第一五話
カウルさんの遺体から血がどっぷりと出ている。やがてその血は悪魔の足元まで広がった。
悪魔はそれを手に付けて舐め出した。
その姿は狂気そのものだった。
今の悪魔を表すのであれば、喜び、歓び、慶び。いや、『悦び』だ。
血の味に――いや、人を殺した快感に悦んでいる。
そんな姿を俺たちはただ見ることしかできなかった。
カウルさんが殺され、仇を取るわけでもなく、ただじっと……。
冷静になって考えれば分かることじゃないか。
上級は『龍』でなければ倒せない。『蜥蜴』でも中級が精々だ。だから上級と戦うことをカウルさんをはじめとした『蜥蜴』の隊士たちは悩んだんだ。
俺たち『蛇』は一番弱い。下級としか対等に戦えない。そんな俺たちが上級に膝を突かすことなんてまず無理だったのだ。
最初に気付くべきだった。少なくとも、俺とテンダーとスリックの三人で攻撃しているときに。
悪魔に嵌められた。
後悔の念が頭の中を満たした。カウルさんの死と己の未熟さがより一層、負の感情を呼び寄せる。
しかし、ここは戦場だ。敵も目の前にいる。雑念は取り払わくてはならない。
そんなことは分かっているのだが、俺は集中ができなくなってしまった。
周りに注意が散漫してしまう。
カウルさんの遺体。そして今気付いたが、陽動班の遺体もあちこちにあった。全ての遺体が真っ二つになっていた。
ここは血の臭いしかしなかった。
「バリー……」
遺体の中に、任務開始前にクラッグと話していたバリーさんの顔があった。
クラッグも今気付いたらしく、動揺が隠せないでいた。
そしてその動揺は怒りへと変わっていった。これほどまでに怒っているクラッグを見たのは初めてだ。
感情的になったまま、クラッグは悪魔へと突進してしまった。
「このやろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおお」
しかし、そのスピードは遅かった。遅すぎる。
彼はファクターを取り込んでいない状態で悪魔に立ち向かってしまったのだ。
「やばい」
そう言ってフロストがクラッグを止めに行った。
しかし、悪魔もじっとしていてはくれなかった。フロストより遥かに速くクラッグの方へと走り出した。
ほんのわずかにフロストの方が早く着いてクラッグを弾き飛ばした。
「痛ってぇ! 何しやがるんだ!」
クラッグがそう言ってフロストを睨んだ。しかしそこにフロストはいなかった。
悪魔がニヤリと笑ってクラッグを見下ろしていた。
フロストは飛ばされた。クラッグを弾き飛ばした後、悪魔の攻撃を避けようとしたが腹に直撃してしまった。
その衝撃のせいで身体は吹っ飛び、瓦礫に身体を強打してしまった。フロストは気を失っている。
フロストもやられてしまった。
そこへ『蜥蜴』の隊士たちが一斉に攻撃を放った。ある者は能力で球状のものを撃ち出し、ある者は悪魔を殴って離れるヒットアンドウェイをしている。
一気に戦場は激しさを増した。
俺たち『蛇』はここに入ることはできなかった。足手まといになると分かってしまったからだ。
俺たちよりも遥かに速い動きで攻める『蜥蜴』。しかし、それを悪魔は余裕で躱している。
次元が違った。
俺たちがここにいたところで何もできない。
段々と『蜥蜴』の隊士たちも押されてきた。人数の多さが救いだったのに、その数は減っていった。
一人、また一人と吹っ飛ばされ戦闘不能になったり、内臓を抉り出され死んでしまったりしている。
こちらの負けは目に見えていた。
そして『蜥蜴』の隊士は残り一人になってしまった。フェイさんだ。
彼は何かの能力を撃ち出して攻撃していたため、遠距離での攻撃だった。そのため、生き残ってしまった。
彼が負ければ残りは『蛇』の隊士のみ。到底勝てるわけがない。
俺を含め、『蛇』の隊士はこの戦いに自分の場違いさを感じてしまい、動けなくなっていた。
ただじっと、この地獄が終わること神に祈っていた。
そして最後の戦いが始まった。
フェイさんは悪魔の足元目掛けて能力で作り出したものを撃ち出した。
