九話【人工天女】
「私が……天女になる……?」
続ける言葉を失ったキミコは、ただシックザールを見つめるしかなかった。巫女になる覚悟はできていた。しかし、天女になるとはどういうことか?
「……まあ、いきなりそんなことを言われても訳が分からないですよね。アルメリア!」
パチンと指を鳴らすと、アルメリアが彼女の傍に近寄る。すると、キミコの純白の巫女装束を脱がせようとした。
「ちょっ、ちょっと! アルメリアさん、いきなり何するんですか!?」
顔を赤くして抵抗するキミコの耳元に、アルメリアはそっと唇を寄せた。
「申し訳ございません。この方法しか、あなたを助ける方法が思いつかなかったのです」
「えっ?」
アルメリアは、視線をチラリとシックザールに向けた。
「あなたもご存じのとおり、シックザール様はあなたが生贄に捧げられることを望んでいました。それもこれも、天女という存在に会うためです。つまり、天女に会えないと分かれば、あなたを助ける可能性が出てくるということです」
「でもあなた、彼の忠実な僕という感じでしたよ? あなたも、主人の意向に反するようなことをされるのですね」
「わたしはシックザール様のことが第一ですが、全て言いなりというわけではありません。それはお忘れなきように。
さて、これからあなたの服を縫い直して天女の服を作りますので、一度脱いでいただけませんか? 大丈夫。シックザール様は、人間の女性の体に興味はありませんから」
妙な言い回しに、キミコは首を傾げた。まだ思春期前で、異性に興味がないという意味なのか。いや、むしろ、彼が人間ではないような……。
「……まあ、ここまで来たら怖いものなんてないよね」
彼女は自ら巫女装束を脱ぎ始めた。シックザールは胡坐をかき、ワクワクしながらその様子を眺めていた。
アルメリアは素早い手つきで裁縫を進めていった。
「そのままでは材料が足りないから」とシックザールが提案し、アルメリアの服も利用されることになった。彼女は体の刺青から針と裁縫用の普通の糸を取り出し、チクチクと縫い合わせていく。
そうして、アルメリア特製の天女衣装が出来上がった。巫女装束は羽衣のような軽やかな装飾になり、天女らしい神秘さを引き出している。巫女装束は全て羽衣に使用してしまったため、胸と腰回りはアルメリアの服を裁断して縫い、申し訳程度に隠すようにした。「露出が多い方が天女っぽい」とはシックザールの案だ。実際に、日照り続きのこの国で、こんなに露出のある服装は現実的ではない。それこそ、人間ではない者の服装だと思える。
「よし! なかなか上出来だよ、アルメリア!」
「ありがとうございます」
キミコは初めて身に纏うその衣装に、顔を赤くしながらも満足げであった。何度もポーズを取ったり、アルメリアの用意した鏡に自分の姿を映していた。
「これが、私……すごい。まるで本当の天女様みたい……」
「おっと、まだ満足しちゃいけませんよ」
チッチッチと人差し指を振るシックザール。露出の激しい女子二人を前にして、全く欲情している気配はなかった。
「でも、これ以上天女様らしいことなんてできませんよ?」
「まだ、致命的に足りないものがあるじゃないですか。わかります?」
「……いえ、わかりません。一体なんなのでしょうか?」
シックザールはたっぷり間を置き、勿体ぶって口を開いた。
「“雨“ですよ。天女と雨はセットなんでしょう? このままじゃ、単なる天女のコスプレです」
コスプレという言葉はキミコにはわからなかったが、たしかにこれだけでは、“ちょっと変わった服装の女の子“程度かもしれない。彼女の興奮が少し静まった。
「確かに雨は必要です。そもそも、私はその雨を降らせるために生贄に捧げられたのですから。でも、いくらあなたたちでも雨を自在に降らせることなんでできないでしょう?」
「そうですね。“自在に“とはいきません。でもキミコさんは……いや、この国の人は運がいい。実はね、ボクたち、この国に立ち寄る前にすごく雨が降る国に行っていたんです。それこそ、国が沈むほどの豪雨がね」
