第二二話
如何にも怪しい建物の前に着いた。
虹のような七色の派手な塗装、ところどころに十字架がいくつも壁に掛けられている。そして大きな看板には「『アレ』無し保険』」とこれまた大きな文字で書かれている。
「ここ……だな」
そのおかしさのせいで建物の中に入ることを本能的に拒んでしまう。
しかし、そんな俺たちを余所に次々と人が入っていく。男性ばかりだ。やはり『アレ』無し保険というだけある。
この流れに乗って入れば、気持ち的にいくらかは楽だろう、「こんなおかしな建物にみんな入っているんだから、おかしいのは俺たちだけじゃないぞ」って。
「うし……入るか」
ヴィクターさんが先導しておかしな建物内に入っていった。それに続いて俺とテンダーが入る。
中に入ると外装とは全く違い、とても穏やかな内装でギャップが凄かった。ここを手掛けたデザイナーさんは何を思ってこんなことをしたのだろうか。
そして既に長蛇の列ができており、かなり順番待ちをしなくてはいけなさそうだ。『アレ』無し男の事件が終わって一三年経った今でも保険の人気は衰えず、か。
一〇分ほど待っても列はあまり進まなかった。それほど一人に掛かる時間が長いということなのだろう。それだけみんな『アレ』に必死なのだ。
それからまた更に時間が経つと、女性の従業員が順番待ちで列を作っている客に対してバターを配り出した。もちろん、トライノール社製のものだ。これには順番待ちしている男共は歓喜していた。それだけ好きなんだろう、乳製品が。みんな次々とそれを何の躊躇もなく食べだした。俺たちもお腹が空いていたため、それを口にした。
しかし金としてまで使われるバターを製造しているトライノール社とは一体何なんだ? 聞いたこともないぞ。作ったもので人をこんなに喜ばせるなんて、民間企業の鏡だ。
それから俺たちは更に待った。気付けば時間も一四時を超えていた。
警察署から出てきたのがおよそ一二時ぐらいだ。それから二時間ほど待っている。
そしてようやく俺たちの番がやってきた。
「いらっしゃいませ」
丁寧に受付の男性がお辞儀をした。それに釣られ、俺たちもお辞儀を。
周りを見ると、他の受付も全て男性だった。それだけじゃない。受付の向こうでなにやら作業している人も全員男性だ。女性はバターを配っていた従業員しかいない。まぁ、『アレ』に関することだから必然的に男性が多くなってしまうのかな。
「俺たち、旅行者なんだよ。噂で聞いてここへやって来たんだが、この保険に入るとどういったメリットやデメリットがあるんだ?」
ヴィクターさんが尋ねた。もう俺たちの中で自然とヴィクターさんが指揮っている。さすが年上。
「こちらの保険では、もし『アレ』が何らかの形でなくなったり食べられたりした場合に保険が効きます。毎月五〇バターの振込をお願いしますが、保険が適用されればお客様に五〇〇〇〇バター振り込まれます」
慣れたように従業員は淡々と話す。
それを真剣に聞くヴィクターさん。さっきから「ふむふむ。振り込むのか。ほうほう。そんなにもらえるんだ」と相槌を打っているが、バターを振り込むって何だよ。そんなもらってもいらないでしょ。俺とテンダーは後ろでヴィクターさんと従業員にツッコミを入れたかった。
「こちらが契約書になります。どうされますか?」
手慣れた作業のようにささっと契約書を取り出した。特に何もない、普通の契約書だ。
ヴィクターさんは真剣に悩んでいた。
そして俺は一つ、重要なことに気付いた。
「ヴィクターさん、何で悩んでんの?」
「ん? おう、やはりこれから妻と頑張る身としては保険をかけときたいしなぁ……。キールはどう思う?」
「どう思うって……」
この受け答えではっきりした。
この人、任務忘れてる。
いや、最初からこれが目当てだったのかもいれない。ここが怪しいと言って、単純に保険をかけときたかったんだ!!
俺は呆れた。呆れて声も出なかった。テンダーは状況を呑み込めず、きょとんとしていた。
そんな俺たちを余所にヴィクターさんは着々と保険の手続きを終えていった。
そして最後にいつから持っていたのか懐から印鑑を取り出し、書類にサインをして契約が完了した。
「うっし、待たせたな」
「『待たせた』じゃない! 絶対任務忘れてるだろ!」
俺がこう言うと、一瞬焦ったような表情をした。
「わ、忘れてねぇぞ!!」
あ、確定だ。こっそりブレイズさんに報告しとこ。
「これからが本番なんだよ」
そういってヴィクターさんは机に乗り出した。そして受付の男性を誘惑した。
「俺、ここの保険気に入った。是非ともここの責任者にお会いしたいんだが」
受付の男性はその姿に魅了……されるはずもなく、表情は一切変わらなかった。誘惑といってもただ単に笑顔なだけなんだけどな。
しかし意外とあっさりOKしてくれた。
「マネージャーはただ今暇しておりますのでよろしいですよ」
なんだこの展開。
受付の男性が俺たちをマネージャーのところまで案内してくれている際、ずっと鼻を高らかにしているヴィクターさんに一発蹴りを入れてやった。もちろんファクターを取り込んで。
ヴィクターさんは何とか耐えてたみたいだけど、その引き攣った顔を見たら少し気が晴れた。
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受付の男性に案内され連れてこられたのは、建物の二階にある部屋の前だった。
「こちらにマネージャーがおります。どうせ何もしていないんで、どうぞ入ってください」
そう言うと受付の男性はさっさと降りて行った。お客が待ってるから早く行かないと仕事を終えられないからか。
しかしこの部屋もすごい。
