第九話
更に一週間が過ぎた。
あれから俺は打開策として、ある人物を訪ねることにした。
俺の身近な人物でファクターに詳しい人物――ルーシーだ。
しかし、ここ一週間、毎日ルーシーの寮部屋のインターホンを押しているが、部屋の中に人がいる気配がない。
コッタ省長に聞くと、『ルーシーは今任務に出ていていつ帰るか分からない』とのことだった。
でも入れ違いになることは避けたくて、毎日通っている。
ルーシーの寮部屋は宿舎の三階の俺とは反対側の奥にある。
あまり遠くはないから通うのは苦にならない。
しかし、何も進歩もないまま二週間が経ってしまい、時間を無駄にしていると感じてしまう。どうにかしなくては。
そんなこんなでルーシーの寮部屋の前で立っていると横から声がした。
「うわっ、変態がいる!」
聞き覚えのある声だった。
声のした方向を見ると、ベリーがいた。
「先輩の部屋の前で何してんのさ、変態」
なぜか俺は変態になってしまったみたいだ。
「変態じゃない!」
一応否定しておいた。
そして、俺はベリーに事の経緯を話した。
「ふむふむ、なろほどぉ。訓練に行き詰ったんだね」
腕を組むようにして何かを考えている。
「それじゃあ、今からウチが訓練してあげよー」
はい?
「今から?!」
「そ、今から。任務帰りで疲れてるけど、しょーがないからまた教官してあげるよ」
めっちゃ上から。
しかし、確かにその手があった。
ベリーは『龍』だ。俺より遥かにファクターの扱いは長けている。
これは頼もしい教官だ。
しかし、今からはかなりきつい。さっきまで訓練をしていたから。
ぶっ続けだと、訓練としての質も下がりそうだから、ここは明日万全の状態で訓練した方が良いかと。
「ウチも暇じゃないいんだよ? そんな魚顔するんなら他の人に頼みなよー」
「いや、そんなことはないです! 今すぐにでもどこにでも!」
慌てて言った。このチャンスを逃してはダメだ。
しかし、前にも言われたが、俺は魚顔なのか? 自覚したことはないが。
かくして打開策の目途が立った。
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ベリーに連れられ、着いた場所は自主訓練場だった。俺が入隊する前にベリーに訓練してもらった場所だ。早いようで、あれから三週間も経ってしまった。
今回はベリーに担がれることなく自力での移動だった。『訓練してるんだし、これくらいちゃちゃっと熟さないとね』と言われ、宿舎から全力ダッシュだ。
訓練したとはいえ、まだベリーの速さに付いて行くことはできない。あっという間にベリーの姿は見えなくなってしまった。
幸い、夜ということもあり人通りも少なく、障害は少なく移動できた。
宿舎から自主訓練場までの距離は大して遠くないということもあり、移動に掛かった時間は三〇分。足は速くなったとは思う。
自主訓練場に着くと、ベリーが中で待機していた。
「おっそいぞ!」
少し膨れっ面になっていた。
「ここまで走ってきたから、もう身体は温まってるよね? それじゃ、訓練内容を説明するよ」
そう言ってベリーはにっこりした。
「前回と一緒で、ウチから全力で逃げて? 今回はこの火の玉の威力も上げるから、本気で逃げないと死ぬよ」
ベリーの手の平から火の玉が出現した。
さっきまで全力で走ってきて息が上がっているというのに、ベリーは容赦無くそれを俺に向かって投げてきた。
慌てて逃げる。
大きな衝撃音とともに床には大きなクレーターができていた。
「お、おい……これは冗談にならないぞ……」
「ん? 冗談じゃないよ? 本気で逃げないと死ぬよ?」
にっこり。怖い笑顔。
悪寒が走った。そして俺も走った。
ベリーから殺気を感じてしまった。
「うわぁぁぁぁぁあああああ」
ペース配分を気にせずに全力で走ってしまった。
ベリーは絶え間ないほど多くの火の玉を投げてくる。
それを躱す度に床には大きなクレーターができる。
あれが当たると俺の身体もあんなに凹むのだろうか。
そんな嫌なことを考えてしまい、余計に体力を使ってしまった。
気付けば一〇分でバテバテだった。
「ちょ……ベリー……? 俺もう……ダメ……」