キミコは首を傾げた。そんな大雨が降る国など聞いたこともなく、そんなことがあれば街から離れた自分の村にも噂が広がるはずだった。
シックザールは、唐突にキミコに背を向けて歩き、少し距離を取った。アルメリアがその後に続く。キミコも近寄ろうとしたが、それをシックザールの手が制した。
「ちょっと危ないので、キミコさんはそこで見ていてください」
今から“ただならぬことが起きる“そう察したキミコは、言われたとおりにその場で立ち止まった。
すう……と、シックザールは静かに息を吸った。軽く体を反らし、腕を左右に伸ばす。ちょうど、十字架のような形になった。
すると、彼のマントや衣服が揺らめき始めた。服の中で風が行き交うように、ゆったりと波うち始める。そして、キミコはその大きな黒目を真ん丸にした。
シックザールの体が浮いたのだ。まるで、重力から解き放たれたかのように。加えて、彼の体は仄かに発光していた。淡く優しい黄金の光が、彼の体を包んでいた。
シックザールは目を閉じたまま、おもむろに唇を開いた。
――再上映――
その言葉を端に発し、彼を包む光が一層強くなった。シックザールが瞼を開ける。
すると、彼の手が、足が、衣服が、ペリペリとめくれだした。それはまるで、本のページが風にめくられていくかのようだった。さらに離れてみれば、その姿は白い翼を背負った天使のように見えたかもしれない。
そのページのほとんどは白紙の状態だった。しかしよく目を凝らせば、ところどころ文字が刻まれているようにも見えた。
その文字の一部が、ページから剥がれた。錯覚かと思って目をこすって改めて見ると、その文字は蛇のようにうねりながら、シックザールの周囲を優雅に泳いでいた。そして彼が空を指さすと、その指示に従って一直線に空に彼方に飛んで行った。あっという間に見えなくなってしまう。
「なんだったの……今の?」
目と口を開けながら、キミコはただ空を眺めていた。
視線を戻すと、シックザールを包む光が消えていた。本のページのようにめくれていた彼の体は、本を閉じる様に元に戻っていく。そうして完全に元の姿に戻ると、地面に降り立った。そのまま力なく倒れようとしたところを、アルメリアが抱き留めた。これもどこから出したのか、一本の大きな傘を持っている。
「ハア……ハア……。ああ、そうだ。キミコさん、あなたは踊れますか?」
呼吸は荒く、小さい体を大きく揺らしている。キミコは、こくんと首を縦に振った。
「ハア……舞台は、整えました。後は、君の演技力に期待しますよ」
その言葉に訝しむキミコ。そんな彼女の鼻先に、何かが当たった。虫でも飛んできたのかと触ってみる。
それは水滴……つまり、雨だった。
跳ねる様に空を見上げる。すると、ポツリ、ポツリと、雨粒が彼女の頬を叩く。地面を打つ。そうして、空は雨雲に覆われ、乾いた国に雨が降り注いだ。涼しげな音が彼女の耳に絶え間なく流れ込んでくる。
「雨……それも、こんなに早くに。あなたたちは、一体……?」
「おっと。感謝の言葉はいりませんよ。それより、ほらっ」
シックザールは傘の外に出ないようにしながら、不器用に手足を動かした。キミコは、その姿がおかしくて笑みがこぼれてしまった。彼は踊っているつもりだったようだ。
「ただ突っ立っている天女様なんて面白くないですよ。ほらほら、何でもいいので、ちゃっちゃと踊ってください」
言われなくても、そのつもりだった。
この二人の正体はわからない。人間じゃないことは明らかだ。しかし彼らは、キミコの命を救い、この国に雨を降らしてくれた。彼女には、ただそれが嬉しかった。
気持ちが昂る。意識をしなくても、手が、足が、体が、雨の奏でるメロディに乗って自然と動き出す。まるで、自分の手足が意思を持って動き出したかのようだ。
(私は今、天女様になっている……いいえ。ひょっとしたら、この人たちが神様の遣いだったのかもしれない。天子様と天女様……!)
