09話 友人
ケイスは目を開けた。
今までとはまた違った感覚があった。
そう、自分の意思で体が動くのだ。
「ケイス!」
耳が想い人の声を拾った。
「……おお」
ケイスは久しぶりに感じる五体の感覚に苦労しながらも起き上った。
すぐ目の前に、セラの気づかわしげな顔があった。
その後ろには、青空が広がっている。
「無事なの?」
ケイスは立ち上がり、軽く体を動かしてみた。
すぐに違和感は無くなり、しっくりしてきた。
「ああ。何とかな」
セラを安心させるために笑いかけてやる。
するとセラも、その顔を見てほっと安堵の息を吐いた。
「心配させてすまない」と軽く頷きかけた後。
「……さて」
ケイスは顔を引き締めて振り向いた。
背後に立ち、こちらを見ている人物に。
「グレイスさん。いや、グレキオスさん、でいいか?」
ケイスはそう問いかける。
するとグレイスと名乗った青年は、微笑みを浮かべて頷いた。
「ええ」
グレイスの前世は、グレキオスだったのだ。
だからこそ自分の魔力で発動させた魔法に攻撃されなかった。
考えてみれば至極当然のことだった。
せめてもう少しくらい名前を捻れよと、場違いなことを思いつつ、ケイスは一呼吸挟んだ後、問いかける。
「あれは、どういうことだったんだ?」
どういう意図の質問かは、詳しく語る必要はないだろう。
そしてその想定通り、グレイスは、グレキオス頷いた。
まずは謝罪を。
「まず初めに謝罪を。――確認したかったのです」
そして顔を持ち上げた時、彼の瞳には羨望が宿っていた。
グレキオスは静かに語り出す。
「貴方は魔王の生まれ変わりと言いましたね」
確認を取って来る彼に、ケイスは頷いた。
「ああ。前世は、フレイシアってな」
隠しはしなかった。
グレキオスは軽く目を見開いた。
「……彼女の」
流石に彼も知っているのだろう。
僅か二十年前まで猛威を振るっていた、最も新しい魔王の名前を。
「で?」
ケイスが続きを促すと、グレキオスは再び羨望を瞳に宿した。
「そう言えると言うことは、やはり貴方にも記憶はあるのでしょう?」
今更確認されるまでも無い内容だ。
「ああ」
ケイスは即座に頷いた。
グレキオスはそれを見て、瞼を閉じた。
一つ溜め息をこぼし、首を横に振る。
「なのに、貴方の目は私達とは違う」
震える声で、グレキオスは言った。
「……」
ケイスは軽く目を見張った。
「濁っていない。狂っていない。隠している訳でも、ない」
グレキオスはケイスの瞳を見た。
その奥の奥まで覗き見る様に。
無いのだ。
グレキオスが抱える感情が、ケイスの瞳の奥には。
だから信じられなかった。
「信じられなかった。だから見て頂いたのです」
同じ様な境遇を味わったはずだと言うのに、どうしてと。
ケイスは、口をへの字に曲げた。
「……最高の気分になったぜ」
正直に言えば、だいぶキた。
間違いなく、危ういところであったとも言える。
「よくもいらんものを見せてくれたな」と睨み付けると、グレキオスはすぐに「すいません」と呟いた。
「貴方には記憶があり、そしてそれを再び味わったはずだ」
ケイスは頷く。
「だと言うのに。――何故ですか?何故そんな目を出来るのですか?」
グレキオスは、信じられぬものを見るような目でケイスを見ていた。
「……別に辛いことだけじゃなかった」
ケイスはぽつりと呟いて、ちらりとセラを見た。
セラは澄ました顔で立っていた。先ほどまでの、こちらを気遣うような顔を見せていない。
話しを聞いていても、驚いた様子も見せない。
あるいはケイスが意識を飛ばしている間に、話しをしていたのかもしれないな、と思った。
ケイスはグレキオスに視線を戻した。
「……そりゃあ辛いことばっかりだったさ。でも、幸せなこともあった」
ケイスは知っている。そして、彼の記憶を見たから言える。
人間を憎悪した、その原因を知っている。
裏切られたからだけではない。大切な人を、失ったからだ。
大切と思える人が居たからだ。
「俺は、フレイシアはそれを覚えていた。だから願ったんだ。最後の最後に正気に戻って、願った」
数日共に過ごしただけで、名前すら知ることも無かった老人。
フレイシアは、あのたった数日の間、確かに幸せだったのだから。
それを失ったから、彼女は狂ったのだ。
「来世こそは幸せでありますようにって。……あの温かさを知っていた。覚えていた。だからだ。俺も、それが欲しいんだ。それだけだ」
ケイスは再びセラを見た。
相変わらず澄ました顔だが、いつもよりも、更に距離が近い。
何かあれば、即座に手を伸ばせる距離に立っている。
だからケイスは胸を張って答えた。
ケイスの手がセラの手を握った。
