02話 異変
翌朝。
リエラは浅い眠りを何度も繰り返して、ようやく朝を迎えることが出来た。
とても他人には見せられない顔を何とかするため、顔を洗いに行く。
「…………」
隣にある、何故か空っぽの部屋。
前を通るたびに胸の奥が軋む。
それはこの日も同じだった。
立ち止まりそうになる足を何とか動かして、顔を洗いに行く。
水面に映った顔は、我ながら酷い顔だった。
顔を洗って、涙の痕を拭い去り、ようやく人心地ついた。
今日は父が見回りに言っているので、稽古は頼めない。
学校も休みだ。行けば多少の人はいるだろうが、練習相手になってくれる相手が居るのかどうか。
はあ、とため息をこぼして、今日は自主練習だけにしようと決めた。
皆の言う通り、体を休めることも必要だろう。
「リエラー?御飯よー」
「はーい」
そしてまた、リエラの一日が始まった。
朝食を食べた後になって、サテナからお仕事をお願いされた。
ダレクが買って来るお土産が、家の中に所狭しと並んでいるのだ。
その整理の手伝いを言い渡された。
恐らく、サテナもオーバーワーク気味なリエラの体調に気を使って、無理矢理休ませようとしているのだろう。
荷物運びなど剣を打ち合わせるよりも、ずっと軽い労働だ。
手始めに場所を取る荷物を運び出そうとか考えたところで、リエラはふと思い至った。
「あ」
余りにも当然のことを思いついた。
「どうしたの?」
思わずリエラが上げた声に、サテナがキョトンと首を傾げる。
リエラは迷った。言っていいものかどうか、苦悩した。
言いたくは無かったが、しかし常識的に考えれば。
「えーっと……。あの、部屋……」
何も置いていない空き部屋を倉庫にする。
それが一番建設的な意見だ。
そもそも、何故空っぽにしてあるのかも良く分からない。
サテナには、『あの部屋』で通じたのだろう。
あそこに運ばされるのかと、リエラは嫌な予感を感じた。
「…………」
だが、その予感は外れた。
サテナは何故か、サッと顔を青白くして、それを隠すように俯いた。
「……母さん?」
リエラは、あの部屋に運び入れることは無さそうだと安心すると同時に、突然俯いた母を気遣った。
あの部屋には何もない。その筈だ。ダレクとも、サテナとも話して、そう結論付けた。
なのに、どうしてだろう。
「倉庫に、置きましょう」
サテナの震える声に、リエラは一も二もなく同意した。
久しぶりに開いた倉庫は、一言で言えば混沌だった。
多種多様な置物やら何やらが、所狭しと並んでいる。
八割がたは、ダレクの土産だ。
「……もう」
考えなしに買って来る父に内心で文句を言いながら、リエラはまた新しい土産を並べていく。
何度も何度も往復していくうちに、どんどんスペースが無くなっていく。
原因は簡単だった。
ダレクが適当に置いたと、一目でわかる場所が大いにスペースを喰っているのだ。
運び込む予定のサイズと数を思い浮かべ、このままでは入りきらないと結論付けた。
「はあ……」
リエラは溜め息をこぼして、今自分が積んだ荷物を外に運び出す。
二度手間になるが、あの部分を何とかしないと入りきらない。
ついでに整理してしまえばいい。
そう考えて、次々に運び出す。
そして混沌部分にも手を入れる。
「う……」
パズルのようになっていた。
よくもまあこんな適当にしてくれたものだと考えながら、リエラは慎重に一番上の物を取り除いた。
「え」
それだけで、崩壊が始まった。
リエラは慌てて飛び退き、崩落から逃れた。
そして崩壊が収まると、リエラはがっくりと肩を落とした。
「リエラ?!」
家の方から、サテナの声が聞こえて来た。
「大丈夫ー」
適当に返事を返しながら、リエラは思った。
なんで自宅の倉庫で危険な目に合わないといけないのだ。後で母さんと一緒に父さんに文句を言ってやる。
そう心に決めて、崩壊現場を切り崩しにかかる。
そしてそれが半分も過ぎた頃。
「あ」
懐かしいものを見つけた。
子供用の木剣だった。
思わず整理も忘れて、取り上げてしまった。
「うわ。軽い」
昔はこんなものを振るだけでも精一杯だったのだ。
試しに一度振ってみるが、軽すぎて練習にもならなかった。
苦笑しながら、リエラは木剣を脇に退けようとして、手に感触を覚えた。
「ああ……」
思い出した。
よくよく見ると、手垢で汚れて、すり切れている木剣には名前が彫ってあった。
辛うじて読める。
『りえら』と、書かれてあった。
リエラは苦笑を深めて、それを丁寧に脇に退けた。
そして整理を再開して。
「…………あれ」
もう一本、木剣があることに気付いた。
リエラが子供頃に使っていた物と同じ物。だけども、リエラの物よりも随分と使い込まれている。
ギクリと、心臓が鳴った。
「…………」
手に取ってみる。
