12話 不意打ち
22時と言ったな。ありゃあ嘘だ
ケイスが感じたのは殺気だった。
これまでの人生でも、両手の指では足りぬほどに殺意を浴びて来たケイスではあるが、この殺意は初めてだった。
それは人間から叩き付けられた殺意だった。
しかし、ケイスの体は殺意に反応した。
剣を抜き放ち、振り向く勢いのままに、振り抜いた。
ガッィィィンッ!!
金属が激突する音が響いた。
混乱するケイスの瞳が、襲撃者を捕えた。
不意打ちを防がれたからだろう。ケイスと同様に、いや、ケイスほどではないが、驚愕を張り付けた顔があった。
見覚えのある顔だった。
それが誰か思い出す前に相手は驚愕を飲みこみ、慌てず騒がず飛び離れた。
動揺するケイスは追撃することもできず、とにかく体勢を整えながらも相手の名前を思い出そうと考えた。
すぐに思い出すことが出来た。
つい先日、話題に出した男だ。
確か、ズランド。
熱心にセラに言い寄り、袖にされて最後に不埒なことを行おうとし、叩きのめされた男のはずだ。
そう思い出したところで、ケイスはようやく我に返った。
そして内心舌打ちをした。
追撃すべきだったのだ。随分距離を開けられてしまった。
ズランドは当然魔法を使えるが、ケイスには堂々と使える魔法は無い。
最悪の場合はそうも言ってはいられないが、接近戦で仕留めることが最善だっただろう。
しかし、今はそれが出来る距離ではない。
「……どういうつもりだ、ズランド?」
ケイスはズランドを睨み付けながら、さりげなくじりじりと間合いを詰めた。
しかし、返事は無かった。
ズランドは返事を返すことも無く、油断なくケイスを睨み付けながらじりじりと後ずさる。
ケイスの言葉に耳を貸すつもりもなく、接近戦が得策でもないことを理解してるのだろう。
ケイスは今度こそ舌打ちを打った。
ズランドはそれを聞いて、微かに口元を歪めた。
「……セラに振られたからって、俺に八つ当たりするんじゃねぇよ」
ならばと、ケイスは不敵に笑い、ズランドを挑発した。
するとズランドは笑みを打ち消し、ケイスを睨み付けて来る。
瞳がギラギラと輝き、殺意が増した。
それでも、ズランドは我を忘れることなくじりじりと下がる。
しかし、効果はある。
ケイスはズランドに向かって、頬を吊り上げた。
「俺を殺しても、セラはお前なんかには振り向かないぜ?勘違い野郎」
ケイスが言い切る前に、ズランドの手がケイスに向けられた。
次の瞬間、光の槍がケイスの顔面に向かって放たれる。
「――――ッ!!」
ケイスは俊敏に反応し、回避した。
距離があるからこそ避けれたのだが、その距離があるからこそ詰め寄れない。
ズランドは、詰め寄ろうとするケイスをけん制するかのように、二度三度と光の槍を放つ。
ケイスはそれも回避し、余裕を顔に張り付けた。
無論余裕などないし、虚勢である。
そうしながら、ケイスはズランドに向かって言った。
「……セラが、お前のこと何て言ってたか教えてやろうか?」
ピタリとズランドが止まった。
ケイスはそれを見て、顔いっぱいに嘲りを浮かべた。
「『気持ち悪い』ってよ。良かったな。脈はねぇよ」
ズランドは憤怒に顔を歪めた。
次の瞬間、彼の手から放たれたのは、幾本もの光の矢だった。
それが五本、纏めてケイスに向かって打ち放たれる。
ケイスは同時に駆け出した。
槍の様に単純な魔法では無く、光の矢はある程度集中が必要な魔法だ。
その分速度は速く、しかもある程度の操作まで出来るのだが、回避しきることができればこれ以上ない隙になる。
ケイスは矢に向かって走る。
目を見開き、視界を広く持つ。
ギリギリまで引きつけ、引きつけ。
矢が体を貫く瞬間、ケイスは全力で身を伏せた。
一見すると地面を這う様な体勢であるが、ケイスは地を這う様に突き進む。
「ツッ!!」
回避しきれなかった矢がこめかみを微かに削った。
皮が裂けたが、肉や骨までは達していないだろう。
であるとしたら、ケイスは立ち止まるわけにはいかない。