即座に握り返された。
「……そうですか」
グレキオスはそう呟いた。
太陽を見ているかのような目で、眩しそうにこちらを見て。
そして俯き、深い深いため息をこぼした。
「羨ましい。私は、貴方が羨ましい……」
そう呟く。
両の手が、硬く握りしめられた。
「貴方が正しいのは分かります。理屈で言えばそうでしょう。ええ、分かっています」
ぼそぼそとグレキオスが呟くにつれ、体が震えはじめる。
何かの大きな感情に突き動かされるように。
突然、グレキオスが顔を跳ねあげた。
「――でも我慢できない!!」
彼は泣いていた。
「私があんな目にあったのに!何故奴らはあんな顔で生きているんだ!?全部無くしたのに!奪われたのに!」
呪詛の様な叫びをあげる。
その声に込められた、凝縮され尽くした憎悪を感じて、ケイスは目を逸らした。
今のケイスには、その気持ちは痛いほどに分かったから。
ふと、グレキオスの体がから力が抜け落ちた。
ケイスが彼に視線を戻すと、彼は俯いていた。
「……そう思ったら、もう我慢できないんです。何があっても、どうなろうとも……」
ぶるぶると震える両手を見下ろして、そう呟く。
きっと、その両手にはべっとりと血が付いているように見えているのだろう。
「………………」
ケイスはグレキオスを憐れんだ。
彼は自分とは違ったのだだろうと。
例え温かさを知っていても、それに縋ることが出来ないのだと。それよりも、彼は逆の道を選んだのだ。
一歩違えば、ケイスも同じことになっていたのだろう。
グレキオスの手の震えが収まると、彼はゆっくりと顔を持ち上げた。
「あわよくば、貴方もお仲間にと思ったのですけどね。どうも、無理そうだ」
諦めた様な、渇望した様な顔だった。
その顔も、溜め息一つで消え去った。
「……貴方は、幸せになって下さい。私達の分まで。どうか、お願いします」
グレキオスはそう言って硬く瞼を閉じ、深く頭を下げた。
存在していたかもしれない、自分のもう一つの可能性に向かって。
ケイスは頭を掻きながら、セラの顔を伺う。
セラは即座に頷いた。
「言われるまでもないっすけどね」
だからケイスはそう返した。
グレキオスは、大きく安堵の息を吐いた。
「ええ……」
そして持ち上げられた顔には、心からの祝福があった。
ケイスとセラ。そのつながれた手を、視界に焼き付ける様に。
やがてグレキオスはそこから視線を切った。
「……私は行きます。彼女のおかげで、私にも魔力が戻った。だから――」
そう言われて、ケイスは気づいた。
彼の魔法で発動していたあの鎧は、今のケイスと同じ様なものだったのだろう。
違いがあるとすれば、ケイスには魔力があり、グレキオスには魔力が無かったということだ。
それも、セラが破壊したことであるべきところに戻ったと。
「…………」
そして力が戻ったら、どうするのだろうか。
――考えなくても分かる。
例え魔力が無くとも、人をここまで誘い込んでいたのだから。
そんな迂遠な方法を取る必要がなくなったとすれば。
ケイスは彼を止めようかと考えた。
だが、どうやって?
言葉で止まるものではないことは、ケイスも理解できる。
では、彼と――
「そうだ、これは餞別です」
悩むケイスに、グレキオスは全く警戒せずに歩み寄り、一枚の紙を手渡した。
「これは――ッ」
思わず受け取り、書かれた文字を読んでいくケイスは、絶句した。
そして全てを理解し、顔を跳ねあげると。
グレキオスの微笑みがあった。
「ええ、貴方のその魔法はね、私も友人から教わっているのですよ」
「解除方法が分からないとお聞きしたもので」と、セラを見ながら続ける。
ケイスは驚愕を顔に張り付けた。
ケイス、今なお呪いの様に発動し続けている魔法を友人に教わった。それの解除方法を知っているということは。
それがどういう意味なのか、ケイスは思い至った。
「……そいつは。いや、そいつも、同じなのか?」
この言葉の意味を、グレキオスは理解した。
だから頷き返し、
「勿論ですよ。それではお元気で。ルセラフィルさんとお幸せに」
それ以上は何も言わず、背を向けて歩き出した。
「………………」
グレキオスが今から何をしに行くのか。
そして、その友人がグレキオスと同じと言うのならば。
ケイスは迷った。
迷って迷って、必死に結論を出そうとしたところで。
「ケイス」
「――ん?」
セラの呼びかけが聞こえて、慌てて我に返る。
「行くわよ」
言うや否や、セラはケイスの腕を掴んだ。
「は?おおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
次の瞬間、ケイスとセラは風となって森の上空をぶっ飛んだ。