第二四話
「いつからじゃ! いつから能力に目覚めた!?」
エイベルさんは慌ててテンダーに近寄った。動揺しているようだ。
「あ、痛いですよ、エイベルさん!」
胸倉を掴まれ、必死に抵抗している。
エイベルさんの慌てぶり、何かあるのだろうか。こんなエイベルさんを見たことがない。
「おぉ、すまんすまん。それで、いつから能力に目覚めたんじゃ? 自覚はあるのか?」
「ないですよ。今、エイベルさんに言われて気付きましたから。それに、本当に能力かどうかも分かりませんし」
「ばかもの! これは間違いなく能力じゃ! お主は感知が得意じゃから、その延長線で犬の声を聞くことができるのかと一瞬考えたが、過去一人もそんなことができた人を俺は知らん。恐らくは『相手の声を自分が理解できるように翻訳する能力』なのじゃろう。問題はそれがどの範囲までなのか。犬限定なのか、動物限定なのか」
テンダーの方を向いているエイベルさんの顔は見えなかった。どんな表情でこの話をしているのか視認できない。
しかし、何となく分かる。
エイベルさんは喜んでいるんだろう。
新たに能力を開花した人が現れたから? それもあるだろう。
しかしエイベルさんは俺が訓練の段階を上げると喜んでいた。まぁ今ほどではないが。
だが、今とあのときの喜びようの差も少し分かる気がする。あのときは訓練の段階が最初になったことで機嫌が悪かった。多分そんな単純な理由だ。
何となくだが、後輩が成長するのが基本的に好きなんじゃないかな。だから俺たちの班の中で一番根性がなさそうなスリックの面倒を見ていたんだと思う。
「エイベルさんが上機嫌じゃねぇか。テンダー、良かったな」
ヴィクターさんも喜んでいる。それはそうだ、仲間が能力に目覚めたのだから。
そしてクラッグもテンダーを褒めた。テンダーは恥ずかしいのか、顔が真っ赤になっている。
「しかし、エイベルさんの喜びようは異常だな。少し面白いが」
「当たり前じゃ! テンダーは実力もある。そして能力に目覚めた。『蜥蜴』に昇格するための条件が揃ったのじゃ。あとは本人次第じゃが、やはり後輩が出世していくのはとても喜ばしいものじゃ」
クラッグの言葉にエイベルさんは高いテンションのまま答えた。
「ん? 『蜥蜴』に昇格するための条件?」
誰よりもエイベルさんの言葉に反応したのは俺だった。そんなものがあったとは初めて知った。いや、俺が聞いていないだけか。そこまで頭が回っていなかった。
学校で悪魔から襲われたあの日は事がとんとん進みすぎて考えが追い付いていないかった。だから聞き逃したこともたくさんある。しかしそんなことにさえ気付いていない。何か聞いていない気がするが、それが何か分からない。だから今まで聞こうともしなかった。一日も早くルーシーに追いつきたくて。
今考えると自分の馬鹿さが分かる。ルーシーは『龍』にいる。ルーシーのいるところに追いつくには昇格する必要がある。俺は単純に強くなれば必然的に昇格できると考えていた。甘かったな。早く上に行きたいならその方法を先輩に聞くべきだった。だから今こうして昇格条件があることに驚いている。
「なんじゃ、キール知らんかったのか」
エイベルさんに呆れたような顔をされた。少しムッとしてしまったが、ここは抑えた。
周りを見ても、俺と同じ反応をしているのは誰もいなかった。恐らくそれを知らなかったのは俺だけなのだろう。
「アルカディアには三っつの隊があるじゃろ? 『蛇』、『蜥蜴』、『龍』。昇格するためにはそれぞれ条件を満たす必要がある。まぁ今、『龍』への昇格条件を話しても早いから『蜥蜴』への昇格条件だけを話すぞ。『蜥蜴』への昇格条件は『下級悪魔を相手にしても簡単に倒せること』と『能力持ちであること』の二つじゃ。前者はその言葉の通り『簡単に倒せること』じゃ。簡単と言っても基準が曖昧すぎるが、俺は『何体いても同時に相手ができる』と考えておる。後者じゃが、これも言葉の通りじゃ。自分の能力を開花させること。この二つを満たせば晴れて『蜥蜴』の隊士になれるのじゃ」
顔を煌めかせながら語っているエイベルさんを見ると、とても違和感を感じた。今までが今までだったから。
