空の缶詰
軒下から鳴き声がすると思って覗き込むと、そこに彼女がいた。捨て夢だ。育ちすぎて飼いきれなくなった夢を、捨てていく飼い主は後を絶たない。捨てられた他人の夢に餌を与えるほど僕にも余裕はなかったハズなのに、気がつくと彼女を抱えて部屋に戻ってきてしまった。小雨に振られ冷たくなっていた彼女の体を、無理やり風呂に入れて温める。これからどう母親に説明しようかと頭を悩ませながら、僕はしばらく一心不乱に缶詰に齧り付く彼女を眺めていた。
「…ねえお母さん」
「なぁに?」
「夢が捨てられてたんだけど…飼っていい?」
夕飯時にさりげなくそう尋ねると、それまで穏やかだった母親の顔が急に険しくなった。
「ダメよ、他人の夢なんか…捨ててらっしゃい」
「でも…」
「捨てなさい。貴方には警察官の夢をあげたじゃない。何が気に入らないの?立派な夢よ警察官も」
「そうだったね母さん。そうだった」
これ以上は拉致があかないので、僕は早々に切り上げた。物心ついた時から僕は死んだ父親と同じ、警察官の夢を飼っていた。別にその夢の世話が嫌いになったわけでもないし、下賎な夢だと馬鹿にするつもりもない。僕は二階に上がる階段の窓から、庭に備え付けられた夢小屋をチラと見下ろした。今日は雨で散歩に行けなかったせいか、父親から受け継いだ夢が退屈そうに寝転がっている。重そうな鎖に繋がれた夢が、雨で濡れた窓ガラスの向こうで滲んで見えた。
部屋に戻ると、満腹になった彼女が堂々と僕のベッドで伸びきって睡眠をとっていた。自由奔放というか、無邪気なやつだ。おかげで居場所が無くなった僕は、しょうがないので滅多に使わない勉強机に座った。一体どんな夢を見ているのだろうか、小さな彼女を眺めていると本当に癒されるし、どこか懐かしさも感じる。だけどそれだけで一緒に暮らせるかというと、そんな簡単な話じゃないことも僕はもう分かっていた。「おいで」微睡む彼女を強引に抱きかかえ、しばらく僕は腕の中で彼女に熱を分けてもらった。
朝目を覚ますと、彼女はもう腕の中からいなくなっていた。自由気ままな感じだったから、夜のうちに外に出かけていったのかもしれない。空になった缶詰を捨てようと拾い上げて、下に行き専用のゴミ箱を開ける。すると途端に缶詰が箱から溢れ出してきた。もう既にゴミ箱の中は空の缶詰でいっぱいだった。
そしてようやく思い出した。彼女は誰かに捨てられたんじゃない、僕がとっくの昔に捨てた夢だったって事を。何度も何度も彼女を拾い上げては、こっそり部屋で餌を与えていた事を。
気がつくと僕は空の缶詰を見つめながら、涙を流していた。彼女にまた逢えたことがとても嬉しかったし、とても哀しかった。もう一度彼女に逢う時、僕はこれが自分の夢だって、ちゃんと思い出せるだろうか。東の空が徐々に白く染まり始めた。まだ彼女の熱が残る腕で、僕はゆっくり空の缶詰を拾い上げた。