何がすごいって、扉を見ただけで伝わるセンスの無さ。扉は派手に七色の塗装、金のドアノブになぜか色も大きさも様々な星のマークが。そして扉や壁に多くの十字架が掛けられている。
建物の一階は普通だった。そして周りを見てもこの部屋の周りだけ異様なデザインになっている。
このセンスはマネージャーなのか。
俺たちは三人全員でそう思った。
しかし「マネージャーに会わせろ」と言ったのは俺たちだ。会わないわけにはいくまい。
「ここに入るんだよね……」
明らかに引いた反応を示すテンダー。ヴィクターさんも顔を横に振って拒絶している。
「ここはヴィクターさんが先陣を切るべきだよ。受付の男性にカッコつけて言った張本人だし」
「待て待て!! こ、ここはだな、公平にじゃんけんでだな――」
「反論の余地なし」
「あぁぁぁぁぁああああああああああ」
こうしてヴィクターさんが一番最初に入ることになった。
「お、お前ら! 俺がこんなところに入ったってみんなに言いふらすなよ? フリじゃないぞ、本気だからな!」
「いいから早く入れよー」
「そーだそーだ。早く~」
「覚えてろ……」
泣きながらヴィクターさんは扉を開けた。
その瞬間、空気が変わったことに気付いた、嫌な意味で。
なぜか部屋の天井にカラーボールがあり、それが部屋中をカラフルにしている。部屋にはソファが二つとテーブルがあるだけなのだが、壁や窓にされている装飾がとにかくダサい。ソファとテーブルだけがシンプルなデザインという点が助かる。
そのソファに既に一人座っていた。カラーボールのせいでスーツが赤青緑黄などに色を変えながら、男は下を向いていた。まるで項垂れいるように。
男は何やらボソボソと呟いていた。
しかし俺たちの距離からでは全く聞こえない。恐る恐る近付いてみた。
「お前たち……丸聞こえなんだよ……」
男は頭を抱えた。俺たちの会話からショックを受けているようだ。
どうやらこの男がセンスの悪いマネージャーなのだろう。
俺たちとマネージャーの間で変な空気が流れた。そんなことなど気にせず、空気の読めないカラーボールだけがただ回っている。
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「それで、お前たちは何なんだよ」
ハンカチで涙を拭いながらマネージャーは尋ねてきた。
マネージャーはキリッとした顔立ちで短髪だ。清潔感が溢れ、如何にも『できる男』感の半端ない雰囲気だ。スーツもシャキッと着ており、欠点という欠点はセンスの無さだけのように思える。
あれから数分、立ち直ったマネージャーは機嫌が悪そうに俺たちをソファに座らせた。もちろん、カラーボールはもう回っていない。
「俺たちはこういうものです」
俺とテンダーが何て言おうか迷っていると、ヴィクターさんがあの許可証を取り出した。許可証には団体名が書いてあるから。
疑わしいところにこんな馬鹿正直に身元を教えて大丈夫なのだろうか。少し不安になったが、あまり気にしないことにした。
「アルカディア……? 聞いたことがないなぁ。それで、そのアルカディアが俺に何の用だ?」
「一種の噂調査団体みたいなものですよ。俺たちは今、『アレ』無し男に関する調査をしております。調査を進めるとそちらの保険会社が出てきたので、お話をと思いまして」
「なるほど。『アレ』無し男に関して調査をしていると『アレ』無し保険という如何にも『アレ』無し男が関係していそうなうちの会社を調べようと。そういうことですか」
「その通りです」
俺たちがそう言うと、マネージャーは難しい顔をした。何か裏でもあるのか?
マネージャーは数秒ほど考えるようにして、それから口を開いた。
「いやぁ、考えたけどそれらしい理由は見つからんなぁ。俺はここの親会社に派遣されてこの『アレ』無し保険のマネージャーを任されているだけだからな。親会社も『アレ』無し男の噂に乗っかって冒険しただけだと思うぜ」
単純な理由だった。マネージャーの顔を見ても裏がありそうではなかった。
いや、マネージャーが知らないだけで裏で何か動いているのかもしれない。
そう思った俺たちはその後もマネージャーに質問したが、これ以上不審な点は見つけられなかった。
「忙しい中、貴重なお時間をありがとうございました」
「いや、いいんだ。俺も力になれずにごめんな」
そうして俺たちは『アレ』無し保険から出た、ここは白だと結論付けて。
しかし、今日得られた情報は大きい。これからクラッグとエイベルさんと合流して情報交換しなければ。向こうも何か収穫があればいいのだが。
空は既に夕焼けに染まっていた。
---???視点---
コンコンコン
誰かが扉をノックする音が聞こえた。
「おう、入っていいぞ」
「失礼します」
男が入ってくると部屋の天井にはカラーボールが回っていた。
「これ、本当に趣味悪いですよ」
「うるせぇ。俺はこれが好きなんだよ」
スーツの男がソファに座っている。
やっと何かから解放されたようにジャケットのボタンを外し、ネクタイも緩めた。
「どうでした? 奴らは」
「ふん。アルカディアが調査に来たんだと」
そしてスーツの男は鼻で笑った。
「一種の噂調査団体だと? 嘘が下手くそだな」
「奴らはどうしましょうか。まさかこのまま放っておくわけないでしょう?」
男がニヤリとするとスーツの男もまた笑った。
「ハハハ。そりゃ当たり前だ。俺たちの敵は一人残らず殺さなきゃな。そこでだ。受付の仕事は他の奴にやらせる。お前、殺りに行ってこい」
「最初からそのつもりですよ。きちんと契約もさせましたし。そろそろ『アレ』を狩る犬を使いますか」
そして男は部屋から出ていった。