エイベルさんもこんな顔をするんだなぁとしみじみ。
他の人たちも「なるほど」といった感じに頷いている。
すると、急に犬が吠えだした。
話を遮られ、エイベルさんはムッするもすぐにいつもの表情に戻した。
「『僕のことを忘れるな!』って怒ってるよ」
テンダーは犬の言葉を通訳してくれた。やはり俺には「ワンワン」としか聞こえないが、テンダーにははっきりと言葉で聞こえるようだ。
更に犬は吠えた。
「『僕が折角『アレ』無し男から助けてやったというのに、お礼もなしかよ』って言ってる」
この犬、見た目に寄らず可愛くない性格しているな……。
しかし助けられた? のは事実だから、お礼は言っておいた方がいいのかな。
「「「「「ありがとう」」」」」
全員で犬に対してお礼を言った。絵的にかなりシュールだ。
すると犬は仰向けに寝転がり「きゃんきゃん」と嬉しそうに鳴いている。……なんだこの犬。
「しかし、なぜこの犬はさっきの奴が『アレ』無し男だと断言したんだ?」
ヴィクターさんが不思議そうに言った。いや、ヴィクターさんだけじゃない。クラッグもエイベルさんもテンダーもそうだ。そして俺もだ。
その問いに答えるかのように犬は自慢げに吠えだした。
「『なぜかって? そりゃ僕らがこの街を陰から見張っているからだよ! 『アレ』無し男からの被害を食い止めるためにね。僕ら、『ちびっ子警備隊』が』」
通訳しているテンダーの顔を無性に殴りたくなってしまった。テンダーには罪はないから抑えたが。
ワンダーガリソンズ……? 何じゃそりゃ。
腹の底からイライラと不安が込み上げてくる。俺たちはこんなのに助けられたのかと。
「『ついておいで。僕たちの基地に案内するよ』」
そう言うと犬は走り出してしまった。
みんな、後を追うべきか一瞬迷ったのだろう。犬の後ろ姿を全員が眺めた。
---
犬に連れていかれること数十分が経った。気がつけばサンミリューの郊外にまで来ていた。
ノンペニ橋周辺とは違い、ここはかなり廃れている。
人があまり住んでいないようだ。まるでゴミ置き場のような場所だ。
そこに一つ、小さな集落のような、誰かが住んでいる形跡のある場所に着いた。
「『着いたよ。ここが僕たちの基地だ』」
犬が吠えるとテンダーが訳してくれた。どうやらこの場所が犬たちの基地のようだ。
広さはおおよそ一〇坪といったところか。犬たちが大勢住むには十分すぎる広さだ。ここに一体何匹いるのだろう。
俺たちを案内してくれた犬が小さく遠吠えをした。
すると基地の物陰からぞろぞろと犬たちが出てきた。
俺たちはまずその数に驚いた。物陰から出てくる犬たちは長い列を成し、基地を埋め尽くすほどにまでなった。ざっと見一〇〇匹はいるんじゃないかと思えるほどだ。どこにこんな多くの犬たちが住めるスペースがあるのだろうか。
「『僕たちは物陰の奥に入口を作って、地下に穴掘って家に住んでいるんだ』」
次にその種類だ。『ちびっ子警備隊』というだけあって、小型犬しかいない。そして、ここにいる全ての犬がポメラニアンなのだ。
犬たちが全員出てき終えると、何やら話をするようにワンワン吠えだした。それを宥める様に俺たちを案内してくれた犬がワンワン吠える。
「なぁテンダー。こいつらは何て言っているんだ?」
「『なぜここに人間を連れてきた?』って彼に怒っているんだよ。それを彼が説明して落ち着かせようとしている」
犬たちは意外とシリアスなようだ。この犬の言い方からして、てっきり歓迎してくれているのかと勘違いしてしまった。
どうやらこの犬たちと人間とでは何やら確執があるのかもしれない。
「それじゃ、僕が今から彼らの言葉を訳すから聞いててね」
そう言うと少し間をおいて、犬たちが吠えると同時に訳し始めた。
「『ディック! お前、なぜここに人間を連れてきたんだ!? この場所がバレればあいつらに狙われるかもしれねぇし、何より生活もできなくなるかもしれねぇんだぞ!』」
「『それくらい分かってる! でも彼らは普通とは違うんだ。僕たちの言葉が分かるんだ!! 今こうして話し合っていることも筒抜けなんだよ?』」