ケイスがズランドに肉薄した。
ズランドは、驚愕に眼を見開いている。
避けられることも想定外なら、ケイスの速度も想定外たっだのだろうか。
その隙に、ケイスは剣の柄でも、どてっ腹に叩き込んでやろうかと考えたのだが。
ズランドは諦めていなかった。
握っていた剣が、白く発光した。
それを下から掬い上げる様に切り上げて来る。
「ッ!」
タイミングとしてはそう良いものではなかった。
ケイスは今の体勢からでも、撃ち落せるくらいのものだ。
魔法さえかかっていなければ。
如何に勢いが無くても、魔法を宿らせた剣の威力は、ケイスもつい先日よく理解することができた。
剣を合わせれば、こちらの剣だけが真っ二つだろう。
かと言って、こちらは前傾視線で、しかも走っている。これを避ければ大きく体勢を崩すことになるだろう。
次の攻撃を避けることは不可能になるくらいには。
ケイスは判断した。
舌打ちが響くと、それが合図の様に、ケイスの剣が一瞬で黒く染まった。
暗闇の中でも視認できるほどに黒く。
こんな状況で使うのは初めてのはずなのに、やけにスムーズに発動した。セラに言われたとおり、実戦で使っておいてよかったと心から思う。
ズランドの瞳が、驚愕に見開かれた。
そして白と黒が激突した。
拮抗は一瞬だった。
一瞬だけ、火花が散ったかと思うと、白い剣が真っ二つに断ち切られた。
ズランドは中ほどから失った剣を、慣性のまま上に振り抜きながら、呆然と失った剣先を見つめている。
そのどてっ腹に、今度こそケイスは蹴りを叩き込んだ。
「ォブゥッッ!!」
ズランドの体がくの字に折れ曲がり、吹き飛んだ。
そのまま地面に投げ出され、後頭部から地面に叩き付けられる。
ケイスは地面に投げ出されたズランドに更に肉薄し、その顎を掠める様に蹴り抜いた。
ズランドの顎が砕け、白目を剥いた。
それを見下ろした後、額に浮き出た冷や汗を拭おうとしたケイスは、手についた血を見て呻いた。
額の傷が、今さらじくりと傷んで来た。
「……くそったれ」
間違いなく見られたはずだ。
この手の馬鹿が、暗黒魔法など見たらどうなるか。
元々大嫌いなケイスを擁護する気など全くないだろうし、真逆の行動に移るだろう。
そして、これ幸いに周りの奴らはケイスを排斥すべく行動に移すだろう。
それだけならまだいいのだが、命を狙われるとか、そういう展開まであり得るかもしれない。最悪を想定しておいた方が良い。それがケイスが短い人生で得た結論だ。
とにかく、まずはこの馬鹿が騒ぐ前に、報告すべきだ。
どうなるかは分からないが、放っておけば良い未来は想像できない。
そう思いつつも、最悪だけは防ぐためにケイスは学園に向かって走り出した。
学園長が、まだ居ることを祈りながら。
幸いなことに、ケイスは誰とも会うことも無く、学園長の執務室に辿り着くことが出来た。
更に幸いなことに、中からは人の気配がある。
それだけ忙しいと言うことなのだろう。
そこにこんな話を持ち込むことに罪悪感はあったが、放置していて良い問題でもない。
ケイスはノックをした。
「誰だ」
返事は即座に帰って来た。
扉越しにケイスが気配を察したように、学園長シトラス・クラフトもケイスの気配を察していたのだろう。
「ケイス・ユリシスです。時間頂きたいんですけど良いですかね」
ケイスは言い終わる前に扉を開けた。
学園長ではあるが、父の親友なのだ。
幼少のころから何度も顔を合わせていたし、可愛がってもらっていた記憶もある。
勝手知ったるなんとやら、である。
「ケイス?どうした。こんな時間に」
シトラスも特に咎める様な口調ではなく、意外そうな声音だ。
何故か剣を持って、部屋の中で立っていた。
ケイスを見つめるその顔が、驚愕に染まった。
「……何があった?」
ケイスの頭から流れる血を見たのだろう。
今は布を当てており、出血もほとんど収まってはいるのだが、布は赤く染まっていることだろう。
