15話 友
ケイスが拘束されて時間が経った。
窓も無く、食べ物どころか飲み物も与えられなかった。
時々人が来る気配があったが、誰も彼も怯えた様子を見せていた。
ケイスは目もあけることなく、それらを完全に無視した。
そうしていると、二人の人間が新たに現れた。
一人は顔も見ずとも分かる。父親の気配だった。
問題はもう一つの気配だ。
普段と違う視線を感じた。
「ほうほう。これが」
ケイスは何の反応も見せなかったが、その視線だけを感じて不快感を覚えた。
浮かれた様子も声も、そして感じる視線も。
『人間』として見られていないことが良く理解できた。
内心憤ったが、体力を温存することに努めた。
それに、こういう種類の人間は何を言っても聞きはしないだろう。
「……俺の息子だぞ」
代わりと言ってもいいのだろうか、ダレクが怒りを込めた声をあげた。
通常の人間なら怖気づくほどの怒気が込められていたが、そいつは平気な様子だった。
脳の配線でもずれているのかもしれない。
「でも魔王かもしれないと?」
そう言われると、ダレクは押し黙った。
顔は見えなくとも、どのような表情を浮かべているかは分かった。
「……」
それでもケイスはダレクに対して何も思わなかった。
こういう態度を取っていたとしても、ダレクは明日にでもケイスを殺すのだから。
「まあ明日には分かることですがね。ふふ」
愉快そうに笑う声が響いた後、
「俺も立ち会うぞ」
ダレクが釘を刺した。
すると途端に不機嫌そうな雰囲気が溢れ出す。
よほど素敵な調査方法を試そうとしていたのだろう。
そして、流石にダレクの居る前で、そういう行動が出来ないということくらいは理解できているのだろう。
その後すぐに二人は出て行った。
ケイスは焦れる心を抑えながらも待ち続ける。
しばらくすると、またしても誰かの気配が現れた。
「――――ッ?!」
ケイスは顔を跳ねあげた。
良く見知った気配がしたからだ。
そこにはディールが立っていた。
いつも通りの顔で。
しかし、いつもとは全く違う場所で。
「ディール……?」
友人がここに現れたことに驚愕し、次にディールが手に持つ物を見て、ケイスは呆然と呟いた。
ディールは鍵束を持っていた。
ディールはケイスに頷きだけ返し、あっさりと牢の鍵を開けた。
そしてひるむ様子も無くズカズカとケイスに歩み寄り、これまたあっさりと手錠に鍵を差し込んだ。
カチン、と言う音が響き、ケイスの拘束が解かれた。
「お前、どうやって……?」
ケイスは呆然と自由になった腕をさすりながら、ディールを見つめた。
「南の森に、セラが居るよ」
ディールはケイスの疑問には答えなかった。
ただいつも通りの顔でケイスを見つめる。
「……」
意味が分からず、ケイスは沈黙して続きを待った。
「国に居ない方が良い。逃げて、セラの国に匿ってもらって」
ケイスは目を見張った後、苦悩の表情で俯いた。
しかし、それこそが死なない為に、今打てる最善の手であることは疑いようがない。
ただ国を出ることにためらいを覚えただけだ。
それも、すぐに飲み込んだ。
「……そうするしか、ないよな」
決意を固めて頷き、厳しい顔で固まった体を解し始める。
身体を動かし始めると、すぐに腹が鳴った。
考えてみれば暫く何も食べていない。
それも当然のことだろう。
するとディールは、水と食べ物を取り出した。
「……ありがとよ」
ケイスは有難く受け取り、口の中に詰め込む。
咀嚼もほどほどに水で流し込み嚥下する。
「友達だからね」
かなりの速度で食べ物を胃に収めて行くケイスを見ながら、ディールはいつもの通りの顔で、いつも通りの口調で呟いた。
ケイスは思わず食事の手を止めてディールの顔を見つめた。
「ああ。そうだな……」
ケイスは頷き、食事を再開した。
だいぶ空腹は紛れたが、満腹になるまでは食べなかった。
