第八話
『蛇』に入隊してから一週間が過ぎた。
相変わらず慌ただしい日々だ。
入隊後は、毎日五時間以上、訓練している。
驚いたことは訓練と同じ時間分、座学があることだった。
主な内容は裏の歴史についてである。裏の歴史の話は馬車でルーシーから聞いた話とほとんど同じだから、ここでは省く。
訓練は主に基礎的な身体能力の向上を目標にしたメニューだ。
午前は一〇キロマラソンと筋トレ、対人格闘。午後から二〇キロマラソンと筋トレ、精神統一。日によってメニューは違うが、共通して行うメニューはこれである。
お蔭で俺の身体は悲鳴を上げてる。まだたった一週間しか経っていないのに、音を上げそうだ。
とは言え、その分ちゃんと効果も出てきている。
たった一週間だが、俺の筋肉はここに来る前と比べると引き締まりのキレが違う。
この筋肉痛と疲労さえなければ万々歳なのだが。
「おぉ、こんなところにいたのか」
ただ、ここに来てきついことばかりじゃなかった。
新しい友達も増えた。
「あぁ、筋肉痛が酷いから自分でマッサージしてたんだ。最近疲労が半端ないんだよな」
俺が自動販売機の前の椅子に座っていると男が二人やってきた。
さっき俺に声を掛けてきた男はクラッグ。背は一六〇ほどで髪は茶色。性格はどちらかというとクールな感じの奴だ。
そして、クラッグの後ろにもう一人。
「入りたてはみんなそんなもんだ。しかし、まだ一週間しか経ってないのにもう付いて行けるようになったな。キールはすごいな」
名前はフロスト。こいつは身長が一八〇を超える長身の持ち主。髪は藍色。性格はクラッグと似てクールな方だ。
二人とも俺と同い年だ。『蛇』に入隊したのは三年前、中学卒業と同時に入隊したらしい。
「体力だけが取り柄だからな」
仲良くなったきっかけはたまたま班が同じだったということだけだ。
訓練中は班で共同のメニューで訓練をしている。班を作ることでお互いを刺激し、一日でも早く強くなれるように工夫がされている。俺は六人目として班に組み込まれた。
そのせいか、途中から入ってきた俺を班員は毛嫌いしていた。『ライバルが増えたから』という見方もあるが、そうではなく新人の俺を『馬鹿にしている』のだろう。例外の理由で俺をいびる奴はいるが。
もちろん、身体能力は他の人と比べると訓練をしていない分、かなり劣っている。そのせいで、訓練のメニューも俺に合わせたものになり、『足を引っ張っている』と他の人からは思われている。
しかし、人一倍頑張ったお蔭か、まだ一週間だがこの二人だけは認めてくれた。多分、同い年ということもあるのだろう。
「そうだな。お前の取り柄は体力だけだ」
フロストの言葉はいつも心にグサリとくる。
確かに俺は今のところ体力しか取り柄がないけど、『だけ』を付けられると悲しくな。事実なんだけど。
「そういえば、二人は俺に何か用事があったんじゃないか?」
「あぁ、そうだった」
そう言ってクラッグが話し始めた。
「エイベルさんが呼んでたぞ。みんなの足引っ張ってる新入りのくせにどこでサボってるんだー! ってよ」
「休憩時間ぐらい休ませてやればいいのにな。まぁ俺らも最初はそうだったけど、みんなお前に厳しい。特にあのエイベルさんは」
「もう慣れたからいいよ。俺がみんなの足引っ張ってんのは事実なんだし。まぁいつか見返してやるぜ」
「あぁ、そう言うと思ったよ。俺ら二人が認めてやったんだ。伸し上がってみせろよ、キール」
俺たち三人は拳を合わせた。
たった一週間でできた友情。
だが、こういう場所だからこそできる信頼関係がある。
何だか、自然と笑っていた。
俄然、やる気が出てきた。
しかし、エイベルさんはなぁ……。俺、あの人苦手なんだよ。いつも俺のこと邪見にしてくるから。
休憩時間はまだ終わっていないが、俺は二人に連れられ移動することにした。