「ちと殺されかけました。同級生に」
ケイスはおどけた様子で言った。
シトラスは、どこか安堵した様子を見せた。しかし、すぐに眉間に皺を寄せる。
そもそも学園生同士の私闘は禁じているし、殺し合いなどもっての外だ。
それを破った生徒が居ると聞きつけ、今から頭を抱えたくなっているのだろう。
「……誰だね?いや、まずは座りなさい」
シトラスはその生徒の名を聞き出そうと考えたが、治療が先だと思いついた様だ。
来客用の椅子にケイスを座らせ、布を取って傷痕を眺めて軽く安堵する。
深くは無い。
痕も残らないだろう。
そう判断すると、即座に神聖魔法を用いて、ケイスの傷を癒した。
治療している間にも、ざっとケイスの全身を眺めて他に傷は無いか探す。
「他には?」
目につくところには無いことを確認すると、ケイス自身にも確認を取って来る。
「無いっす」
ケイスが治療してもらったことに頭を下げつつ答えると、シトラスは頷き返し、対面にどっかりと座り込んだ。
「で、どういうことだね?」
普段のケイスには見せない、学園長としての態度だ。
毅然とした態度を取る必要がある、と感じたのだろう。
「ズランドって奴に狙われましてね。セラの、あー、ルセラフィルの熱心なファンでしてね」
「……」
シトラスは少し考えたようだが、名前と顔が一致する生徒が思い浮かばなかったのだろう。
名前だけはしっかりと記憶し、また、後半を聞いて苦虫を噛み潰した様な顔を浮かべた。
セラのファンが多いことは、教師陣も知っているのだろう。
「まさかこんな目に合うとは思ってませんでしたがね」
「……すまん」
ケイスの愚痴に、シトラスは頭を下げた。
学園の責任者としての判断だろう。
それも理解できるケイスは、肩をすくめた。
「いえ、学園長は悪くないっすよ。それよりも、聞いて欲しいことがあります」
それも問題だが、それ以上の問題があるのだ。
ケイスが先ほどよりも真剣な顔を浮かべるのを見て、シトラスも居住まいを正した。
「ふむ。あまり時間は取れんが……」
シトラスは何やら呟いている。最後には「あいつが動くまでは良いか」等と呟いている。
首を傾げるケイスに対して、シトラスが視線で話の先を促してくた。
それを受けて、ケイスは一度深呼吸を挟んだ。
「俺、魔法が使えるんですよ」
シトラスの顔が輝いた。
「おお!やはり――」
シトラスは親友の息子として、ケイスに対してどこか息子のような感覚でもあったのかもしれない。
相好を崩したシトラスの言葉を遮って、ケイスは短く、しかしはっきりと告げた。
「暗黒魔法が」
シトラスの顔が固まり、ケイスの言葉を何度も反芻した後でも、聞き間違いかと思ったのだろう。
「……なんだと?」
訝しみ、問い返してくるシトラスに、ケイスはしっかりと視線を合わせて言った。
「暗黒魔法が使えます。何故かは俺も知らないっすよ?ただ使えて、ズランドの野郎をぶっ飛ばすのに使っちまいましてね」
「魔法を使われたんでね」と締めくくると、シトラスは顔いっぱいに皺を寄せ、深く考え込んだ。
しかし、やがて諦めたかのように溜め息を吐き、首を左右に振って呻いた。
「…………信じられん」
「普通、そうっすよね」
ケイスも頷きを返しつつも、再度シトラスの目を見つめる。
嘘は言っていない、と態度全体で訴える。
しかし、シトラスは疑わしそうな顔を浮かべる。
「……見せてもらっても?」
「はい」
ケイスは頷くと、掌を良く見える様に持ち上げた。
そして、魔法を使った。
手の上に、黒い雲の塊が溢れ出す。
その瞬間、ケイスの内側で『何か』が暴れ出した。
今までなかった感覚にケイス自身が驚愕した瞬間。
視界の端に、目を一杯に見開いたシトラスが見えた。
それと、光の塊が。
それが何なのか理解する間もなく、ケイスに光が衝突し、意識を失った。
最後の瞬間、シトラスは何かに恐怖しているかのような顔を向けていたのが、記憶の端に引っかかった。
Hard→Very Hard