第一〇話
次の日、俺はコッタ省長を訪ねた。
ベリーの部屋を訪ねようにも、昨日のことが頭を過って扉を叩けなかった。だから昨日一緒にあの場に居たコッタ省長に聞くことにした。
「あら、キール君いらっしゃい。まぁそこに腰掛けて頂戴」
軍事省の最上階には省長室があり、コッタ省長の仕事部屋だ。
部屋に入るとまず手前にお客用のフカフカのソファが対面する形で置かれており、その間に見るからに高そうなテーブルが置かれている。その奥にコッタ省長の仕事机なのか、机の上は書類の山だった。
言われた通り、俺は手前のソファに座った。
「ベリーちゃん、今は落ち着いて寮の方で眠っているわ」
お湯を沸かしながらコッタ省長から話してくれた。
お湯が沸騰すると、棚から上品なカップを二つ取り出した。
「ごめんなさい。今ちょうど豆切らしてて。レギュラーコーヒーでもよろしかったかしら?」
レギュラー……? 全く分からない。
「何でも大丈夫です」
「ならよかったわぁ」
そう言って、カップに何やらよく分からないことをしだした。
そして数分もするとコッタ省長はコーヒーを出してくれた。
「ありがとうございます」
「良いのよ。お客さんにこれくらい出すのは当たり前だもの。ミルクとシロップはここに置いておくから、好きに使って」
生まれて初めてのコーヒーだった。ミルクとシロップと言われても何が何やら。
とりあえず俺はミルクとシロップを一つずつ入れた。
「今日ここに来たのは……聞くまでもないわね」
コッタ省長は俺の目の前のソファに腰かけた。
多分そうだ。コッタ省長もベリーのことだと思っているだろう。
「そうねぇ……。本当は内緒なのよ? いいわね?」
「は、はい」
ここまで念を押されると、そんなに複雑な事情がベリーにあったのかと思ってしまう。
ベリーはいつも笑っている。だからそんなこととは無縁なのだと勝手に思ってしまっていた。
「事件が起きたのは一〇歳のときだったわねぇ」
おもむろに話し出した。
一〇歳ということは、今が一四歳だから四年前の話か。思った以上に最近なんだな。
「当時、彼女は普通の、どこにでも居そうな男の子だったわ」
コッタ省長はゆっくりとコーヒーを一口飲みながら話した。
ん?
「待て待て」
「あら、何かしら?」
おとぼけ顔をされた。
こう見ると普通に美人なのだが、男だというのは詐欺だ。
おっと、そうじゃない。
「ベリーは女の子ですよ?」
「あら? あたしがなぜ胸にマシュマロ詰めているかって話じゃないの?」
「違います!!」
思わず立ち上がってしまった。
漫才で『なんでやねん』というツッコミがよく使われるが、なぜ使われるのかよく分かる。
目の前にいるこいつをぶちのめしたい衝動に駆られる。
「あ~ん。キール君怖いぃ~。ちょっとふざけだだけじゃないのぉ」
この人は本当に……。真面目なのかふざけているのか時々分からなくなる。
「おふざけはここまでにして、本題に戻るわね」
そう言って表情が真剣になった。
「その前に、昨日ことを教えてくれるかしら」
俺はコッタ省長に昨日、自主訓練場で何が起きたのかを説明した。
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「そう……。そんなことがあったのね……」
コーヒーを飲み終えたのか、コッタ省長は立ち上がり棚からコーヒーの粉の入った瓶を取り出した。
「多分気付いていると思うけど、原因はキール君よ」
そして粉を自分のカップの中に入れた。
そこからよく分からない工程であっという間にコーヒーを作り上げてしまった。
「やっぱり……ですよね」
薄々と感付いてはいたが、直にこうやって言われるとへこんでしまう。
俺がベリーを壊れさせてしまった。
コーヒーが出来上がると、コッタ省長はソファに戻ってきた。
「あの子の過去について、これはあたしが他人に簡単に話せる内容のことじゃないの。だから、詳しくは話せないけど、許して頂戴」
そんなことを言われると、聞いても良いのかと思ってしまう。
いや、しかし、ダメなところは省いて説明してくれるだろう。どんなにふざけても、肩書は『省長』なのだから。
それに俺の親父のこともこの人は教えてくれていない。よっぽどのことがない限り口を滑らすことはないだろう。
「今から数年前のことなの。ある事件が起きたきっかけであの子は男性恐怖症になったの。トラウマなのよ。ただ、これは男全員に恐怖するわけじゃないのよ。大丈夫な人もいるみたいなのよ。その中の一人にあなた――キール君も含まれてはいたの」
ベリーが男性恐怖症……。聞いても今一ピンとこない。
他の男とも普通に話しているイメージがあった。あ、多分それはジュンさんと普通に話していたからか。
しかし、何で俺が大丈夫に入るんだろ。
「けれど、大丈夫とはいえ、トラウマを克服したわけではないわ。きっと、昨日あなたに肩を掴まれたときに重なったんでしょうね、トラウマと」
そう言われて、あのときの情景を思い出した、気付けばベリーの肩を掴んでいたあの時を。
無意識の内にすごい剣幕をしていた。気が付くとベリーがとても怯えていた。その前まで普通に話していたのに、そのときのベリーは尋常じゃない怯え方だった。
そのとき重なったのか、その『ある事件』と俺が。
「次にベリーちゃんと会ったときは、すぐに謝るのよ? 分かったわね?」
