一話【停滞するシックザール】
カン――カン――カン――
甲高い音が、レンガ造りの鍛冶場の中に響く。テントウムシの羽を背に携えた丸い体のマリキタは、全身を汗に濡らしながら金槌を振り続けた。太いハサミで鉄を掴むと、炉に入れて黄金色に熱する。十分に熱し終えると、台の上に置いて金槌を振るう。一心不乱に、その作業を何度も繰り返していた。
そんな彼の働きぶりを、後ろでシックザールが眺めていた。椅子の背もたれに両腕と顎を乗せ、飛び散る火花を目に焼き付けていた。炎や火花が散る鍛冶場は白本にとって過酷な環境に違い無かったが、何日も通い詰めている彼の心を熱くするものでは無かった。他に見る者が無いから、仕方なく鍛冶仕事を見ている。その程度の行為だった。
一仕事終えたマリキタは上半身を裸にすると、水で湿らせたタオルで顔と体を拭き始めた。一通り汗を拭き取ると、冷やしておいたお茶をグラスに注いで一気に飲み干す。僅かにこぼれたお茶は、彼のたっぷりと蓄えられた白い髭を伝って床に落ちる。それを少しもったいなさそうに見ていたマリキタは、ようやく口を開いた。
「いつまでこの世界に引きこもっているんだ、シックザール?」
それはシックザールを心配するでも、憐れむでも、たしなめるでもない。ただの独り言のように、特別な感情が込められた言葉ではなかった。今のシックザールにとっては、そんな何気ない言葉の方がありがたかった。好意であれ、悪意であれ、強い感情が込められた言葉ほど自らの感情も逆撫でされるような気分だった。それほどまでに、彼の心は過剰なほど敏感になっていた。
だから、ヴルムたちの村、ひいてはマリキタの鍛冶場に赴くことが多くなった。女王蟻襲撃事件によって、同じ存在であるヴルムたちの立場は悪くなり、街の白本や装者の攻撃の対象にされることが多くなった。しかし腕の良い鍛冶屋であるマリキタは重宝される存在で、その近辺は襲われることが無く、以前と変わらぬ平穏な時間が流れていた。
「そんなことを言わないでよ、マリキタさん」
自然と、少し甘えるような声を出していたことに自分で驚いていた。
ヴルムのことは元々大嫌いだったのに、今の自分は、それ以上に嫌悪される存在だ。敵の敵は味方。嫌われ者は嫌われ者同士、自然と親近感が湧くのかもしれない。そのように分析した。
「むしろ、感謝してほしいくらいですよ。『あの化け物は、最近ヴルムの村に入り浸っている』その噂のおかげで、最近は悪意を持った白本や装者が、この村に近寄るのを避けてるじゃないですか。いわばボクは、この村の守り神ですよ」
「感謝しているよ。儂も、他の者たちも」そう言うと、マリキタは窮屈そうに体を曲げて、頭を下げた。「――この村だけじゃない。このビブリアという国を守ってくれた、本物の守り神としてな」
「――本当に?」
首を傾げながら、子供っぽく尋ねてみる。
「本当だ、ああ。いいぞ、誓っても」
その言葉の割に、シックザールを見下ろすその瞳には“感謝”という感情がこもっていないように見えた。
本の虫ことヴルムたちは、通常の白本たちと比較して長い時間を生きており、大なり小なり差別的な扱いを受けている。元々変わり者が多いヴルムの中でも、マリキタは感情を表に出すのが少ないのだと理解していた。ただし、鍛冶仕事に手を出そうとした時にこっぴどく叱られたことはあるので、自分の仕事に対しては厳しいスタンスを取っているようであった。
「自分でも不思議ですよ。あんなに嫌っていたヴルムの村が、ボクの唯一の居場所になっちゃうなんて」
「言うもんじゃないぞ、そういう言葉は。本人の前で」
「許してくださいよ。これでもボク、結構傷ついてるんですから」
「ふん」マリキタは鼻を鳴らす。「甘えているだけだ、お前は。白本の多くは経験する。装者との別れを。そして、また旅に出るものだ、悲しみを割り切って。そうしなければ本の虫になるぞ、お前も」
「本の虫――かあ」顎を上げ、白くくぐもった天井を見上げる。「それも、いいかもしれませんね」
視線を戻すと、マリキタは若干目を剥いていた。彼の予想を裏切る回答だったらしい。
「冗談ですよ、冗談。ちょっとした意地悪ですよ」
実際のところはどうだろうか? そう思いながら、愛想笑いを見せた。
「マリキタさん、頼んでいたのはできたかい?」
鍛冶場の入り口から、男にしては比較的高音の声が聞こえる。ついでに若干の胡散臭さも含まれた声だ。
「おお、アリンコか」
「うっす。シックザール君も一緒か」
「はい。今日も鍛冶の見学です」
「そうかい、そうかい。そういうことにしておこうかい」
