20話 突破
ケイスが駆け出すと、テット達はあからさまに怯んだ。
背を向けて逃げ出す者はいなかったが、危うく尻餅をつきかねないほど体勢を崩した者も出た程だ。
しかし、流石と言うべきだろうか。
リエラの取り巻き達は、怯みはすれども即座に我に返った。
「ちっ、散らばれぇ!!」
その中でも、テットは最も早く我に返った。
テット達は一か所に固まっている。ここで魔法を放たれれば一網打尽すらあり得ると考えたのだろう。
指示を受けた者達は慌てて散らばった。
まるで逃げているかのようではあったが。
そして、言い出しっぺのテットは動かなかった。
剣を構えて歯を食いしばり、駆け寄るケイスを迎え撃つ構えだ。
いつ魔法が撃たれても良いようにだろう、自分からは魔法を使わず、完全に防御する構えだ。
一方ケイスは立ち止まらなかった。
わざわざ自分の為に道を開けてくれたようなものだ。
相手から間合いを開けてくれるのだからと、一直線に突っ走る。
「――ッ!」
ギリッ、とテットの歯が軋むほどに噛みしめられた。
額に早くも汗が浮かび、来るであろう攻撃に備えて集中力を総動員する。
ケイスはそこで、ようやくまっすぐ走ることを止めた。
軽く円を描く様に、テットを迂回して走る。
ケイスはあっさりとテットをパスし、走り抜けた。
テットは一瞬ぽかんと口を開き、ケイスの背を見送った。
しかし、すぐ様我に返ると、包囲を楽々と走り抜けたケイスの背中を見て、慌てて叫ぶ。
「に、逃がすな!――お前達は、学園長にっ!」
ケイスは振り返らなかった。
後ろからは戸惑った雰囲気がある。
追撃したいが、手を出せば逆襲されるのではないか。そう考えたことで、迂闊に手を出せなくなっているのだろう。
それと同時に、彼等は安心していた。
門が、閉まっているのだ。
どれ程の魔法が使えようとも、そう容易く突破できるわけはない。
門相手にケイスが四苦八苦している間に多少手を出すことで足止めし、時間を稼げばよい。
少なくとも、ダレク達が現れるまでは。
それが温い考えであることを、テット達はすぐに理解する。
走るケイスが片手を門に向ける。
門の前に立っていた警備兵達は、それを見て顔を引き攣らせた。
魔法が飛んでくると考えたのだろう、慌てて左右に散る。
人が居なくなると、ケイスは魔法を使った。
加減も何もなく、必要だと思える威力で。
ケイスの手から、明りを食いつぶすような勢いで黒い何かが飛び出した。
それは槍だった。
先端部分でさえ、人間の倍はありそうな大きさの槍。
それが、途轍もない勢いでケイスの手から逃げ出した。
「うッ、ああぁぁぁあああ?!」
警備員たちが恐怖に眼を見開き、少しでも門から離れる様に跳んだ。
そして、音も無く放たれた黒い槍は空気を切り裂き猛進し、堅く閉じられた門に激突した。
轟音が響いた。
地面が、空気が震えた。
ケイスの放った槍は、容易く門を貫いた、どころではない。門が消えて無くなった。
門があった場所に、ただぽっかりと穴が出来てしまっていた。
地面に頭から飛び込んだ警備兵達が。
ケイスを追おうとしていた人達が。
一様に足を止め、その穴を見つめた。
しかし、すぐにビクリと体を震わせる。
ケイスが地面を蹴る音が、轟音の過ぎ去った空間に響いたのだ。
彼等は例外なく、ケイスを見た。
常識外れな威力の魔法を、人が使えないはずの暗黒魔法を放った化け物を。
ケイスは構わず走る。
近くで破壊を見た警備兵の一人は、必然接近してくるケイスから逃れようと立ち上がろうとして、失敗した。
這ってでも逃げようとし、しかしそれが遅々として進まぬことを理解すると、振り仰いだ。
目に涙を浮かべ、カタカタと震えながら、恐怖に恐れ戦く。
「……ば、化け物」