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「何をやっとったんじゃぁ!!」
しわがれた声が響く。
「一番足引っ張っとる奴が、なぁに他の奴と同じように休んどるんじゃ!!」
眉間に刻まれた深いシワがいつにも増して深々としている。老け顔と言えば老け顔だ。
迫力だけなら誰にも負けそうにないこの人がエイベルさん。いつも俺をいびってくる。
クラッグとフロストに連れられ訓練場に戻った途端これだ。
今日だけじゃない。俺が入隊して、班に入ってからずっとこれだ。
ことあるごとに『お前は弱いんだから人一倍努力しろ』と口を酸っぱく言われている。
正直うんざりする。
「すいません」
俺はこう言うしかなかった。今の俺じゃ逆らおうにも逆らえない。
エイベルさんがなぜこうも威張っているのかというと理由があった。
彼は御年34歳。現『蛇』の中で最高齢で所属歴も最長なのだ。故に『蛇』の中では最強と言えるのだろう。
他の奴は平均約三年で『蜥蜴』に昇格できるほど強くなるらしい。軽く一〇年以上は『蛇』にいるのになぜ昇格しないかは謎である。
そのせいもあって、エイベルさんに胡麻をする奴はいる。
それがこいつ。
「あ~ん? 聞こえねぇんだよ! エイベルさんがお前のためを思って叱ってくださってんのに、何だその態度はぁ?」
まるでチンピラのような絡み方をするこいつ――スリックはいつもエイベルさんの後を付いて行く金魚の糞みたいな奴だ。
スリックは今年の四月に入隊した新人だ。
俺とはたった一ヶ月ほどしか変わらないのに、なぜこうも威張れるのか。小物臭がするな。
俺が睨むとスリックはすぐに縮こまった。
「スリック、お前は黙っておれ。キール、お前は一度隊長に喝を入れてもらわんとダメみたいだな」
『隊長』という言葉に耳がピクッと動いた。意識したわけではない、無意識にだ。
俺、『蛇』の隊長さんは嫌いというか、苦手なんだよな……。
入隊式の日に、隊長さんとは顔を合わせた。
その人物が意外だったってのもあるが、できれば会いたくはない人だった。
俺の不安要素の一つ。
そしてエイベルさんが隊長さんを呼びに行った。
恐怖のカウントダウン。
『蛇』の訓練場の広さは大体、学校のグラウンド三個分ほどだ。『蛇』、『蜥蜴』、『龍』にはそれぞれ専用の訓練場があるのだが、『蛇』の訓練場が一番広い。一番人数が多いからな。
しかし広いとはいえ、隊長は訓練場内にいるのだから、数分もすればここに来てしまう。
ドッドッドッドッドッッド
心臓の音が聞こえる。こんなにも会いたくと思った人は生まれて初めてかもしれない。
あの日の面倒臭さが俺の身体に恐怖を刻んだのかもしれない。
遠くで声が聞こえた気がした。
やばい、来る。逃げたいが、逃げ出すとまたエイベルさんからとやかく言わるだろう。
いや、逃げるもんか。今はいびられているが、いつか見返してやるから。
こんなところで逃げられない。
「キール殿、エイベル殿にお聞きしましたぞ。何やら最近サボりがちだそうですな。いきませんなぁ。これはいきませんなぁ」
独特の話し方。
奴が来た。
恐る恐る振り返ると、そこにいる。訓練中だというのに真っ黒のスーツ姿で、白髪がとても際立つ。
奴だ。
初日に宿舎まで案内してくれた老人――ブレイズさんだ。
「どれ、私がその腐れきった根性を叩き直してやりましょうぞ。掛かってきなさい」
有無を言わさない顔で手招きしてくる。
さっき、『エイベルさんが最強』と説明したが、それはあくまで隊員の中での話だ。
『蛇』のトップは隊長であるブレイズさんだ。年齢も六〇歳とかなりの年輩だ。周りでは密かに『生ける伝説』とまで言われている。
きっと今から起こることはエイベルさんの何倍もきついものだろう。
そう思いつつも、言い訳もできないこの場でブレイズさんに殴りかかった。
