第七話
陽が落ちようとしている。
アルカディアに到着したときはまだ昼過ぎだった。いつの間にか何時間も経っていたのか。
いや、妥当な時間か。
ブレイズさんの案内で二時間は掛かったし、コッタ省長とのことで一時間ぐらいかな。
その後、これから住む寮部屋に案内されたけどそんなに時間掛からなかった。コッタ省長と衝突した階段を四階まで上ったすぐ横が俺の寮部屋だったから。
寮部屋に案内されてからは一先ず今日のやるべきことは終わったらしく、自由時間をもらった。
だけど、自由といってもここから一人で出歩いても戻ってこれる自信はない。
それにあの後のコッタ省長とのお話が尾を引いている。
だから今現在、ベランダで夕陽を眺めて黄昏ているのです。
ベランダの隅っこ。なぜか妙に落ち着く。
一応、寮部屋にはベッドや洗濯機など生活をしやすくするための必要最低限のものは揃っている。
ただ、それ以外は本当に何もないから、寝て休むだけの場所のようにも思える。
ベッドで黄昏ても良いと思うかもしれないが、慣れないベッドで何か落ち着かない。
友達の家や旅館に泊まったときに中々寝付けないのと同じ。
「はぁ……」
大きく溜息を吐いてみる。
怒涛の一日って感じだ。
多くのことがこんな短い時間で起こったから、時間の経過がとても長い。
朝まではいつも通りだった。
それなのに今では全然違う。
住む場所も周りの人も経験したことも。
そして何より、親父のことも。
コッタ省長に最後に言われた『サーフェスは今も生きている』という言葉。
俺の中では親父は一三年前に亡くなっている。
突然『仕事』と言って家を出た。その三日後に親父の葬式を開いた。
もちろんその葬式には幼馴染であるルーシーとニコラスも参列している。
こっちの世界にいるルーシーも参列していたことから、俺は疑いもしなかった。いや、普通は疑いもしないか。
だけど、コッタ省長の言葉を聞いた際のルーシーの顔が妙に頭の中から離れない。まるで俺に知られてしまってバツが悪そうに右斜め上を見ていた。
その時確信できた。その言葉が本当のことだって。信じられないけどな。
何にせよ、俺は親父に会うつもりだ。そうしないと何も解決しない。
なぜ死んだフリをしたのか。おかんはこのことを知っているのか。
聞きたいことは山ほどあるから。
だけどなぁ。
腑に落ちないんだよなぁ。
そんなことを考えていると扉をノックする音が聞こえた。
鍵はしていなかったから特に動くことはしない。
「鍵開いてますよー」
俺がそう言うと訪問者は入ってきた。
「へぇ、やっぱりこの部屋からの眺めも最高だね」
「先輩、同じ宿舎なんだからどの部屋の眺めも大体同じだよ」
訪問者はルーシーとベリーだった。
「それは分かってるよ。何と言うか、しみじみとねぇ」
「あ、分かった。あのこと知られちゃったからバツが悪いんだね。あれ? でも肝心のキールがいないけど」
あちこち探している音が聞こえる。
別にかくれんぼをしているわけではないけど、こういう時はなぜか見つかるまで隠れたくなるんだよな。一生懸命探す姿が可笑しくてね。今の俺の位置からじゃ見えないけど。
すると足音が一つ、ベランダに近づいてきた。
「「あ」」
目が合った瞬間、同時に驚いたように口から出た。
俺が顔を向けた方向に見知った顔があった。
「こ、こんな所にいたんだ」
少し挙動不審な目の動きをさせている。
「あぁ。ちょっと夕陽を眺めてて」
「ここ、ここの眺め、最高だよね」
「うん、最高」
ルーシーは部屋から出てベランダの柵に凭れるようにして夕陽を眺めた。