彼もまたヴルムの一人で、初めてアルメリアとヴルムの村にやって来た時に遭遇した男だ。とても小柄な男で、孫と言っていいほど年下のシックザールよりも背が低い。加えて、彼の額には二本の折れ曲がった触角が付いており、まぶたの奥には昆虫特有の大きな複眼が入っている。マリキタがナナホシテントウに近い体を持つように、彼は蟻に近い体を持っている。それらの理由から「アリンコ」と呼ばれていた。本人も気に入っているようで、本来の名前は誰も知らない。本人も忘れているのかもしれない。
「そこで盗み聞きさせてもらったよ。なんだい、シックザール君。君がヴルムになるというのなら、これほど心強い存在はいないぞ。君の力については、この村でも知れ渡っている。その存在だけで、いけ好かない白本や装者の連中を牽制できるんだ。正式に仲間になってくれれば、俺たちが向こうの街に暮らすことだってできるかもな!」
アリンコは、熱っぽく期待を込めた声でまくし立てた。
シックザールは初めてアリンコと出会った時のことを思い出して苦笑していた。あの時は、目の前に現れた白本と装者の二人に腰を抜かして怯えていたくせに。今はまるで、革命軍のリーダーか参謀にでもなったかのようだ。
自分がこの村では必要とされていることに、少なからず安堵を覚えた。しかし、それと同時に、やはり自分は怪物扱いなのだなと実感することになった。
それだけでなく、この国の未来について考えずにはいられなかった。白本や装者がヴルムを嫌っているのは昔からだが、今はアリンコに代表されるように、彼らに敵対心を燃やす者も多く現れている。ヴルムの村には怒りにも似た赤い空気が漂っている。それが目に見えるようだった。
「それくらいにしておけ、無駄話は」
なおもシックザールに親し気に話しかけるアリンコに対して、マリキタは包丁を突き付けた。
「ひいっ!? お、驚かすなよ……」
それはアリンコを刺そうとして突き出されたものではなく、彼がマリキタに注文していた包丁だった。彼は刀剣類や防具だけでなく、包丁や農具なども作るし、その気になれば銃も作れるとのこと。こと鍛冶に関して、数々の世界を巡って技術を磨いてきたマリキタの右に出る者はビブリアにいない。
「せめてケースに入れるとか、それくらいしてくれないかね?」
「悪いな。サービス精神が無くて」
「いいよ、いいよ。愛嬌たっぷりのマリキタなんて気持ち悪いからな。あばよ、シックザール君。俺たちはいつでも君を歓迎するからなぁ!」
裸の包丁を握る手を振り、彼は元来た道を戻っていった。小さな後ろ姿は、すぐに植え込みに隠れて見えなくなる。
「――サービスが悪いなんてとんでもない。アリンコさんの話を遮るために、あんなことをしてくれたんですよね?」
「さあな。うるさかっただけだ、あいつが」
そのうるさい男は、すぐにマリキタの鍛冶場に戻ってきた。悲鳴を上げながら。
「ヒッヒッヒイイィィィィ~~~~ッ!!」
狂った笑い声のような悲鳴を上げながら、アリンコは転がるように鍛冶場に飛び込んだ。転がり終わった彼の顔の横にはマリキタが脱いだ服があり、そのむさくるしさに思わずえずいていた。
「危ないぞ、アリンコ。包丁を持ったままで」
「一体全体、何があったんですか?」
「ヒッ……ヒッ……ヒッ……」
言葉にならない嗚咽を漏らしながら、彼は包丁で鍛冶場の外を指した。
その方角を睨んでいると、やがて一人の女が歩いてくるのが見えた。スラリと伸びた手足に、引き締まった体。腰にはわざと見せつけるかのように小振りの剣を帯びる、女というより戦士と称した方がしっくりくる存在。紛れも無く装者の女だった。
三人の視線を受けながら、女は悠然と歩み寄り、鍛冶場の入り口に立つ。そして、恭しくお辞儀した。
「お騒がせして申し訳ありません。この情勢の中、あなた方の村に立ち入るのは混乱を招くとは存じておりますので、手早く要件を済ませます」
それだけ言うと、椅子に座るシックザールの方へ歩み寄る。アリンコは何か言いたそうだったが、彼女に一睨みされると即座に視線を逸らした。
「あなたは……」シックザールが口を開く。「ネイサ姫の使用人の一人――ですよね。何度かお城で見かけましたから。そんな人が、どうしてこんな所に来たのですか?」
「こんな所」を、皮肉を込めて強調したが、彼女は少し視線を動かしただけで、何も聞こえなかったかのように無表情だった。昔のアルメリアみたいだなと、ぼんやり考えていた。
「姫様のご命令で、あなたをお迎えに上がりました」
そう言うと、細く白い手を差し伸べる。
「あなたの新しいパートナーとなる装者が見つかりました。また、旅に出られるのです」
シックザールの目が大きく見開かれた。その横で、ヴルムの二人が息を呑む音が聞こえたような気がした。




