02話 セラ
ケイス・ユリシスは名前の通り、勇者の息子だった。
しかも、元聖女サテナとの子である。
二人が揃って神聖魔法の使い手であり、そのレベルも群を抜いている。
その子供であれば、どれ程の才能を秘めているのか。
それが初めにあった、周囲の期待である。
しかし、ケイスには神聖魔法の才能が無かった。
ほんの一かけらも。これっぽっちも。
周囲の落胆は大きかった。
そして、その落胆は、物心ついたばかりの少年だったケイスの心を容赦なく抉った。
幸いにして、ケイスは神聖魔法以外の才能ならば引き継いでいた。
父ダレクから剣を教わり、また様々な戦闘技能を教わると、スポンジのごとく吸収して行った。
しかし、魔法が使えなければ大した戦力にはならない。
剣など、接近された時の最後の手段だと言う事が一般常識であるし、事実だった。
近づかれる前に魔法で攻撃すればよい。
接近戦ですら、魔法を込めた武器を使った方が強いのだ。
それでもケイスは腐らなかった。
必死に、自分が出来る範囲の技能を伸ばした。
妹が物心ついたある日、小さな小さな妹は、神聖魔法を使った。
周囲はそれを見て、妹を持て囃した。
ケイスのことは全く無視して、妹にだけ期待を押し付けたのだ。
妹はその期待に十二分に応えているだろう。
その点は、ケイスも妹を尊敬している。
そして妹が輝くにつれ、ケイスに対して陰口が叩かれるようになった。
その時点でもケイスの心はまだ折れていなかった。
「魔法では勝てないけど、剣では自分の方が強い」。
そんな、みみっちいプライドだけがケイスを支えていた。
ある日、リエラに乞われて剣の練習に付き合った。
当然ながら、ケイスにとっては隙だらけのリエラを指導してやった。
すると、リエラは段々むきになって来た。
それでも兄貴風を吹かせ、微笑ましい物を見る目で軽くいなしてやっていた。
そして見つけた致命的な隙をつき、軽く剣を振り下ろした。
誓って、怪我をさせるつもりは無かった。
軽く打つ程度の攻撃であった。
しかし、頭に血が上ったリエラは、無意識に魔法を使った。
そして魔法を込められた模造刀が、ケイスの模造刀を真っ二つに切り裂き、勢い余ってケイスの体を切り裂いた。
体勢も整っていない無様な攻撃だったのが幸いし、軽症で済んだ。
ケイスは、自らやらかした事態に泣き喚く妹を連れて帰宅した。
再び言おう。
ケイスはリエラに怪我などさせるつもりなど、毛頭無かった。
ただ、逆に傷を負わされたことには内心大きな動揺は抱えていた。
帰宅し、母に治療をしてもらいながらも両親は「お兄ちゃんなんだから」とケイスを窘めた。
何を言うまでも無く、ケイスの落ち度だとそう思われていた。
妹の涙ながらの言葉で、両親はようやくリエラの不手際だと理解した。
そしてケイスは、翌日から新たな陰口を叩かれることとなった。
「妹が憎くて怪我を負わそうとした」「逆に返り討ちにあった」
そんな心無い噂が、あっという間に広がった。
動揺に揺れるケイスの心は、その噂に打ちひしがれた。
幾ら必死に否定しても聞き入れられず、妹が拙い言葉で言い繕おうとも、「無様な兄を庇う心優しい妹」と言う認識でしか、捉えられることは無かった。
ケイスの心は折れた。
自分の言葉は伝わらず、妹の言葉だけが通じる。
周囲からは冷たい視線と罵詈雑言。
幼い少年の心をへし折るには、十分だった。
それ以降、ケイスは家族とも壁を作った。
妹とも距離を作り、最低限の接触しか取らなくなった。
そして十二歳になると、両親に勧められるままに入学した学園の、寮に入った。
家族との同居に耐えられなかったのだ。
特に、二歳年下の妹は無邪気に甘えて来ていたが、ケイスには耐えられなかった。
我ながら惰弱な心だと言う自覚はある。
そしてケイスは隠れる様にして、慎ましく学園生活を行っていた。