少し落ち着きがない様子だったが、心なしか落ち着いたように見える。
数秒の沈黙が流れた。
俺たちはただ夕陽を眺めている。
そしてルーシーが重そうな口を開いた。
「やっぱり……怒ってるよね?」
体は夕陽の方を向いているが、目線はチラチラと俺の方を見ている。
きっとさっき言っていた『あのこと』だろう。
心当たりはある。
「いや、怒ってないよ」
「うそ!? 絶対怒るよ。逆の立場だったら、私絶対怒ってるもん。言えない事情があっても、怒ってしまうもん!」
ルーシーは驚いたように振り返った。俺の言ったことが意外だったようだ。
「親父のことだろ?」
俺の問いに静かに頷いた。
コッタ省長との話に出てきた『親父生きてる説』について。俺がさっきまで考えていたことだ。
確かに、憤りを感じている部分はある。
「親父が生きているということを黙ってたのは正直怒りたくはなる。けど、言えない事情があったんだろ? 親父本人から口止めされていた、とか。だから怒ってないよ。だけど、親父には怒ってる。俺とおかんを騙して死んだフリしてさ。色々問いたださないと気が済まないな」
イラつく感情を抑えつつ、声は穏やかになるようにした。
「本当に?」
「本当本当! ほら、怒ってないだろ?」
自分でも気持ち悪いくらいの笑顔を作ったと思った。
だけど、ルーシーの表情は少し和らいでくれた。単に俺の顔が変な顔すぎて可笑しいのか。
手招きしたら、まだ若干申し訳なさそうにしているが、素直に俺の横にチョコンと座った。
ルーシーとのゆっくりな時間をただただ無の心で噛み締めた。
今日一日が長く感じられたせいなのか、こんな時間が久々に思える。
このままずっと、せめて夕陽が沈みきるまで一緒に――なんて思ってるとクスクスと誰かが笑っている声が聞こえた。
「いやぁー、お熱いですねぇ、お二人さん」
ニヤニヤと部屋の中から現れたソイツ。
もう一人の訪問者のことを完全に忘れてた。
俺とルーシーは恥ずかしいところを見られてしまい、少し赤面してしまった。
「仲が良いことは良いことなのだよ。しかし、まさかウチのことほったらかしにしてイチャつくとはぁいただけないねぇ」
そして夕陽を遮るように俺の前に移動すると悪戯っぽい笑みをした。
「明日が楽しみだねぇ、キール♪」
良からぬことを考えてる顔だ……これ。
いや、待てよ。
「明日ってなんだ?」
俺が聞くと、ベリーは笑みのまま懐が紙を取り出し俺に渡した。
「ウチらは明日の予定を伝えに来たんだよ。これが明日の予定表。人を甚振るって楽しみだなぁー」
え、甚振る……?
今かなり危なそうな単語が聞こえたが……。
俺はベリーから渡された紙を見た。
「えーっと、なになに……六時、起床……六時半、身体検査……検査が終わり次第ベリーと…………訓練!?」
俺のその言葉にベリーは嫌な笑みを浮かべた。
「ウチ、今ちょうどオフだから暇なんだよねぇ。午後からはキールの『蛇』入隊式みたいなのがあるから、それまでみっちり訓練だね♪」
や、やべぇ……。
物凄く殺されそうな――いや、殺された方が楽なぐらい遊ばれそう……。
明日が、怖い。
「頑張って、キール!」
ルーシーが応援してくれた。
俺が明日への恐怖を抱いてることなんて微塵も知らないような笑顔で。
はい、頑張ります。頑張りますよ。
ルーシーを守るって決めたんだから、こんなことぐらいでへこたれてたら男が廃る!
でもなぁ。
あの悪魔と戦ってた超人的なベリーに訓練かぁ。
こいつがもう少し優しかったらこんな憂鬱にならないのにな。
あれ、そういえばいつの間に『蛇』に入隊が決まったんだ?