「甘い!!」
ブレイズさんは俺より何倍も速い動きで、俺のパンチを躱した。
そして殴ろうとした腕を掴み、俺を時計回りに回転させ投げ飛ばした。
「痛ってぇ……」
投げ飛ばされた衝撃で腰を打ち付けた。
綺麗に投げられたのが可笑しかったのか、エイベルさんとスリックが俺を見て笑っているのが見えた。
あー……これは、ドラマによくある社内イジメみたいなものか。
イジメの対象は俺か、と冷静に考えつつも怒りが沸いてくる。
「ふむ。キール殿、見えないところ努力したのかな? ファクター無しでこの速さ。たった一週間でここまで強くなるとは感心ですぞ。そろそろ次のステップに移動してもよさそうですな」
『蛇』は毎年四月に新人が入隊する。学校と同じような感じだ。毎年一年間でその年のカリキュラムを終わらせる。
『蛇』の訓練内容も似ている。
四月に新人が入隊すると、新人は既にある班に組み分けされる。要するに班員は新人+先輩となる。
訓練内容は新人に合わせ、基礎訓練から行う。そのため、班毎に進み具合は違う。
そうして、一年が経つとまた新人が入ってくる。それに合わせ、訓練内容も基礎訓練に戻る。
全部で五段階あり、このループを何回も繰り返すことによって基礎が身に付くらしい。
しかし、一年に二度目の一段階の訓練をするのは嫌だったのだろうな。きっと、スリックが入隊して訓練が一段階に戻り、やっと二段階になったと思ったら俺が入隊してきた。だから足を引っ張っている俺を邪見にしているのだろう。
「お、おぉぉぉおおお!」
ブレイズさんの言葉を聞いたエイベルさんが喜ぶ。
「よくやったじゃないか、がっはっはっはっ」
そしてさっきまでとは違う態度で俺を抱擁してきた。
やっぱこのおっさん嫌いだ。
「次はファクターを扱えるようにするための訓練ですぞ。今日はもう休みなされ」
そう言ってブレイズさんはこの場を離れた。
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今日から訓練の内容がステップアップした。
初日は座学がほとんどだった。
ファクターとは何か、ファクターの扱い方など、ファクター中心の講義だ。馬車でルーシーから聞いた話があったおかげか、内容は入ってきやすかった。というより、ほぼそのままだった。
そして実技の訓練になるとまず班員全員で座禅を組んだ。
それから行ったことは精神統一みたいなことだ。
目を閉じ、心を落ち着かせる。その状態のまま、何時間もじっとする。
今までの訓練とは対照的過ぎて、何度も休憩を挟んでしまった。
クラッグとフロスト曰く、『これがファクターを感じるための訓練』らしい。
しかし、二段階初日は何も進歩がないまま終わってしまった。
それから毎日、座禅を組んで精神統一の訓練内容だった。運動量が極端に減ったため、自主訓練はしているが、このままだと筋力が衰えてまた一段階になりそうで怖い。
二段階になって一週間が過ぎた。
しかし、一向に進歩はなかった。
通常、二段階にステップアップするまでに必要な期間は一か月と言われているらしい。
それを四倍も早くステップアップしたため、エイベルさんは最近大人しかった。特にいびることはしなかった。
一週間を過ぎると、急に変わった。
「足を引っ張ってるお前が、何を休んどるんじゃぁ!」
休憩時間になると毎回言われるようになった。
逆戻りだ。どうにか打開策を講じないといけない。
ルーシーやベリーが簡単にファクターを扱っているように見えたから、てっきり簡単なのかと思っていた。
二段階の座学のときに聞いたのだが、平均として二段階は三か月かかるらしい。因みに、三段階は三か月、四段階は二ヶ月かかるようだ。
二段階が『蛇』の訓練の中で一番の難所らしい。ファクターを感じるということが一番難しいようだ。
アルカディアに来て、最初の壁にぶつかった。