雨の勢いは強くなり、ところどころでは水たまりができていた。地面を叩くその音は、まるで何万人の観衆が拍手を送っているかのように感じた。
降りしきる雨の中、一人の少女が花のように舞い続けていた――。
「それで、これからどうされるんですか?」
舞い疲れたキミコに、シックザールは声をかけた。彼女の顔には疲労が浮かんでいたが、それ以上に充実感に満ち満ちていた。
頭上から護衛の村人たちが見ているかもしれないので、岩壁に身を寄せる形で姿を隠していた。
「キミコ殿。村の人たちは、あなたが死んだと思い込んでいるでしょう。先ほどの天女の舞を見られていたとしても、誰もあなただとは思わないはずです」
「わかっています。私の居場所は、もう、あの村にはありません」
そう話すキミコは、明るい表情を浮かべていた。
「私、実は昔から考えていたんです。別の村に、別の街に行ってみたいな……って」
「お金も食料も無いのに、そんなことできるんですか? ボクらが見た限り、別の街なんて影も形もありませんでしたが」
「雨も降りましたし、人の行き来がまた盛んになるはずです。上手くいけば、行商の方の馬車に乗せてもらえるかもしれません。それに、私は本来死んだ身です。今更、ちょっとの無茶はなんてことありませんから」
キミコは胸を張った。それは決して強がりではなかった。全く根拠のない自信ではあったが、自分の理解を超えた体験の連続が、彼女の心に一本の芯を形成した。ただ流されるばかりの人生だった彼女がやっとつかんだ、希望の光だった。
「お二人には、とても感謝しています。私に未来を与えてくれたこと……この国に雨を降らせてくれたこと……おこがましいかもしれませんが、この国の代表として、深く感謝いたします」
そうして、深く深くお辞儀をした。地面からは、雨と土の混じった、生命の匂いがした。
「いえいえ、いいんですよ。人工的とはいえ、天女の物語をこの目で見られたんですから。代わりに雨の物語は消えてしまいましたが、まあ、それより面白い物語が手に入りましたし」
シックザールは、相変わらず訳の分からないことを話し始めた。しかし彼の表情は冗談を言っているようには思えなかったので、キミコはとりあえず「とういたしまして」と笑顔を浮かべた。
「それでは、私はそろそろ出発します。早くここを離れないと、護衛の者たちが私を見つけてしまうかもしれないので。何度も繰り返すようですが、本当に……本当にありがとうございました」
手を振り、二人に背を向けようとするキミコ。
「……ああ、そうだ! 伝え忘れるところでした!」
「えっ? な、なんでしょうか?」
「伝言を預かっていたのを、すっかり忘れていました。え~っとですね……」
シックザールがうんうん唸っている横で、代わりにアルメリアが口を開いた。
「『オレはいつまでも待ってるから!』だそうです。キミコ殿、あの村にあなたの居場所が無いというのは、どうやら間違いのようですよ」
彼女の顔に、柔らかい笑みが浮かぶ。その笑顔を見て、キミコもまた微笑んだ。その頬に、雨とは違う、別の物が流れ出した。
キミコは二人に背を向けると、雨の降りしきる大地を歩き始めた。その身に纏うのは、急ごしらえの天女の装束のみ。しかし彼女の中には、温かいものがこみ上げていた。
「キミコ殿は大丈夫でしょうか、シックザール様?」
アルメリアは、ただまっすぐ見つめながら言葉を漏らした。その視線の先で、キミコの姿はとっくに見えなくなっていた。
「さあね。ボクとしては、また面白い物語が手に入って満足だよ。この後、キミコさんが別の街で幸せに暮らすか、そこらへんで野垂れ死ぬか、正直興味は無いね」
「そうですか……」
「なに、アルメリア。何か不満?」
「いえ、そのようなことはありません……」
シックザールは自分の後頭部を触った。栞は短くなり、彼の本来の頭髪の中にほとんど隠れていた。
「このまま雨の中に立っていても気分悪いし、そろそろ帰ろうか。ほら、アルメリア。しっかりつかまっていてね。あっ、傘は差しながらだよ!」
「ええ、かしこまりました」
そうして、シックザールの体に手を回す。それを確認すると、栞全体が発火し、数秒のうちに二人の体を白い炎が包んだ。
「……あっ」ふいに、彼女の腕の力が緩んだ。
「どうした、アルメリア?」
「……あれは、天女様でしょうか?」
アルメリアの視線の先に、シックザールも目を向ける。しかし並外れた視力を持つ装者のアルメリアと違い、彼の目には人の姿は映らなかった。
「……ボクには何も見えないよ。そもそも、天女はいないんだろ? きっと、キミコさんの姿が偶然見えたんだよ。それより、ちゃんとボクにつかまってよ?」
「――はい。申し訳ありませんでした」
二人の体を白い炎が燃やし尽くし、そこには誰もいなくなった。