多少の陰口もあったが、その頻度は少ない物だ。十分に耐えうることが出来た。
そして二年後、リエラが入学してからはまた悲惨になった。
実に優秀な妹は見る見る頭角を現し、そして実の兄との差が浮き彫りになってしまったのだ。
ケイスも成績は悪くない。むしろ良い。
ただ一点、魔法だけが致命的に才能が無かっただけだ。
それなのに、魔法こそが最も重要な点だと言わんばかりに心無い悪意を囁かれた。
セラと仲が良くなったのはそれくらいの時期だ。
あれは確か、人の居ない場所で魔法の練習をしていた時だ。
案の定、発動すらせずに霧散していく魔力に肩を落とすと、背後から声をかけて来たのだ。
「貴方、本当に勇者の息子なの?」
まさか見られているとは思わなかったケイスは、内心仰天しながらも落ち着いて見える様にゆっくりと振り返り、微かに目を見開いた。
当時はセラとは会話などしたことなかったし、彼女が人に話しかけられても、冷たい一瞥だけくれて無視するのを見たことがあったため、驚いたのだ。
ケイスはすぐに表情を取り繕い、肩を竦めた。
「残念ながら、そうみたいだな」
その時、セラは『なんとなくそんな気分だった』から話しかけて来たのだろうとケイスは思っている。
本当に、どうでも良さそうな顔をしていたのだから。
「才能無いわね」
馬鹿にするでも無く、ただ興味が無さそうに端的に述べた。
内容は良く聞いたものだが、暗い感情の籠っていない言葉に、ケイスは新鮮な感覚を覚えた。
「ああ。これで両親が普通ならよかったんだがな。親が選べないのは辛いことだぜ?」
そう言って皮肉げに笑うと、セラは微かに目を見開いた。
「……そうね。選べないわ」
しばしの沈黙の後、セラもケイスと似たような笑みを浮かべた。
美人のその表情に見とれそうになり、ケイスは自然を装って目を逸らした。
それが初めての会話だった。
それから何故か、時々声をかけてくるようになったのだ。
セラはところ構わず、思いついた時に話しかけて来たので、良く注目を集めた。
とは言っても、その当時のセラは笑顔など浮かべなかったが。
それでも、嫉妬する馬鹿は居た。
ある日、そういう馬鹿共に絡まれた。
「一体どうやって仲良くなった。どういう関係だ」。
端的に言えば、そう言う内容の詰問を喰らった。
「友人じゃねぇかな」
ケイスは嫉妬に燃えながらも見下すような視線を送って来る馬鹿共をからかおうと考えた。
「な――ッ!!」
案の定、馬鹿共は愕然とした。
この顔を見れただけ満足だ、ネタばらしでもしてやろうと思った。「ただの顔見知りだ」と、そう言おうとした瞬間。
『そうね。友人だわ』
セラの声が、風に乗って流れて来た。
「?!」
ケイスも、馬鹿共も慌てて周囲を見回した。
しかし、セラの姿はどこにも見えない。
代わりとばかりに、風が吹いて来た。
『それで、私の友人に何の用かしら?』
精霊魔法だ。
それで声を届けているのだろう。
顔も見えず、しかし冷たいその声色に戦いた馬鹿共は、何事か叫びながらも逃げ出していった。
取り残されたケイスは、どうした物かと立ち竦んだ。
声もこれ以上聞こえないし、帰って良いのだろうか。
そう悩んでいると、当の本人が登場した。
「ケイス。私の家族や友人は、私をセラと呼ぶわ」
セラはそう言って、にこりと笑った。
初めて見る、セラのその顔は心臓に悪かった。
「そうかい。俺はケイスって呼ばれるぜ」
ケイスは目を逸らし、おどけてみせた。
するとセラは頬を膨らませ、結局ケイスがセラの名前を呼ぶまでいびられた。
それから、セラとは気の置けない友人となった。
もう一人の怪しい友人と対面させたらまた面白いことになったが、今は止めておこう
ケイスは、ふとその当時を思い出した。
「セラ」
「なあに?」
細腕のはずなのに、ぐいぐいとケイスを引きずるセラは律儀に振りむき、首を傾げた。
昔は直視できなかったが、今ではドギマギすることも無く顔を見ることが出来る。
