第二〇話
俺たちの担当区域はリュムノールの中心に位置する都市――サンミリューの約半分だ。
サンミリューは『アレ』無し男による事件が最も多い場所であるため、俺たちの班が任された。将来ある若者たちに経験を積ませるためなのだろう。
もちろん、他の担当区域にも『アレ』無し男による事件は数えきれないほどある。サンミリュー以外も隈なく調査する必要がある。
しかし、サンミリューには事件数が最も多いだけではないのだ。
『アレ』無し男による最初の事件が起きたある橋――ノンペニ橋があるのだ。本来の名前は違う。『アレ』無し男による事件が増えてきだした頃に国民が『アレ』を無くした男への慈悲の意を込めてそう呼ぶようになったそうだ。
俺たちは主にこのノンペニ橋周辺の調査だ。
「あの、すいません」
しかし、調査と言っても簡単ではなかった。
「んあ? 何か用か?」
図書館や警察署へ行き、過去の事件や文献を調べるのは当たり前だ。
まずは国民への地道な聞き込みをするのだが、これが一番苦労する。
「『アレ』無し男に関する情報を現在集めておりまして、何か知っていることがあれば教えて頂けないですか?」
「お? 何や? 頼みごとか、兄ちゃん。なら分かっとるやろ? ほれほれ」
そう言って通行人は手を差し出す。何かを強請っているようだ。
俺は懐から予め買っておいたバターを取り出した。
「おぉ! トライノール社のバターやないかっ! 俺、これ毎日食べよるわぁ。兄ちゃん、見る目あるな!」
とても上機嫌になってくれた。
その後、通行人は情報をくれたのだが、アルカディアにあった資料は嘘だな。リュムノールの人は『乳製品を渡せば頼みごとを引き受けてくれる』ではなくて『乳製品を渡さないと何も教えてくれない』だ。
情報は手に入って良かったが、何なんだこの国は。
開始早々嫌な気分になってしまった。
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ある程度、通行人に聞き込みをしてから俺たちは合流した。
サンミリューにある小さな喫茶店にて会議を行っている。
「みんな、情報はどれだけ集まった?」
ここはリーダーであるクラッグが取り仕切る。
「俺のところは新しい情報は得られなかった。ノンペニ橋で事件が起きたことがあるって程度だけじゃ」
「僕もそんな感じだったよ。全部、資料に書かれていることの裏付けが取れただけだね」
「俺も似たようなものだ」
みんな、それぞれの調査の報告をした。やはりこれといった有力な情報は得られなかったようだ。
しかし、なぜか空気がピリピリしている。なぜだろう。
「俺もだよ。全部同じ情報ばっかりで、無駄にバターを取られていくわ」
俺がこう言うとみんな立ち上がった。
「「「「それな!」」」」
そして今まで溜まっていたように意味の分からなさをお互い語り合っていた。「何でこんなにバターばっか取っていくんだ」って。
やっぱり他の場所でも同じだったらしい。ピリピリしていた原因はこれか。
会議は一気にヒートアップしてしまった。やはりこの国の乳製品への『愛』は異常だ。
「ゴホンッ」
クラッグが我に返り咳払いした。それに合わせ、みんなも落ち着いた。
「みんなが集めた情報と資料によると、やはりノンペニ橋を一度調べる必要がありそうだ」
そのまとめに全員が賛同した。
そして俺たちは会計をし、ノンペニ橋へ行こうとした。
「お会計、トライノール社のバター、二〇個分で御座います」
俺たちは沈黙してしまった。「ここでもバターか」と全員が思ったに違いない。
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俺たちは喫茶店を出るとノンペニ橋を目指して歩いた。
喫茶店からの距離はそんなに遠くはないため、一五分程度で着いたと思う。
ノンペニ橋は町中にある。道路と道路を繋いでいるとても大きな橋だ。ノンペニ橋は高さ六メートルほどあり、その下には人が通るためのトンネルのようなものができている。人道の長さは一〇メートル以上もあり、ノンペニ橋と人道は十字に交差している。この人道で『アレ』無し男による事件があったそうだ。
煉瓦造りになっており、人道はライトなどないため夜は怖い道だと思う。今はまだ日が高いため、人道内は明るい。
「ここがノンペニ橋か……」
自然と声が呟いていた。
俺たちが着くと、人道には誰もいない。『アレ』無し男の噂が広まったお蔭で、ここの道を一人で通る人が減ってしまったためだ。
「いつ『アレ』無し男が現れるか分からない。だからここで張り込みをしようと思う」
クラッグの意見に全員が賛成した。
今のところ、ここが一番の有力の場所だ。張り込みをするのは定石だ。
もちろん、別の場所からこの人道を監視する。こんなに大勢が長時間屯していると、『アレ』無し男も警戒するはずだ。
俺たちは二つの班に分かれた。エイベルさん、クラッグの二人は人道の監視、俺とテンダーとヴィクターさんの三人は通行人から聞き込みなどの情報集めだ。お互い、何かあれば無線による連絡をすることにした。町中は人が多いため、無闇に念話は使えない。いきなり頭の中に変な声が聞こえたら気味が悪くなるだろう。