あぁ、『蛇』は初心者が入るところだったか。自動的に決まるのか。
それは置いといて。
俺と夕陽は黄昏時。
赤みの薄くなった空をただただ見つめた。
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予定通り朝は早かった。
目覚ましの音で六時に起きた。意外とぐっすり眠れたおかげで朝は清々しい気分だ。昨日色々とあり過ぎて疲れていたのだろう。
そして、最低限の身だしなみを整え、俺は宿舎の下にいたベリーと合流した。
それから西の方向に進み、大きな建物のところに連れて行かれた。早朝ということで通りには人が少なかった。そのせいで、ベリーに担がれ、一〇分程で着いた。生身で飛行機の速さを飛んだ様な感覚で酔いで吐きそうになっってしまった。
建物は研究省の本部。アルカディアの四つの柱ほどではないが、とても大きい。七階はありそう。
中に入ると、コッタ省長がおり、検査室に連れて行かれた。
研究省というだけあって、設備は見たことのない機械がたくさんあった。
検査室にも機械はあったが、普通の病院にありそうな人間ドックの設備みたいだ。
CTだっけ? 仰向けになって機械の中に通されるやつ。検査をしてくれた人曰く、『CTを改造して身体能力を測れるようにした機械』らしい。
検査は一時間で終わった。
結果は俺が『蛇』に入隊するまでには出るらしく、またベリーに担がれ移動することとなった。
やってきたのはアルカディアの東側、軍事省の本部の地下に位置する自主訓練場。アルカディアの中心に近い場所に軍事省の本部がある。因みに、西には研究省、北には政治省、南には民事省の本部がそれぞれある。
自主訓練場はとてつもない広さだった。
俺がいた学校のグラウンドの一〇倍はありそうなほど広い。
ただ、広いだけの何もない場所。
ベリー曰く、『ちょっとやそっとじゃ壊れない場所』らしい。ベリーみたいな人が本気で戦っても崩れないようにしているとか何とか。どういう構造なのかは専門じゃないから分からない。
そして、ベリー教官による訓練が開始された。
開始されたのだが……。
「うわぁぁぁぁぁあああああ助けてえええええ」
大きな地響きと共に床には焼け跡が残る。
訓練場内には無数の火の玉が浮いている。
訓練が開始されて四〇分が経った。
既に俺の脚が笑っている。火の玉の熱気のせいで汗も半端ない。
しかしベリーは涼しい顔をしている。汗一つ掻いていない。
というのも、訓練内容は追掛けっこ。ベリーが追掛けて俺が逃げるという至ってシンプルな訓練。
だけど、子どもの遊びのような、そんな優しいものじゃない。
訓練が始まったと同時にベリーは火の玉を作りだした。馬車の中で説明していた能力だ。
やがて火の玉は訓練場を満たすほどになった。
そしてベリーは「火の玉から逃げろ」と一言告げると、火の玉を一つずつ俺目掛けて投げてきた。
それから俺はずっと全力ダッシュ。
体力は人一倍あるけど、さすがにこれはきつい。熱気で更に体力を奪われる。
ベリーは途中から飽きたのか、火の玉を自動追尾にして訓練場の端の方で寝転んでいる。
「うっひゃぁぁぁあああ死ぬぅぅぅぅぅううううう」
全力で火の玉を躱す。
いや、死ぬ気で躱す。
死ぬ気で躱してギリギリ。
俺がギリギリ躱せれるようにしてんだろな。あいつ絶対ドSだ。
「ベリィィィイイイそろそろ休ませろぉぉぉぉぉおおおおお」
叫びつつも火の玉を懸命に躱す。
地響きは大きいものの、床にできる跡は小さい。
火の玉一つ一つの威力を小さくしているみたいだ。
「んー、そうだねぇ。死んじゃうといけないから、一〇分休憩ねー」
その言葉を聞いて俺は倒れ込んだ。
「おっしゃー、至福の時だー!」
倒れ込んだはいいものの、床が焦げ臭く、快適ではない。
しかし、動こうにも疲れすぎて動けない。
「いやぁー、しかしびっくりしたよ。常人でここまで走れる人はいないと思うよ。一〇分で音を上げると思っていたのにな」
珍しくベリーが俺を褒めた。
いや、いつも人を小バカにした態度だから『珍しい』と感じただけだ。
「体力だけは自信はあるんでね。お前らみたいにバカげたものは持ってないけどよ」
「ここの訓練を受ける前でその体力は異常だよ。キールも訓練を受ければそれなりに強くなれるはずだよ。どんな人だって、正しい訓練をしたら扱えるものだから、ファクターは」
なんかむず痒いな、ベリーにこんなに褒められると。
途中から飽きてサボってるのかと思ってたけど、意外と見てたんだな。
それから俺とベリーは色々話した。と言うより、俺がさっきまでの訓練で疲れ切っていたからベリーが一方的に話していた。
訓練がどうのこうの、ファクターがどうのこうの、同じ話を延々と。
ここで初めて聞いたけど、ベリーはまだ一四歳らしい。年下と思っていたが、まだ中学二年生じゃないか。
しかし、ただのガキではなかった。
最初、一〇分と言っていた休憩だが、俺に合わせ延ばしてくれている。
初めてベリーに関心した気がする。
結局、休憩は三〇分した。
四〇分死ぬ気で動いて三〇分で回復だから、良い方だと思う。うん。
そして訓練再開しようとしたときだった。
訓練場の入口の扉が開くと綺麗な女性が入ってきた。あ、違う。綺麗な見た目のゴリラ。
「ベリーちゃーん。キールくぅ~ん。検査の結果が出たわよぉ」
なんで俺の名前呼ぶときは変な言い方するんだよ!