これから走り回ることになるのだから。
ケイスがある程度腹を満たすと、ディールは続けて魔法の様に荷物を取り出した。
それを見て、ケイスは頬を引き攣らせた。
「これ、俺のじゃねぇか……」
先日演習に向かった時に持っていた物だ。更に中身を見ても、全てケイスの物だった。
ケイスの部屋から持ってきたのだろうか。
平気な顔でここにこうして現れたことと言い、この友人は謎が多すぎる。
激しく問い詰めたいが、どうせ黙殺されるだろう。それに、そう時間も無い。
「外はどうなってる?」
それならばと、剣を装着しながら問いかける。
逃げる算段が必要だ。
周囲一帯が全てケイスを狙っているという状況ならば、ケイスはケイスでそれなりの対応をする必要がある。
そして、その為の覚悟も決める必要がある。
「大丈夫。今はね。これから騒がしくなると思うけど」
ケイスの想定する最悪の事態にはなっていないらしい。
周囲に言いふらせば混乱が広がり、すぐにリエラの耳にも届くだろう。
ダレクとしても、それを嫌ったのだろうか。
しかし、それももう時間の問題となるだろうか。
「間違いねぇ」
ケイスはようやく笑みを浮かべた。
逃げ出したと知ればダレク達は大慌てだろう。
決して見ることは無いが、彼等の慌てる顔を想像して、今のうちに「ざまあみろ」と笑ってやった。
ケイスが逃げたと知れば、当然追おうとするだろう。
しかし、追うにも現状では人数が少ないのではないだろうか。
数を増やすことは当然考えられる。
学園の生徒達が追手となるだろうか。
顔を知っているだけに、やりにくい。
もしかするとリエラにも話が伝わるかもしれない。
「生徒は、余り来ないと思う」
「余りか」
ディールの言葉を繰り返す。
「人員不足だから。でも口が堅い人は数人知ってる、と思う。見張りに立ってた」
そういえば今日は休日だったとケイスは思い出した。
必然的に校舎内に人は少なく、集めるにしても時間がかかると言う訳だ。
しかし、現時点で既に生徒数人が『敵』であるのは予想外だ。
「誰か分かるか?」
どうせ休日にも学園に顔を出すような、クソ真面目な努力家達だろう。
心当たりがある数人の顔を思い浮かべながら問いかけたが、ディールは首を振った。
「分かるけど。意味ないよ。どうせ増える」
「……そうだな」
結局のところ、全員敵だと考える必要があるだろう。
味方は目の前にいるディールと、南の森に居るというセラだけだ。
寂しい友人関係だと嘆くべきか、この状況でも味方してくれる友人が二人も居ると喜ぶべきか。
ケイスは後者を選ぶことにした。
前世のハードっぷりに比べれば、まだまだマシだと思えたからだ。
それでも、我ながら悲惨な人生に苦笑が浮かんだ。
「……勇者は来るよ。学園長も」
ディールの言葉で、苦笑が渋面になった。
正直、学生連中ならどうにでもなる。
魔法以外、特に戦闘系ならケイスに並ぶ者は居ない。
その魔法も気にせず使えるようになったことも大きいし、戦い方はある程度思い出した。
教師陣にも遅れは取るまい。
少なくとも、前世の自分が魔法を使っていた映像を見るに、それは自信を持って言える。
しかし、
「それが一番の問題だぜ。本気でやっても無理だろうな。見つからないことが一番だが……」
親父とお袋と学園長。
ダレクとサテナとシトラス。
この三人はケイスから見ても化け物だと言いたくなる相手だ。
今のケイスなら、それぞれ一対一ならば、勝てるだろうか。
勇者である親父にも、接近戦でなければ如何にかできると思う。
魔王だったころには、それくらいの力はあった。
しかし、あちらはケイスを魔王と考えて動くだろう。
力関係は、あちらも十二分に理解している筈だ。
普通に考えて、二人以上でこちらが不利。
もしかすると、確実を期すために三人パーティーでケイスを探すかもしれない。