「あの時、何で俺と友達になったんだ?」
あの時は呆気に取られて聞いていなかったが、よく考えればおかしい気がする。
エルフは友人をそう簡単に作らないはずだ。
そもそも、エルフは人間を嫌っているということも周知の事実であるし、セラも他に人間は寄せ付けていない。
ケイスが問いかけると、セラは呆れた顔を浮かべた。
「貴方が言ったんじゃないの」
「そりゃそうだが。普通断るもんだろう」
セラは少し顔を持ち上げた。当時を思い出しているのだろうか。
やがてセラは微笑みを浮かべて、ケイスの目を見つめた。
「そうね。私もあの時は、何となく言っちゃっただけよ」
ケイスは目を剥いた。
「何となくって、お前……」
セラはケイスのその顔を見て笑みを深める。
「でも正解だった。貴方は、とても楽しいわ。そこらの人間とは全然違うもの」
クスクスと笑いながら言われた言葉に、ケイスは半眼となった。
ケイスは勇者の息子であること以外は、至って普通の人間であると自覚している。
妹の様に輝いてもいないし、むしろ内心に黒い感情が眠っていることも自覚している。
「……さいですか」
すると笑っていたセラは心外そうな顔を浮かべた。
「信じてないわね?」と責める様に見つめて来る。
「貴方、嘘つかないもの」
「は?」
セラの言葉に、ケイスは間抜けな面を浮かべた。
そんな訳がない。
むしろ、人よりも嘘をついている自覚が有るくらいだ。
うさん臭そうにセラの目を見返したが、セラは怯みもしない。
「ああ、違ったわ。嘘は言うけどね。顔を見ればすぐに分かるもの。私にはね」
セラはその美貌に、意地悪そうな笑みを浮かべた。
初めて見た時は、彼女もこういう表情を浮かべる生物なのかと、心のどこかで思ったものだ。今は見慣れてしまったが。
しかし、セラはケイスの嘘が分かると言うのだろうか。
他人は余裕で騙しまくっている気がするが、確かに考えてみれば、セラは全く騙されてくれない。
それにディールの奴もセラと同じく、すぐに嘘を見破って来る気がする。
「……」
何か分かりやすいサインでも出してしまっているのだろうか。
ケイスは自分の顔を触ってしまった。
「顔だけじゃないわ。声とか雰囲気でもすぐに分かるわよ」
すると、セラは楽しそうに、得意気に胸を張った。
エルフの癖に普通にボリュームのある物体が二つ突き出された。
「…………」
が、それよりも、セラの発言が気になって仕方がない。
ケイスの視線が虚空を彷徨った。
セラはその様子を見て、瞳の奥をキラリと輝かせた。
「ふふ。叔父様もね、ケイスのこと、面白いって言っていたわよ」
先日学園に訪れたエルフのお偉いさんだ。
まさかエルフが、しかも地位の高い人が訪問してくるなんてと、学園どころか国全体に激震が走っていた。
当のお偉いエルフさんは、事務的に、端的に挨拶すると、早々にセラに会いに来た。
彼女の身内だったらしく、様子を見に来たそうだ。
運悪く、セラとその叔父様が話しているところにケイスが通りかかり、あれよあれよと言う間に会話に巻き込まれてしまった。
当初はケイスの事を木石の様に扱っていたセラの叔父様も、何故か時と共にケイスと普通に会話するようになり、最後は微笑みを浮かべられた。
そして「卒業したら、うちに来たまえ」と言い残し、上機嫌なまま帰ってしまった。
嵐のような出来事だった。
「……もう勘弁してくれ」
更にセラの口撃が続きそうな予感がして、ケイスは白旗をあげた。
セラもある程度ケイスを弄れて満足したのだろう、頷いた。
「今日のところは許してあげる。もっと面倒なのが待ってるものね」
「うげぇ……」
こうして話している間にも、もう一人の友人の鬱屈が溜まっていることを思い出して、ケイスは呻いた。
「あははっ!」
セラはその顔を見て、満面の笑みを浮かべた。
しかし、イチャコラはいつも通りという