コッタ省長は封筒を一枚持っていた。
きっとそれが検査の結果なんだろう。
俺とベリーはコッタ省長のところまで移動した。
「あら、もしかして訓練の邪魔しちゃったかしら?」
「いや、大丈夫だよ。さっきまで休憩してたところだから」
「ならよかったわぁ。検査の結果が出たから持ってきたのよ」
先にベリーが着いたため、二人で話をしている。
それにしても、やっぱり移動の一つ一つが早い。
本気じゃないんだろうけど、本当に一瞬だった。
俺もコッタ省長のところに着いた。
「さてさて、検査の結果といこうじゃないのぉ。因みにあたしもまだ見てないのよ? やっぱり楽しみはみんなで共有しなくちゃっ」
そう言って封筒をビリビリ破いて中の紙を取り出す。
ゴクリとこの場にいる三人ともが唾を飲んだ。
そしてゆっくり開いた。
「「…………一〇七……」」
俺以外の二人が声を合わせた。
その声は落胆したように聞こえる。
見方の分からない俺はその数字が何なのかさっぱりだ。
「その数字はなに?」
俺が聞くとコッタ省長が教えてくれた。
「この数字はね……現時点での総因子数なの。キール君は一〇七。因みに一般人の平均は……」
とても言いにくそうだ。
最悪な結果だと予想してしまう。
「三五二」
さ、三分の一……。
俺は一般人の平均の三分の一しかないらしい…………。
あまりにショックだった。
なぜかは知らないが、コッタ省長もベリーもルーシーも俺に根拠のない期待をしてくれていたから。
だからなぜか俺は普通の人よりはすごいんだって自然に思ってた。
こっち側に来ることを決めたのもルーシーを守るため。
だから俺は強くならなくてはならない。
それが一般人の三分の一だなんて……。
「で、でも、ファクターは訓練次第で増えるから、心配しなくて大丈夫よ」
コッタ省長が慌ててフォローする。
しかし良いことを聞いた。
『訓練次第』ということは訓練をすれば強くなれる見込みは十分にあるということ。
まぁ限界はあるだろうけど。
「あー、やっぱりだ。総因子数はクソだけど、呼吸器官がズバ抜けてるよ。呼吸器官だけなら『龍』でもトップクラスだよ」
「あら、本当ね。呼吸器官――ってことは体力がすごいのね。人一倍体力があるなら、上達も人一倍ね」
クソっておい。
もっとオブラートに包めよ。
しかしまぁ、体力はかなり良いみたいだからそれだけは救いだな。
俺は体力を武器に人一倍努力して強くなる。
「おぉぉぉぉぉっしゃぁぁぁあああ、頑張れるぞ! 俺の武器は体力だ! うぉぉぉぉぉおおおおおお」
俺は奇妙な声を上げて走り出した。特に意味はないけど。
自分の実力を知れて、武器も知った。
少しだけルーシーに近付く未来図が確かなものになった気がした。
「最初からそんな飛ばしたらすぐバテるよ? もぉー」
「ふふ。若い子は元気がいいわねぇ。あ、ベリーちゃん。あたし、することがたくさんあるからそろそろ戻るわね。キールくんを頼んだわねぇ」
「任せて」
俺が気付くとコッタ省長はいなくなっていた。
省長も大変だな。
わざわざ結果を伝えるために研究省から軍事省まで来るなんて。
あの距離からして、片道二時間は掛かりそうだよな。
ん? あれ?
コッタ省長、ここまでどうやって来たんだ?
んー、分からない。と言うより考えられない!
俺が燥いで訓練場を走っていると、いつからか後ろからベリーが火の玉を投げてきていた。
しかも今回はベリーは俺を追掛けながら火の玉を投げている。
今回の訓練は後ろから追われるプレッシャーにも耐えないといけない。
頑張るぞ、俺!
ってか、俺普段こんなキャラじゃないのにな。ニコラスみたいだ。
でも、なんだか、楽しいと思える。充実している。
俺は今、愛する人のために頑張っている。
それだけで今は活力になる。
「おっしゃぁぁぁあああ、どんどん来いやあああ」
こんな調子で一二時まで訓練した。
終わる頃にはもうヘトヘトだった。
まだ午後から『蛇』に入隊するというのに、考えてなかった。
でも、今は、昨日の悪魔襲撃以来、初めて充実している。
そして、午後の入隊式を済ませ、俺は『蛇』に入隊した。