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100万頁のシックザール=ミリオン  作者: 望月 幸
第八章【ともだちの国】
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十四話【特別な二人】

 いつもの天井だった。

 いつの間にか意識を失っていたシャイニーが、目を覚まして最初に視界に入れたのは、この六日間見続けてきた天井だった。この世界に来て最も多くの時間を過ごした部屋だけに、我が家に帰ってきた気分すら感じていた。

「ようやく目を覚ましたか」

 出し抜けに、すぐそばから声が聞こえた。聞き慣れたその声は、彼女の意識を現実に引っ張り込む。

「……ネグロ。ワタシは、一体、どうなっていたの?」

「どうというほどのことは無い。ほんの三時間弱、気を失っていただけだ。本当はどこか別の所に泊まりたかったんだが、ここ以外に適当な場所が見つからなかったからな。すまない」

 シャイニーには、どうしてネグロが謝ったのか一瞬理解できなかった。

 やがて合点がいった。あの一家の家に戻ることで、あの惨劇を思い出すのではと、ネグロは気を揉んでいたのだ。

 しかし、その気遣いは意味が無かった。白本のシャイニーの体には、既にあの体験が刻まれていた。真剣に思い出そうとすれば、あの場の気温や湿度すら思い出せる。ただし、そんなことをする気分にはなれなかた。おそらく、今後も。

 ネグロは最善を尽くした。カラコロちゃんの正体をぼかし、どうしても手を下さなければいけない時も、自分で手を下した。少しでもシャイニーの心の傷を小さくするために。

 そんな彼でも、さち子の最期の抵抗と、少年二人があの場にやって来ることまでは予想できなかった。結局、彼の奮闘空しく“カラコロちゃんの噂“の解決は、最悪の形でエンディングを迎えることになった。

「でもね、ネグロ。ワタシは時々、思うのよ」

「どうした? また、唐突に」

「なんでアンタは、ワタシにここまでしてくれるの? 名実共に、最強の装者のくせに」

「――何を今更。装者が自分の主人の白本に仕えるのは、ごく一般的なことだ。実際に俺は、君以外にも多くの白本を本にするべく導いてきた」

「そうじゃない!」

 思わず語気が強くなる。あんな出来事の直後だから、心がまだ不安定に揺れているのかもしれない。呼吸と心を落ち着けて、もう一度口を開いた。

「そうじゃない。アンタの活躍は、ワタシが旅に出始める前から風の噂で何度も聞いたわ。

 みんな言っていたわよ。ネグロは、一言で例えるのなら『高性能なロボット』だったって。感情を出すことは滅多に無く、だけど命令には忠実。あまりにも優秀で、あまりにも恐ろしいって」

 ネグロは無言だった。仕方なく、シャイニーは話を続ける。

「それが、どういうことかしら。ワタシの第一印象は『何よ、コイツ。全然噂と違うじゃない』だったわ。優秀は優秀だけど、皮肉屋で、自分の主人を主人と思わないような傲岸不遜な態度。人違いかと思ったほどよ」

「それは、まあ……昔はそういう時もあったかもな」

 ネグロの声が微かに震えている。柄にもなく、恥ずかしがっているのかもしれない。

「そうだな……」

 隣から布団の掏れる音が聞こえる。隣であおむけで寝ていたネグロが、天井からシャイニーの方に体を回した音だった。

「どうせすぐには眠れないだろう? 少し、話をしようか」


「あるところに、一人の装者がいた」

「それって、どうせアンタのことでしょ? 回りくどいし陳腐よ」

 ネグロはしばらく沈黙したが、何も聞かなかったかのように話を続けた。

「……その装者は、優秀な奴だった。急速に力を身に着け、初めて仕えた白本を見事、本に成らせた。その後も彼が仕えた白本は、例外なく本に成っていった。それは未だ誰も成し遂げていない偉業だった」

「知ってるわよ、それくらい。その装者さんは、さぞかし鼻が高かったでしょうね」

「いや」ネグロは、彼女の言葉を即座に否定した。「結果的に彼が手に入れたのは、余りある名声と、それ以上の畏怖だった」

「どういうこと?」シャイニーは話を促す。

「どうやら彼は、他の装者達には眩しすぎたらしい。自分がどれだけ努力しても、どれだけ白本に尽くそうと、その装者には敵わない。それだけならまだしも、彼の眩しさは、装者だけでなく白本の目もくらませた。

 違う点があるとすれば、装者たちがその光を嫌ったのに対し、白本は惹かれたという点だ。真摯に白本に仕えても、その白本は例の装者に憧れる。まさにその男は、目の上のたんこぶだったわけだ」

 いつの間にか、シャイニーは軽口を挟むことを忘れていた。

 それと同時に、ネグロの家のことを思い出していた。あの、街外れに一軒だけ佇む、寂しい家のことを。ビブリアでは数少ない鉄筋コンクリート造の、白い真四角の家を。

 初めてその家を訪れた時、つまりネグロのことを高性能ロボットと認識していた時、「なるほど。この家にして、あの家主ありね」と思った。ネグロという装者は、他人を徹底的に排除しているのだと。

 しかし、実際はどうだったのだろうか。本当に避けられていたのは、ネグロの方だったのではないか。ベテランの彼であれば、自分が他人にどう思われているのか、わからないはずもなかった。

 頑張れば頑張るほど、かつて仲間だった者たちとの軋轢は深くなる。冷たい目で見られるうちに、感情を一つ一つ剥がされていったに違いない。

 思えば、ネグロが他の人たちと一緒にいることを見る事は少なかった。この世界に来る直前も、彼は人通りが少なくなった道をトレーニングのコースにしていた。それもまた、人を避けてのことではなかったのか。