「また後で」
そう言って俺たちはそれぞれの仕事を全うすることにした。
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俺とテンダーとヴィクターさんの三人はまた町中を歩くことにした。地道ではあるが、道行く人から情報を集めることにしたのだ。どこの国も世論を大事にするからな。
しかし……。
「すいません、お尋ねしたいことがありまして」
「ん? なぁに?」
「『アレ』無し男に関する情報を集めておりまして、何か知っていることがあれば教えて頂けないですか?」
「あら、頼みごとかしら? そうねぇ、教えてあげないこともないけど、気が乗らないわねぇ」
そう言ってチラチラ目を動かして、何かのサインを俺に送ってくる。
俺は何も言わずにトライノール社のバターを取り出す。
「あらやだぁ~。お兄さんイケメンじゃないのぉ。これは教えないといけないわねぇ」
そうして『アレ』無し男に関する情報を教えてもらえた。
しかし、期待した俺が馬鹿だった。最初、俺が聞いた人は男性だけだった。女性は違うんじゃないかと思ったが、そんなことはなかった。全員一緒だ。
そして得られた情報も今までのものと大して変わらなかった。
その後、二時間程度聞き込みをしたが有力な情報を得られなかった。テンダーとヴィクターさんも同じだったようで、ただ虚しくバターが減っただけに終わった。
情報収集の方法を変えた方が良さそうだ。
「とりあえず、今日は宿を探すか」
俺たちはヴィクターさんの言葉に賛成した。
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「ヴィクターさんはどうして隊士になったんですか?」
宿を探しながら俺は尋ねた。
サンミリューでは何かする際にはお金の代わりにトライノール社のバターで取引される。いや、恐らくはリュムノール全体もそうだろう。
宿に泊まるだけで一体どれだけのバターが取られるか分からない。だから人にどこの宿が良いか聞けずに、徒歩で現在探し中だ。聞くだけで取られるからな。
ヴィクターさんは笑いながら答えてくれた。
「あぁ、俺か? んー、俺は正義感だけで突っ走って隊士になったもんかな」
「え、正義感ってどういう?」
この話にテンダーが食いついた。
「今から三年前、俺が当時二一歳のときだよ。俺が住んでいた町が悪魔に襲われたんだ。そのとき大勢の人が殺されてしまって。俺は何もできなくてさ、自分の無力さを嘆いたな。自分が強ければ救えたんじゃないかって。だから記憶を消されそうになったとき志願したんだ、『みんなを守りたい』って」
すらすらと話していた。
ヴィクターさんの顔を見ていると、本当にそう思って行動したんだなっていうことが分かる。本心だから、言葉を作らずこんなにすらすら言えるんだって。
「それで? キールとテンダーは何でだ?」
不意に話を振られキョトンとしてしまった。
そんな俺にヴィクターさんは笑っていた。
「おいおい。俺だけに語らせるつもりかよ? それはないぞ」
「すいません」
そう言って俺はこれまでの経緯を話した。だいぶ端折ったが、大事なところを重点的に。
悪魔に学校が襲撃されたこと。友達が大勢殺されたこと。そのとき俺は何もできなかったこと。
こう考えるとヴィクターさんと俺の動機ってかなり似ている気がする。
もちろん、ルーシーのことも話した。
「くぁ~、かっこいいねぇ。『愛する女のために』ってやつだなぁ。しかし相手は『龍』か……。頑張って強くなれよ」
ヴィクターさんは急にテンションが上がっていた。他人の話が好きな人かな。
「へぇ、キール君かっこいいね! これから頑張んないとダメだね!」
テンダーも同じだった。
「まぁ、ここだけの話。俺、実は結婚しているんだ」
そう言ってネックレスに繋いだ指輪を見せてくれた。
ヴィクターさんは単に恋愛話が好きな人のようだ。
「おめでとうございます! お相手は誰ですか?」
「ふっふっふっ。相手の名前はまだ言えないが、去年『蜥蜴』に昇格した隊士だ」
「え、同じ隊士なんですか?! すごく珍しいですね。でも奥さんの方が強いって、何か複雑ですね」
「そうなんだよ。俺たち、似た境遇だな」
意気投合したように俺たちは盛り上がった。
ヴィクターさんと俺の境遇はとても似ている。だから何か親近感が湧く。まだ話して一日も経っていないが、古くからの知り合いのような感覚を持てる。
そして話題が変わった。
「やはり、結婚したからには子供が欲しいんだよな。来週から妻と一緒に頑張るんだけどよ」
「犬に『アレ』食べられて、『アレ』無し男にならないようにしないといけませんね」
俺たちはとても笑った。
この話題でも爆笑している。テンダーとヴィクターさんが二四歳、俺が一八歳と年の差があるのに、それを感じさせないな。
そうして宿探し中、ずっと笑っていた記憶がある。途中、ヴィクターさんからも「タメ口でいい」と言われた。
その後、宿を決めた俺たちはクラッグ、エイベルさん組みと合流し、一日目を終えた。
そしてやはり宿代もトライノール社のバターだった。