくい上げるように口に運ぶ。よほど色っぽい仕草だったのか、それとも胸元が見え隠れしていたのか、ラーメン屋の店主の視線がせわしなかった。

 その様子を見ながら、「どうだ、ボクの装者は綺麗だろう!」と、心の中で鼻を高くしていた。

 あれほどシャイニーに言われた後だというのに、「ボクの装者」という言葉には、アルメリアの存在はつゆほども含まれていなかった。

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