いつもとは違うコッタ省長の睨みに全身の毛が逆立ったように感じた。
「も、もちろんです!」
「うふふ。それと、こんなことしてていいの? 訓練サボったらダメよぉ?」
お次は怖いくらいの笑顔。
コッタ省長の恐ろしい面を見たような気がした。
俺は慌てて省長室から飛び出し、訓練場に急ぐのだった。
そろそろ昼の休憩に入るぐらいの時間だ。
省長室に一人、コッタ省長は溜息をした。
「こんなことして良かったのかしら」
そう言って、二杯目のコーヒーを飲み干した。
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訓練場に着いたのは一三時を過ぎた頃だった。
昼の休憩も終わり、午後の訓練が始まる丁度そのときだったのだ。
「ばっかもぉぉぉぉぉおおおおおん」
エイベルさんの怒声が響いた。
「何時だと思っておる! 足を引っ張っている奴が訓練サボるたぁ良い度胸してるじゃねぇか!」
いつも以上にエイベルさんは怒っていた。
無理もない。一段階のときでさえあんなに言ってきた人だ。現在二週間も進歩無しで、当の本人がサボったとあれば怒りが頂点に達するのも分かる。
しかし俺もただでは怒られない。
「ちゃんと進歩はしました。見ててください」
そう言って俺はその場で座禅を組み、目を閉じた。
目の前は真っ暗だった。
昨日を思い出せ。昨日のあの感じを思い出せばきっと感じ取れる。
頭の中で念じるように、俺はファクターへの意識を集中させた。
いつの間にか周りは静かになっていた。いや、集中しすぎて耳が音を拾っていないんだ。
すると目の前に白い粒子がいくつも見え始めた。粒子は目の前で五個の塊になっていた。それぞれの大きさは様々で人型をしている。
この中で一つだけ極めて密度の高い塊があった。
「この密度の高い人がエイベルさんですね? あ、このスカスカしているのはスリックか」
目を瞑って答えた。
そして、ゆっくり目を開けると俺が指したそこには、俺が言った名前と同じ人物がいた。
「ほぉ、やるじゃねぇか。見えないところで頑張ってたんだな。今日はその頑張りに免じて許してやろう」
「そ、そんなぁ~。エイベルさん、もっと叱ってやってくださいよ~」
「スリック、お前は黙ってろ」
スリックはしょぼくれたようだった。
今気付いたのだが、エイベルさんは何も理不尽に俺をいびっているわけではなさそうだ。いや、理不尽なのだが。
しかし、俺が成長すれば認めてはくれる。俺がサボっていると喝を入れてくれる。愛だな。
いや、うん。でもこの人は好きになれない。きっと最後までこんな関係が続きそうだ。そんな気がする。
俺らが屯しているとあいつがやってきた。
「おやおや、皆さんは何をやっているのですかな。訓練はとっくに始まりましたぞ」
『すんごい』人だ。俺の天敵……というのは冗談で。
俺たちが訓練を始めないから隊長さんがやってきた。
「おぉ、ブレイズさん。今から訓練を始めようとしていたところです。時に、キールがファクターの感知に成功したようです」
エイベルさんが笑顔で話し出した。さっきまでのギャップのせいで、人間って怖いなと思う。
「左様ですか。それではキール殿、私にも見せてくれるかな」
そう言われ、俺はまた座禅を組み、目を瞑った。
さっき同様にブレイズさんのファクターを感知しようとした。
前々から少し興味はあった。『蛇』の隊長を務め、『生ける伝説』とまで言われるブレイズさんのファクターに。
まだちょっと時間が掛かるのがネックだが、感知に成功した。
段々とファクターが見え始めた。そして俺は慌てて腰を抜かしてしまった。
「う、うわぁぁぁぁぁあああああ、何だこれ!」
目を開けるとそこには老人がいる。しかし目を瞑って見えるのは、夥しい数のファクターだった。
ファクターの塊が最早人型ではなかった。目を疑ってしまうほどの光景。ブレイズさんは今まで会った人の中で一番強い人なのだと察した。
「上出来」
ブレイズさんはそう言ってニッコリした。
その顔が何だか不気味に見えた。
「ということは二段階も後半になりましたな。次はファクターを自在に操る訓練ですぞ。なぁに、感じてしまえば操ることなんてすぐですじゃ」
そう言ってブレイズさんはその場から去って行った。
午後からの訓練は大きく変わった。
今までは午前にファクターに関する座学をし、午後から座禅をしてファクターを感じるための訓練のみだった。
それが、ファクターを操るための訓練に変わったのだ。
まず、感知するまでに掛かる時間を減らした。そして意識的にファクターを操作し、体内に取り込む。
最初は難しかった。どんなに集中してもファクターは俺の意図した方向に動いてくれない。
そして、集中するため、かなり神経を使う。あまり長時間の訓練はできなかった。いつも以上に休憩が多くなった。
そのため、最初の方はブレイズさんの言った通りにすぐ操ることはできなかった。
しかし、数日が過ぎると身体に変化が起きたのだ。
集中力が鍛えられたのか、ファクターは俺の言うことを聞いてくれだした。そして、体内に取り込む段階まで進むことができた。
そうして、俺は特にこれといった難は無く、ファクターを操ることができたのだ。二段階の後半に入ってから一週間が過ぎた頃だった。
俺たちは順調に三段階へとステップアップした。