ケイスはその視線を受け、声を聞いた。
学園の生徒ではない、一般の警備兵だ。ケイスは顔も見たことは無い相手であった。
それでも、ケイスの心に暗いものが突き刺さった。
理解していたつもりだった。魔王だ化け物だと罵られる覚悟は出来ていた。
前世ではずっとそうだったし、ロックで一度味わってさえいる。
それでも、ケイスは自分の心が痛みに軋む様な感覚を味わった。
しかし、ケイスはそれを隠す様に笑みを浮かべた。
「はんっ!」
ケイスと同じことは、ダレクも出来るだろうか。
シトラスも、サテナも出来るだろう。少なくとも三人いれば確実にできる。
リエラはまだ出来ないかもしれないが、どうせすぐにできる様になる。
それなのに、使う魔法が違うだけで、反応がこうも違うものかと。
そう考えると、笑わずにはいられなかったのだ。
ケイスはあっさりと、大穴を抜けた。
「お、追え!追えぇぇえ!」
後ろからはテットの叫びが聞こえて来る。
見上げた根性と言えるだろう。
遅ればせながら、ケイスと同様に穴からテット達が出て来る気配を感じる。
そこからも勇敢な者達は追って来てはいる。
しかし、明らかにケイスに遅れている。
恐怖が彼等の足を遅くしているのだろう。しかし、見逃すわけにはいかないという正義感も、同時にある。
「うっ、撃てぇ!」
テットの号令と同時に、幾本もの光の槍がケイスの背に向かって放たれた。
大きさは千差万別。だが、一番大きくても、ケイスの胴体と同程度のものだ。
テットの号令と同時に、ケイスも動いた。
地面を削りながら急停止し、振り向きながら腕を薙ぎ払った。
ケイスの腕が通った地点に、暗闇の中でも何故か良く見える、黒い線が生まれた。
線と見えたそれは一瞬で膨らみ、ケイス自身を覆い隠す。
そこに、光の槍が吸い込まれた。
ゴクリ、と誰かの喉が鳴った。
攻撃の結果がどうなったのか。その結果を図りかねる彼等の視線の中で、黒が薄くなり消えて行く。
「おい」
黒が完全になくなる前に、ケイスの声だけが聞こえて来た。
「――ッ!!」
全員が、身を竦ませ喉を引き攣らせた。
黒は、すぐに消え去った。
そこには先ほどと変わらぬ姿のケイスが無傷で立っていた。幾人もの同時攻撃を容易く防いだのだ。
そして、表情だけは先ほどとから変わっていた。
眉間に皺を寄せた鋭い眼光。それで、ぐるりと周囲を見回して言った。
「死にたく無ければ追って来るんじゃねぇぞ。……次からは俺も反撃するぜ」
ケイスから放たれるのは本物の敵意。己の身を守る為ならば容赦はしない。
この日、散々自身に向けられたそれを、ケイスは彼等に向けて放った。
そこかしこで、悲鳴のような呻き声が漏れた。
眼が合っただけで腰を抜かす者も居た。
それでも、折れぬ者も居た。
この場のリーダー格であろうテットだ。
彼は蒼白な顔で、ありありと顔に恐怖を浮かべながらも戦う意思を残していた。
体中冷や汗まみれで、全身が細かく震えている。それでもなお折れてはいないが、テットも理解していることはある。
一人で何をしようとも勝つことはできない。
彼我の実力の差は、痛いほどに理解できたのだ。
それでも逃がす訳にはいかない。
少しでも時間を稼ぎ、勇者達が来る時間を稼がねばならない。
ただそれだけを己に言い聞かせて、テットは立っていた。
一方で、困ったのはケイスの方だ。
テットは、予想以上に根性があった。口先だけの男ではなかったと、思いもよらぬところで証明されてしまった。
ケイスとしては上手く気絶をさせたいのだが、生半可な魔法を撃てば防がれるだろうし、逆に強く撃てば防御は貫けるだろうがテットも死ぬ。
テットは嫌な奴だと思っていたが、何も殺すほど憎い訳ではない。少なくとも、現時点で顔見知りを殺す必要はないのだ。