 眩しすぎるその男は、他の人たちの目を潰さないようにと、自ら遠くへ沈んでいったのだ。


「やがて、彼が“生きる伝説”とまで謳われるようになった時だ。ネイサ様より、新たな指令が下った。何ということはない。新たな白本を頼むという、いつもの命令だ」

「……それで、どうなったの?」

 恐る恐る、そう訊かずにはいられなかった。暗闇の中で、ネグロの視線を感じた。

「一人の少女と出会った。彼はその少女に、どこか親近感を覚えた」

 ネグロが軽く息を漏らす。笑ったのだ。心なしか、部屋に充満する重苦しい闇が軽くなったように感じられた。

「その少女は、彼がこれまで面倒を見てきた白本の中でも、飛び抜けてじゃじゃ馬だった。わがままで、気が短くて、すぐに腹を立て、暴力を振るう。おまけに、ビブリアで初となる電子タイプの白本とやらで、その扱いにはほとほと困っていたようだ。伝説の存在のくせにな。

 だけど、彼は楽しかったんだ。失いかけていた感情が、彼女と同じ時間を過ごす度に蘇ってきた。笑ったり、呆れたり、皮肉を言うまでになった。時々、それが行き過ぎることもあったようだが。それでも彼は、楽しかったんだ」

 シャイニーは相槌も打たない。それでも構わず、ネグロは話し続けた。

「やがて彼は思った。彼女のために、できる限りのことをしてやろうと。それこそが、自分自身が、彼女のためにしてやれる恩返しだと。無機質なロボットという殻を壊し、再び、感情のスイッチを入れてくれた彼女に対する」


「――その」

 ネグロの独白を聞いて、シャイニーは口を開かずにはいられなかった。そうしなければ、不公平だと。自らに仕える従者のために、主人として、やるべきことをやらなければと。

「その女の子のことなら、ワタシもよく知ってる」

「そうか」ネグロが優しくつぶやく。「よければ、聞かせてくれないか」

「その装者は、なかなかの慧眼だったのね。

 その女の子も、同じだった。特別な存在だからでしょうね。周りの人たちは、彼女と積極的に関わろうとしなかった。ただ挨拶するだけでも、腫れ物に触るように、恐る恐るって感じだった。彼女は電子タイプという点以外は、ごく普通の女の子だったのに」

 ネグロがフッと笑う。「なるほど。きっとそれが原因で、その子の性格は歪んでしまったんだろうな」

「うっさいわね!」つい怒鳴り声を上げた後で気付いた。「……って、その子が聞いていたら、そうやって怒ったでしょうね」

「だろうな。容易に想像できる」

 もう一度怒鳴りそうになったが、気を取り直して話を続けることにした。

 不思議と、自分の話に戻った瞬間に、ネグロに対する怒りはなりを潜めた。

「性格が歪んだかどうかはともかく、やがて彼女はこう思うようになったのよ。『自分は、誰よりも特別な存在だ!』『他の白本も、装者も、全て見下すべき存在だ!』って。

 ――馬鹿な話よね。そうやって自己暗示して、自分が一人ぼっちだっていうことを正当化したのよ。そうしてお望み通り、そうなった。良く言えば孤高。その実態は、ただの寂しがり屋の、強がりな女の子」

「そのことを理解していたのは、例の装者だけだったろうな」

「きっと、そうでしょうね」

 一度口を閉じて、大きく息を吸う。

 顔が熱くなるのを感じる。ここから先の言葉は、彼女にとって非常に恥ずかしいものだったが、それでも言わずにはいられなかった。いつか、誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。

「だからその子は嬉しかったのよ。自分と同じように、特別な境遇に置かれた人に出会えて。

 一人は、生意気にもネイサ様の腕の中で産まれた、いけ好かない白本の男の子。自慢げに金色の髪を見せびらかして、その女の子にも臆せず憎まれ口を叩く、嫌な奴。『自分こそ最も特別な白本だ』って、自分が特別であることを長所としか思っていない。女の子は、やっと対等な相手――いえ、自分よりも特別な人に出会えて、内心ホッとしていたのよ。

 そしてもう一人は、生きる伝説と呼ばれる、孤高の装者。その装者が女の子に対して親近感を覚えたように、彼女も同じことを感じていた。目に、同じ光を感じたのよ。誰よりも眩しい光を持ちながら、それを無理やり押し込めてる――そんな光を、ね。

 端的に言えば、その女の子は、二人のことを、そう――好きになっちゃったのよ」

 それだけ言い切ると、シャイニーはいよいよ恥ずかしさに耐えられなくなったのか、布団の中に潜り込んだ。顔だけでなく体全体まで熱くなっていたのか、布団の中には熱気がこもっていた。

「ありがとう、シャイニー」

 薄い布団の向こう側から、ネグロの声がくぐもって聞こえる。

「君の話は必ず、あの装者に伝えておこう。きっと彼は、心の底から救われるはずだ。いつか少女と別れる運命であっても、彼は腐らず、装者としての使命をまっとうできる――ああ、間違いない」

「そうね、お願い。それと――」

「ああ、わかってる。君が認めた、いけ好かない白本の少年には、今の話は絶対に聞かせない。聞かせるものか」

「くふっ、当然よ」

 布団の中で、声を立てずにくつくつと笑う。

「――ねえ、ネグロ。最後にいい?」

「ああ、もちろんだ」

「命令よ。アンタは絶対、ワタシが本に成るまで、ずっと一緒に、傍にいるのよ」

「何を今更。くだらない」

 シャイニーは、今度こそ声を上げて笑った。この男はあれだけ赤裸々に語っておいて、どこまで素直じゃないのか。

 自分より遥かに大きく、力強く、頼りになる従者。彼のことを愛おしく思わずにはいられなかった。

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