いや、きっとそうするだろう。
もし見つかったらと考えると、愉快な考えは浮かんでこなかった。
そして何故か、自分は見つかるだろうと言う思いもどこかにあった。
「それが一番いいけど。……あの魔法、覚えてる?」
「……ああ」
ケイスの渋面が更に険しくなった。
先日ディールに渡された魔法。
今にして思えば、ディールはこうなることを知っていてあれを見せたのではないかとすら思えてくる。
使えば、この状況とて楽に抜け出せるだろう。
しかし、そう容易く踏ん切りがつかない。
「危ないと思ったら」
ディールが念を押してくる。
「……分かってる。使うよ」
ケイスは歯を食いしばった後、頷いた。
どうすることも出来なくなる場面もあるかもしれない。
今のうちに覚悟は決めておくことにするが、やはり出来れば使いたくはない。
「セラは大丈夫だろうが、ディールは……」
「生きることが大事だよ。生きてれば、また会える」
ケイスがディールに向かって未練たらしく呻くが、ディールは言い聞かせる様に呟いた。
「……そうだな」
ケイスは目を閉じた。
そして、重くなった空気を察して話題を変える。
「で、ディールはこれからどうするんだ?お前も来るのか?」
そう言いながらも、ケイスはディールが来ないだろうことは想像できた。
明らかに普段着なのだから。
もしかすると、既に森の中に荷物が置いてあるのかもしれないが。
「僕は大丈夫。ばれないから」
想像通り、ディールは来ないようだ。
しかし、鍵を持ってここに現れたことと言い、この自信と言い、この友人は不思議すぎる。
そもそも、何故ディールは暗黒魔法をあんなに知っているのだろうか。
そして何故、今までそのことを疑問に思わなかったのか。
一度そのことに気付くと、色々と不思議な点が浮かんでくる。
「……そうか」
これから二度と会えなくなることも考えられる。
ケイスは最後に、色々とディールに聞いてみようかと考えた。
「余裕はないよ」
しかし、言葉を探しているうちにディールが急かしたことで、諦めた。
確かに時間は無い。
何時ここに人が入って来るかも分からないのだ。
そうなったらディールに迷惑がかかってしまう。
そもそもディールの秘密を知っても何も変わらないのだ。
ケイスとディールは友人。それだけで良い。
「分かった。じゃあ、行くぜ」
「気を付けて」
最後の挨拶かもしれないのにいつも通りのディールの様子に、笑みがこぼれる。
ケイスはそのまま友人の顔を見て、笑みを深めた。
ケイスに出来る精一杯の笑みだ。
「……分かってる。じゃあな、ディール。また会おうぜ。お前のことは、割と大好きだぜ」
ディールの表情は変わらなかった。
「……僕もだ。セラにも宜しく。元気で」
しかし、返答には僅かに沈黙があった。
ケイスは頷き返し、背中に視線を受けながら牢を飛び出した。
気配を殺して、足音を殺して、しかし走る。
かつてない程に精神を引き締める。
自分以外全てが敵かもしれない、という状況になっても、悲壮感も抱かなかった。
案外前世で慣れているのかもしれない。
でも自分はフレイシア・ストラエーデではない。
友達が居るのだ。一人ではない。
そう考えるだけで、自然と足は軽くなった。
そうしながら逃げ延びることを考える。
外は暗い。魔法を使って暗闇に紛れることも考えたが、ダレクやシトラスは「魔王の気配を感じた」と言っていた。
その魔王フレイシアは既に消えた。
しかし、それまでにもディールの研究室で散々使っていたのに、どうしてあの時に限ってそれを感じたのか。
距離的な問題もあるのかもしれないが、結局のところケイスには判別できない。
出来るだけ使わない方が良いということだろう。
結局魔法には頼れないことに気付いて、ケイスは笑い出したくなった。
嗚呼、いつも通りだ。
逃げろー!ビュゥゥゥウウン!!(両手を広げて)




