第二六話
一瞬にして場は凍りついた。
仲間がとても痛がっている。そして、そこに変な生物がいる。何だこの状況は、と。
ヴィクターさんはあまりの痛さにだろう、倒れこんでしまった。仰向けでだ。
変な生物は満足したのかヴィクターさんから離れた。そしてこっちを見た。
犬のように耳があり尻尾もあり四足歩行であり。一見、犬なのだが何かが違う。そして奴の口元には血がべっとりとついていた。
俺は慌ててヴィクターさんに駆け寄った。
「ハァ…………ハァ………………」
大丈夫。まだ息はある。けどかなり重症だ。そして何より――――『アレ』がなくなっている……。
ヴィクターさんの股間から出血していた。息はあるが、これを止めないと血が足りなくなって死んでしまうっ!
俺以外の二人は変な生物に対して警戒しており、動けないでいた。
そのときだった。
「そいつは『アレ』を狩る犬っていうんだぜ」
そいつは現れた。目的地に着いたわけでもないのに、暗闇の中から登場した。
「一見、普通の犬だが、地獄の番犬とも呼ばれるケルベロスだ。注意しな」
「グレイザー・D・ディスカール……っ!」
「何だよ、もう正体バレちまってんじゃん」
すると、グレイザーは丁寧にお辞儀をして、こう言った。
「初めまして。私、名をグレイザー・D・ディスカール。『悪魔教』の者です」
ケルベロスが唸り出した。戦闘準備万端ってわけか。
しかし、この一件に悪魔教が絡んでいたとは。
少し前、食堂のニュースに出ていたあれだ。あのときは特に気にも留めていなかったが。
「あー、そうそう。そこに倒れてるの、ヴィクター君だろ? 気をつけな。彼、もうこっち側だから」
グレイザーはヴィクターさんを指差しながら話した。
「は? 何言って……?」
すると、重症なはずのヴィクターさんが起き上がった。さっきまで酷かった出血も止まっている。
おかしすぎる。急になぜだ。起き上がれるのはこの際考えないとしても、少なくとも短時間で止まるような出血の量ではなかった。ヴィクターさんの身に何が起きたんだ!
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
ヴィクターさんが突然、雄たけびを上げた。
そしてヴィクターさんの体はどんどん膨れ上がっていき、俺はその衝撃で吹っ飛ばされてしまった。
---テンダー視点---
同時刻。
僕は夜のサンミリューを走った。後ろには一〇〇匹近いポメラニアンを連れている。
急いでいるが、僕の速さで走ると彼らがついて来れなくなってしまう。彼らは他の『アレ』無し男がどこにいるか知っている貴重な犬材だ。置いて行けない。
だから指揮係のところに着くまでに時間が掛かってしまった。
「『蛇』所属、一班のテンダー・フリックスです。ご報告があります」
僕が到着すると、指揮係の二人が会議をしていた。
「おぉ、どうした。何か分かったのか?」
「実はかくしかじかでして――――」
焦らず一つ一つのことを報告した。警察署へ行き『アレ』無し男事件について調べたこと。僕の能力が開花したこと。そして彼らちびっ子警備隊のこと。
僕の報告は普通では信じられないものだ。しかし指揮の方は真剣に聞いてくれた。
「そうか。大した手柄じゃないか。テンダー君、能力開花おめでとう。こうしちゃおられん! 早速動かなくてはっ!」
こうして各地に伝令とポメラニアンが数匹、出された。
僕もこうしちゃいられない。早く戻ってキール君たちに加勢しないと!
---キール視点---
「……ぐっ…………がはっ…………」
壁に叩き付けられた衝撃で俺は一瞬意識が飛んでしまっていた。
しかし今のは一体何だ? ヴィクターさんの身に何が起きたんだ?
朦朧とする意識の中で必死に考えようとしたがダメだ。きちんと考えられない。
「おい! 大丈夫か!?」
遠くでクラッグの声がした。
いかん。俺はかなり吹っ飛ばされたらしい。
少しずつ意識がはっきりしてきた。目を擦りながら位置を確認すると、さっきの場所から二〇メートルほど飛ばされたようだ。
そして俺は目を疑った。
さっきまでヴィクターさんがいた場所には、巨人が――夕時に俺らを襲った『アレ』無し男のように大きな男がいたのだ。
クラッグもエイベルさんもその大男を見て唖然としている。
「おい、グレイザー!! ヴィクターに何をした!?」
クラッグが叫んだ。やはりあれがヴィクターさんなのか。
確かあの時、呻きだしたと思ったらヴィクターさんの体がどんどん大きくなっていったんだよな。
いや、待てよ。その前に『アレ』を食べられていた。まるで『アレ』無し男本人のように。ヴィクターさんは『アレ』無し男になってしまったのか……。
しかしなぜだ。『アレ』を食べられればこんな大男になるのか? 何かがおかしい。
「ふっふっふ。はっはっははははは」
グレイザーは突然笑い出した。
「俺は何もしてないさ。彼が勝手に自滅してくれただけだよ。まぁ罠は張っていたがな。しかし笑えてくるな。ケルベロスもいて俺もいて、終いには仲間も取られたお前たち、勝ち目は〇じゃねぇか。冥土の土産に教えてやろうか」
完全に馬鹿に仕切っている。
エイベルさんは完全に頭にきている様子だった。拳を握りしめ、ワナワナ震えている。
それは俺も同じだった。
しかし、一番最初に動いたのはクラッグだった。
「こ……んの………………やろぉぉぉぉぉおおおおおおおおおお」
真っ直ぐに、グレイザー目掛けて走っていた。
普段冷静なクラッグだが、こういうときは一番感情的になる。前回もそうだった。そのせいでフロストが怪我していた。彼の良いところであり、欠点である。
「おいおい、無駄な足掻きは良くないぜ? みっともない」
そう言い捨て、向かってくるクラッグの顔を足で蹴りつけた。
「雑魚は雑魚らしく、大人しくしてろ」
あのクラッグが一瞬にしてやられてしまった。
現在、二対三。相手は『アレ』無し男となったヴィクターさんと実力未知数のグレイザーとケルベロス。グレイザーはクラッグ以上の実力を持っているだろう。
俺たちの班は全員、大体実力が近い。まぁエイベルさんは別だが。だから単純に計算しても今の状況は不利すぎる。
そして相手が教えてくれると言うのだから、俺は大人しくすることにした。後から来るもう一人を待つことに。
「なんだ、お前らは大人しいんだな。利口だぜ。じゃあ教えてやろうか――っと、どうやら彼は待ってくれないみたいだな」
そう言うと、ヴィクターさんが俺たちに襲いかかってきた。
「クソッ、何で俺たちに攻撃してくるんだよ、ヴィクターさん……っ!」
俺とエイベルさんは戦闘態勢に入った。
ヴィクターさんは小細工なしの力技で攻撃してきた。ただ単純に破壊力のある一撃を。今までのヴィクターさんの攻撃スタイルとは全く異なっている。あの時の『アレ』無し男と同じだった。
「うぉぉぉぉぉおおおおおおおおおお」
俺たちは避けた。反撃なんてできるもんか。仲間に攻撃なんてできない。
「グレイザァァァァァアアアアアアアアアア」
気付けば俺は叫んでいた。
「俺はお前を、絶対許さないからな!!」
「おぉ~、怖い怖い」
奴は余裕な表情だった。