「まだだ! 君の限界はそんなもんじゃないだろ!」
足元が覚束なくなってきた。
日頃の訓練の疲労もあり、筋肉が痛い。
足に鎖が付けられているようにも感じる。
限界はここだ。もう無理。
俺の足が止まり始めた。
「筋肉に頼ろうとするからダメなんだよ。この訓練の本質は何?」
そう言われて無い頭で考えた、なぜこの訓練をしているのかを。
悪魔に学校が襲撃されて多くの友達が死んだ。
そこにベリーが現れて、悪魔と戦った。
止めはルーシーが刺した。
ルーシーの知らない一面を知った。
ルーシーを守ると決めた。
そのためには強くならないといけない。
『蛇』に入隊した。
訓練内容もステップアップした。
しかしファクターを感知できずに行き詰った。
答えに辿り着いた。
この訓練はファクターを感じるためのものだった。
三〇分も走った後、急に訓練が始まったから忘れていた。
そうだ、ファクターだ。
訓練を思い出せ。
訓練中は目を閉じて、精神統一していた。
俺は自然と立ち止まり、目を閉じた。
座学で学んだ。ファクターは全ての万物にある。
自分のだけでいい。自分のファクターだけ感じられたらいい。近くにあるものだけに集中した。
ファクターはその物体の周りを浮遊している。俺の周りを浮遊している――動いているものを……。
すると目を瞑っているはずなのに、小さな白い物体が浮かんだ。それは真っ黒な闇の中で蠢くように動いている。
そして白い物体の数は増えていった。
やがてそれは一点に集まり、大きな球の形になった。
そしてこっちにゆっくり近付いてきた。
心無しか、熱くなって――――っ!
「ドゥワッチ! 危ねぇ!」
間一髪、避けれた。
「今、完全に当てるつもりだっただろ!」
「これは訓練だよ? 立ち止まってる方が悪い」
ごもっともです。
「でも、その顔は何か掴めたって顔だね?」
そう言われ、訓練は終了した。
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「ごめんねー、荒っぽいことしてぇ」
ギャハハと笑いながら俺を叩くベリー。
いや、笑いごとじゃないんだが。
「何はともあれ、ファクターを感知できてよかったよ」
そう言ってベリーは、訓練が上手くいった安堵からか、溜息を吐いた。
訓練時間は約一五分。一日数時間を二週間して進歩のなかった訓練とは大違いだ。
しかし、なぜベリーがこんな方法を知っているのか。
こんなに効率の良い方法があるのなら、『蛇』でも実践すべきだ。
その旨をベリーに尋ねた。
「あー、それはねぇ。この方法はある人直伝なんだ。昔、ウチもここで行き詰ってた時期があって、その人に教えてもらったんだよ」
「へぇ、ベリーにもそんな時期があったんだな」
「あるよー。んで、その人の言葉の受け売りなんだけど……」
ベリーはこの訓練について説明し始めた。
人は極限状態になることがある。もしその状態のときに敵に襲われると殺される可能性が非常に高い。しかし人には本能的に生きようとする部分がある。その本能のおかげで死の危険に敏感になり、野生の勘――第六感が働くのだという。
極限状態にすることで、いつも以上にファクターを感じることができるのだそうだ。後は『蛇』での訓練を実行するだけ。
自主訓練場まで俺を走らせたのは、極限状態を作りやすくするため。前回より火の玉の威力を上げたのもそうだ。死の恐怖をより感じさせるため。
要約するとこんなもんだ。
しかし、野生の勘か。よくこんなこと思い付いたな。ベリーの言う『ある人』には感心する。
その人がいなかったら、俺はこんなに早くファクターを感知できなかったかもしれない。その人からベリーへ、ベリーから俺へ。縁って大事だな。
「その『ある人』はどんな人なんだ?」
何気なしに聞いた。特に意味など無く。
そんなすごい人なら知っておいて損はないしな。もしかしたら今後会う機会があるかもしれないし。
しかし、ベリーの反応は期待したものとは違った。
「あ……うん……」
言い辛そうにしている。
何かまずいことを聞いたのか? 分からない。
溜息を吐いてボソボソと呟いた。
「…………ス……さん……」
全く聞こえない。
「ん? 何だって?」