しかし、悪魔の方が速く動き、一瞬でフェイさんとの距離を縮めてしまった。そしてその勢いを攻撃にのせた。
ギリギリ、悪魔の右ストレートを避けた。フェイさんも右ストレートをすべく、右手にファクターを集める。
そして右ストレートを放った。
しかし、フェイさんの右手は悪魔に届くことはなかった。
フェイさんの攻撃に反応した悪魔が回し蹴りをしてフェイさんが吹っ飛んでしまった。
ここまでわずか一秒。
決着がついてしまったのだ。
これで『蜥蜴』は全滅。残りは『蛇』だけになってしまった。
身体の底から一気に恐怖が流れ込んできた。
次は俺だ。
周りに転がる真っ二つになった遺体の数々。
この状況で勝てる可能性は一つもない。次は俺たちがああなる番だ。
奥歯が震えだした。
いや、奥歯だけじゃない。全身だ。
初めて悪魔と遭遇し腰を抜かしたときみたいに俺は恐怖してしまっている。短時間に多くの死を見過ぎてしまったからだ。この感情を拭えなかった。
しかし、また俺を勇気づけてくれたのはテンダーだった。
彼は俺の裾を引っ張った。
「キール君、やるしかないよ」
そう言って、彼は俺の前に立った。その背中が、初めて年上だと気付かせるほど大きく見えた。
後ろを向けば、クラッグとスリックと『蛇』最強のエイベルさんがいた。
エイベルさんは普段嫌いだけど、こういうとき頼りになる。彼の目はまだ諦めていなかった。
スリックはあれだが、クラッグもまだ諦めていない。
もう少しだけ頑張れる気がした。
しかし、ただ闇雲に突撃しただけではまず勝てない。作戦を立てようにもさっきみたいに読まれるかもしれない。
かなり難しい。
そこへエイベルさんが案を出した。
「仕様がない。俺が能力を使う。お前らは援護にまわれ」
「え、エイベルさん、能力あったんですか?!」
俺たち四人は驚いた。基本的に『蛇』に能力持ちはいない。
「ばかやろー! 声がでかい。俺が能力持ちだとバレたら『蛇』にいられなくなるだろ。それだけはダメじゃ」
バレるとまずい理由があるらしい。
しかし、今は少しだけ見えた希望の光に俺は喜んだ。
「だから能力は使っていることがバレないように使う。いいか? 分かったか?」
こうして戦いは第二ラウンドに入った。
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まず俺たちはヒットアンドウェイを繰り返した。殴っては離れてを何度もだ。
この悪魔、力が大きすぎて調子乗っているのか、最初は絶対に遊んで敵を蹂躙する。『蜥蜴』の隊士たちが攻めているときもそうだった。最初は攻撃せずに余裕で躱してくる。
そして段々と悪魔は俺たちへの攻撃を開始した。最初は俺たちでも対応はできた。
しかし、速さを上げていき、段々と苦しくなっていく俺たちの顔を見て楽しんているようだった。
「おいおい。これで終わりかぁ~? お前らの攻撃なんて止まって見えるぞぉ~」
余裕なところを見せて相手を恐怖させたいのだろう。
確かにその通りだ。今の俺たちではこれが精一杯だ。
しかし、希望はまだ持っている。エイベルさんがいるから。
俺たちが頑張っていると、他の隊士たちも動いてくれた。
総勢一三人の『蛇』の隊士による猛攻撃が始まったのだ。その中にもちろんエイベルさんもいる。
最初から姿を見せておくことで、敵の警戒を少なくするためにだ。
そしてエイベルさんの能力が発動したのが分かった。悪魔の動きが一気に遅くなったのだ。
エイベルさんの能力は、対象物の時間の流れを通常の五〇分の一にしてしまう。発動中は使用者が少しも動けなくなってしまうという難点があるが、かなり強い能力だ。
そのおかげで悪魔の動きは人が歩いているほどになった。
俺たちはすかさず攻撃しまくった。殴っている拳が潰れそうになるほど硬い鎧だったが、何度も殴れば少しずつ剥がれていく。
勝機が見えた――と思った。
そんなに甘くはなかった。
悪魔の動きはどんどん速くなっていった。段々俺たちは対応できなくなってしまい、悪魔に蹴られ吹っ飛ばされた。