「『けっ! そんなことができる人間がいるわけねぇだろ! 第一、俺たちがこんな生活になってしまったのはお前のせいだろ! お前の親が主の――――』」
「『ブルース!! それは言わない約束よ。あの時、あの場所にどの犬がいても同じ結果だったわ。相手は人間じゃないの』」
「『マロ姉……。分かってるけどよぉ……。どうしても許せねぇんだ。あの事件のせいで俺たちポメラニアンは飼い主から捨てられた。このどうしようもない気持ちをどこにぶつけたらいいんだよ!!』」
「『だから今頑張っているんじゃないか!! 『ポメラニアン』が街の人々を守っているって見せつけようって。みんなで決めて、みんなで実行しているだろ? だけど、一三年経った今でも状況は変わっていない。変わっていないんだ。そんな時だ。今日、僕がパトロールしているときに彼らに出会った。彼らは『アレ』無し男と互角以上に戦っていた。そして僕の声も理解することができる。……今の僕らの状況を変えたいんなら、まず僕らが変わらなきゃダメだろ!!』」
「『…………そいつらは信用できるのか……?』」
「『うん。信用できる。他の人とは違う』」
なんだか話がまとまったようだ。
……しかし、何というか、これが犬の会話なのか? 言葉だけ聞いていると、人同士が話し合っているように思える。
主には俺たちをここまで案内してくれたディックとブルースという犬の話し合いになっていた。この一〇〇匹の中で、権力を持っているのがこの二匹なのだろうか。いや、少し出てきたマロ姉という存在も怪しいものだ。
すると、ディックが俺たちの下へやってきた。
「『ごめんね。全部聞こえていたよな? みんな良い奴だから、許して欲しい』」
申し訳なさそうに項垂れている。テンダーの訳があったから分かるが、何とも不思議な気持ちだ。
落ち込むディックを見て、テンダーが優しく笑いながら抱きついた。
「大丈夫だよ。僕たちは今までの人たちとは違う。きっと、君たちの力になれるよ。だから僕たちにも力を貸してほしいな。僕たちで街を救おう」
ディックは鳴いた。いや、泣いたのかもしれない。
『犬が泣く』なんて犬を飼ったことがないから分からないが、今はその表現が良いのかもしれない。
そしてテンダーはディックの耳元で小さく呟いた。
「信用してくれてありがとうね」
この時俺は、なぜテンダーの能力が『相手の声を自分が理解できるように翻訳する能力』なのか分かったような気がした。
だってテンダーにぴったりじゃないか。テンダーは相手の心に寄り添おうとする、心の優しい人なのだから。
この、イケメンめ。
「ん? どうかしたの?」
するとディックがテンダーに何やら話しているようだ。テンダーが訳してくれないと、俺たちには「ワンワン」としか聞こえない。
全てを話し終えたのか、ディックからの言葉を全部聞き終えるとテンダーは驚いたように立ち上がった。
「今……ディックに聞いたんだけど……」
テンダーの顔は動揺しているようだった。驚きを隠せないような。
「ディックの親が主人の『アレ』を食べてしまった張本犬らしいんだ。だから、親から聞いたから顔が分かるらしいんだけど、グレイザー・D・ディスカールはまだ生きているみたいなんだ。その人、今はちゃんと働いているみたいなんだけど…………」
そこでテンダーは言いにくそうに少し黙った。しかし、すぐに口を開いた。
「あの保険会社のマネージャーさんが本人なんだって」
その言葉に俺とヴィクターさんは顔を見合わせた。そんな馬鹿なって。
本人が生きているのなら悪魔が関係しているのは間違いないと考えられる。
しかし、実際会ったときはそんなものは感じられなかった。普通の人だと思った。
「そしてね、今日遭遇した『アレ』無し男。あれは本人ではないそうなんだ。だけど『アレ』無し男なんだ」
テンダーが言い終わったようだ。
しかし俺には一瞬、何が言いたかったのか分からないかった。
本人ではないが『アレ』無し男。どう考えても矛盾しているように考えてしまった。
頭を柔らかくして考えれば分かることなのに。
「『アレ』無し男は一人ではないというわけじゃな」
エイベルさんのこの一言で俺はようやく理解できた。
『アレ』無し男が二人いる。