「……サ……ス……さん……」
二度目も全く聞こえなかった。
数秒沈黙が流れた後、ベリーは意を決したように大きな声で言った。
「サーフェスさんだよ!!」
聞き慣れない名前を聞いた。
いや、普段俺が呼ぶ名前と違うから、一瞬分からなかっただけだ。
「親父か」
ここでもか、と思った。
コッタ省長は知っていた。ルーシーも知っている。しかし、二人とも何も教えてくれない。
だから本人に直接聞くしかないと思った。どこにいるか分からないが、ここにいればいつか会えるだろうと思っていた。
けど、まさかベリーまで知っていたとは。
あのときの反応からして、何も反応しなかったベリーは無関係だと勝手に考えていた。
コッタ省長の言葉――『アルカディアに住む人は皆、サーフェスのことを知っている』。
勝手に住民だけと解釈していた。
考えればすぐ分かるじゃないか。
気付けば俺はベリーの肩を強く掴んでいた。
「教えろ。親父は今どこにいるんだ」
声に含む怒気は抑えた。
しかし表情は分からない。すごい剣幕だったのかもしれない。ベリーの怯え方が異常だった。
「す、すまん」
我に返り、ベリーの肩から手を離した。
謝ったがベリーから返事がなかった。
よく見ると、ベリーの身体は小刻みに震えている。目も虚ろだ。
これは危ないやつだ。
俺は慌てて助けを呼ぼうとした。
「きゅ、救急車! 救急車を早く!」
しかし、助けを呼ぼうにも電話もない。軍事省本部の構造もあまり分からないから無闇に動けない。文字通り、パニックになっていた。
すると、気が付いたのか、ベリーが何かボソボソ呟いていた。
「……………………」
しかし、何て言っているのか聞こえなかった。
ゆっくり近付いて行った。ベリーの言葉がはっきりと聞き取れるくらいに。
言葉を聞いたとき、聞かなかった方が良かったのかもしれないと思ってしまった。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
は? ごめん……?
その時だった。
ベリーを中心に爆発した。
いや、ベリーの能力で全身から炎が作られたのだ。それが暴走したように今までの火力とは段違いに辺りを瞬く間に火の海と化した。
俺は間一髪、避けることができた。
何がどうなっているのか全く分からない。
明らかにベリーがおかしくなったことだけは分かる。
急に何でだ? 親父のことを聞いたからか?
いや、違う。それならもっと前におかしくなっているはず。
……………………。
俺が掴み掛ったからか。
それしか考えられない。
ベリーは何かに怯えているような感じだった。
トラウマ……?
もしかして、俺がベリーのトラウマを呼び起こしてしまったのか?
いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
ベリーの能力は更に暴走しているようだった。
自主訓練場全体が火の海になったにも関わらず、なおも炎はベリーの身体から作られている。余分に作られた炎がうねりを上げて、まるで地面を這う蛇のように見える。
これはやばいな。死ぬかもしれない。
そんなことを考えていると、入口の扉が開いた。
「や~ん、何よもうこれー」
聞き覚えのある声が聞こえた。
「コッタ省長!」
「下で大きな音が聞こえたと思ったら、大火事じゃないの」
よかった。
これで助かったと思った。
思えばここは軍事省本部だ。省長は基本的に本部にいる。気付くのは当たり前だ。
コッタ省長はうねる火の海の中を見て何かを察したようだ。
「あちゃー。ベリーちゃん、またなのね。ちょっと待ってて頂戴」
そう言ってコッタ省長はそのまま歩き出した。
目の前は火の海だというのに、お構いなしにだ。
慌てて止めようとした。
しかし、その前に変化が起きた。
コッタ省長の目の前の炎だけがみるみる消えていった。まるで道を作るかのように。
コッタ省長がベリーの元に着くと、一本の道が完成していた。
「キール君、ここはあたしに任せて、あなたはもう帰りなさい」
「で、でも!」
「いいから」
笑顔で言われた。
確かに、今俺がいてもできることはない。
言われた通り、俺はコッタ省長の作った道を通って、その日はそのまま帰った。