まともに魔法を使うのが初めてのケイスには、どれ程の威力で魔法を撃てばよいのか分からないのだ。
数瞬悩んだ末、ケイスは再び腕を薙ぎ払った。
すると、全員が同時にビクッ!と身を竦ませる。そのどこか滑稽な光景に苦笑を浮かべながらも、ケイスは魔法を発動させた。
先ほどと同じく黒い線が描かれる。
今度は、それが真っ直ぐ前方に放たれた。
「――防御ォッ!!」
この状態でも叫んだテットは流石と言うべきだろう。
全員が必死の形相で防御の魔法を発動させた。
その彼等の眼前の地面に、黒い線が着弾した。
「……?」
胴体を輪切りにするかのようなコースで放たれたと思っていた彼等は、一瞬キョトンと目を瞬かせて、地面に描かれた線を見つめる。次の瞬間、そこを中心に爆発した。
「おおぉぉぉぉおおオオォォォォオ?!」
衝撃に備えるために踏ん張る者、体を丸める者。それが間に合わず、爆風に障壁ごと吹き飛ばされる者。
各々さまざまな反応を行ったが、一番の重傷者が頭を打った程度で済んだ。
人を狙った魔法では無く、爆風に当たられただけだったのが幸いだったのだろう。
そして爆発が終わり、立ち昇った土煙に視界を遮られる中、テット達は土煙の中に人の影を見て、再び身を竦ませた。
当然のごとく防御魔法は使用したままだ。
「…………」
影は動かない。
テット達はじりじりと冷や汗を流しながら、追撃に怯えながらも備える。
やがて、土埃が消え去ると、そこには案の定ケイスが立っていた。
両手をだらりと垂らした格好だ。
それでも二度、三度とケイスの魔法を見せつけられた彼等は油断できない。
押し黙り、睨み続ける。
そして待つ。
ケイスが攻撃してくるのを。
勇者達が現れるのを。
どうか攻撃は来ないでくれと。
早く来てくれと。
願いながら、待ち続ける。
どれほどの時間そうしていただろうか。
実際には、そう大した時間はかかっていないのだが、極度の緊張からテット達の集中力は削られていく。
そんな時、ケイスが動いた。
「ッ!!」
テット達は一斉に身を固くする。
そして、幾つもの視線に晒されたケイスが、どろりと溶けた。
「……は?」
頭から、液体になったかのように。
音は無かったが、パチャンッと水音を鳴らしそうな動きで。
そしてケイスだったものが一瞬で真っ黒になり、無くなった。
「え?」
テット達は全員、呆然とケイスが居た場所を見つめていた。
しばし呆然と見つめた後、仲間内で目を合わせ、首を振る。
何が起きたのか、さっぱり理解できなかった。
その中で、テットは恐る恐るケイスが居た場所に歩み寄る。
そして、そこには最早何もないことを理解すると、慌てて周囲を見回した。
暗闇の中、自分たちの気配しか感じない。
耳を澄ませても何も聞こえない。
精々が虫の鳴く声くらいだ。
「…………逃げられたッ!!」
テットは痛恨の顔で叫んだ。
気付くや否や、ケイスを追おうと考えたテットの足が震えた。
「――くっ!」
何故震えたのかは理解できる。恐怖だ。
テットは自分を情けないと思いながらも、周囲の仲間達を振り仰いだ。
一人では追う気力が沸かずとも、何人もの人が居れば気力は沸いて来る筈だ。
そう思って、しかし、すぐにそれは不可能だと思い知った。
誰も彼もが座り込んでいた。
生きていることを感謝しながらも、恐怖に震えていた。
心が折れている。
必死で奮い立たせた気力も緊張感も、ケイスの姿が消えたことで全て尽きてしまったのだ。
テットは彼等を情けないと責めることは出来なかった。自身も、彼等と同様なのだから。
しかし、決して見逃すわけにはいかない。それでも足は動かない。
テットが途方に暮れた時、足音を聞いてテットは慌てて振り向いた。
その顔が、申し訳なさを映しながらも、希望に輝いた。