これが上級の本気だ。時間の流れを遅くしているのにこれだ。力の差を感じてしまう。
そして悪魔を中心に爆風が起きた。その爆風のせいで俺たちはおろか、エイベルさんまでも吹き飛ばされ、全員が倒れ込んでしまった。
「まさか能力持ちがいるとはな。油断しちまったぜ」
悪魔の身体のあちこちに多くの傷があった。鎧も剥がれ、ダメージは大きいと思う。
しかし、決定打がなかった。
俺たちはチャンスを生かすことができなかったのだ。
「くそぉぉぉおおお!」
悔しさの余り、地面を殴っていた。このチャンスを生かせれば勝てたかもしれないのに。
『蛇』の隊士も全員倒れ込んでいた。
クラッグもスリックもエイベルさんも。全員だ。
もうまともに戦える人はここにはいなかった。
完全に諦めようとしたときだった。
「おいおい、呼ばれたからわざわざ来てやったのに、手遅れかぁ~?」
「いやはや、遅れてしまいましたなぁ」
ゆっくりと俺たちの目の前に現れたのだ。
二人、援軍だと分かった。
一人はよく見る人だったからすぐ分かった。
『蛇』の隊長――ブレイズさんだ。
しかし、ブレイズさんと並んで歩いている人は誰か分からない。
するとエイベルさんが教えてくれた。
「フェリオス隊長じゃ。『蜥蜴』の隊長を務めている、とても強いお人じゃ」
『蜥蜴』の隊長さんらしい。
隊長というと、ブレイズさんみたいに年輩の人かと思っていた。しかし、見た目がとても若い。多分まだ三〇代前半じゃないかな。
ファクターを感知すると、どちらも凄かった。ブレイズさんは前に見たことあるから知っていたが、フェリオスさんもブレイズさんと同じぐらいの密度が高い。
何はともあれ、嬉しい援軍だ。
「誰だ、お前らは」
悪魔が尋ねると、フェリオスさんが凄まじい剣幕で答えた。
「お前を殺す死神だよ」
その顔に俺は戦慄を覚えた。
それから時間はあまり掛からなかった。
二人が上級を圧倒したからだ。
特に凄まじかったのはフェリオスさんだ。上級を上回るほどの速さで背後に回り、一瞬で上級の腹に大きな穴を空けた。
しかしそれでは死なかったため、ブレイズさんが燃やしてしまった。これは恐らく能力なのだろうが、火力が半端なかった。
ほんとに一瞬だ。
俺たちがあんなに頑張っても勝てなかった上級をこんなにあっさり殺してしまった。
俺たちは歓喜してしまった。
ようやく地獄から解放されたのだ。
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その後、俺たちはブレイズさんとフェリオスさんの連れてきた救護班によって治療を受けた。
『蜥蜴』にも幸い生きている人がいた。
町はかなりの損害を出したが、シェルターまで逃げ込んだ人全員は避難に成功したため、被害は最小限に食い止めることができただろう。
最終的に任務には成功した。
しかし、こちらの死傷者が多すぎたことが一番の問題だ。『蜥蜴』と『蛇』を合わせて二〇名ほどの隊士が死んでしまった。
死なせないための体制でこれほどまでの死人が出たため、これから見直されることになるだろう。
幸い、俺、テンダー、クラッグ、スリック、エイベルさんは軽傷に済んだ。明日からまた訓練の日々になる。
しかし、フロストはあのときの一撃のせいで入院することになった。入院で済んで良かった。
初めての合同任務は多くのことを経験できた。
俺はまだまだだ。まだまだ弱いからこれから頑張らなくてはいけない。今回みたいに多くの人が殺されるのを見るのは嫌だ。
あのとき何もできなかった自分が悔しい。他の人たちもみんなそう思っているようだ。
課題は山積みだ。
こうして、初めての合同任務は終わった。
---???目線---
「あちゃー、やられちゃったねぇ」
「まぁ今回は様子見やったんやろ? キールはあっち側になったみたいやし」
「そうだな。これはあくまで様子見だ。本命は他にある」
「さっすがぁー。できる男はやっぱ違うねぇ」
「さて、これから仲間と合流するぞ。これから忙しくなるからな」