自分は、二本も持っていただろうか?いや、そんなことはない。
ではこれは、誰のものだろうか。
ダレクの?そんな馬鹿な。父がこんな小さな木剣で満足できるわけがない。よしんば子供の頃に使っていたとしても、生まれ育った村は魔王に――。
「ッ」
再び、心臓が鳴った。
気付けば手が震えていた。
頭の中が真っ白になった。
リエラはそして、ゆっくりとその木剣を見た。
リエラと同じく、名前が彫ってあるのではないか。いいや、あるはずだ。
何故か即座にそう思った。
指が勝手に動いて、木剣に掘られた凹凸を感じ取った。
呼吸が乱れた。
乱れた呼吸のまま、リエラはそこを見た。
「…………」
名前は、掘られていたのであろう。
しかし、使い込まれ、削られ、汚れた結果。
そこには、文字ではなく、微かな線が彫ってあることしかわからなかった。
リエラはそれを見て、立ち尽くした。
呆然と。何時までも何時までも何時までも。
やがて、物音がしないことに疑問を覚えたのだろうか、サテナが家から出て来た。
「リエラー?」
「…………あ」
リエラは、弾かれた様に振り返った。
「かっ、母さん!!」
のほほん、とした顔の母に、リエラは木剣を突きつけた。
「こ、これ!!」
それを見て、サテナは目を細めた。
「あら。懐かしいわねぇ。お父さんに買ってもらってから、毎日頑張っていたわねぇ……」
そして微笑みを浮かべ、しみじみと呟く。
「それは、こっちなの!!」
リエラは、自分の木剣を引っ掴んで、名前が見える様、眼前に見せつけた。
「え?」
きょとん、とサテナの目が丸くなる。
その目がリエラの名前を追ったことを確認した後、リエラは震える手でもう一本を突きつけた。
名前が読めない、誰かの木剣を。
「こっ、これは、これは、誰の……?」
震える声で、リエラは問うた。
「…………」
サテナは目を丸くして、じっとそれを見た。
穴が空くほどに凝視して、沈黙が流れた。
やがて。
ぽろりと、突然サテナの目から、涙が零れ落ちた。
「あら?」
「か、母さん?」
サテナは不思議そうに首を傾げて、涙をぬぐった。
また溢れだした。
それをまた拭って、また溢れだして。
それを繰り返すうちに、サテナの顔が段々とくしゃくしゃに歪んで行った。
そして。
顔を両手で覆って、地面に膝をついた。
「母さん!どうしたの?!」
唐突に泣き始めた母に、リエラは慌てた。
そして肩を掴んで――、
サテナが、何事か呟いているのを聞いた。
「ごめんなさい……」
そう呟いていた。
一度だけではない。
何度も何度も。
「ごめんなさい」と、そう呟き。サテナは泣き続けた。
それを見てリエラは、何故か一瞬怒りを覚えた。
だがそれも消え去り、ただ母が泣き止むのを待った。
後に泣き止んだ母に、理由を聞いた。
「……なんでだったかしら……?」
と、不思議そうに首を傾げられた。
木刀の持ち主が、誰だかは分からなかった。
後に帰宅したダレクにも聞いたが、父も何故か目を見開き、涙を流した。
でもやはり、泣いた理由は、分からなかった。
その日の夜。
リエラは学友数人と夜の見回りに出た。
街に潜んでいるであろう、危険人物を探す大事な仕事だ。
空振りばかりではあるが、手を抜くわけにはいかない。
皆でそう励まし合い、気を張って行っているのだが。
実はリエラには、皆ほどのやる気は出なかった。
普段なら率先してこういうことを行うタイプだと言うのに、何故か全く。
それでも、やらなければならないものとして自分に言い聞かせて。
だが緊張感が無いのは事実だった。
欠伸を仕掛けている自分に気付いて、リエラは慌てて首を振った。
「最近オーバーワークではないか?」
それがばれたらしい。
あるいは眠気と戦っていると思われているのか。
心配そうに話しかけられた。
「すいません。大丈夫ですので」
リエラは慌てて謝って、自分の頬を叩いた。
「でも分かりますよ。あれから何も起きていませんから。……もしかすると、もう居ないのかもしれませんね」
フォローする様に、苦笑を交えた声が聞こえて来る。
「かもしれません。でも、油断させる為かもしれませんから、油断は禁物ですね」
リエラは何とか気合を捻り出した。
「ですね。――ん?」
それに同意した女性が、おもむろに暗闇に視線を向けた。
一斉に、全員の眼がその視線の先を追う。
そしてすぐに肩の力を抜く。
赤ら顔で、酒瓶を抱え込んで寝ている男性が居た。
「……おい、こんなところで寝てると、風邪ひくぞ」
近づけば猛烈なアルコール臭。
顔をしかめて、男性が酔っ払いを揺すった。
しかしなかなか目を覚まさない。幸せそうな顔のまま、涎まで垂らしている。
「全く……。あんなことがあったのに」
それを見て、誰かが溜め息をこぼした。
そして次の瞬間。
突然鳴り響いた轟音に、全員が一斉に身を竦ませた。




